王と勇者
「ガキ、起きろ。朝だぞ」
室の扉を勢いよく開いた音に、寝台の上の人物はもぞもぞと動き出す。
扉の前には眼鏡を頭にかけた状態の女医が、白衣を腕に通しながら立っている。
「あとごふん……」
「甘えんな。朝飯つくるから、さっさと起きろ」
シュンはいつものようにそう鳴くと、ゼリューは勢いよく扉を閉じて室をあとにした。
薄暗い空間の中に顔を出して、ぼやけた頭で周囲を確認する。知らないものばかり。シュンはなんだか脅威も去ったし、とゆるやかな納得をして再度布団の中に潜った。
そうして些細に二度寝を楽しんでいたところ──
「起きろって言ってるだろ」
「うわぁっ!」
再度扉の開く轟音でシュンは飛び上がった。
「しらないスヌーズ機能をかけないでくださいよ!」
「知らねえよ。さっさと起きろ」
「あぁ、そっすね、はい……」
思わず叫ぶシュンは女医のぶっきらぼうに自然な威圧で、弱々しく体を起こす。
「調子はどうだ?」
「なんか結構いいです。元気」
「ん、ならよかった」
手櫛で散らかった髪を乱雑に整え、寝台を降りて彼女のもとへ向かう。
歩き出すゼリューの横から、昨日と変わらない服装と、翡翠色の髪の上に乗っているマゼンタ色の下縁の眼鏡を見つめる。
「せんせいは朝強いね」
「仕事があるからな。それ以外は弱いし、あと今日のボクはまだ、昨日のボクのままだ。」
「はぁ、じぶんは平日でもダメだよ。起こしてくれる人がいないと無理」
「ほーん……マ、誰にでも得意不得意はあるだろ。」
廊下の窓から早朝の日が、隅に並んだ椅子を照らしている。
そんな中、シュンはじっと彼女の眼鏡を見つめていた。
「……なんだよさっきからじろじろと。ボクの顔になんかついてるか?」
「いつ自分の眼鏡を探し出すのかなって」
「あー、これ?」
ゼリューは頭に置いてあるそれを迷いなく手に取り、シュンの赤い眼を見ると、
「つけてみ」
「え、視力はどっちもエーなんですけど」
「どっちでもえーから、ほら」
てきとうな扱いで眼鏡を差し出す。
シュンは零れ落ちそうに差し出されたそれを慌てて受け取り、そのレンズを覗いて立ち止まり、神妙な顔をする。女医は空いた手で喫煙の準備をしながら、その数歩先でようやく隣の存在の有無に気づいて振り返った。
思わずそれを、シュンは素直にかけてみる。じっと遠くにいる彼女を見て、言う。
「これ……伊達メだ。」
「よく噛んで食えよ」
カウンターの上に用意されたそれをみて、シュンは「あ、ありがとうございます」とこたえる。
空間は広く、テーブルと椅子がとにかく並んでいる中の奥側に厨房のような広い台所があり、シュンたちはそこと隣接したカウンター席のようなところで、ゼリューの料理する姿と室の様子を見ていた。
会話の中から、ここは「大食堂」と呼ばれているらしい。まだ朝早いのか、ここには二人しかいない。
「いただきます」
料理に向かって手を合わせるシュンの隣に女医が怠そうに腰を下ろす。
用意されたのは、やわらかいパンと野菜のスープ。心を躍らせながらスプーンを持つシュンは、何もない隣を見て気分を失速させる。
「……せんせいはたべないの?」
「食事は趣味じゃないからな。昼近くに食うよ」
「趣味とかじゃないと思うけれど、まぁ、せんせいがそれでいいなら」
あくびで返事をするゼリュー。シュンはなんだか心を詰まらせながら、食事に手をつける。
そういえば昨日は一日一食はしたものの結局吐いた気がする。どうしてああなったかなと思考しつつ、口を動かして、じっとこちらを見る彼女に視線を返すと、
「……おいしいです」
「そうか」
感想を強く求められた気がして、咄嗟にこたえる。
あまり変わらない態度の反応に、自身の失敗を埋めるように話を続けた。
「きょうは、事情聴取でしたっけ」
「そうだな」
「──きのう何時に寝た?」
「徹夜した」
「寝たほうがいいよ、せんせい」
「そうだな」
この反応の薄さは疲労からくるものだとわかり、シュンはそこで話をやめた。
火のつけていない煙草を彼女は口に咥えてうとうととしている中、シュンはもくもくと食事をするのどかな時間が過ぎる。
「……ごちそうさまでした」
食べ終えた皿に手を合わせながら見つめた後、ほぼ眠り始めている女医を見る。寝つくのが早いことを特技のように言っていたが、単に徹夜が多いのかもしれない。
「せんせい? 食べ終わったよ」
「ん……、皿は流しにおいとけ」
「……寝たほうがいいよ」
「そうかも」
大きいあくびをして、ゼリューはカウンターに突っ伏し両腕を枕の如く自身の頭を包むようにすると、そのまま動かなくなった。
「ここで寝るの……?」
シュンの問いかけに返事はなく、彼女の背中はかすかに上下するだけだった。
しん、と静まりかえった無駄に広い空間で、シュンはひとまず食器を片付けようと椅子から立ち上がる。散らかった厨房のなかをおそるおそる通って、流しに皿を置き、戻ってみるが女医は眠りについたままだった。
どうしようかととりあえず再度彼女の隣に座り、悩んでみる。
ここは布団でもなんでもないし、彼女の寝床はよく知らないが、人ひとりを運ぶ体力は、小柄のシュンには無い。というかこの状況になったのはまさしく彼女の所為で、この他責思考にも正当性はあるわけだが、それを思考するのは今ではない。
ひとまず、こうも投げ出されてまず目に入るのは暇である。この状況での最適解は女医の目が覚めるのを待つべきだろうが、それが何時間後になるかわからないため、それは避けられない。
再度、他責思考に移行する手前にシュンは、自身が彼女に眠るように唆したことを思い出す。
「────」
寝起きの硬い頭を捻らせて、シュンは彼女の後頭部をみる。
なにも、彼女の睡眠を妨げずに平行線を維持する必要はないのだ。最善策を忘れていた。
「せんせいおきて。風邪引いちゃうよ」
普段よりもやんわりと高い声音でシュンは呼びかける。
「せんせいー? せんせいおきてー」
徐々に声量を上げていく。
「せんせいー! お布団いきましょー!」
「……」
自身の口周りをさらりと覆うように手のひらを立てて、シュンは叫ぶように呼びかけると、ゼリューはむくりと起き上がった。
しかし無言のまま、川で水がゆらりと流れるようなほど自然な振る舞いでライターを取り出し、煙草に火をつけ、椅子から立ち上がって食堂を後にする。
「………………あ、え?」
はっきりと困惑を口にして、シュンはひとまず走り出した。遠くに見える白衣の裾を追って、彼女の横に並ぶように歩くと、
