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力ずくだ、と言うのと同時に、道尾は悪霊に向かって走り始めた。先ほどまで自らこちらに近づいていたはずの悪霊は、何故か道尾と距離を取ろうとする。
『コロス……コロス!』
悪霊の声がかまいたちに変わり、道尾を襲った。彼は運動神経が良いらしく、右に左にとそれをかわす。彼が動くたびに、右腕から血液がこぼれて地面に落ちた。そして先ほどから道尾は、――私にはかまいたちが来ないように、注意してくれている。私と距離を置きながら、悪霊に近づこうとしているのが分かった。
「殺す殺すってうるさいんだよ。悪いけどこっちも仕事なんでね。あんたの道を開かないと、俺も困るんだ。おとなしく成仏してくれるかい?」
道尾は上半身を低くしてかまいたちを避けながら言った。道を開くって、成仏させるって意味?
しかし、悪霊も譲らない。『コロスコロス』と言いながら、次々と襲ってくる突風に、ついに道尾がしびれを切らした。
「あのなあ! あんたが成仏してくれないと、皆困るんだよ! あんたがここで悪霊になってから、何人ここで事故に遭ったと思ってんだ!? ――ああそりゃあ確かに、腹も立つだろうよ。自分が悪霊になってるのを、遊び半分で見学に来られたらな。見世物みたいにされて、笑われて、記念撮影までされるんだ。そんな物見遊山な連中は、俺も大っ嫌いだ。そこは認めてやる」
――ああ、だから私がここに来るのを、彼はあんなに嫌そうな目で見ていたんだ。
少しだけ感動している私をよそに、だけどなあ! と道尾は叫んだ。
「お前が成仏してくれないと、俺も三百万円、貰えないんだよ!」
いやそれあなたの報酬の話ですよね!?
しかもなに、三百万円って結構すごくない!?
「分かったか! お前には三百万円の価値があるんだ! 分かったらさっさと成仏しろ!」
これで成仏してくれる悪霊の方が多分少ないと思う。
案の定と言うか、突風の勢いが増した。特急電車から新幹線くらいのスピードになっている気がする。かすっただけでも死にそう。あれ、大丈夫なの? いや、私の足もどうにか動かないだろうか。動かそうと試みるけれど、ちっとも動かない。
道尾はかまいたちを避け、少しずつ相手に近づきながら、話を続けた。
「そもそも、あんたはなんでここにいるんだ? なんで成仏しなかった。道も扉も、見えてたはずだ」
『コ、ロ……』
「――当ててやろうか。あんた、家族のことを待ってたんだろ」
殺す、という声がぴたりと止まった。けれど、かまいたちの攻撃は続いている。道尾は息を切らしながら、それでも何故か笑いながら話しかけた。
「あんたくらいの年代の悪霊にありがちなんだけどね。一家の大黒柱として、家族が全員死んだのを見届けてから成仏しようだなんて思ってたんだろ。あるいは、死んだ家族が全員、自分の元に来ると思ってたんだろ? だとすればあんたは馬鹿だね。――そこにいる、足が地面にめり込んだ女くらい馬鹿!」
色々と酷いけれど、足が地面にめり込んでいるのは真実なのでそこは否定できない。
道尾は少しよろけながらも、また半歩、悪霊に近づいた。そして、諭すような声を出す。
「あのなあ、ころころすさん」
いやそれ絶対本名じゃないから。
「――いい加減気づけよ。あんたの家族はもう、とっくの昔に成仏してんだ。だから、あんたの所には来ない。あんたさあ、家族の事を待ってるつもりなんだろ。こんな辺鄙な場所で、一人で、家族の事を待ってるつもりなんだ。だけどそれは違う。逆だ」
また一歩、近づく。悪霊と道尾の距離は、あと数歩だ。
「あんたは『待たせてる』んだよ。家族はあの扉の向こうで、まだあんたのことを待ってる。あんたが成仏したと信じて、家族も成仏したんだ。なのに…………あんたはいつまでも、ここで何やってんだよ!」
『ア……ウアアアアアアアアアアアアアア!!』
――道尾の言葉に対抗するように、今までにない衝撃波が、トンネル内部から発生した。空気がねじれたような壁がこちらに向かってくる。うわん、と空気が大きく唸った。
それは悪霊が発した言葉によるもので、けれどその言葉は『コロス』ではなかった。
「……『お梅』、ね。あんたの待ち人は、その人か」
道尾は笑った。直後、かまいたちとは言えないくらいの衝撃波が彼を襲う。ジーンズの太ももが、音を立てて裂けた。一拍の間をおいて吹きだす鮮血。脚に攻撃を受けた彼はバランスを崩し、前のめりに倒れた。
「道尾!」
私は思わず叫んだ。
――けれど、彼は笑っていた。
足に重傷を負い、前のめりになりながら、道尾は両手を地面につく。両手の着地先は――悪霊の足元だった。
「……あんたの負けだよ、ころころすさん」
自身の血液を頬に浴びながら、道尾は微笑んだ。悪霊が何か言おうとする。けれど、彼はそれを許さなかった。
「開け!!」
――次の瞬間、悪霊の足元に、直径一メートルほどの穴が開いた。穴の中は見えないけれど、トンネル内部が白い光に包まれる。
『ガ……アア………アアアアアア!!』
悪霊はしばらくもがき、けれどもやがて、断末魔をあげながら穴に吸い込まれていった。
しばらく反響していた声も、やがて聞こえなくなる。
静まり返るトンネルには、もうなんの気配も感じられない。
悪霊が消えると穴は塞がれ、そこには汚れた札だらけの地面だけが残った。




