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死因が過労死だということは、自分自身でも分かっていた。結婚して間もなく旦那に先立たれた私は、一人で息子を育てることに必死になっていた。――そう、一人で。
頼れる親戚なんて、いなかったから。
「そーやって手塩にかけた一人息子が、働きたくないでござる君になるなんてねえ」
目の前にいる赤茶髪の青年は、他人事のように笑うと、レモンティーに口をつけた。いや実際、彼にとっては他人事なのだけれど。
「あんたの息子が、ニートになった原因は?」
「……私のようにあくせく働くのは馬鹿らしい、と」
「あっははは!! こりゃ傑作だね。息子のために死ぬまで働いたってのに、そんな風になりたくないとまで言われちゃうなんてさ」
彼は心底面白そうに、文字通り腹を抱えて笑った。私は笑えない。声をあげて笑う彼を、ウェイトレスや他の客が不気味そうな顔で見ていることに、彼は気付いていないのだろうか。
「んで? 死んで幽霊になったあんたは、ニートの息子が心配だったわけ?」
「だって、あの子には親戚も父親もいないんですよ……!」
「へえ。それで?」
「…………」
私の沈黙の内容を察した彼は、頬杖とため息を同時につく。
「その息子のことを見守ってる間に、『道』が閉まっちゃったってわけだ」
道の先に扉が見えるようになってから約二十日間。道に入るかどうか、私は散々迷った。入れば、死んだ旦那に会えるかもしれない。けれど、会える確証はない。一度でも一歩でも道に入ってしまうと、もう二度と現世には戻ってこれないかもしれない。――扉に入れば、地獄に落ちるかもしれない。あるいは、消滅するかも……。
分からないのだ。行ってみないことには。
けれど安易に道に入って、そのまま後戻りできなかったら?
私は、こたつに潜り込んでうたた寝している息子の顔を覗き込んだ。
この子は、どうやって生きていくつもりなんだろう。今はまだ、私のわずかな貯金があるからいいけれど、それがなくなったら? どうやって食べていくつもりなのだろうか。
息子に向かって必死に話しかけてみるものの、返答はない。恐らく、私の声は聴こえていないのだろう。
見守りたい、と思った。出来るなら、最期まで。――そう、この子が死ぬまで。
そんなことを考えていたら、ある日突然、真っ白な道は見えなくなった。
そして、成仏する方法が分からなくなってしまった。
「期限切れってやつだよ」
私の話を無言で聞いていた青年は、肩をすくめた。
「さっきも言ったけど、死後五十日ほどで、その道は閉鎖されるんだ。そうなると、たちまち成仏できなる。なにせ、成仏するための道がふさがれちゃってるんだからね。そして永遠に、この世をさまよい続けることになるのさ」
「そんな、でも……!」
「あんたもしかして、息子が死んだら一緒に成仏しようだなんて馬鹿なこと考えてた?」
私は目を見開く。彼はやれやれと言った様子で、首を振った。
「あのねえ。成仏するための道ってのは、『おひとりさま専用』なんだよ。あんたの息子が死んだら通る道と、あんたに見えてた道は、全くの別もん。先に死んだ人間があの世から迎えに来てくれるとか、そんなもんもない。成仏するための道は、一人で歩くしかないんだよ。……道が閉鎖されるまでに、ね」
突き放すような彼の口調に、私は言い淀む。彼は何度目かは分からないため息をつくと、立ち上がった。
「なんか飲む?」
「いえ……」
「あっそ」
それだけ言うと、彼はさっさとドリンクバーへと向かった。取り残された私は、窓の外を見る。花壇に植えられている色とりどりの花を見ながら、道の先、――扉の先のことを考えた。
「――花が好きなわけ?」
先ほどと同じカフェオレを注いで帰ってきた彼は、私の視線の先を見ながら、言った。
「ええ、まあ……」
私は苦笑し、彼へと視線を戻した。
「あなたは、色んなことをよくご存じですね」
「まあね」
「――あの扉の先がどうなっているのかも、ご存じなんですか?」
途端に、彼の目が険しくなった。幽霊の私にも、場の空気が張り詰めたのが分かる。かと思えば、たちまち弛緩した。空気も、彼の目も。
「――……お花畑かもね」
ストローでカフェオレをかき混ぜながら、彼は笑う。
「三途の川かもしれない。針の山かも。あるいは雲の上か」
「あの……?」
「教えられない」
ぴたりと止まる、彼の手。
「扉の先を知る者は、ほとんどいない。教えちゃいけないことになってるからね。だから、扉の先を知らない奴らが、勝手に妄想しては吹聴する。その結果、お花畑だの三途の川だのまばゆい光に包まれるだの、定着しているようでしていない話が広まってんだよ」
そこまで言うと、彼はストローに口をつけた。私はすがるような思いで、彼に尋ねる。
「……あなたは、扉の先を知ってるんですか」
「さあ?」
彼はカフェオレを一気飲みすると、くつくつと笑った。
「扉の先に、いきたい?」
「え……」
「成仏したいのかって、訊いてんだよ」
質問の意図を理解できない私に、彼は冷たく微笑む。
「――開いてやろうか」
「なに、を……」
「もちろん、その『白い道』だよ」
彼は親指で自分の顔を指差し、はっきりと言った。
「閉ざされたあんたの『道』、俺が開いてやろうか」