「せんせ、せんせい? いきなりどうしたの?」
「ねたいな、って」
「あの、事情聴取は……?」
「あとにする。あたまうごかん」
「じゃあいつやるの?」
妙な期待を孕んだ必死の問いかけに、ゼリューは案外近い医務室の引き戸を開きながら言う。
「きょうのいつか」
それだけ告げて、ぴしゃりと戸を閉めた。
ひとり廊下に残ったシュンは、呆然とその戸の姿を眺めて、突如訪れたよりどころのない自由に戦慄するのだった。
*
自分がどこにいればいいのか、どこにいてもいいのか、なんの許可も知らず、ただこの施設で唯一余した存在を無意味に漂わせることとなった。
あれこれ執着的に考えても仕方がない。
シュンはふらふらと平凡な季節風のような心持ちで、王宮内を探索することとした。
段々と日が昇ってきて、この建物でつくられた光の輪郭を視線でなぞりながら、歪に入り組む廊下を巡ったり、用途不明の妙に広い空間を回ってみたり、段差の均等でない階段に毒を吐くなどした。不自然なほどに人がいないことに、美術館の絵画のひとつに迷い込んでしまったような錯覚をしながら、ただひたすらに知らない道を巡る。積極的迷子である。
その最中、遠くからかすかに旋律を感じて、シュンは立ち止まる。春のゆるやかに流れる小川を彷彿とさせるような、おだやかな曲調。
なんとなく付近の窓を開け、音色のもとはどこか、好奇心のままに特定してみようと、窓枠から外へ上半身を乗り出して耳を傾ける。どうやらそれがうえのほうからすると確認して、どこの室から鳴っているのだろうと、シュンは窓を閉めて付近の階段を登る。
足もとには些細に注意しながら、しかし上階へもう一歩というところで盛大に躓いた。「わッ」と鳴き、あっけなく床に身体を叩きつけて、鈍い音が響く。
「いててて……、」
三度目の罠にさすがに巨大な独り言でも漏らしておこうかと考えながら立ち上がると、ふと、さっきまでの旋律が途切れたことに気づく。好奇心の素が変形した。シュンは辺りを見回しながら歩き出す。
そこからの廊下は長い一本道で、並んだ窓からは青空が見えた。扉ひとつない壁に手で触れて、手のひらを引きずりながら、シュンは神妙な表情をして、自身の内外に視線を行き来させる。突き当たりを曲がると、長ったらしい廊下のおわりに扉があった。
疑いようのない疑問を抱いて、扉に向かった。
道中に別の空間は見当たらない、やけに不自然な道のりの結果だからこそ、そのまま手を伸ばす。
しかし、ドアノブを握ろうとした途端、それはひとりでに回りだし、
「あ」
「──おっと、きみは……」
開いた扉の先から昨日すれ違った壮年が、顔を出した。
シュンはだれか人物がいたことを考慮していなかったため、後悔と焦燥を感じながらじりとあとじさりする。
「さっきの大きな音は、きみかな?」
「えー、まぁ、はい」
「だいじょうぶ? けがはないかな」
「たぶん、だいじょうぶです」
なんとなく下を向いて身体のいたるところを見ながらシュンはこたえた。
壮年は柔和な目でシュンを見つめ、
「ちなみに今はなにをしているのかな。ゼリューはどうしたの?」
「あ、えと……あの人はなんか、きょう徹夜してたみたいで、眠くて寝ました」
「そうか……変わらないなぁ、あの子は」
濁った緑の目を、遠く床の底を突き刺すように落とす。
「それで、きみは今何をしているんだい?」
「えっ、」
答えのない疑問がシュンの胸を刺した。なんとか胸の中にある記憶などから言葉を手繰り寄せていく。
「っと。その、あのせんせいが急に寝てしまったもので、急に解放されて必然的に迷子になってしまったというか……」
壮年に目を合わせたり合わせなかったりをして、語気が弱くなるころには虚空に視線を合わせることに落ち着いた。
「まぁ、それは仕方がないね。昔からあの子は自由だったし。」
「そうなん、ですか」
「そうだよ。手を焼いたものさ」
言いながら彼は扉から手を離し、室の奥へと歩き出すと、
「それで、どうだい? みんなが動くまで時間がかかるから、それまでここでお茶でも飲んで、話でもしていかないかな」
ティーカップやらポットやらを用意しだす。
急な誘いにシュンはもう一歩後方に足を運びながら、困惑の顔を壮年に向けた。
「──いいんですか……? なんか、仕事とかの邪魔になりません?」
「仕事までにはまだ時間があるからね。きみも行くあてがなくて困っているだろう?」
「それは。そうですけれども」
ぼんやりと彼から視線を外しながら返事をすると、「ほら、そこに座って」と壮年が促したので、シュンは嫌々でも肯定的でもなんでもない心持でとりあえず、向き合った長椅子のひとつに座った。
室のなかは彼の書斎といったふうで、中央にはソファと背の低いテーブル、奥には机や棚には雑貨、またピアノやギターのような楽器やその機材、さっきまで音楽を流していたらしい蓄音機のようなものはテーブルの上に置いてある。
はっきりとした了承はないが、彼は茶を淹れる準備を進める。シュンはその最中にその様子と、棚のなかにあるガラスの器に閉じ込められている宝石のような真っ赤な炎やら、壁に掛けられている大きな剣やらに視線を引き寄せられる。最終的には、独りよがりな気のしたための沈黙を破るために、蓄音機を見つめて言った。
「……音楽、すきなんですか?」
「うん。音楽は現実を忘れさせてくれる。そういう気分にさせてくれるからね。」
「まぁ、たしかに」
それには充分の納得をするだけして、シュンは頷いて話が終わった。
「昨日リアリから聞いたかもしれないが、わたしはルーマという。きみのなまえは?」
「────」
ルーマはウォーターサーバーのような、壁に取り付けられた機械から湯を注ぎ、その栓をしめて返事のないシュンを見つめる。
「どうしたんだい?」
「──えっと、まだ、この場所のことよく知らなくて、その……」
信用していない、と言えるほど強くもないし、醜くもないシュンは、昨日のできごとと目の前の会話へそれぞれに意識を交錯させて、思考を混濁させている。答えの出せないという焦燥は膨れ上がるばかりで、背を丸めて顔を俯かせるシュンの目の前に、ことりと何かが置かれた。
「おいしいお茶だよ。甘いお菓子もあるからね。」
「……ぁ、えと、すみません」
湯気の立ったあたたかい紅茶のようなものと、小さい小皿には焼き菓子。ルーマは微笑んで、シュンを見つめる。
「できない話は後回しでいいんだ。昨日、彼女にきみの名前について聞いていたのを忘れていた、すまない」
