第百十二話 囚われの夜
「お前がこの黒騎士達の親分か?」
「まあ、そういうところだ。まさか、人族に私の部下が負けるとは思わなかったよ」
「俺も剣一本でこれまで生きてきた剣士だ。相手が魔族だろうが、剣の勝負では負ける気はしねえよ」
「ほ~う。それは頼もしい。それだけの実力があるのなら、我が配下に入れてやっても良いぞ?」
「残念ながら、今は永久に就職していたい人に仕えているんでな。話だけ、ありがたく頂戴しておくよ」
「そうか。それは残念だ。では、死ぬが良い」
黒騎士が剣を抜いた。
こいつ、剣の腕前も相当なものだ。本当に魔族なのか?
「お前もかなりに剣の使い手のようだな。俺が負けた時のために、お前の名前を訊かせてもらおうか?」
俺は、黒騎士にばれないように、横目でエマを見た。エマは、まだ、壁の穴の中から俺を見下ろしていた。俺がもしもの場合でも、こいつの名前をリーシェに伝えることができるかもしれない。
「私に名乗れと? ふははは、良いだろう。地獄で私に斬られたと言えば自慢もできるだろう」
黒騎士は剣を構えたまま、一歩、俺に近づいた。
「能書きは良いから、とっとと名乗れ!」
「我が名は、ベルフェゴール。十二魔将の筆頭よ」
十二魔将? どこかで聞いた記憶があるんだが……。
「ベルフェゴールか。思ってたより、良い名じゃねえか」
「お褒めいただいて光栄だ。では、蝿のような貴様の名前も訊いてやろう」
「俺はアルスだ」
「アルスか。私が初めて名を聞いた人族として、誇ってあの世に行くがよい」
ベルフェゴールが更に俺に近づくと、剣を斜め上段に構えた。
くそっ! まったく隙が無い。打ち込む先がない。
「待て! ベルフェゴール!」
別の男の声で緊迫した糸が切れた。
ベルフェゴールも剣を下ろして、その声の主に体を向けた。
俺とベルフェゴールの横顔を見る位置にいたのは、ザルツェールだった。
エリアンを殺した時と同じ鎧をまとっていたが、その表情には少し影が差していた。
「その男は、私の知り合いだ。それも、とても親しいな」
「てめえに親しいと言ってもらえるほど、つきあいがあった訳じゃねえが?」
俺は、剣を下ろすことなく、ザルツェールを睨んだ。
「おやおや、これはつれないな。今までイルダ様を守っていただいた恩もあるではないか」
「てめえのためにイルダを守っていた訳じゃねえ!」
「その剣を下ろせ。どうあがこうと、君はもう助からないのだ。それならば、我々の役に立ってから死ねばよかろう?」
「ふざけるな! それより、ザルツェール! 貴様、どうして生きている? この魔族の街で生きているということは、まさか、悪魔どもと契約をしたのではないだろうな?」
「いや、そのとおりだよ。このベルフェゴールと契約をした。このベルフェゴールは魔王の行方を捜しているようなのだ。魔王といえば、つい先日、我が軍団を蹴散らしてくれた、あの女が自ら魔王と名乗った。その情報と我が命を交換したのだよ」
ザルツェールは、俺からベルフェゴールに視線を移した。
「ベルフェゴール! その男が君のいう魔王様と一緒にいた男だ」
「何! それを早く言え! 危うく殺してしまうところだったわ」
ベルフェゴールは、剣を鞘に仕舞うと、指をパチンと鳴らした。それだけで俺の足が地面とくっついてしまい、まったく動くことができなかった。
「命拾いしたな。アルスとやら」
死なずに済んだと安堵する気持ちにはなれなかった。イルダの元に戻れなくなったことが悔しくてならねえ。
横目で城壁を見ると、エマは、まだ、城壁の穴から密かに顔を覗かせていた。高い位置にある穴なので、ザルツェールにもベルフェゴールにもばれていないはずだ。
もし、リーシェの封印が解けて、ここに来てくれるにしても、エマにできるだけ情報を持って帰ってもらう方が良いだろう。
「ベルフェゴール! 貴様は、なぜ、リーシェを、いや、魔王様を捜しているんだ?」
「魔王様が復活されていることを、このザルツェールの話で知った。私は十二魔将筆頭! すなわち、魔王様の第一の家臣! この大陸を、再び、魔王様の治世に戻すというのが、我が願いだ!」
「十二魔将」という言葉に何となく聞き覚えがあったのは、だからなのか。
「すると、この街をこんなにしてるのは、そのための布石ということか?」
「そうだ。ここを拠点にして、この大陸中に侵攻する。魔王様の力をもってすれば、この大陸すべてを支配するのに、ひと月と掛かるまい」
「貴様は、魔王様から直に、その命令を受けているのか?」
「いや。しかし、魔王様はお喜びになるはずだ」
「それはどうかな」
「何? どういうことだ?」
俺は、もう一度、エマがいるはずの城壁を密かに見た。
「俺に訊きたいことがあるのだから、すぐに殺しはしねえよな?」
ベルフェゴールへの問いを、城壁のエマにも確実に聞こえるように、大きな声で言った。
「貴様の態度次第だがな」
「俺も命は惜しい。協力できるところは協力しよう!」
城壁からエマの気配が消えた。
エマなら、すぐに帰って、イルダに情報を伝えてほしいという俺の意図は分かってくれたはずだ。イルダに伝われば、いつも側にいるリーシェにも伝わる。
「では、魔王様は、今、どこにいる?」
「だから、それを容易く言ってしまうことは、俺の命の終わりなんだろ? すんなり話すと思っていたのか?」
「なかなかに食えぬ奴だな」
ベルフェゴールも魔族のくせに逆上することなく冷静だ。
そんなベルフェゴールの近くに、ザルツェールが近づいて来た。
「何、心配いらぬ。このアルスがこの街に来ているということは、お互いの尋ね人もこの近くにいるはずだ」
お互いの尋ね人?
