5
「いやー。いかにも幽霊が出そうな建物だねえ」
みすぼらしい外観の団地を見ながら、赤茶色の髪を揺らして青年は笑った。この団地は私と息子の住居であり、幽霊である私がいまだに出入りしているのだから、『幽霊が出そうな建物』という彼の表現は、ある意味正しいといえる。……私としては、非常に複雑な心境だが。
青年はさっさと階段を上ると、『真木』と書かれたネームプレートが貼り付けられている扉の前で立ち止まった。インターホンが壊れていることを伝えると、一切躊躇せずにドアを叩く。ドアを叩いた衝撃で、天井から少しだけホコリのようなものが落ちてきた。
「うええ。相当ボロいなこの家。さっすが貧乏」
気を遣うとか遠慮とか、そういう言葉を知らないのだろうか、この子は。
「――……お前、誰」
寝癖をつけたまま出てきた息子の康介は、青年の姿を見て怪訝な顔をした。それはそうだろう。息子には、彼の隣にいる私の姿が見えていないのだから。
「どーも。死後、まきしょーこさんのお世話をしてる者です」
この挨拶も、相当おかしい。普通は「生前お世話になってた」とか、そう言うだろうに。しかし実際問題、私は死んだ後で彼と出会っているのだから、彼の言い分は正しい。「お世話をしてる者」というのは、どうかと思うが。
やっぱりというか当たり前というか、康介は眉をひそめた。
「お前何、頭おかしいの?」
「おかしいのは、あんたの頭の寝癖だよ。はいはいお邪魔しますよっと」
遠慮のかけらも見せずに、ずかずかと私の家に上がり込む青年。康介は慌てて、彼の後を追う。散らかり放題で床も見えないような部屋をうろつく青年に向かって、康介は叫んだ。
「おいお前、何勝手に入ってんだよ!」
「ちゃんとお邪魔しますって言ったし。ていうか、きったねえ部屋。片付けろよ」
呆れたような青年の声に、激昂する康介。まさに、火に油だ。
「そういう問題じゃねえよ、けーさつ呼ぶぞ!! なんなんだよお前は!!」
「……あんた、なんで働かないの?」
単刀直入。康介の顔が一瞬だけ歪む。青年は、それを見逃さなかった。
「――あんたの母親が、死んだ後もあんたのことを気にしててさ。成仏できなかったんだ。今もまだ、ここにいるよ。なあ?」
私の方を見ながら、笑いかける彼。しかしもちろん、康介からすれば『何もないところ』に向かって笑いかけているようにしか見えない。
「……お前、俺のこと馬鹿にしてんのか?」
「そんな覚えはないんだけど。……なに? もしかしてあんた、馬鹿にされたことあんの?」
くっと音を立てて、言葉に詰まる康介。私は、そこでようやく気付く。
ベランダにある枯れた植物だらけのプランターを見ながら、青年は笑った。
「――……母親みたいにあくせく働くのは馬鹿らしい、ね」
その言葉を聞いた康介が、驚愕を顔に浮かべた。
「俺としては、そうやってダダこねて自分を正当化して、『世間を見下してる俺様カッコイイ』とか思ってるあんたの方が、よっぽど恥ずかしいと思うんだけど」
「……お前、なんでそれ知ってんだ。だって、それ……」
――ああ、そうだ。
『てめえみたいに、あくせく働くのは馬鹿らしいんだよ!』
夜遅くまで残業して帰宅した時に、康介にそう言われたんだ。そして翌日の早朝、心不全で私は死んだ。
知らないんだ。知らないはずなんだ、その言葉を。――康介と、私以外は。
「なんで知ってるって、あんたの母親が成仏してないからだよ。直接聞いたんだ」
「…………」
「あんたの母親もそうだけど、あんたも不器用なんだねえ」
こたつの上に置いてあった紙切れを青年は手に取り、めくった。康介が小さな声を漏らす。青年が手にした紙、それは、――私の写真だった。
「馬鹿らしいんじゃない。……怖いんだろ? 外が」
下を向き、震え始める康介。強く握りしめた拳は、白くなっていた。
「いじめ、か」
彼はそう呟くと、私の写真をゆっくりとこたつの上に戻した。それとは対照的に、康介は慌てて反論しようとする。
「ちがっ、俺は――」
「……子供のころから不器用で、人一倍動作が遅かった。のんびりした子だと思っていたけれど、もしかしたらそれを馬鹿にされたのかもしれない」
康介の動きが、ぴたりと止まる。淡々とした口調で、私の言葉をそのまま口にした彼は、苦笑した。
「あんたの母親が、そう言ってるけど?」
赤茶色の目は、康介を見据えたまま、動かない。
「――……そう、だよ」
動いたのは、康介の方だった。
「お前の言うとおりだ。俺は……どうしようもない人間なんだよ」