「あ、いやこっちこそ……! ごめんなさい、ほんとは、偽名とか考えるべきなんでしょうけど」
再度自信なさげに俯いて、顔を下ろす最中に目に入った紅茶をどうしようもなく手に取って、シュンは水面を見つめる。
「──きみは、どこからきたの?」
ルーマはぽかんとした面持ちで訊いた。シュンはそれにまず沈黙で答え、
「…………朝日の向こう側にあるくらいの、東の国です」
「別の世界、ということかな」
「言い換えればそうです」
なんだかようやく安心した。簡単なようで難しいこの認識の差が埋まるだけで、会話がかなり円滑になると思っていたのだ。
「じゃあ、やっぱりきみが勇者ということ?」
「それはマジでよくわかんないです。あんまり大層なのに関わりたくはないんですが、ここに来た異世界人って確定で勇者だったりしますか?」
「うーん、この世界が危機に陥ったときに、別の世界からきた勇者が現れると聞くね。勇者はその存在を証明するために、手紙を持っているという。」
「はぁ、てがみ……──手紙?」
シュンは静かに反芻して、回想する。
夢の中で名も形も知らぬ人物に手渡されたもので、それから役に立たないと紙飛行機にし、最終的にはラディアが山羊に食わせていた、あれである。
まさかここに意味があったとは、とひとり驚愕しながら、その心の内を誤魔化すようにシュンは紅茶を啜った。
「なにか心当たりがあるのかな」
「あー、えっと、そのぉ、えーっと、信じなくてもいいんですけれども、」
一旦ティーカップを机上の皿にそっと置いて、ちらりと彼の顔を見る。
「ああ、なんだい?」
「手紙は持ってたんですけれど、ここにくる道中でなくした場合、じぶんは何者になりますか……?」
「ぇ」
シュンがそれを言い終えた途端、ルーマが啜っていた紅茶のカップを持つ手を震わせ、盛大にむせた。
「ああすみません! ほんとに、変なこと言っちゃって……」
「いや、いいんだよ。きみが勇者ということがわかってよかった。」
顔を背けてせき込みながら、彼はそう溢す。何故だかそのまま、安心したような微笑みを再度シュンに向けた。
「……ほんとうに、よかった」
「そんなにですか」
「ああ。きみに、とある話をしたくてね。ようやく誰かに伝えられるのが、うれしくてたまらない」
「はぁ」
きょとんとしたシュンを横目に、ルーマは立ち上がり、なにやら室の奥の机の引き出しから一通の手紙を取り出し、シュンの前に置く。
「今から話すことについては、他言無用で頼むよ」
「……これは?」
「脅迫状だよ。わたしと、きみと、このまちに関しての」
きょとんとしているシュンに、ルーマは続ける。
「【契約】というものは、知っているかな」
「大雑把には、知っているつもりです」
シュンは焼き菓子をつまみながら素直に答えた。
「念のため言うけれど、【契約】は人と人との公平さを保つためのものだ。交わせば、その内容に逸れた行為をした際に火傷を負う。【契約】は書類に、本人の直筆で本名を書いて燃やし、はじめて成立する。ここまではわかるね?」
「はい。それで、手紙の内容は?」
「こう書いてある。これは、わたしとあなたの契約内容を記したものとする──」
一、トペリの各所に小さな石の形をした爆弾を仕込んだ。これらは勇者がこの世界にたどり着いてからちょうど三日後の日が落ちた途端に、一斉に起爆する。これを止めるには、それまでにあなたの命が勇者の手によって停止するほかない。
二、あなたに自傷、自殺行為はゆるされない。
三、この手紙に書かれている内容は、わたしとあなたと勇者以外にいつまでも、どのような形であっても知られてはならない。
もし、以上のことを違反した場合、直ちに爆弾は起爆する。
「あまりに一方的すぎる。これは本当に署名したんですか?」
「するわけがない。差出人はおそらく、いや、始祖の遺物を使って書いている。本人を偽って署名ができるという筆記具だ」
「噂の。」
ルーマが読み上げたその手紙をシュンも手に取って眺めてみる。当然読めない。封筒には名前らしき数文字があり、本文とそれ以外には他に何も書かれていなかった。
「まぁ、詐欺じゃないんですか? 胡散臭いし」
シュンは昨日の手紙の山を思い浮かべながら言う。
「だといいが、詐欺と証明するには真実だったときの言葉が重すぎる。どうにも、嘘と突くには難しい。たとえば、きみ以外の誰かにこのことを伝えたとして、このまちが爆発するという可能性が一切ないわけではないということだ。」
「それはまぁ、たしかに……」
「それに、真実味を帯びた証拠しか見つからない」
穏やかでおとなしい低い声は、早口で言葉を並べ、緊張を隠しきれていない。
「手紙にはほかに、爆発するらしい石も入っていた。まちへ行って、工場のほうでもいくつか見つかった。きっと地中に埋まっているのもいくつかあるだろう」
シュンは彼が懐から机上へ放り出した石を拾い、観察してみる。
すべすべとした手触りで、表面は光を反射する。目を惹きつけるような赤と漆黒が混ざり合っており、形は丸っこいもので、如何にも魔法を起こしそうな宝石といった印象。
「ただの石という可能性は?」
「詳しくはないから、すぐに図鑑を開いた。魔力に反応する鉱石で、一定の魔力を注ぐことで起爆するという性質なのだという。この契約がその回路の一部としてはたらいていることは間違いない」
「……ほんとに、本当っぽい」
「だろう? 極めつけは──」
詐欺にしては手が込んでいる。シュンは知らない焦燥で、なんだか小さく笑っていたくなった。ルーマも同じ表情で、手紙の封筒を手に取り、
「封筒にわたしの本名を書いているところだ。」
そう、指をさして言った。
シュンはようやく、得体の知れないものに追い込まれていることを自覚する。
ゆっくりと二人は顔を見合わせた。
「……これを?と証明するより、わたしがきみに殺された方がはやいんだ」
「いや、まだ穴があったり、」
「ないよ、どこにもないさ。わたしだって手の込んだいたずらだとしたいんだ!」
顔を手で覆って叫ぶルーマに、シュンは身体をこわばらせる。
「あぁ、すまない。しかし、解決策はそれしかないんだ」
「……」
「なんとか、わかってくれないだろうか。わかるもクソもないとおもうけれどね」
無言のまま顔を伏せ、思考を巡らせているシュンの前に、ルーマは懐からあるものを取り出して置き、
「ここからは簡単な話だ、」
「……それは」
「これでわたしを撃ち抜けばいい。きみの世界にあった武器ときいて、使いやすいかと思ったんだ」
