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「あるんだよねえ。道が見えてるのに、入ろうかどうか悩んでる幽霊に遭遇することって」
暖房が効きすぎている電車の中で、道尾は鬱陶しそうに言った。道が開いているのに成仏するか悩んでいる幽霊は俺の専門じゃない、違う専門家のところに連れて行く。道尾はそう言って、私たちを電車に乗せた。乗せたと言っても、運賃は私がすべて負担する羽目になった。こういうところで、道尾のケチ臭さが前面に出る。
「――ま、安心しろ。紹介するのは今すぐ妖怪に進化しそうなババアだが、腕は確かだ。クソガキの家族が成仏するよう、上手く話をもっていってくれる」
「そういう仕事の人もいるの?」
「ああ。俺のように閉ざされた道を開く霊能力者は『開き屋』。一方、今から紹介するババアのように、成仏するかどうか悩んでいる幽霊を説得する霊能者は『交渉屋』っていうんだ。業界用語だからな、覚えとけ」
「はあ」
私はまさと君に目をやった。彼はそわそわしながらも、電車の外の風景を見ることに夢中だ。家族はそんなまさと君を、じっと見守っている。
「……自分の家族の幽霊が見えるって、つらいだろうね」
私が呟くと、道尾は無表情で小さくため息をついた。
「――ここだ」
電車に二十分ほど揺られ、そこから更に歩くこと三十分。ようやくの思いで着いた場所は、一見何の変哲もない家だった。古き良き日本家屋といった平屋。屋根は当然のように瓦。ただしかなりの豪邸で、広い庭には鹿威しやら鯉の泳ぐ池やらがあった。
「くそババア、生きてんのかー」
道尾はインターホンを鳴らすこともなく、玄関を開いた。芸術作品っぽいけど価値はさっぱり分からない花瓶や、鮭をくわえた熊の置物、ちょっと不気味な能面など、つまりは統一感のない物が並べられてある。
「くそババア? 死んでんのか?」
とんでもないことを言いながら、道尾は靴を脱ぐ。「お前らも早く入れ」と言われ、私は不法侵入に怯えつつも靴を脱いだ。まさと君は、脱いだ靴をきちんんと揃えている。しつけの行き届いた子だなあと感心した。対する道尾は脱ぎっぱなしだ。
「くそババア、トイレか?」
「――……くそババアと呼ばれる年齢やない」
廊下の奥からそんな声が聞こえてきた。道尾は「なんだ、いるんじゃん」と言いながら声の方向へとズカズカ歩いていく。私とまさと君、更にはそのご一家も後に続いた。
居間らしき畳の部屋にいたのは、御年八十歳は超えているんじゃなかろうかというお婆さんだった。背は低く、そのうえ腰も曲がっているものだから、更に小さく見える。白髪頭はほとんど髪が抜け落ちていて、頭皮がしっかり見えてしまっていた。それとは対照的に太いまゆ毛。細い目。しわくちゃなお顔。
「な、だから言ったろ。妖怪に進化しそうだって」
道尾の言葉に思わず頷きそうになったけれど、そのような失礼なことをするわけにもいかない。お婆さんは溜息をついた。
「ガキが。熟女のよさも分からんのやな」
「熟女どころか、熟れすぎて腐ってるぞババア」
「ふん。ところでガキのために、冷蔵庫に『こおひい牛乳』を入れてある」
「カフェオレって言葉も知らないんだろ。一本貰うからね」
道尾はそう言って、勝手知ったる我が家のごとくどこかへ行ってしまった。取り残された私はあたふたとする。それを見ていたお婆さんは、ふむ、と頷いた。
「さくら、とか言う名前やったかな」
え?
「いや、私まだ名乗ってませんけど……」
「あ、すまん。先取りしてしもた」
「私の名前、道尾に訊いたんですか?」
「いや。なんや? あのガキと仲良くしてくれてるんか」
「仲がいいってわけじゃないですけど……」
私は困惑した。どうしてこのお婆さんは、私の名前を知っていたのだろう。
私の疑問にこたえるかのように、お婆さんは言った。
「すまんが、わしにはある程度のもんが視えるんや。あんたの名前も年齢も、どんな家に住んでるのかも、何人家族なのかもな。学校の成績もちょっと視えとる。十段階評価で、数学はアヒルさんか」
「えっ!」
私が思わずのけぞると、お婆さんは「ひゃひゃひゃ」と笑った。
「わしは、本当は万事屋なんや。今では交渉屋を名乗っとるがな。ある程度の事はなんでもできるで。相談があったら、またここにおいでえな」
「はあ……」
「それより今はそっちの、まさと君の家族さんやな。道はまだ開いとるね。道尾が連れてきたということは、交渉せえっちゅうことか」
うんとこしょ、と声を出しながらお婆さんは腰を上げた。それから、時速一メートルくらいなんじゃないかと思えるくらいの低スピードで、私とまさと君の元へとやってきた。
「ええか、まさと君」
まさと君の前に立ったお婆さんが言う。小学二年生のまさと君とお婆さんは、ほぼ同じくらいの身長に見えた。
「お父さんやお母さんやきょうだいが『お空に行ける』かどうかは、まさと君にかかってるんや」
「え」
まさと君は不安そうに、お婆さんの顔を覗いている。お婆さんはくしゃりと笑った。顔のしわで、表情のほとんどが潰れて見えた。
「お母さんたちはな、まさと君のことが心配でたまらんのや。まさと君も、お母さんたちから離れたくないんやろ。まさと君のその気持ちが、お母さんたちを成仏できないようにさせてしもとる。せやからな。まさと君は、お母さんたちと別れることをちゃんと理解して、お母さんたちが成仏できるように安心させたらなあかん」
今度はまさと君の顔が、ぐにゃっと歪んだ。それは、笑っている訳ではなく。
「……やだ」
まさと君は大きく首を振った。
「『じょうぶつ』したら、おかあさんもおとうさんも、ちーちゃんもあきひこも視えなくなるんだよね? いやだ、さみしい、いやだ」
「うっせえガキだな」
私は声の方向を見る。『クリーム感たっぷり』と書かれたカフェオレを持った道尾が、眉間にしわを寄せていた。今まで見たことがないくらいに、不機嫌な顔をしている。
「道が閉ざされたら、お前の家族は成仏できない。この世で永久に苦しむ姿を見たいのか? それともなんだ、いつまでも家族で仲良くいられるとでも思ってんの? だとしたら馬鹿だね。お前の家族はいつか悪霊になって」
「ガキ。こおひい牛乳を持って、どこかに行け。交渉の邪魔や」
お婆さんが道尾を睨んだ。
「……それとも。自分の昔話でも思い出したか、ガキ」
その言葉に触発されたのか、道尾は無言で玄関へと歩いて行った。
私が名前を呼んでも、道尾が戻ってくることは、なかった。




