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「あーあ、疲れた。カフェオレ飲みたい」
「あーあ、じゃない! 引き返せと言っているだろう!!」
娘に「帰ってくれ」と言われた若者は、ぶつぶつと文句を言いつつも屋敷から離れ始めた。どんどん遠くなっていく、見慣れた屋敷。わしは屋敷と若者の間で、叫び続けた。
「引き返せ! お前の交渉の仕方が悪かったんだ! 一千万くらい、子供たちはすぐに出す! 出せるはずだ!」
「――俺の交渉の仕方が悪かった、ね」
若者はぴたりと足を止めると、マジックテープのついた折り畳み式財布を取り出し、近くにあった自動販売機に千円札を突っ込んだ。が、皺のついた千円札を、自動販売機は受け入れなかった。
「……あんた、死んだ後もずーっと空腹状態が続いてるのは、なんでだと思う?」
千円札の皺を必死に伸ばしながら、若者。わしは眉根を寄せた。その質問は、さっき聞いた覚えがある。
若者はもう一度、千円札を自動販売機に投入した。今度は成功したらしく、商品選択ボタンが点灯する。クリーム感たっぷりと書かれたカフェオレのボタンを、若者は押した。
何故、空腹が続いているのか。先ほどと同じ質問に、先ほどと同じ回答をする。
「死後、何も食べてないからだろう」
「――死んだ人間、幽霊ってのは、『食べ物』じゃなくて『気持ち』を喰らう。供え物じゃなくて、供えてくれた人の気持ちを喰らうのさ」
若者は自販機からおつりと缶コーヒーを取り出すと、プルタブに手をかけた。
――先刻通り過ぎた、自分の屋敷を思いだす。若者は知らないだろうが、
「お前、わしの仏壇を見たことがないだろう? 高級な果物や菓子折が、数えきれないくらい置いてあるんだ。供え物なんて、いくらでも……」
「けど、あんたの空腹感は満たされていない。――つまり」
そこで言葉を切ると、カフェオレを一口飲んだ。赤茶色の髪が、少しだけ揺れる。
「その供え物には、『気持ち』なんてこもってないのさ。ただのハリボテみたいなもん。高級だろうが希少品だろうが、『気持ち』がこもってなければあんたの腹は満たされないんだよ」
目を見開くわしと、目を細める若者。若者の笑みの意味は、分からない。
「あんたの息子達が心配してるのは、あんたの残した金のこと。あんたのことなんか、どうでもいい。供え物も、見栄えがいいものを適当に置いてるだけ。俺の交渉が下手とか、それ以前の問題。――そういうことだ」
「なっ……」
「あんたと一緒で、息子さん達もお金が大好きなんだねえ」
悠々とカフェオレを飲んでいる若者に、わしは必死に抗議する。
「だ、だが! わしはずっと、子供達を育てるために今まで必死に働いてきた! 金がなければ、子供を育てることだってできない! だからっ……」
「問題。息子さん達の好きな食べ物はなんでしょう?」
「……なんだって?」
「あんたの息子達の好物。言える?」
「そんなもの、……」
わしは口を開きかけて、――つぐんだ。
……息子達の、あいつらの好物?
わしの様子を見ていた若者は、目を細めた。
「一緒に飯食ってたらさあ、好き嫌いって自然と分かってくるじゃん?」
「……それは」
「あれれ? もしかして言えない? 一緒に飯食ってなかったの?」
「それはっ……」
「それじゃあ逆に、息子達はあんたの好物を知ってるかな?」
わしはまたもや言い淀む。そういえば。
――子供達五人と、最後に会話したのは、いつだ?
若者はカフェオレを一気に飲み干すと、青色の空き缶入れに缶を放り込んだ。
――ガラン
缶と缶がぶつかる音は、「タイムアップ」を告げているようだった。
「須藤さん。今、あんたの空腹を満たすのに必要なのは、金じゃなくて気持ちだ。――それじゃあ子供達はどうだったのかな? 成長するのに必要なのは、金だけだったのかな」
「…………」
「子供達の他に、あんたのことを想ってくれそうな人間は? 友達とか、さ」
力なく首を振ると、若者は肩をすくめた。
「金さえあれば、なんでもできる」
若者が口にしたそれは、わしがファミレスで若者に向かって吐いた言葉だった。
「――本当かな? 人間が生きていくために必要なのは、……金だけ?」
わしは無言で俯いた。小奇麗な自分の靴と、若者の安っぽいスニーカーが視界に入る。日が暮れて伸び始めた影は、若者の分しかなかった。
――死んでから。死んでから、そんなことに気付いたって、もう。
その時だった。
「あのう……」
視界に入る、もうひとつの足。それは先ほど見た、今にも分解しそうなボロボロの運動靴だった。
「――……?」
顔をあげるとそこにはやはり、先ほどの中年男性が背中を丸めて立っていた。若者の顔をまっすぐ見れないらしく、目線は定まっていない。
「もしかして、だい、……いや、須藤さんのお知り合いですか」
おどおどと自信のなさそうな声を出す中年男性に、若者は首を傾げた。
「まあ、知り合いといえば知り合いだけど。――あんたは?」
「あの、僕……」
中年男性がポリポリと頭を掻くと、白いフケがまるで雪のように肩に降ってきた。それを気にしているのかいないのか、彼は頭を掻くのを辞め、その代わりに言葉を続けた。
「僕、須藤さんと……大ちゃんと、友達なんです」




