第百六話 種族を越えた絆
リーシェの問いに、イルダは、「逃がして差し上げなさい。敗軍の将としての恥辱を十分に味わうが良いでしょう」と、無表情のまま言った。
「ということじゃ。ここから歩いて去って行くが良い」
ザルツェールは、リーシェを恐れと憎しみが混じった目で見つめながら立ち上がると、そのまま踵を返した。
兵士達が乗ってきた軍馬は、ほとんどが暴れて走り去ってしまっていて、兵士達は重傷の兵士達を担ぎながら、とぼとぼと歩きながら去って行った。
将軍を歩かせる訳にはいかないと、まだ馬を失っていない部下の兵士がザルツェールに馬を提供すると、ザルツェールは臆面もなく、その馬に跨がり、よろよろと歩いている兵士どもを置き去りにして、一部の幹部連中とともに先に去って行った。
そんな後ろ姿を見つめながら、俺は、リーシェに近づき、「なぜ封印が解けている?」と小さな声で訊いた。
「フェアリー・ブレードが自ら封印を解いたのじゃ。わらわにあいつらの始末をさせるためにの」
リーシェも俺を見ながら小さな声で答えると、その視線をイルダに戻した。
「もう、わらわの役目は終わったようじゃ」
リーシェの視線を追うと、イルダが右手に持っているフェアリー・ブレードが淡く輝きだしていた。その光は、すぐに眩しく大きくなり、みんなが目を閉じて、それをやり過ごした後には、大人リーシェはおらず、イルダが地面に倒れていた。
俺は、すぐにイルダに駆け寄った。
行く手を阻む見えない壁はなくなっていて、フェアリー・ブレードも見当たらなかった。
「イルダ!」
俺がイルダの上半身を抱え起こすと、イルダはすぐに目を覚ました。
「……アルス殿。私はいったい?」
「また、フェアリー・ブレードが現れたんだ。憶えてないのか?」
「まったく……、あっ、エリアン殿とルシャーヌさんは?」
「それは、……イルダの記憶のままだ」
きっと、嫌な夢だったと信じたかったのだろうが、やはり現実だったと、イルダは肩を落とした。
その二人の亡骸は、まだ、地面にそのまま横たわっていた。
「お二人を弔って差し上げましょう」
イルダが気丈に告げた。
俺とダンガのおっさんで地面に穴を掘り、二人を並べてその穴の中に寝かせ、その上に土をかぶせていった。
その間、イルダは、悲しみがぶり返してきたようで、ずっと涙を浮かべていた。
長い祈りを終えると、イルダが気を失っていた間のことを尋ねてきたので、ありのままに答えた。リゼル達も一部始終を見ているのだ。今さら誤魔化すことなどできやしない。
「リーシェさんが魔王?」
「自らそのように名乗りました」
リゼルも少なからずショックを受けているようで、少し唇が震えているように見えた。
「アルス殿! アルス殿はご存じだったのですか?」
「いや、知らなかった。俺にも魔法士だと言っていたからな」
本当のことは、リーシェが自らの口で話すべきことで、俺が話すことでもあるまい。
それに、俺がリーシェの正体を知っていたと分かると、俺への信頼感が揺らいでしまう。それは、今の状況からいって、どうしても避けたいところだ。自己保身のためではなく、この一行のメンバー同士がそれで疑心暗鬼になってしまうと、今の帝国に対して一致団結して対処しなければならないこの時期、さまざまな支障となりかねないからだ。
「でも、リーシェさんは本当に魔王なのでしょうか? 魔王は勇者カリオンによって五百年前に討たれたはずです」
「魔王は、フェアリー・ブレードによって討たれたのではなく、封印されていただけで、今は、フェアリー・ブレードが自らの意思で、その封印を解いたのだそうだ。俺達を助けるためにな」
「その話はどこから?」
「戦いが終わった後、リーシェから、直接、聞いた。だから、間違いないはずだ」
「では、フェアリー・ブレードは、魔王を封印したり、また、解いたりを、自在にできるということなのでしょうか?」
「ああ、そのようだ。フェアリー・ブレードを手にする者は百万の軍勢を手にしたに等しいと言われていたが、その百万の軍勢とは、魔王のことだったんだろう」
「魔王を配下にできるということですか?」
「きっと、そうだ」
イルダは、フェアリー・ブレードが持つ本当の力に戸惑っているようで、視線を細かく動かしていたが、しばらくすると、その視線を俺に定めた。
「では、フェアリー・ブレードは、どうして出て来たのでしょう? 先ほどの一連の出来事の中に、フェアリー・ブレードを取り出す方法についてのヒントがあったのでしょうか?」
今までフェアリー・ブレードが出て来たのは、今回を含め二回だけだ。一回目は、イルダが吸血鬼にされてしまった時で、この時は、おそらく、フェアリー・ブレードがイルダの体の中に収まっていることができずに、やむなく出て来たと言うべきだろう。
しかし、今回、絶体絶命のピンチではあったが、イルダの体自体に異常があった訳ではないし、直接、危害を加えられた訳でもない。
