3
レア・クラッキング。
僕はそのバンドの事を一切知らなかった。そりゃそうだ。カラオケ店で、ずっと引きこもっていたのだから。もしかすれば誰かが歌ってるのを聞いたことはあったのかもしれないけれど、それが元ミディアムクラッカーだとは思っていなかった。
青年が新しいカフェオレを取りに行っている間、僕は考えた。レア・クラッキング。正月明けに、武道館でライブ? 武道館で。僕の大きな夢だった、武道館で。
――喜ばなくちゃ。そう思う反面で、違う何かが渦巻いていた。
僕がいなくなったから売れたって言うのか? 新しいボーカルの方がよかった? それに、新しいボーカルをいれることに反対意見はなかったのか? いや、反対意見はあった。それで揉めているのは見た。けれど結局、入れているんじゃないか。それで、当たった。新しいメンバーで、武道館。ワンマンライブ。
……メジャーデビューするはずだった、僕の歌ったあの曲は、お蔵入りにして。
「――あんた、本当に何も飲まないの?」
カフェオレを片手に帰ってきた青年が、僕に声をかける。僕は首を振った。とてもじゃないけれど、カフェオレを飲みたいと思える気分じゃない。
「喉、渇いてないわけ?」
「いえ、まったく」
「……ふーん、なるほどね」
彼は僕の向かいにどさっと座ると、再びカフェオレを飲み始めた。ここのカフェオレはちょっと苦いな、と文句をつけながら。かと思えばグラスをテーブルの上に置き、僕の方を見た。
「メンバーを呪ってやろうとか思ってんの?」
ほんのちょっとだけ思っていたことを言い当てられて、僕はびくりと大きく反応した。青年は「あっそう」と肩をすくめる。
「俺は別に構わないけどね。あんたが怨霊になったところで、俺に影響があるわけでもないし。いや、もしかしたら悪霊退治のために呼び出されて、七千円以上の報酬を貰える可能性もあるな。うん、あんた悪霊になっていいよ」
……すごく適当だ。この青年は本当に、僕を成仏させることができるのか?
青年はスマホを取り出すと、ぽちぽちと何かを検索して、僕にその画面を見せた。それは『レア・クラッキング、武道館ライブ決定!』という見出しのニュースで、写っているメンバーはボーカル以外、見覚えのある奴ばっかりだった。
「元、ミディアムクラッカーで間違いないんだな?」
――元。そう、彼らはもう、『元』なのだ。今は、僕のメンバーじゃない。僕はうなだれた。青年はスマホをジーンズのポケットに突っ込みながら、やっぱりなんでもない口調で言う。
「ということで、あんたが気にしてたメンバーは元気にやってるよ。よかったね」
「そう、ですね……」
「憑りついてやろうとでも思ってる? 悔しい?」
またもや見透かしたかのように、青年は言った。
――そう、悔しいのだ。自分だって本当は、武道館に行きたかった。ワンマンライブをしたかったのに。
理不尽だ、こんなの。僕は死んで、なのに他のメンバーはこんなに活躍してるなんて。どうせ僕のことも、もうどうでもいいと思っているに違いない。これだけ売れっ子になったのなら、なんとも思わないだろう。僕の歌ったCDが発売されなかったことだって、もう忘れている。そう、所詮
「生きてる人間は、進むことができるからね」
僕の思考をぶった切ったのは、青年のそんな一言だった。彼はデンモクをいじりながら、僕とは目も合わせずに話を続ける。
「生きてる人間は、時と共に進む。だからメジャーデビューするし、それも売れるし、ライブをすることもできる。でも、死んだ人間はそこで終わりだ。それ以上先には進めない。――語弊があったね。進めたんだ、白い道の先には」
白い道。それは僕が死んでから一週間経った頃に見えだし、やがて見えなくなってしまったものだった。
「そこに進めば成仏できた。死んだ人間の進む先は、そこだけだ。選択肢はない。なのにあんたは、現世にとどまり続けることを選んだ。――止まることを、『あんたが』選んだんだよ。なのに、進み続けている人間のことを恨むのかい?」
彼はそう言って、デンモクで何か予約した。そして立ち上がった。
「――とりあえず俺、今から一曲歌うから。話はそのあとで」
彼がそういうのと同時に、予約した曲のイントロが流れ始めた。いや、イントロはなかった。
青年が大声で歌い始めたのは、君が代だった。
しかも、お経のように音程の高低差がない音痴っぷりだ。
傍から見ればヒトカラの彼は、わざわざ立ち上がり、お経ボイスのままで、君が代を熱唱し続ける。最初から最後まで、音の高さは変わらない。
ここまで音程を知らない人間を、僕は初めて見た。
「はー、すっきりした」
そうして、本当に清々しい顔でソファに座ると、またもやデンモクをいじり始めた。僕は唖然として、彼の方を見ていた。
「……あんた、ボーカルだったって言ってたね」
彼は僕の方に目線をあげ、笑った。
「ミディアムクラッカーの曲、まだ歌えんの?」
「え?」
「ちょっと歌ってほしいんだけど。俺さー。プロの歌、生で聞いたことないんだよね」
彼はそう言って、何曲か連続で予約をいれた。すべて、ミディアムクラッカーの曲だ。そうして彼は僕の方を見ながら、「ああそうそう」と付け加えた。
「悪いけど、幽霊がマイクを使うとハウリングするんだよね。だから、マイクなしで歌ってもらえる?」




