1
間抜けだと思われるかもしれないが、私は私の葬式を見た。親戚のものに比べれば質素だったそれは、私本人から見れば、タチの悪い冗談にしか見えなかった。
一応言っておくと、私は自分が死んだ事実を、理解している。
それすら分からずに、さまよっているという訳ではない。
自分が死んでから、というのも、おかしな言い方かもしれない。けれど今は、そう言うしかないだろう。
死後一週間が経った頃、視界の右半分に、真っ白な道が見えるようになった。
といっても、見えるのはほんの数メートル先だけ。後はひたすら眩しくて、真っ白で、何も見えない。
私の視界の左半分には『この世』が、右半分には『真っ白な道』が映るようになった。
死後二週間、三週間……と、一週間経つごとに、その道の先がはっきりと見えるようになっていく。――死んでから約一か月後、真っ白な道の先が、完全に姿を現した。
それは、扉だった。
質素な生活を送り、質素な葬式をあげられた私にぴったりの、質素な木製の扉。その先に何があるのかは、まったく分からない。ただ、誰かに教えられたわけでもないのに、私は本能的に理解していた。
この右半分に見える『真っ白な道』に入り、更にその奥にある『木製の扉』に入ることで、成仏できるのだと。
ただ、その『成仏』が何を指しているのかは分からない。よく聞くように、お花畑にでも行けるのかもしれないし、三途の川を渡るのかもしれない。――もしかしたら、扉に入った途端に消滅してしまうかもしれない。
扉に入ったらもう二度と、現世には戻ってこれないかもしれないし、案外普通に行き来できるのかもしれない。
こればっかりは、分からないのだ。入ってみないことには。
「もう戻ってこれないかもしれない……」
誰にも聞こえない声で、私は呟いた。
例えば私が独り身だったのなら、私は躊躇せずにその扉に入っただろう。ただ、今の私にはそれができなかった。この世に戻ってこれないかもしれない。……それがたまらなく不安で、怖かった。
どうしたものか。そう考えながら、毎日を過ごした。
そして。
「あんた、迷子になっちゃったんだね」
聞き慣れない声に、私はギョッとしながらも振り返った。
私の背後に立っていたのは、赤茶色の髪と白い肌が特徴的な青年だった。二十歳前後、だろうか。身長は百七十五センチほどで、痩せぎみ。無地の灰色のパーカーの上に、黒のダウンベストを羽織っている。更に、黒のズボンに黒のスニーカー。全体的に黒いコーディネートのせいで、赤茶色の髪がますます目立って見えた。
「あなた、私のこと、見えてるんですか……!?」
「視えてるよ。残念ながら」
彼は心底残念そうな顔でそう言うと、持っていた缶コーヒーを飲みほした。『クリーム感たっぷり』と書かれたカフェオレの缶を、私は無言で眺める。その様子に気付いた彼は、苦笑した。
「あんた、もしかして腹減ってんの?」
「え?」
「腹減ってんのかって訊いてんだよ」
彼の隣を通り過ぎて行く人々が、不審者を見る目で彼のことを見ている。それはそうだ。彼は平気で、幽霊に話しかけてくるんだから。大きな独り言にもほどがある。それもこんな、街中で。
「……ふーん」
私の様子を観察していた彼は、面白そうな顔をして笑った。
「あんた、成仏の仕方が分かんないんだろ。視界の右半分に見えてた白い道が、今は見えなくなっちまった。それで、どこに行けばいいのか分からずにこの世をさまよってる。違う?」
青年に言い当てられ、私は愕然とした。彼は面白そうに、話を続ける。
「あんたに見えてた白い『道』はね、いつまでも『開いてる』わけじゃないんだよ。死後五十日ほど……、日本で言うところの四十九日ってとこか。その間に『道』に入れば、無事に成仏できる。けど、四十九日の間に『道』に入らなかった場合、その道は閉鎖されるんだ。そうなると、幽霊ってのは成仏できなくなる。そして、この世をさまよい続けるのさ」
彼はそこで言葉を切ると、私を指差した。
「あんたみたいに、ね」
「…………」
言い返せない私と、街の喧騒。彼はため息をつくと、肩をすくめた。
「道に入ればいい。そのことは、あんただって分かってたはずだ。なのに、あんたは入らなかった。――未練があったんだな? この世に」
「――……はい」
目を伏せる私の頭に、彼の言葉が降る。
「教えてやろうか? そっちの『仕組み』を」
「え?」
「あんたの話も聞いてやるよ。ついでに」
彼はそれだけ言うと、踵を返して歩き始めた。思ったよりも、歩くのが早い。どうしたものかと戸惑う私の顔をちらりと見た彼は、
「――そうやってうじうじと考えてるから、道も閉じちまうんだよ。おばさん」
風に揺れる赤茶色の髪。それと同じ色の目を、ゆっくりと細めた。
「俺について来るか、来ないか。――……全てはあんた次第だよ」