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私は呆然と、その男の子の姿を見ていた。
男の子はわんわん泣いていて、交番からやってきたらしい若手の警察官が「ぼくーどうしたのかなー、おうちに帰れないのかなー」と猫なで声を出している。それに触発されたのか何なのか、男の子の泣き声は一層ひどくなった。小学二年生くらいだろうか。悲鳴に近い声をあげて、大泣きしている。
「ひとりだと不安だよなー。でも大丈夫だぞー、お兄さんがいるからなー」
そんな励ましをしている警察官に、私は内心で突っ込む。
その子の周り、人がいっぱいいます。
――家族、だろうか。恐らく、お母さんとお父さんと、あとはきょうだいらしき子供が二人。その四人が、男の子を囲んでいる。しかし、警察官には視えていないらしい。先ほどから「ぼうや、ひとりでどうしたんだい」を繰り返している。
すなわち、男の子の周りにいるのは幽霊。どう考えても幽霊。
一方、男の子には幽霊が見えているらしい。お母さん(らしき人)を指さしながら「お母さんが」と言ってみたり、子供を指さして「あきひこが」と言ってみたり、かと思えば「どうすればいいのか分からない」と叫び、泣きじゃくる。
……これは、警察官がどうにかできる問題ではないだろう。
見かねた私は、男の子に近づいた。男の子と警察官が、同時にこちらを向く。
「まさと君?」
家族の幽霊が先ほどから「まさとまさと」と言っているので、まさと君だと見当をつけて話しかける。男の子は首を縦に振った。オッケー、幽霊はこの子のことをちゃんと知っている。最低でも、(幽霊に道を訊けば)家に帰すことはできそうだ。私は警察官の方を向いた。
「すみません、うちの近所の子なんです。私が責任もって連れて帰りますので」
まったくのでまかせだった。実際、この子と会ったことはない。私はこの近所に住んですらいない。けれど警察官は納得したのか忙しいのか、それじゃあと私に男の子を任せてどこかへ行ってしまった。いいのか、こんないきなり現れた女に子供をほいほいと任せて。
「……まさと君だよね。幽霊が視えてるの?」
公園のベンチに腰掛けて、まさと君に訊ねる。まさと君は私があげたジュースをちびちびと飲みながら、頷いた。
「みんな、ぼくのかぞくなの。おねえちゃんにも、みえる?」
「うん」
私とまさと君。二人が腰掛けているベンチの周りを、まさと君一家が取り囲んでいるのが見えている。落ち着かない。非常に、落ち着かない。
「まさと君は、どうしてさっき泣いてたの?」
私が訊くと、まさと君はまた泣き出してしまった。けれど、泣きながらも話を続ける。
「ゆうれい、おそらに行かなきゃいけないんだって。ぼくのかぞく、みんな『かじ』で死んじゃったの。だからおそらに行かなきゃいけない。でも、ぼくはそばにいてほしいの」
「……そうだったんだ」
「おねえちゃん、……なまえは?」
「さくら」
「さくらおねえちゃんも、ゆうれいはおそらに行ったほうがいいと思う?」
――残酷な話だとは思った。成仏したら、この子には二度と幽霊は、家族は、見えなくなる。けれど、
「……お空に行ったほうがいいと思う」
成仏できなかった幽霊はやがて悪霊になる。それを知っているからこそ、そう言うしかなかった。
まさと君は「やっぱり」と泣きながら、けれども私に訊いてきた。
「ぼくのかぞく、どうやったらお空に行ける?」
「えっ……」
私は悩んだ。あの、超がめつく超いやしく超性格の悪い男を、紹介してもいいものか。けれど私はあの男以外、『本物の霊能力者』を知らなかった。
「そうだね。お姉さんのお友達に、…………」
あいつと私は友達なのだろうか。いや、今そこはいい。
「お友達に、幽霊についてよく知ってる人がいるんだ。ちょっと待ってね」
私は財布から一枚の名刺を取り出し、赤茶髪の男――道尾開人(仮名)に電話をした。
十回はコールした気がする。そうしてようやく出た声は、明らかに寝起きだった。こいつ、今何時だと思ってるんだ。もう、昼の二時過ぎなのに。
「……だから、ちょっと困ってる子がいて。幽霊のことで。うん……、うわの駅の東口をおりて、まっすぐ進んだところにある公園にいるから。できれば今から来てくれない? 無理? そこをなんとか。だってあんた、これが仕事でしょ? ……うん、はい、はーい」
私が電話を切ると、男の子は不安そうな顔でこちらを見た。
「さくらおねえちゃんのおともだち、なんて?」
「二十分くらいで来てくれるって。ちょっとここで待ってようか。……寒いね、たいやき食べない?」
私は公園の隅に停まっていた移動販売車のところへ行き、たい焼きを買うことにした。あんこ、チョコ、カスタード、……ブルーハワイ。え、ブルーハワイ?
「ぼく、ぶるーはわい」
まさと君がなんでもない口調でそう言って、私はぎょっとした。思わず店員のおじさんに確認する。
「あのー、これってかき氷ではなく?」
「あはは、こんな寒い季節に外でかき氷は販売しないよ。たい焼きだよ、たい焼き」
え、なんだ、たい焼きのブルーハワイって。
私も気になって、ブルーハワイをふたつ買うことにする。私たちが注文してから焼き始めたので、それなりに時間がかかった。その間にブルーハワイたい焼きについておじさんにあれこれ聞いてみたけれど、最近出した商品だから売れ筋とも言えないし、売れてないとも言えないなどと妙な反応をされてしまった。
ベンチへ戻り、包み紙をそっと開く。
なんだか妙な色の――青と茶色を混ぜたような、というか混ぜた色の何かがそこにはあった。何かがと言うか、たい焼きが。なんというかこう、スライムを商品にしてしまったような。何と言えばいいのだろうか。これは……。
私は無言でまさと君に一尾渡して、自分もそれを頬張った。
人工的な何かの味がした。何かの味だ。……なんの味だろう、これ。
「――……なんだその、変な色のたい焼き」
呆れたような男の声に、私は顔をあげる。
そこには、たい焼きの袋を抱えた道尾の姿があった。




