第百十話 魔族に支配された街
「昨日、夜どおし飲んでいた酒場の親父の話では」と、誰も信じない前置きをしてから、娼婦のベニから聞いた話を、全員が揃っている朝食の席でした。
「そこまで徹底して、街の中に人を入れさせないのか?」
「それに、不気味な雰囲気というのも気になるな」
ダンガのおっさんとリゼルが残念そうな顔をして言った。
それもそうだ。
ルシエールは、今の帝国に正面切って楯突いている勢力で、もしかすると自分達の味方になるかもしれないと期待していただけに、落胆の度合いも大きいのだ。
「今まで、魔族が実質的に支配をする街がいくつかありましたけど、ルシエールもその可能性があるということですね?」
朝食を食べて機嫌が直ったイルダが、俺の顔を見ながら訊いた。
「そうだ。もしかすると、ザルツェールが率いた帝国軍は、魔族の連中に捕らえられたか、既に殺されている可能性もあるな」
ルシエールの領主が魔族で、その支配下にある軍団がルシエールにいたとすると、街の中に入れられた帝国軍は、逃げることもできずに全滅させられたのかもしれない。
「どうします、アルス殿?」
「昨日、言ったとおり、ルシエールの街に俺だけでも行って来る。今、言ったことは、すべて伝聞で、どこまで正確なことなのか分からない。実際に、俺がこの目で確かめてくるよ」
「じゃあ、アタイも行くよ。どれだけ城門を固く閉ざしていても、アタイには入れない所はないからさ」
自信満々のエマだが、それだけの実績と実力を兼ね備えているのは確かだ。
「では、私も一緒に参りましょう」
性懲りもなくバドウィルが言ったが、カルダ姫が許さなかった。この危険な状況で、少しでも自分の従者に近くにいてほしかったのだろう。そのお陰で、また、俺の貞操は守られた。
「じゃあ、エマと一緒にすぐに出る」
「アルス殿。エマさん。ご無理はなさらないでくださいね」
「ちゃんと戻ってくるさ。イルダの怒った顔を、また見たいからな」
「ア、アルス殿」
照れるイルダを、事情を知らないカルダ姫が不思議そうな顔で見つめた。
エマは自分の馬で、俺は名馬フェアードに跨がって、サブロタの街を出た。
サブロタからルシエールまでは、比較的整備された街道が通っていて、俺達もその街道をひた走った。
昔は、この街道を商人や荷馬車が行き交っていたのだろうが、今は、まったく人通りがなかった。ルシエールに行っても、中に入ることができないということは、この辺りの商人達には知れ渡っているのだろう。
サブロタを出て、歩きだと一日掛かるルシエールの街に、フェアードも頑張って駈けてくれて、四刻ほどで着いた。
ベニが言ったとおり、城門は閉ざされていた。そして、街の上空にだけ黒い雲が広がっていて、ルシエールの街全体が日陰になっているようだった。
確かに、かなり不気味な雰囲気だ。
「何で、街の上だけに、あんな雲が浮かんでいるんだろうね?」
額に手をかざして、城壁を見つめるエマに、「日傘のつもりかもな」と、俺が適当な答えを返したが、エマも「確かに、魔族は夜とか暗いのが好きだもんね」と、それなりに納得したようだった。
もちろん、魔族のすべてに共通していることではないが、人族とは相容れない魔族の性質として、夜行性の奴が多いのは事実だ。だからこそ、夜、街の外にいることが危険なのだ。
「もっと近づいてみよう」
俺とエマは、城門の前まで進み、閉じられている大きな金属製の扉を押してみたが、びくともしなかった。
どんどんと扉を叩いてみてが、反応はなかった。
「居留守かな?」
「それとも人がいないのかもな」
最悪なことも考えながら、俺とエマは再び馬に乗り、城壁に沿って、ゆっくりと駈けだした。以前、キリューの街に忍び込んだ時のように、秘密の出入り口がないかどうかを確かめるためだ。
城壁を半周して東側まで来た時、エマが馬を止めて降りた。そして、城壁に近づいて行った。
俺も跡に続き、エマの後ろに立つと、エマは振り向いて、首を横に振った。
「ここの石材がずれる構造になっていたはずだけど、それができないように改造されているね」
「もともと、抜け道があったのに、閉鎖されているということか?」