フェアリー・ブレードは意思を持っていて、自らの考えで出て来たということも、あの時のイルダの言動からいえばあり得る話ではあるが、今まで何度となくあったイルダのピンチの全部に、フェアリー・ブレードが出て来ている訳でもない。
やはり、フェアリー・ブレードが出て来るための、何かしらの引き金となったことがあるはずだ。
フェアリー・ブレードが現れる直前にしたことといえば……。
「どうしたのですか、アルス殿? 何か思いつかれたのですか?」
「い、いや、何でもない」
俺は、イルダがベルトに帯びているナイフを見た。
フェアリー・ブレードが現れる直前、あのナイフが鈍く光ったのを、俺は確かに見た。あのナイフが関係していることは間違いないだろう。
過去の泉の水を飲んだ時、イルダは、あのナイフを父親たる皇帝から授けられた時の夢を見ている。今、思うとそれは、イルダが一番見たかった夢、つまり、フェアリー・ブレードの取り出し方に関する夢だったのかもしれない。
いざという時には、あのナイフを使って、姉のカルダ姫と刺し違えるようにと、アルタス皇帝はイルダに言い含めている。
今、あのナイフでエリアンを刺した。エリアンは三代前に皇室から分かれた血統の貴族だ。そして、フェアリー・ブレードが出て来た。
だが、今回も不完全な状態だった。つまり、イルダの意識の外でフェアリー・ブレードが出て来て、そして最終的に、フェアリー・ブレードは消えてしまった。
もしかすると……。
もし、そうだとすれば、すごく残酷な方法だ。
「アルス殿!」
ずっと考え事をしていた俺をイルダが呼んだ。
「あっ、いや。……すまない。ネルフィに俺達の行き先を漏らしてしまったことが悔やまれてな。そして、エリアンとルシャーヌを守ることができなくて、不甲斐なさで、情けなくなっているところさ」
「あの状況では仕方がないことだ。私だって何もできなかった」
リゼルが俺を慰めてくれた。
「しかし、もっと良いやり方はなかっただろうかと思ってさ」
「アルス殿」
イルダは、みんながいる前で、俺を正面から抱きしめた。
「イ、イルダ!」
「アルス殿は、できる最善のことをしてくれました。それは私も、ここにいるみんなも分かっていることです。自分をそんなに責めないでください」
「イルダ……」
「エリアン殿とルシャーヌさんには、私も申し訳ない気持ちでいっぱいです。悲しくて……、もっと、泣きたいです」
「……」
「でも、フェアリー・ブレードが私を守ってくれたということは、そんな悲しみに打ちひしがれていないで、自分に与えられた使命を尽くせと言われているような気がします。私には、泣いている暇などないんです! 私は、必ずや、アルタス帝国を再興させてみせます! それが勇者カリオンから連綿と続く、アルタス皇室に生まれた者の使命なのですから!」
「……そうだな。とりあえず、危機は去った。俺達ができることは、まだ、たくさんあるはずだな」
「はい」
イルダが少し体を離して、俺を見上げるようにして見た。
「アルス殿は、まだ、私に協力していただけますか?」
「協力じゃねえよ! もう運命共同体だ! どこまでもイルダについて行くぜ」
「……ありがとうございます、アルス殿」
イルダの目から一粒だけ涙がこぼれた。イルダが我慢できなかった一粒だろう。
俺達は、当初の予定どおり、北にある街ルシエールを目指すことにした。
結局、元の六人の一行に戻ったが、すぐに、エマが駆けつけてくれた。
エマは、ルシエールの街への道すがらに、敵が待ち伏せしていないかどうかを先行して探ってくれていたのだが、ザルツェールの軍に追われて、俺達が少しコースを変えたから、このまま落ち合えないかと思っていた。
しかし、さすがはエマだ。さんざん探し回ったらしいが、ちゃんと見つけ出せるところは、盗賊としての鼻が利くのが役立っているのかもしれない。
「ルシエールの街までは、今回は、アタイも一緒に行くよ」
自分の馬の手綱を引いて、俺の横を歩いているエマが言った。
エマは、皇女様であるイルダの一行に盗賊の自分がいると、いろいろと迷惑を掛けるだろうと、これまで、移動中は別行動を取っていたが、さすがに今回は一緒にいてくれると言ってくれた。
「それはありがたい。今の帝国は、イルダの行方を血眼になって捜すはずだ。これからは、今までのように、安穏とした旅にはならないだろうから、戦える奴がいてくれると助かる」
「任しといてよ! イルダさんには、今よりずっと、庶民に優しい世の中にしてもらわないといけないし、イルダさんなら、絶対にしてくれるよね?」
「それは間違いないだろう」
「だから、アタイもイルダさんを守んなきゃね」
「エマさん、ありがとうございます」
馬上から、イルダがエマに礼を言った。
「イルダさん! アタイも失業するくらいの世の中にしてよ!」
「はい!」
イルダがエマにしっかりと答えた。
「でも、失業しちまったら、お前は何をするんだよ?」
「アタイ? そうだなあ。とりあえず、お姉様の家でメイドでもしようかな」
「エマ。そのお姉様は、魔王だと、みんなにカミングアウトしたんだぞ」
