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フェアリー・ブレード  作者: 粟吹一夢
第八章 血塗られた永久の誓い
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第百二話 拉致は愛ゆえに

 夜のキリューの街は、街灯ランプの明かりで、ほのかに明るかった。

 まだまだ、街が寝静まる時間ではなく、大通りには多くの人が行き来していたが、俺とエマは、巡回している憲兵や護衛兵に職務質問されると面倒なので、ごく自然に振る舞いながらも、できるだけ、人通りの少ない通りを選んで進んで行った。

 行き先は、どの街でもその中心部にある領主の館だ。

「アルス! あれを見て!」

 エマが指差す方を見てみると、街の中心部にある石畳の広場に、多くのテントが並んで設置されていた。

 二万の兵士達の寝床なのだろう。それも下っ端の連中で、上の階級の兵士達は、緊急に借り上げた宿屋とか商人の屋敷に泊まっているはずだ。

 指揮官であるザルツェールは、領主ホランド公爵家に寝泊まりしているだろう。だから、ザルツェールがルシャーヌに手を出すことは、いつでもできるはずだ。

 もっとも、敗走してきた指揮官が、すぐに女に手を出したと噂になれば、只でさえ低下している士気が更に緩むことは必至だろう。ザルツェールがそんな馬鹿ではないことを祈るしかない。

 ホランド公爵家が見えてきた。屋敷の周りには、多くの護衛兵がいた。

「エマ、屋敷は兵士どもが取り囲んでいるぞ。どうやって入るつもりだ?」

「一番オーソドックスな方法でいこうか」

「どんな方法なんだ?」

「知らないの? 頭悪いなあ」

「俺は盗賊じゃねえし!」

「悪人づらしているから、いつも、お仲間と誤解しちゃうんだよね」

「俺の顔のことは良いから、早くしろ」

 エマは、顔をにやつかせながら、ベルトのポーチから小さな筒のような物を取り出した。その筒の先端からは細いヒモが飛び出ていた。

「それは?」

「ちょっと派手な音がする花火だよ」

 エマが、先ほどランプを点ける時に一緒に火を点けていた短い火縄を腰から外して、筒から出ているヒモの先端に火を点けた。そして、タイミングを見計らって、大きく振りかぶり、その筒を遠くに投げた。

 三つほど数えた後、筒を投げた方向から爆音が響いた。

「何だ?」

「敵襲か?」

 屋敷の周りを取り囲んでいた警備の兵士どもは、何人かを残して、音がした先に向かった。

 そうすると、長く続く塀の周りで、兵士が誰もいなくなった箇所がいくつかできた。

 エマは、そこに向かって走り寄ると、まるで猫のように身軽に塀の上に飛び乗った。そして、縄を塀の下に垂らすと、塀の内側に飛び降りた。

 すぐに縄が上下に揺れた。俺がその縄を掴むんで引っ張ったが、縄はしっかりと固定されていた。おそらく、庭にある木の幹辺りに固定されているのだろう、

 エマのように身軽ではない俺は、縄を使って塀をよじ昇ってから、塀の内側に飛び降りた。

 屋敷のほとんどの窓からは蝋燭の光が漏れていて、ルシャーヌの部屋も明るかった。

 屋敷の裏口に回り込み、そこのドアの鍵もエマが簡単に開けると、俺とエマは屋敷の中に忍び込んだ。

 イルダとともに忍び込んだ時と同じように、三階にあるルシャーヌの部屋に向かい、誰にも会うことなく、ルシャーヌの部屋の前まで来ると、俺はドアをノックした。

「どうぞ」

 ルシャーヌの声がした。

 俺は、ゆっくりとドアを開けて、部屋の中に入った。

「どなたですか?」

 前回と同じく、ルシャーヌは、ソファに座って、刺繍をしていた。

「俺のことを憶えているか?」

 ルシャーヌは、少し怯えた表情で、俺の顔を見つめていたが、すぐに思い出してくれたようだ。

「イルダ様と一緒に来られた?」

「ああ、アルスという。こっちは俺の連れのエマだ」

「よろしく~」

 忍び込んで来ているにもかかわらず、エマの軽いノリが、ルシャーヌの警戒心を少しだけ低くしてくれたようだ。

「何のご用ですか?」

 しっかりとした口調で、ルシャーヌが尋ねた。

「あんたを迎えに来た」

「私を?」

「ああ、イルダとともに、エリアンも待っている」

「……!」

 ルシャーヌは驚きの表情をすぐに収めると、両手で顔を覆った。声も立てずに泣いているようだ。

 エリアンは、リーシェの転移魔法トランスポートで戦場から飛ばされて、俺達と合流したから、行方不明になっていると思われていても仕方がない。

「エリアンは無事だったのですね?」

 しばらくして、両手を顔からはずすと、まだ、涙も乾いていない顔で俺に尋ねた。

「ああ、怪我一つ負っていない。しかし、今のエリアンは、爵位も財産も無く、家来さえいない。そして、今の帝国に弓を引いた反逆者でもある。当然のことながら、追っ手から逃れるため、これから逃亡の日々となる。そんなエリアンがあんたを迎えに行ってほしいと言ったんだ。そして、こうも言った。あんたの意思を尊重してくれとな」