白い身の拳銃からそっと手を離し、彼は勇者をじっと見つめた。
「──、ほんもの?」
「本物だよ。弾はすでに入っている。いつでも撃っていい」
「う、撃たないよ!」
朗らかさを繕って言う彼に、シュンは叫ぶ。
「いきなりなんなんだよ、考える時間も、納得する時間もくれないまま、ころしてほしいって……!」
「荷が重いのはわたしもわかっている。しかしこれが、きみの最初の使命なんだ」
「その最初の使命が嘱託殺人自殺幇助っていうのがいやだ! そんな脅迫状に則って人を殺すなんて、たとえ筋が通っていようが、殺人に正当性があるなんて間違ってる!」
「ここで正しいのは道徳や倫理ではないんだよ」
シュンの心は強く無視される。
「きみはたしかに正しい。しかし、もしこれが本当だったら、ここで大切なのはすべてを保つ努力は叶わず、なにかを切り捨てる選択をしなければならないということだ。ここにある無数の爆弾と、この先長くもないわたしと、どちらをとるか。わかりきっているだろう? 爆弾は家が一軒吹き飛ぶほどの火力だ。これが爆発したとして、何人が犠牲になる? 工場がいくつも潰れて、それで稼いできたトペリごとなくなってしまえば、いままであった安全も平和も、なにもかも失ってしまう」
ルーマはただ、勇者の赤い眼だけを見ている。
「そして、これが本当という可能性は高いということだ。きみはまだ何も知らないと思うが、これでするべきことはわかっただろう」
「……けれどそれは、なにかを犠牲にするってことは──」
「そうしていかないと保てない世界があるんだ。だからどうか、わかってくれ……」
シュンはただ、彼に用意された言葉を飲み込めずに見つめ、思考を巡らせている。俯きがちに、差し出された拳銃を見つめながら。
「……それに、きみを犯罪者にはしないように協力する。確かにきみが罪を感じる必要はないんだ」
「────」
無気力に無言を返す。
「それでも、きみは勇者だ。きみを疑う人は、ここには誰もいない。」
嫌がる背中を押して、ルーマは紅茶を飲みほした。
「きっと大丈夫だよ」
そういって立ち上がって、自身のティーカップなどを片づけ始める。
「すこし、ひとりになったほうがいいのかもしれないね。このことについてなにかあったら、また会いに来てほしい。きみは昨日にここにきたのなら、明日までに殺してくれ」
もちろん、ここですぐにわたしを殺してくれたっていい。
余計なことを付け足して、いつも通りのような、そんな雰囲気の心持を演じて、ちらと勇者を見る。
「────」
シュンは沈黙してそれからの言葉を待ち、なにもないことを判断して、選択肢に沿って静かに立ち上がり、何も言わずに扉を開け、この件をあとにした。
*
そこからは摂取する情報を曖昧にして、王宮内をぼんやりと漂って、庭のような空間に出た。円形のそこは中心に木が一本生えており、壁の半分は窓となっていてトペリの景色を一望できる。
木のそばにはベンチがあり、シュンはそこに座って、ついさっきのことをぐるぐるぐるぐると思い返していた。目をそらすことを許されていないように感じたからだった。
──勇者が王を殺すことによって果たされる【契約】。
シュンには単純以上に知識が足りない。文字はもちろん、この世界の魔法などについても、まったくの無知である。正直この点から見れば首を突っ込むことさえ論外に思える。だからこそ、差出人はまずここを突いた。
であれば意図は、シュンを、勇者を貶めるためのものだろう。この三日間、ルーマがなんらかの形で他殺されれば、差出人はその犯人を確実に勇者と絞れる。勇者が彼を殺したという情報を流して世界を混乱させることなど、想像力はないが、好ましくない未来が必ずそこにはある。恐ろしいのは、トペリに散らばった石とこの手紙の存在を盾にして弁明ができないことだ。昨日の女たちのような存在もいるわけだし、勇者に対して否定的な連中も少なくないだろう。
本当に【契約】がされていたとしたら、完璧な罠だ。これはまだ、仮定の話だ。確実にこのことをしないといけないという確信は、いまのところどこにもない。しかし、誰にもこのことを口外できない以上、誰かの援助を得てこの【契約】の存在を認めることはできない。
シュンが人殺しに加担したくないのは事実だ。加えて、もし詐欺のまま彼を殺してしまえば、シュンは一切の背景さえ持たないただの人殺しである。
安全かつ明確に証明する方法が必ずどこかにあるはずだ。ただ知らないだけで、きっとなにか策が──
「なぁ、オマエ、」
ふと、横から知らない声が聞こえた。
「きょうの昼、なにが食いたい?」
「……ぇ」
声の主の方へ視線を向けると、そこには気怠いような視線でシュンを見つめる青年の女性が座っていた。肩に大きな槍斧のような武器を寄りかかせるようにして携えている。
シュンは間を置いてから叫んだ。
「い、いつからそこに!?」
「いま」
「それってあんま答えになってないような……」
褐色の肌、黄色の瞳と真っ赤な長い髪。よく見ると、側頭部にはなんらかの動物の耳のようなものがついている。彼女は長い足を組みなおしながら、
「それでさ、きょうの昼、なにくいたい? きょうわたし当番でさ。なんでもいいはナシな」
今のシュンにとって無理難題のような質問を投げかける。
シュンは困惑しながら、昨日の昼食のことがさらりと脳裏によぎったので、それについて話すことにした。
「……じゃあ、海鮮以外の、見た目がグロくないやつで」
「ふぅん、そのぐろくないって、どういうことだ」
「これ伝わらないんだ。なんていうか、見た目が生々しくないもの」
「想像ができない」
「じゃあ海の幸でお願いします」
正直この状況下で食事のメニューなどどうでもいいのだが、シュンはなんとかこの質問を片づけようとする。
彼女は妙に不機嫌な様子で、
「はァ、そのウミノサチってのもよくわからないんだけど。ってかオマエ誰だよ」
「今更すぎない? 誰か聞いてから昼食のメニュー相談してよ」
「よびかけたのに反応ないのはオメーだよ。ずっとうつむいてて、なんだか元気なさそうで、でも反応ないから昼飯どうしようかなって思ってきいたらようやくだったんだよ」
「それはごめん……」
面倒が半々、苛立ちのような衝動が半々の原動力で言葉を羅列し、シュンがそれを自然に受け入れて謝った。彼女はそれに怯んだように、シュンから目をそらした。