フェアリー・ブレードが出て来た時のことを、まだ、エマには話してなかったことを思い出した俺は、エマが別行動を取っていた間のことを詳しく話した。
「それが何? 魔王様だって言ったって、お姉様がアタイ達に何か悪いことをしたの?」
エマが、俺達を見渡しながら言った。
「魔王ということは、リーシェさんは魔族ということだぞ!」
一番後ろを歩いているリゼルが、憤慨したように言った。リゼルは、リーシェのことを、同じ魔法士として尊敬すらしていただけに、裏切られたという気持ちが強いのだろう。
「だから?」
「だからって……」
「お姉様は、これまでに何度もアタイ達を助けてくれたじゃない! 違う? 魔族だったからって、その事実が無くなる訳じゃないでしょ!」
「それはそうだが」
珍しく気色ばむエマに、リゼルもたじろいでいた。
「エマさん」
馬上のイルダが落ちついた声を割り込ませた。
「リゼルは、考えられる危険を、できるだけ私から遠ざけたいということで言っているだけです。エマさんのお気に障ったのでしたら、私が謝ります」
「い、いや、そういうことじゃなくて」
エマもイルダから頭を下げられて、何も言えなくなってしまったようだ。
「リゼル」
イルダが振り向きながらリゼルを呼ぶと、リゼルは少し歩を速めて、名馬フェアードの近くまでやって来た。
「私には、人族と魔族が普通に交流できるのかどうか分かりませんが、少なくとも、リーシェさんは、それができる方なのではないかと思っています。だからこそ、リゼルもリーシェさんとおつきあいしていたのでしょう?」
「……はい」
「アルス殿のことを信じていない訳ではありませんが、リーシェさんが本当に魔族なのかどうかは、リーシェさん自身に訊かないと、私も信じることができません。それに、今、エマさんがおっしゃったように、リーシェさんに助けられたことは、一回や二回ではありません。そんなリーシェさんと、これまで培ってきた絆は、リーシェさんが魔族だということだけでは、消えることはないと思います」
さすが、イルダは度量が広い。支配者たらん者は、いちいち細かいことを気にしちゃ駄目だ。
「だから、もし、リーシェさんが私達の前に現れたとしても、問い詰めるようなことはせず、まずは、話を聞いてみましょう」
「分かりました。イルダ様のお心のままに」
リゼルは、イルダに頭を下げると、そのまま歩を緩めて、また、最後尾を歩き出した。
「アルス殿」
イルダに呼ばれた俺は歩を緩めて、名馬フェアードに並んで歩き出した。
「何だ?」
「先ほど、アルス殿は、リーシェさんに聞いたとして、魔王は封印されているとおっしゃっていましたね?」
俺は背筋に少し汗を感じた。
「あ、ああ」
「リーシェさんが魔王だとすると、封印されているはずなのに、これまで、私達の目の前にたびたび現れているのは、なぜなのでしょう? 今回のように、フェアリー・ブレードの力が使われた訳ではないと思うのですが?」
「た、確かにそうだな。リーシェがいつも近くにいなかったのは、きっと、その間、封印されていたからなんだろう。俺もよく分からないが、ときどき、封印が解ける時があって、そんな時に限って、俺達の前に現れてくれていたのではないかな」
「そうなんでしょうか?」
イルダは、今一つ、納得できていないようだった。
「と、とにかく、俺達が、ここでいくら話しても結論は出ないだろう。さっき、イルダが言ったみたいに、今度、リーシェが出て来たら、じっくりと話をしてみよう」
「そうですね」
イルダは、俺から、目の前の子供リーシェに視線を移すと、子どもリーシェを抱きしめた。
「ねえ、リーシェ。リーシェと同じ名前の方が魔王だったんですって。リーシェも会ってるでしょ?」
子供リーシェは、こくりとうなずいた。
「リーシェは、あのリーシェさんが本当に魔王だと思う?」
子供リーシェは、一瞬、困惑したような顔を見せたが、すぐに普段の無表情に戻った。
「……分からない」
子供リーシェは小さな声で答えた。
「そうだよね。でもね、私は、あの過去の泉で、リーシェさんに初めて会った時、すごく懐かしい感じがしたの。なぜだか分からないけど」
ひょっとして、イルダは、子供リーシェと大人リーシェが同一人だと気づいているのだろうか?
俺は、横目でイルダの顔を見てみたが、子供リーシェに見せる優しい笑顔から、その本心を読み取ることはできなかった。
しかし、少なくとも、これだけは言える。
子どもリーシェは、イルダにとって、もう離れることのできない存在だということだ。
子どもリーシェと大人リーシェが同一人物だということは、まだ、良い。しかし、そのリーシェがイルダの命を狙っていると分かれば、イルダのショックは計り知れないだろう。
俺が願っている未来像。それは、イルダとリーシェがともにいる世界だ。
そして、フェアリー・ブレードにより、それを実現できるとの確信を得た俺は、必ず、イルダの手にフェアリー・ブレードを握らせることを心の中で誓った。




