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「ドリンクバー二つ」
青年の注文に、ウェイトレスは目を丸くした。――……当たり前だ。彼女からすれば、この席には彼一人しか座っていない。なのに注文は、
「ドリンクバー二つ」
当たり前だと言わんばかりの顔で、彼は同じ注文をもう一度繰り返した。ウェイトレスは、引きつった笑みと困惑した表情を同時に浮かべる。
「あの、お客様。ドリンクバーお一つで、何杯でもお飲みいただけますが……」
「いいから、二つって言ってんだよ。二つ、注文できないの? できないのなら、他の店に行くけど」
「――……かしこまりました。ドリンクバーお二つですね」
ウェイトレスは彼にドリンクバーの説明をすると、首を傾げたまま厨房の方へと向かった。
「――あの。注文しておいてもらってなんですけど、私は飲めませんよ……」
私は、ウェイトレスの背中に向かって「愛想が悪い」と文句を言っている彼に、小声で話しかける。彼は(人のことを言えないような)愛想の悪い顔を、正面に座っている私に向けた。
幽霊になってから、食べたり飲んだりすることができなくなった。何故かはわからない。けれどそう、例えばコンビニに行って、おにぎりを頂戴することはできる。……私はお金を持ってないし、店員に私の姿は見えていないので、無銭飲食というか万引きみたいな形になるんだけど。
だけどその(盗んだ)おにぎりを食べても、味はしないし、満腹感もない。食べても食べても、残るのは空腹感だけ。死んでから、その状態がずっと続いていた。そしてそれが、当たり前なんだと思い込んでいた。
「あんた、何飲みたい?」
彼は無愛想な表情のまま、私に問いかけた。私は首を傾げる。その様子を見た彼は、わざとらしくため息をついた。
「だーかーらー。好きな飲み物は何かって、訊いてんだよ」
「あ……。えっと、レモンティー」
「ホット?」
「はあ……。あ、いや、はい」
私の答えを聞いた彼は、何も言わずに立ち上がると、ドリンクバーへと向かった。持って帰ってきたのはレモンティーと、アイスカフェオレ。彼はレモンティーを私の前に置くと、自分の席にどかっと座りこんだ。湯気の立つレモンティーを見て、彼はうっすらと笑みを浮かべる。
「ま、それでも喰えよ」
「え?」
「好きだったんだろ? レモンティー」
「あの。だから私は……」
飲めない。そう言おうとした直後、私の胃の中に、確かに『それ』が入ってきた。一瞬で私の中に入りこんできた『それ』によって、空腹感が一気に満たされる。
「え……?」
呆然とする私を見ながら、彼はアイスカフェオレに口をつける。ストローをくわえたまま、彼はもごもごした口調で言った。
「ちゃんと喰ったね? んじゃ、実体は俺が貰うから」
彼はそう言うと、注いできた時と全く同じ状態で残っているレモンティーを、私から取り上げた。
「あの、これ、どういう……」
「幽霊は、『実体』ではなく『気持ち』を喰うんだよ」
彼はカフェオレを飲みながら、にやりと笑った。
「幽霊ってのは、痛みもなければ疲労感もない。なのに、空腹感だけは残るんだ。――よくいう『供え物』は、その空腹感を取り除くためにある。ただし幽霊は、普通に食べたり飲んだりすることができない。……幽霊はね、供えてくれた人の『気持ち』を喰うのさ。今、あんたは俺の『気持ち』を喰らった。だから、満腹になった」
私は、彼の前にあるレモンティーを見つめた。一口分も減っていないそれを彼もまた見下ろし、笑った。
「幽霊は『供えた者の気持ちしか』喰わない。だから、供え物そのものは残る。……それだけだよ」
彼はそう言いながらレモンティーにスティックシュガーを一本入れると、口をつけた。そして、「うえっ」と言いながら舌を出した。……どうも、口に合わなかったらしい。
彼はソーサーにカップを戻すと、スティックシュガーを更にもう一本追加して、頬杖をついた。
「よく、死んだ人間が好きだったものを供えたりするだろ。あれも、その実物を食ってるんじゃなくて、『この人は生前これが好きだったよなあ、だからこれを供えてあげよう』と想ってくれている人の『気持ち』を喰らってるんだ。だから、自分のことを考えて供えてくれたものほど美味く感じるし、空腹感も満たされる。逆に言うと、余りものを適当に供えられても、腹は満たされない。気持ちがこもってない供え物なんて、ゼロカロリーのゼリーと一緒だからね。――自分への供え物じゃない物も、一緒。『気持ち』がなけりゃ、意味がない」
――……そういえば。
そういえばあの子は、私が死んでから、何か供えてくれたのだろうか。
「……さて」
彼は頬杖をついたまま、アイスカフェオレを飲み干した。
「ここからが本題だね。さっきも言ったけど、あんたには白い道が見えてたはずだ。その道の先に、扉が見えただろ。――白い道は死後一週間ほどで見え始め、その先にある扉が見えるようになるまでは、約一か月ほどかかる。そこから約二十日間は、『悩みの時間』として設けられている最期の時だ。大体の幽霊がその間に踏ん切りをつけて、白い道に、……その先にある扉に飛び込み、成仏する」
なのにあんたは、と言いながら、彼は私を指差した。
「その道に入らなかった。……その理由は、なに?」
彼の指から目を逸らすように、私は俯く。やっとのことで口にした言葉は、
「――息子が、心配で」
自分の存在と同じくらいに、今にも消え入りそうな声だった。