 ルシャーヌは、焦点の合わない目で虚空を見つめていた。

「あんたは、ザルツェール将軍の許嫁だから、今さら、エリアンから声を掛けられること自体、迷惑か? そうだと言うのであれば、俺達は大人しく帰る」

「そ、そんなことは……ありません」

「じゃあ、どうする? ここに残って、ザルツェールと幸せな結婚をするか? それとも、エリアンの元に走って、イバラの道を歩むか? あんたが決めてくれ」

 ルシャーヌは、顔を伏せて、体を震わせていた。

「もしかして、既に、ザルツェールに操を捧げたのか?」

「いえ! まだです!」

 俺の無粋な質問に、ルシャーヌは顔を上げて、きっぱりと否定した。

「実は、今晩、将軍としての仕事が終われば、ここにやって来ると告げられております」

 本当に危機一髪だった。

「だったら、どうする?」

「私は、エリアンの側に行きたいです」

 望まぬ男との初夜が、突然、目の前に迫って来て、ルシャーヌもエリアン恋しの気持ちに逆らえなくなったのだろう。

「じゃあ、話は早い」

「でも! 父上や母上、それに兄上に、とんでもないご迷惑を掛けることになってしまいます」

 ルシャーヌの悩みも分かる。

 何と言っても、今の帝国の将軍ザルツェールの顔に泥を塗ることになるのだ。それも、ルシャーヌがエリアンの元に走ったということが知れれば、自らの意思でそうしたと分かってしまうだろう。ホランド公爵家が何らかの責任を取らされることは間違いないはずだ。

 俺の隣に立っていたエマが、突然、ベルトのナイフを抜いて、ドアの方に投げつけた。

 開いたドアには、ネルフィが立っていた。そして、エマが投げたナイフは、ネルフィの胸の前に浮かんでいた。

「ネルフィ!」

 俺達も驚いたが、ルシャーヌもかなり驚いていた。

 部屋に入って来るまで、まったく気配を感じさせなかった。そして、ネルフィの胸の前で浮かぶナイフは、彼女の魔法によるのだろう。

 ナイフは空中で向きを変えると、ゆっくりとエマの前まで浮かんで行った。

「良い腕前ですね。正確に心臓をめがけて来ていました」

「誰だい?」

 ネルフィとは初対面のエマが、自分の所に戻って来たナイフを受け取りながら、ネルフィに尋ねた。

「そいつは、ホランド公爵家に仕えている魔法士ウィザードのネルフィだ」

 俺は、エマに言ってから、ネルフィの前に移動し、「何の用だ?」と尋ねた。

「それは、こちらの台詞です。今日、許嫁たるザルツェール将軍のお渡りがあるという大事なお嬢様の部屋に、無粋なお二人が何の用ですかな?」

「ルシャーヌを迎えに来た。ルシャーヌが望むのであれば、ルシャーヌをエリアンの元に連れて行く」

「それで、お嬢様は行くと言われたのか?」

「今、悩み中だ」

 俺は、更に一歩、ネルフィに近づいて、その顔を正面から睨んだ。

「ルシャーヌが行くと言ったら、お前は、俺達を止めるか? それとも見逃すのか?」

 ネルフィは、イルダのことを知っているはずだが、マゾルドの城門でも、キリューの薬屋でも見て見ぬ振りをしてくれた。今回ももしかして、と俺は淡い期待を抱いた。

「できませんな。私はホランド公爵家に仕えている身。お嬢様がここからいなくなることは、公爵家にとって最悪の事態になることくらい分かるでしょう?」

「ああ、分かる。しかし、それはそれ! これはこれだろ!」

「貴族の家に生まれた者が自由気ままな人生を歩むこと自体、夢物語でしかない。お嬢様の将来は、もう決まっているのだ。それを邪魔立てする者は、ホランド公爵家にあだなす者として、このネルフィが討つ!」

 しかし、ネルフィはそう言って、俺を睨むだけで、魔法を発動しなかった。

「ネルフィ! 止めて!」

 ルシャーヌは、まだ、涙を止めることができていなかった。

「ネルフィが言うとおりです。私はホランド公爵家の娘。親が決めた結婚相手以外の者と結ばれることなどできません」

 俺やエマとは視線を合わせることなく、ルシャーヌが弱々しい声で言った。エリアンの無事を知った時に吐き出した言葉とは真逆の台詞だが、絶対に本心ではない。女心に疎いと言われる俺でも分かった。