会話が妙にしにくいことに、互いに苛立ちを実感すると、二人は一旦正面を向きなおす。数秒間無言のままでぎこちない空気を漂わせていると、彼女から切り出した。
「……なんか、困ってんだろ? よくしらないけど、わたしはいま騎士団の仕事で見回りしてんだ。なまえは、ニィティラっていう。いいにくいからニィでいい、おまえは?」
「────えーっと、あの、あー……」
彼女の──ニィティラの歩み寄りに、その最後の問いかけに、シュンは思わず頭が真っ白になり、無意味にマイナスの価値だけを付与し続ける無駄以上の時間をそんな鳴き声だけで過ごして、
「……。」
彼女の冷たい視線を見た。
「……やっぱりオマエ、なんかあやしい」
「まぁ、そうですよね」
「でもいま手錠とか持ってないんだよね」
「あーそうなんですか」
シュンは観念したように両手をあげながら返事をし、ニィティラはその両手を強く握り、シュンを地面に足がつかないようにぶらんと提げて、二人はその場をあとにした。
*
「あのー、ニィ姉さん。ここはまちに異変がないか見るためのところであって、なんかよくわからない人を監視するための塔じゃないよ。」
銀髪のうえにパイロットのゴーグルを乗せたような青年が言う。彼のうしろには青い空とその手前にさまざまな機械が置かれている。
「監視塔って名前なんだからそうだろ」
「執務室の近くとか、もっといいとこあっただろうに」
シュンは微妙に身体を震わせながら、床下から上半身を出す。この室に入る道中は、暗い筒状の空間を梯子で登らなくてはならず、足を踏み外さないかという不安にまみれながら、シュンはようやくこの空間に辿り着いたところだった。
「よっこいしょ。で、コイツのことなんか知ってる?」
再度ニィティラがシュンを持ち上げ、青年に人形を見せびらかすようにすると、
「……えっと、きのうの……、ゆうしゃさ、ま?」
珈琲の入ったカップを口から離し、口端から流れる液をもうひとつの手で隠しながら言った。
「コイツがそうなのか」
「脇、痛いんで下ろしてください」
シュンがそういうと、束の間の拘束がすぐさま放してくれた。
「勇者さまって、ゼリューさんのところにいるんじゃなかったの……?」
「いまアイツ寝てるよ」
「徹夜したらしいです」
「またかあの人!」
青年の独り言のような問いかけに、二人がそれぞれ答える。彼はため息をついて、飲み干したらしいそれを流しに置くと、
「とりあえず二人はそこらへんに座っていてください。いまから姉に連絡しますから。」
「ここにいるだろ」
「実姉です」
中々に融通の利かなそうなニィティラを横目に、なんらかの器械を耳に当てる。
携帯電話のようなものだろうかとシュンは思い、ニィティラを見ると円いテーブルの前に座り頬杖をついていた。シュンはその対面に座る。
「姉さん? いまね、展望室のほうに──」
青年が話している間、シュンは室を見渡す。扇形の空間は奥に様々な機械が並び、その主要な機器たちを挟むようにしてブラウン管テレビのような映像媒体が、街の中のさまざまな一角を映し出していた。そのほかは壁に沿うようにして植物の鉢が並び、シュンたちがいま座っているような椅子やテーブル、何故か砂糖やティーカップなどを置いている棚、連絡用のパイプのようなものなどがある。
「はい、それじゃあ、お昼にね」
青年が受話器を置いて、自身がさっき座っていた椅子を引いて二人のもとへ向かう。
「えっと、僕はニカっていいます。ここは監視塔の展望室といって、なにか事件があったときとかにいろいろ対応してます」
ニカは椅子に座って、話を切り出した。銀髪と青い瞳、革製の上着を留め具で閉じずに着ている。
「ああ、きのうの、あの……ひとが、電話していたひとか」
名前が浮かばず、視線を彷徨わせながらシュンは言う。あれから彼女が誰かに連絡をして、その際に漏れている声に似ていると感じたのだ。
「リアリさんかな。それと、昨日はすみません。見つけるのが遅くなってしまって……お身体とか、だいじょうぶですか?」
「じぶんは全然だいじょうぶです……見つけるって、ここから見つけたんですか?」
シュンは彼の下向きな矢印から逃れるため、言葉中に生まれ出た関心を利用して問いかけた。
「そうですよ。街中のようすの映像と、それと地図と照らし合わせてみたりして場所を特定するんです。訓練とかまぁまぁ積んでるはずなんですけどね、はは……」
「失敗はしてねえだろ。誰だって焦ることはあるし、本番がそんなにないんだから、仕方がない」
「たしかにトペリの治安はかなりいいけど、だからといって勇者さまを危険にさらしたことには変わりないよ。存在自体がどんな偉人や宝石よりも重要なんだ。政治利用とか、人質にとったりとかで一部の人に狙われたりとか、捜している間に狂ったやつらだったら殺される可能性ですらあったんだよ。ニィ姉さんのいた国もいま危ないんだ。だから僕たちは、反省しないといけない。」
「……。」
ぼんやりと彼の解毒をするニィティラに、ニカは正しさを一心に注いで黙らせる。彼女はばつが悪そうに、彼から顔をそむけた。
シュンはただ、じぶんの手のひらを見つめて、なんだか複雑な気持ちを放棄したくなった。
「それで……いま、僕の姉がゼリューさんを起こしにいってるらしく、食堂のほうに集合とのことでしたので、いきましょうか」
「え」
「どうしました?」
立ち上がるニカに、シュンが思わず困惑の声をあげてしまう。
「いや、なんでもないです……」
「……、そうですか、じゃあ」
「梯子が嫌なんだろ」
顔をそむけたまま、ニィティラが呟き、立ち上がった。
「別のとこから行くか?」
「……じゃあ、それで。」
実際、シュンは思っていたことを言い当てられていたので、このなんとなく香る否定のできないような雰囲気を利用して、返事をした。
「ま、まって二人とも。あっちはちょっと、危ないよ」
「危ないかどうかは、コイツが実際に見てからでいいだろ」
そうかもしれないけれど、と弱く制止するニカを横目にニィティラは床のハッチに手をかける。開いたそこからは冷たい外気が入り込んだ。彼女はそこからぴょんと飛び降りて、そこから二メートルほど下の金属の板にすとんと着地する。
「ほら、こいよ」
シュンはその様子を見て、付近の梯子から下へ降りてみる。
王宮の影となっているこの場所は薄暗く、冷たい風が吹いていた。壁はなく小さくなったトペリと、遠くの青い空が見えた。落下防止の柵はシュンの膝よりも低い身長である。ニィティラは天井に頭をくっつけないよう、窮屈そうに背中を丸め、長い槍斧を持ち直している。彼女の横には掃除用具入れのようなロッカーがあり、その上には鳥の巣があった。