「そうだね」
城壁で囲まれた街に攻め込む場合、当然のことながら、敵は城門の前に布陣する。だから、その反対側には、緊急脱出用の隠し通路が必ずあるというエマの考えどおり、ルシエールにもそれがあったが、通れないようにされているらしい。つまり、ルシエールの領主も住民も先ほどの閉ざされた城門以外に出入りする所がないということで、まさに監獄としか言いようがない、密閉された空間になっているのだ。
「さすがのエマもお手上げか?」
「誰がそんな弱音を吐いたよ?」
エマは事前に告知をした上で盗みに入る。つまり、それだけ自分の仕事を困難にしてから実行する訳で、困難な壁にぶち当たると、それだけ燃えるのは、俺と似ているのかもしれない。裏を返すとマゾ属性ということだが……。
「梯子で登ろうか?」
「はあ? あんな上まで届く梯子があるのか?」
俺は城壁のてっぺんを見上げた。
軍隊が攻城戦で使う長梯子だと届くだろうが、それは十人掛かりじゃないと城壁に立て掛けられない大きさの代物だ。
「てっぺんまで行かなくても大丈夫だよ。ほらっ、あそこを見てごらんよ。穴が開いてるよ」
エマが指差す先、地上から俺の身長の三倍程度の高さ、城壁全体からいうと下から四分の一ほどの高さの場所に、城壁の石材が一つ、抜け落ちていて、ぽっかりと穴が開いている箇所があった。
穴自体は人が一人通れるくらいの大きさだが、そもそも、この垂直な壁を、どうやってあそこまで登るんだ?
「じゃあ、先にアタイが登って、縄梯子を垂らすから、アルスはそれで登って来て」
エマは、おそらく、泥棒の七つ道具が入っているであろうリュックを背負うと、城壁を構成する石材と石材とのわずかな隙間に手と足を差し込みながら、垂直な城壁を平気な顔をして登っていった。
まるで猿のような身軽さで、見る見るとその姿が小さくなっていき、あっという間に城壁に開いた穴に入り込んで、姿が見えなくなった。
そして、それほど時間が経たないうちに、俺の目の前に縄梯子がぶら下がってきた。
その縄梯子の最初の横縄に両足を乗せて、全体重を掛けてみたが、縄梯子はびくともしなかった。
すばやく、辺りを見渡したが、人っ子一人いない。俺は、すぐに縄梯子を伝って登りだした。
そういえば、アルタス帝国軍にいた時に縄梯子を使った潜入訓練なんてしたなと、どうでも良いことを思い出しながら、素早く縄梯子を昇りきり、城壁に開いた穴に頭から突っ込んで、ほふく前進すると、すぐに城壁の内側に頭が出た。
そこは、住宅街のようだったが、この昼のまっただ中に、住民は誰も見えなかった。
下を見ると、エマが「早く早く」と手を振っていた。
縄梯子の端は、少し離れた所に生えている木の根元に縛り付けられていて、降りるのに縄梯子は使えない。
「何してるんだよ! 早く飛び降りて!」
エマの奴! 無茶言いやがる! かと言って、それしか方法はなさそうだ。
とりあえず、この高さから飛び降りても死ぬことはないだろうし、できるだけ落下の衝撃を弱めるように、受け身を上手くすれば大丈夫だろう。
俺は、思いきって飛び降りて、足が地面に着く直前に体を捻って、コロコロと転がって、足を痛めることなく降りることができた。
「かっこわる~」
起き上がった俺に、エマの情け容赦ない言葉が浴びせられた。
「俺は、お前みたいに猫じゃねえんだよ!」
「猫? アタイが?」
「その身軽さと、いつもコロンと喧嘩しているところから言うとな」
「そうかもしれないにゃあ」
縄梯子を素早く仕舞い終えたエマが、猫が顔を洗う仕草をしながら言った。
「って、馬鹿、言ってないで行くぞ」
「どこに?」
「どこにって?」
「アルス、おかしいの分からない?」
「……」
そうだ。城壁の穴から飛び降りる前に街を見下ろした際に、俺も感じた。
「人がいないな」
「そうなんだよね。そろそろ昼時って頃なのに、誰も通っていないし、かと言って、家の中にいるような気配もないんだ」
「確かに、まるで幽霊街だな」
俺とエマは、街の通りを中心部に向かって歩いて行ったが、誰もいなかった。
いや、人だけじゃない。犬や猫もいない。ひょっとしたらネズミもいないんじゃないか?