「それが、あんたの答えなんだな?」

「……はい」

 俺はエマと顔を見合わせた。

 きっと、俺はどこか笑っていたのだろう。エマもそれで俺の意図が分かってくれたようだ。

「じゃあ、しゃあねえな! ルシャーヌを連れて来いというのは、俺のご主人様の意思でもあるんだ。俺がルシャーヌを連れて行かないと俺が叱られてしまう。こうなりゃ、無理矢理にでも連れて行くぜ」

 俺は、背中のカレドヴルフを抜いた。

「ルシャーヌはもらっていくぜ、ネルフィ!」

「今、帝国軍も駐留しているこの街から脱出できるつもりか?」

 ネルフィは、剣を抜いている俺に攻撃を仕掛けることなく、冷静に訊いた。

「ああ、ご主人様の頼みであれば、空を飛べって言われても飛んでみせるさ」

 俺はゆっくりとルシャーヌの近くに移動して、カレドヴルフをルシャーヌに突きつけた。

「さあ、ルシャーヌ、立つんだ」

 ルシャーヌも大声を上げることなく、ゆっくりと立った。

「抵抗するんじゃないぞ。抵抗すると、この剣が刺さって痛いぜ。ネルフィも動くなよ。大事なお嬢様を、将軍様に献上する前にキズモノにされたくないだろ?」

「お嬢様を傷つけないでくれ。頼む」

 ネルフィの言い方は、俺にルシャーヌを傷つけようとすることから守ってくれというように聞こえた。

 いや、きっと、そうに違いない。

「分かったぜ。ネルフィ! 俺達がルシャーヌに剣を突きつけて、嫌がるルシャーヌを強引に連れて行ったと正直に報告するが良いさ」

「そうさせてもらおう」

「ああ、だが、心配はするな。今の帝国の世の中はすぐに終わる」

「ほ~う、えらく自信があるのだな」

「俺達の魔法士ウィザードが帝国軍を蹴散らしたことは聞いてないか?」

「聞いている。とてつもなく強力な魔法士ウィザードが味方に付いているようだな」

「ああ。だが、それも本気じゃない。あいつのとって遊びくらいの力しか出していない。そんな魔王のような強さの奴を相手にする愚行をしないように、公爵様にお伝えしておけ」

「分かった」

 全てを悟りきったようなネルフィの態度に、俺は思わず「お前も一緒に来るか?」と尋ねてしまった。

「行ける訳がなかろう。それに、私が証言をしないと、お前達を極悪人にすることができないからな」

「確かに」

 俺は苦笑を見せてから、ルシャーヌに「大人しくついて来い」と言い含めてから、ネルフィが開けっ放しだったドアから廊下に出た。廊下には誰もいなかった。

 エマとルシャーヌも部屋から出ると、俺はネルフィ一人が残った部屋のドアを閉めようとして止めた。そして、ネルフィに向かって、「俺達は、これからルシエールの街に行くことにしている。お前も気が向いたら来るが良い」と言った。

「あんたは、とんでもない馬鹿だな。そんな自分の首を絞めるような情報をみすみす知らせるとは? それとも罠か?」

「どうとでも取るが良いさ。じゃあな」

「ネルフィ!」

 ルシャーヌが、思わず、ネルフィを呼んだ。

「お嬢様、どうかご無事で。そうだ、これを」

 ネルフィが懐に手を入れた。エマがナイフを構えたが、ネルフィが取り出したのは、美しい宝石が輝くペンダントであった。

「憶えていらっしゃいますか?」

 ネルフィの差し出したペンダントに引き寄せられるように、ルシャーヌは部屋に戻り、ネルフィの前に立った。

「エリアンが贈ってくれたペンダント! ……ですよね?」

「はい。お嬢様は、いたくお気に入りだったのですが、大戦後、始末をしろと、公爵閣下から言われていたものです。しかし、私も始末をすることは忍びなかったので、ずっと、私が保管をしていました」

「ネルフィ……」

「お嬢様にお返しすることができて、良かったです」

「ありがとう、ネルフィ」

 ルシャーヌはネルフィに抱きついて、泣き崩れた。

「ルシャーヌ! 気持ちは分かるが時間がない。行くぜ!」

 ルシャーヌは、最後にもう一度だけネルフィと固く抱き合ってから、ネルフィを見つめながら後ずさりして、俺達の所まで戻ってきた。

 俺は、ルシャーヌの未練を断ち切るようにドアを閉めた。



 ルシャーヌを連れての逃避行だったが、公爵家の屋敷内、そしてキリューの街の中も暗闇に紛れて、あるいは、エマお得意の花火で兵士らの注目をそらすなどしながら、非常用出入り口までやって来て、あの狭い穴を通り、無事、城壁の外に出た。

 そして、ルシャーヌを後ろに乗せた俺は、エマとともに馬にムチを入れ続け、休みなしで駈けて行った。


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