ベルフェゴールの尋ね人は魔王リーシェだ。ザルツェールの尋ね人は、……イルダしかいねえ!
「ザルツェール! 貴様! まだ、イルダを?」
「イルダ様は私の許嫁だ。新しく許嫁になったルシャーヌは、結局、エリアンとの仲を選んだ。私にしてみれば、耐えがたい屈辱だ」
「ああ、そうだな。二回も許嫁に逃げられるなんてな」
ザルツェールは、眉をつり上げて、ツカツカと俺に歩み寄ると、思い切り、俺にビンタを食らわした。
ベルフェゴールの魔法で、足が地面にくっついたままで、倒れることも踏ん張ることもできなかったから、かなりの衝撃が背骨に伝わった。
「アルスよ。貴様、今の状況が分かっているのか? 貴様の命は、私の考え一つでどうとでもなるのだぞ」
俺は、切れた口に溜まった血を「ペッ!」と吐き出してから、ザルツェールを睨んだ。
「俺が動けないと手も出せないモヤシ野郎が! いきがってるんじゃねえ!」
「貴様!」
ザルツェールは、また、俺にビンタを食らわした。一回目よりも怒りが溜まっていた分、強力な奴だった。
だが、俺の怒りも収まるものじゃない。
「てめえの軍の兵士達はどうした? 自分だけ助かろうとしたのか?」
今度は、ザルツェールのビンタは飛んでこなかった。どうやら図星のようで、怒りの眼差しを俺に向けるだけだった。
「ベルフェゴール! こいつの口を割らせる役目は私がやる!」
「よかろう。しかし、せっかくの情報源だ。殺すなよ」
「その時は君が止めろ、ベルフェゴール」
意識が朦朧としながらも、俺は監獄に放り込まれたのが分かった。
あの後、宮殿の拷問室というべき部屋に連れ込まれた俺は、両手首にはめられた手枷で宙づりにさせられ、上半身裸にさせられた上で、ザルツェールから、これでもかといういうくらいムチで打たれた。
ザルツェールが俺の口から訊きたかったことは、当然、イルダの居場所だ。
イルダがいるサブロタの街は、ここルシエールから馬を飛ばすと三、四刻くらいで着く。いわば目と鼻の先だ。
どうしてもイルダの居場所を知られてはいけない。
そして、逃げ帰ったエマから話を聞いて、この状況を知ったリーシェは、何とかしてくれるはずだ。
ただ、残念なのは、「おやすみ薬」が俺のベルトのポーチに残ったままだということだ。リーシェもイルダが眠ってくれないと封印が解けない。しかも、俺のことを知ったイルダが眠ってくれるかどうか。イルダが俺のことが心配で眠れないということは、普段なら嬉しいことだが、今は眠ってくれと祈るばかりだ。
俺が入れられたのは、四方と天井が鉄格子になっている四角い檻で、中には、ベッドも椅子もなく、トイレ代わりの小さな桶が置かれているだけだった。
俺は、石の床に横たわりながら、監獄内を見渡したが、暗くて、隣に同じような檻があることくらいしか見えなかった。
天井近くに小さな窓があるのに気づいた。
小さな窓で、大人の体格では、そこから抜け出ることなどできやしないが、ご丁寧に鉄格子がはめられているその窓から三日月が見えた。
昼間は黒い雲に覆われているこの街も、夜には太陽を遮る必要がなくなるからか、星が煌めく夜空が見られるようだ。
それにしても、俺が捕らえられたのは、昼過ぎだった。そして、今は夜。
エマは、無事、みんなの元に帰り着いただろうか?