金属の板の道は王宮を囲むように続いており、落下防止の柵はその道半ばで途絶えていた。
「これって……落ちたら死ぬ感じですか?」
「まぁ、そうなんじゃね? 下なんもないし。」
「……。」
ニィティラがてきとうに答えたところで、ニカがハッチの口からさかさまに頭だけを出しながら言う。
「ほら、危ないでしょ?」
「どうしてこんな欠陥が……」
「で、行くのか」
「いきません」
シュンは彼女の問いかけに食い込むようにして拒否した。
*
騎士団の団長、ニカの姉であるネフカはゼリューを起床させることを断念し、犬の散歩という業務に移ったため、三人は彼女が再起するまでの時間を潰すために早めの昼食を摂ることとした。
ニィティラが厨房で昼食をつくる間、円形のテーブルの前に二人は座っていた。王宮内の料理人は当番制らしく、今日は彼女の日らしい。
ニカが持ってきた麦茶をちびちびと口に含みながら、シュンは彼の話に耳を傾ける。
「ニィ姉さんはあんまり仕事をしないけど、料理はとても美味しいんですよ」
「そうなんですか、たのしみだなぁ」
彼はじっとニィティラの様子を見ながら、さわやかな笑顔を向けて言う。
ひとまず二人の間にはそれだけ、当たり障りのない空気。しかしじんわり広がる停滞に、そういえばと関心があることをシュンはこの機会にさらしてしまおうとおもった。
「騎士団はいつも、なにをしているんですか?」
「今みたいな行事にもよりますけど、普段は街中でなにか事件がないかの見回りとか、わんちゃんのお世話とか……他にも細かいことをしてますけど、このくらいですかね」
「えっと、どうしてここで犬が?」
「僕らの生まれるかなり前に、トペリに唯一あった犬舎がなくなったらしくて、王宮が野良犬などの保護活動を引き継いだんです。あれは騎士団が引き継いだというよりも、ニコルグさんがやっているのを騎士団が手伝っている形ですけれど。」
治安がいいとは聞いていたが、警察のような機関がそういったことをするというのはとんでもない余裕である。改めて普段のゆるみがうかがえる。
「その、ニコルグさんって?」
「生き物とか、植物とか、石とかに詳しい人です。基本は本の虫の変な人ですよ」
「博物系のひとだ」
そんななんの変哲もないような返しをして、シュンはすぐさま思考を巡らせる。──石に詳しいということは、あれの打開策についてなにかヒントになるかもしれない。
シュンは伏せていた目をちらと彼に送って、
「……そのひとは普段、どこにいるんですか?」
「どこかか……自由な人だから、決まった時間にっていうのはよくわからないですけど、今は実家に帰省しているみたいです」
「帰省中……それは、いつまで?」
「え? えーと、明後日か、早くて明日みたいです。ほんとうに曖昧なひとなので、わからないですけど」
「なるほど」
再度目を伏せる。そう簡単にはいかない。シュンは軽く落胆しながら返事をする。
ニカが少し困惑して微笑んでいるところに、丁度、二人の前に料理の乗った皿が置かれた。
「どーぞ、簡単なヤツ」
「あ、ニィ姉さん、ありがとう」
「ありがとうございます、いただきます」
「……。」
「……?」
ニィティラは礼を述べるシュンを何故だか数瞬じっと見て、何も言わず自身の食べるものを厨房に取りに行ってしまった。
料理は食パンのような四角いパンの上に、野菜炒めの山が乗ったようなもの。隣でニカがそれを掴んでそのまま食べている様子を見て、シュンも手を合わせ、同じ動作でそれを食べてみる。
しかし持ち上げると野菜炒めの重さでパンが凹んでしまうので、パンを折ってサンドイッチ状に掴んでみる。結局は昨日のリベンジである。
同じテーブルでニィティラは自身の分を持ってきて、座り、手を合わせ手指を組む。
「姉は昔から勇者さまが大好きなんですよ。伝記を自腹で買って、何周もするくらい」
「そんなに」
ニカが突然話を切り出す。シュンは咀嚼したものをのみこんで、素直な反応を表に出す。
「身体を動かすのがそれなり以上に上手かったのと、魔法の才能もあったので、勇者さまにあこがれてそのまま騎士団長になったんです。料理はてんでダメなんですけど」
「へぇ、すごいひとだ」
二人は雑談を続ける。その隣でニィティラは両手を握り合ったまま、俯いて動かない。
「あれ? にか、さんのお姉さんは、騎士団長さんで……、それは、何歳差で?」
想像と現実の差異、ずれを正したいという好奇心で、シュンは食事の手を止める。
「姉は二歳年上ですね。ちなみにニィ姉さんは僕の一個上です。」
「それで……、えっと、騎士団は何人くらいで構成されているんですか?」
シュンはがらんとした食堂を見回しながら訊いた。
「えっと、全員で七人くらいですかね。ゼリューさんが非戦闘員なので、実質六人かな」
「……少なくない……?」
いくら平和なまちとはいえ、騎士の数が少なすぎることにシュンは目を丸くした。ニカも苦笑いをして、
「いや、ほんとに。昔から少人数なのは変わらなくて、騎士団に入る際の決まりが厳しいのもそうなんですけど、先輩の方々が僕の姉の才能に全部丸投げしたんです。ですからゼリュー姉さんの上のひとたちはみんな、仕事をやめて自由に過ごしてます」
「うわぁ、闇だ……」
わりと騎士団の世代交代はそんな感じらしいです、なんて建前も混ぜて暗い表情を見せる。そんな彼をあまり見ないように、シュンはサンドイッチに口をつける。平和なことが彼らには救いなのだろうとおもいながら。
「で、その……姉の話に戻るんですけど、料理がダメな理由も、強い理由も、なんていうんだろう、とても力が強いんです。肉体的に」
「はぁ、それはその、例えばどういう……?」
「うーん……たとえば、たべものの瓶の蓋が固くて開けられないってときがあるじゃないですか。漬物とかの」
「はい」
「それをあの人に頼むと、」
「頼むと?」
「物によるんですが、大体の場合、瓶が割れて中身をぶちまけてしまうんです。」
「……。」
咀嚼も呼吸も一瞬だけ手を止めて、驚愕に徹している間のシュンにニカは続ける。
「ですから僕たちは、勇者さまがあの人の握手とかで腕をなくさないように見張らなくちゃいけないんです」
「た、頼もしい人なんすね」
こんなところで命の危機など感じる必要はないのだろうが、何故か彼の暗い眼にシュンは身震いしてしまう。