しかし、建物が朽ちていたり、ほこりが溜まっているようでもなかった。今し方まで人が普通に生活していたが、突然、神隠しにでも遭った、そんな雰囲気だ。
突然、教会の鐘が鳴った。正午を知らせる鐘だろう。
「教会には誰かいるみたいだね」
エマと顔を見合わせた俺は、鐘の鳴る方に向かって走り出した。
「待って、アルス!」
「どうした?」
突然、立ち止まったエマを少し通り過ぎてしまった俺が、振り向いて訊いた。
「前から誰か来ている。てか、大勢の人だ」
その頃になって、俺にも、やっと人の足音が聞こえてきた。足音とともに、何かを引きずっている音も聞こえる。
俺とエマは、前からやってくる奴らからは死角になる建物の陰に隠れた。
首だけを出して注視していると、前から行列を組んだ人が大勢歩いてきた。行列といっても統率が取れている訳ではなく、ただ、並んで歩いて来ているだけだった。
それもそのはずで、その人々の右足首には鉄の足輪が付けられ、それに繋がっている鎖の先に付けられている鉄の玉を引きずっていた。
そして、家畜の群れを見張る牧羊犬のように、毛むくじゃらの魔族が数匹、行列の左右で槍を突きつけていた。
「何だい、ありゃあ? まるで人々が魔族の奴隷になってるみたいじゃないか!」
エマが思わず呟いたことが正解だろう。
「とりあえず、行き先に先回りしてみよう」
俺とエマは、奴隷の群れが向かっている道路の先に、先回りして行ってみた。
そこには、石畳の広場があり、大きな鍋がいくつも火に掛けられ、女性達が鍋をかき回していた。女性達の足にも鉄球が付けられていた。
その広場から城門方面に向かって延びている複数の道から、同じような奴隷同然の人々が次々に広場にやって来た。どうやら、昼食の時間のようだ。
「一応、昼飯は食わしてくれるんだ」
「ああ、そうだな。飯は食わせるんだから、死ぬまで働けということなんだろう。それにしても、魔族の連中は、人間に何をさせているんだ?」
「あの人達がやって来た方に行ってみる?」
「そうだな」
人に悟られないで行動するのは、エマの得意とするところだ。エマに先に行ってもらい、そのすばしっこさに置いて行かれないように、俺は必死になってエマの跡をついて行った。
道を回り込みながら、今、広場で昼飯を食べている一団がやって来た方に向かうと、突然、視界が広がった。
「な、何だ、こりゃ?」
俺もエマも言葉を失った。
そこから先には、建物がなくなっていた。
そしてそこは、とてつもなく広い農地になっていて、小麦やジャガイモなどが栽培されている畑だったり、牛が放牧されている放牧地だったりした。
見渡してみると、その農地の先に、城門が霞んで見えた。つまり、城門を入った先から街の半分程度の広さにわたり、広大な農地になっていたのだ。
その農地の周辺には、瓦礫の山が築かれていて、おそらく、この農地を作るために取り壊された家の残骸なのだろう。
その広い農地には、大勢の人々が働かされていた。今、広場で飯を食っている人々も飯を食い終えると、また、ここで戻るのだろう。
人々は、鍬を持って畑を耕していたり、牧草らしき草を刈っていたり、牛の乳を搾っている者もいた。そして、その人々の間を縫うように歩いている魔族が大勢いた。
槍や剣などの武器を携えている、その毛むくじゃらの魔族どもは、どう見ても人々を見張っているようだった。
「あの農奴のようなことをさせられているのは、きっと、街の住民だよね?」
「おそらくな」
「でも、どうして、街の中をこんなに農地にする必要があるんだろう?」
「街を完全封鎖するためさ」
魔族も生き物である限り、食べ物を食わなければ死んでしまう。基本的に魔族も我々人族と同じように雑食だ。肉も食えば、野菜も食う。リーシェもそうだ。
中には、吸血鬼のように人族の血だけを食らう奴もいるし、人肉を食う奴もいる。しかし、いずれにしろ、息をしているだけで栄養が取れる植物のような魔族なんて見たことも聞いたこともない。
街を封鎖している以上、周りの村から食料を調達することも、商人から買い付けることもできない。つまり、ここを支配している魔族が、自分達が生きるための食料を、この街の中で賄おうとしているんだ。そのための働き手として、この街の住民を奴隷のようにこき使っているということなのだ。