エマなら跡をつけられるようなヘマはしないはずだ。
俺は、体中が痛かったが、いつの間にか眠ってしまっていた。
いや、気を失ったのかもしれない。
監獄の扉が開く音で目が覚めた。
寝そべったまま見ると、魔族の兵士が檻の小さな扉を開いて、どうやら食事を差し入れてくれたらしい。
魔族に給仕されるなんて初めてだぜ。
その魔族の姿が見えなくなってから起き上がり、差し入れられた皿に近づき、その中身を見てみた。
パンと野菜のスープという、思っていたより普通の食事だった。きっと、外で農作業をしている人々と同じメニューなんだろう。もっとも、まだ体中が痛くて、それに気持ち的にも食欲はわかなかった。
天窓から差し込んできている光で、既に夜が明けていることが分かった。
ほのかに明るくなっている監獄を見渡してみた。
窓はその天窓しかなく、四方を石材で囲まれた部屋に鉄製の扉が一つだけあり、その入り口から三つの檻が並んでいるだけの小さな監獄で、一番奥の檻に入れられている俺の他に収監されている者はいなかった。
俺は、ゆっくりと石の床に腰を降ろした。
三十分ほど、そうやってボ~としていると、ベルフェゴールが部下の黒騎士二人とともにやって来た。
「飯は食ったのか?」
「食う気にならねえ。それに、これからまた、いたぶられるんだろ? せっかく胃に入れた食べ物もすぐに吐いてしまうだろうしな」
「ふふふ、口だけは減らぬ奴だ。ザルツェールも昨日、貴様をいたぶりすぎて疲れているようだ。まだ起きていない」
「へっ! 軟弱な野郎だぜ! それで、お前が代わりに俺をいたぶりに来た訳か?」
「ふふふ、私が貴様を責めると、貴様はすぐに死んでしまうだろう。貴様を責めるのは、ザルツェールに任すことにしている」
嫉妬に狂っているザルツェールよりは、魔族なのに冷静な、このベルフェゴールの方とはまともに話ができそうだと感じた俺は、鉄格子越しに、ベルフェゴールに近づいた。
「ベルフェゴール。お前は、どうしてザルツェールと契約をしたんだ?」
「奴が命乞いをして、いろいろとわめいた際に、『魔王と会ったばかりなのに!』と愚痴めいたことを言ったものでな。詳しく話を聞いたところ、奴が話した姿形が魔王様と同じことが分かった」
「なるほど。それで、魔王様の情報を得ることを交換条件にして、お互いに協力することにした訳か?」
「そういうことだ」
「しかし、魔王様の居場所が分かれば、ザルツェールなど、もう不要なんだろ?」
「ふふふ」
ベルフェゴールは、顔面を覆った兜をかぶったままなので、その顔は分からなかったが、俺の問いに笑いで返したことで、ベルフェゴールの考えは分かった。結局、ザルツェールはベルフェゴールに利用されているだけなのだ。
それなのに、ザルツェールは、ベルフェゴールと契約していることで、自らも強大な力を得たかのような誤解をしている。可哀想な奴だ。
だが、待てよ。
ベルフェゴールがザルツェールを利用しているのなら、俺がベルフェゴールを利用することはできないだろうか?
こいつの目的は、魔王リーシェと会うことだ。だとしたら、リーシェと戦って負けただけのザルツェールよりも、リーシェのダチと言っていい俺の方が、ベルフェゴールの望みを叶えてやれる可能性は高い。
もしかすると、封印が解けたリーシェが命じてくれて、ベルフェゴールを味方にできるかもしれない。
だが、リーシェの封印は、まだ完全に解けていない。リーシェが子どもの姿に戻ることを知っても、ベルフェゴールはリーシェに忠誠を誓うだろうか?
いや、そもそも、魔族の連中が忠誠を誓うことなどありえるのか?
リーシェは言っていた。
リーシェが他の全ての魔族を従えたのは、恐怖によってだと。
だとすれば、このベルフェゴールの魔王リーシェに対する忠誠心とは?
「ベルフェゴール。お前はどうして魔王リーシェの治世の復活を願っている?」
「どうしてだと? 魔王様の配下として当然の願いであろう?」
「俺も魔王リーシェと一緒にいて、リーシェの部下だったという魔族にも会ったことがある。そいつはリーシェを恐れていたし、リーシェも恐怖心で配下の魔族を支配していたと言っていた。お前は魔王リーシェが怖くないのか?」
「もちろん、私も魔王様は恐ろしいさ。その魔力は、比肩すべき者など、この世にはいないほど強力だからな」
「リーシェが怖いから忠誠を誓うということか?」
「もちろんだ。誰だって命は惜しい。そのために強い者に従い、忠誠を誓う。違うか?」
人族が考える忠誠心と、魔族のベルフェゴールが考えている忠誠心は似て異なるものだ。
確かに、人族だって、支配者の一言で首が飛ぶこともあって、その恐怖心で忠臣づらしていることもあるだろう。
しかし、本当の忠誠心とは、エリアンが見せてくれたように、主君と仰ぐ者のためなら、自らの命を差し出すことに、何のためらいも見せないということだ。
そんな気持ちは、魔族には分からないのだろう。
だとすると、ザルツェールの話を聞くまで、魔王リーシェが復活していたことを知らなかったベルフェゴールが、リーシェのためにこの街を支配していたなど、あり得ない話だ。
「ベルフェゴール。本当は、お前は自らが魔王となるべく、この街を支配しようとしていたのではないのか? しかし、魔王リーシェが生きていると聞いて怖くなり、従順な態度を示そうと心変わりをした訳か?」
「何とでも言うが良い」
図星か?
ベルフェゴールは、この話を終わりにさせたいのか、突き放すように言い放ち、監獄から出て行った。