「キミら、なにをそんな辛気臭い顔をしてんだよ」
「わぁ! ぜ、ゼリュー姉さん!」
そんな二人の間を、竹を割るかの如くゼリューが顔と声を出した。ニカは思わず椅子から転げ落ちそうになる。
「ようやくおきたんすか」
「まぁな、身体の調子はどうだ。」
「いいかんじです。」
彼女はいつもの得意げな表情をシュンに向け、ニカの対面の席に座る。シュンは彼女の問いに、なんの気なしに答えた。
「ちゃんと勇者さまのこと見ておいてくださいよ」
「寝たほうがいいって言われたから寝た。」
「はぁ、初日から勇者さまに心配されないでください。この子がひとりでいる間になにかあったらどうするんですか」
「うるせえな姉弟そろって。ボクも忙しいんだよ、変なことはまちのほうの専売特許なんだからいいだろ」
「よくないですよ」
ニカとゼリューが言い合っているのを横目に、シュンはひとまず言葉を交わす必要性のないことを確信し、食事に目を向ける。
ちらりとニィティラを見やると、彼女はちょうど結んでいた指をほどいてシュンを見返した。
「……とりあえず、今度からは変なことしないでくださいね。ほんとに」
「はいはい。で、ニィ、飯は?」
意外にも時間はかからず落ち着き、ゼリューは彼女に問いかける。
ニィティラはようやく一口目にありついたところで、そのままの無表情と無遠慮を暴力的に彼女に向けては、
「え、ないけど」
そう、新たな戦いの火蓋を切った。
*
「腹減ったなぁ……」
「因果応報というやつです。終わるまで我慢してください」
腹の虫を鳴らし続けるゼリューを横目に、彼女はシュンに向き直った。
「改めまして、私がトペリ王宮騎士団、団長のネフカと申します。これからあなたの事情聴取を開始します。」
「はい……」
シュンは面接をするような心持で、堅苦しいものは苦手だと表すような自信のない返事をした。
食堂、厨房の上を階段であがりロフトのような空間にて、四角いテーブルの一側面にシュンは座っていた。
シュンの前に座っている人物はゼリューと、ネフカと名乗った女性だ。弟と同様、銀の髪と青い瞳、青いブラウスとスカート姿で、腰に巻いたベルトには剣を四本さしている。
机上には資料を並べ、付近の机を使ってニカがまた多くの資料を並べて話を待っており、ニィティラは壁に寄りかかってあくびをしながらこの場を観察する係である。
「まず念のため訊きますが、あなたの名前は……?」
「────」
ネフカは万年筆をとって紙に立てるが、シュンは視線を落として無言を返す。
その問いをされるたび、脳内ではあの女と少年が現れて、どうにも進めなくなるのだ。
「……マ、まずは経緯を聞こうか。昨日の話の続きだ、キミが言っていたその三人組に何をされたか、言えるか?」
ゼリューが頬杖をつきながら、夜空の色の瞳をそっとシュンへ向けた。
シュンはそれをみて、視線を揺らして、指を組んでみて、震える緊張のなか、脳内で言葉を手繰り寄せて、やっとようやく、口を開いた。
「──あるいていたら……いきなり、強い風が吹いてきて、じぶんたちのいたらへんが霧につつまれて、気づいたらなんか、あの路地裏にいたんです」
どこまで説明をするべきかわからないため、足取りがおぼつかないような言葉選びを、シュンは繰り返す。
「そのときには気分がすごく悪くて、めちゃくちゃ吐いて、そのときなにか女のひとたちが言ってた気がするけど、耳鳴りがすごくて、何も聞こえなかって…………。おんなのこがひとりどこかに行ったとき、壁に叩きつけられて、首にナイフを向けられて、ほんとうの名前をいうように脅されたんです」
段々と言うことにも慣れてきたらしく、シュンの話す速度が上がる。
対するゼリューの態度はそのままで、ネフカは淡々とメモをとっている。
「それで、なまえをいって……あとは、たぶん、仲間のおんなのこに、まほうかなにかでねむらされて……、起きて、しばらくしたところに、あの、リアリさんが見つけてくれたんです。」
そこまで言い切って、そんな感じでした、なんて一応付け足して、シュンは一息ついた。
「……、こわかったか?」
「…………すごく。」
「そっか、よくがんばったな。ご褒美に飴やるよ」
うつむくシュンに、ゼリューは立ち上がり近くまでやってくると、懐から棒付きのそれを差し出す。茶色い包装のそれをそっと受け取った途端、彼女はシュンの頭を強く撫でて、突発的な風のように席へ戻った。
困惑するシュンに、ニカが微笑んでいる。
「じゃ、続きといこうか。具体的な部分を質問していくぞ……ネフ、なんかある?」
「あ、私が訊く流れですか」
ネフカは咳払いをした後、シュンにその青い瞳を向けた。
「では……その三人組の特徴について、おぼえていることはありますか?」
「とくちょう……、まず、じぶんが吐いているときにどこかにいった人のことは何もおぼえていなくて、じぶんを脅した人が、リーダーみたいだった。厚手のローブだけを着ている人で、髪が長かった気がする。その隣にいた小さな女の子も髪が長くて、頭に羊みたいな角が生えてた。わかるのは、そのくらい……です」
思い出しながら言語化をするだけになってしまい、つい敬語が欠けていることに気づいて、慌てて言いなおす。
「結構おぼえてるじゃねえか」
「だいぶぼけぼけですよ」
「それでも言葉にできるだけ良いよ。聞いててよくわかんなくなるけど」
「……それって、伝わって──」
ないですよね、と続けようとしたところで、ぼき、と何かが折れる音がした。
「──ねえさん?」
彼のその声を聞き、皆の視線が一斉にネフカへ集まる。彼女は俯いたままかすかに震えていて、握っている万年筆の先がひしゃげていることにシュンは気づいた。
おそるおそる彼女の顔をみる。
「さっきから、興奮が収まらなくて……、ないふとか、りいだあ、とか、ろおぶ、とか……」
ペン先から漏れるインクが机上に拡がることには目もくれず、
「それって全部、勇者語ですよね!?」
「へ?」
机に身を乗り出して言うネフカは、こらえきれない笑みをこぼしながら、困惑するシュンを置いてけぼりに新しい万年筆と小さなノートを取り出して続けた。
「今言った言葉の意味、全部おしえてください! できる限りでいいですので!」
「は、はぁ」
「こら、姉さん。勇者さまが困ってますよ」
ネフカのきらきらとした視線をニカが遮るように言うと、
「で、でも言葉の意味がわからなければ続けられないですよ、ニカ」
「それはまぁ、そうだけれど……すくなくとも、いまは落ち着いて、事情聴取に徹してください。あんまり困らせないでね」
「任せてください。ですので勇者様、よろしくお願いします!」
彼女はその言葉通りのまま勢いを弱めた姿勢で、シュンに向き直った。
なんだかやりにくい雰囲気をうまく呑み込めぬまま、ひとまずシュンは言われた通りのことを全うしようとする。カタカナ語のような外来語が伝わらないことは納得したが。
「ええと、まず、ナイフは刃物です。ちっちゃい剣、短剣みたいな……」
「もっと厳密な定義はあるのでしょうか?」
「──わかんないです」
嬉々として手帳にシュンの言葉を記入するネフカの目が、シュンには少しこわく映った。自身の無知をこれから無慈悲に荒らされるのだと本能が語ったからだ。
「あとは、リーダーっていうのは、群れの長みたいな、えらいひとっていうかんじで、この三人の中で、じぶんを脅してきた人がいちばんそれらしかったです」
「なるほどなるほど!」
「で、ローブっていうのは、ああ、なんていうんだろ。外套? 長い布一枚だけしか着てなかったです。」
「ふむふむ、なるほどですね! もっとよく知りたいので絵を描いてくれませんか?」
「えっ」
シュンの反射で出た声に、ニィティラがさらりと失笑した。
「姉さん……」
「いや、でも犯人の特定に役立つかもしれん」
「ゼリュー姉さんまで……たしかに、大事だけどさ」
女医が推すのもあって、シュンの前にネフカが手帳の一枚をびりと破いたものと、彼女の万年筆が置かれる。シュンは万年筆を手に取って、素直に紙に突き立てた。
「なんだ……? 犯人のひとの顔とか、あんまりおぼえてないんですが」
「姿をなんとなくでいいですので」
そう、何を描くかはっきりさせられたので、ぼんやりとした形をてきとうにかこうとするが、
「うわなんだこれ書きにくっ」
「この面を自分に見えるように向けるといいですよ」
「はぁ、なるほど」
インクすらうまく出せず、彼女らに見守られ難航しながら、シュンはそれを描き上げた。目は点、口も適当な弧を描いて、四角い身体は長方形のシルエットにして済ませたのだった。
「あと、ちっちゃい女の子のほうも描け」
「あぁ、はい」
ゼリューからまともな声で追加注文を受けたので、またもや適当に済ます。長い髪と、スカートのようなシルエット、ぐるぐるの角は描き方がわからないため、丸いものを頭にくっつけて誤魔化した。
「どうぞ」
「よし。全部済んだら売るか」
「な! だめですよ、貴重な文化財なんですから。ちゃんと刷らなきゃ……」
「量産はいいんだ……」
勇者の描いた絵というのもあり、金もうけを企む姉二人に唖然とするニカ。最初の堅苦しい雰囲気は、きれいさっぱり消えている。
「しかし、勇者を狙う犯罪者集団が若い女三人組とはな……、それぞれ何歳くらいだ?」
ゼリューは聞きながら、今の姿勢に飽きたのか椅子を百八十度回転させて、脚を開いて背もたれにもたれるように座りなおした。
「脅してきたのが二十歳前後くらいで、眠らせてきた女の子が小学校低学年くらい、五、六、七、八歳くらいですかね」
「そんな幼い子どもを犯罪に利用してるなんて……」
「逆に特徴的だ。最近大きな事件を起こした奴らで思い当たるのがある。ちょうどこの絵とも一致しているところもあるし」
「なんですかゼリュー。言ってみてください」
シュンの絵をじっと見ているゼリューを、全員が見る。
「あれだよ。ちょっと前に有名な金持ちの家燃やしたやつら。女が大中小そろってるから、“幼少女”とか呼ばれてたな。今回の動機が意味不明なのも合わせて、ボクのなかではこいつらがしっくりくるなと思ったが、みんなはなんかある?」
「言われてみたらわかるけど、はっきりそうとは言いにくいですね。三人組なのと、年齢もそのくらい、女の子の特徴も一致しているし、うーん……、」
ひとまず資料を見てみましょうか、とニカが付近の戸棚を開けて、新聞紙のような紙の束を出す。
「写真を勇者さまに見てもらって、そこから判断しましょう。ニィ姉さんも手伝って!」
「文字みるのヤなんだけど……」
「文句言わないの」
ニィティラが渋々ニカのもとへ行くのを横目に、三人は別の話へ移行する。
「ひとまず犯人の情報については彼らに任せるとして……勇者様はほかに何かされませんでした? 本名を言わされたこと以外で」
「なぁ、個人的な疑問なんだが、実名を尋ねられたのと、名前が言えないのはなんかあんのか?」
シュンはゼリューのその問いかけに、何の気なしに答えた。
「じぶんの故郷では、ふつうに本名で言い合うので。」
「あー、文化の違いか。」
「本で読んだ通りです」
ゼリューがすんなりと納得し、ネフカが再度目を光らせる。
今思えば、命の危機に際した場面でさえ、いくらでも偽名などで誤魔化せたはずだが、シュンには思いつきすらもしなかった。
「で、だ。他にされたことはあるか? 今のそれと、顔の傷、嘔吐、眠らされたこと以外。」
「思えば、そこからは何もされていないんですよね? いま、ここにいない可能性だってあります」
「それが不思議だ。本名を知られたのなら、例の筆を持っていて、こいつを操るためとかか?」
「もし、ゼリューの予想通りの目的なら?」
「……いつこいつが燃えてもおかしくないな」
入り組んだ話の寄り道先が、意外にも恐ろしい点を突くもので、シュンは身震いした。
ルーマに届いた手紙のようなもので、なんの危険も冒さずにシュンの周囲に影響を与えるためか。であれば、強制的な条件が降ってくるはずなので、すぐに身体が燃えるようなことはないだろう。それともただのブラフか。であれば、それはなんのために。
少なくとも、このシステムで絶対的な劣勢に自分は立っているのだとシュンは自覚した。
「まぁ、それは今のところどうしようもないから、話を戻そう」
「な! ゼリュー、どうしようもないから諦めるのは違うでしょう。今は勇者様をまもることが最優先です。不思議だからで済ましたら、騎士は失格なんですよ。」
ネフカはシュンの描いた絵を伏せて言うゼリューに、語気を強めて言った。
「わかるけどさ、犯人の目的も、居場所もわからないどころか、犯人が誰なのかもはっきりしない。いまそれを特定しようとしてんのはニカたちだ。ボクたちは分担して調査してる最中なんだよ。」
「……それは、そうですけど、」
「できないことを模索したって、どうにもならんだろ。ほら、やるぞ。」
「……、しかし、」
二人の必要な対立をぼうっと眺めながら、シュンは二回ほど寄り道を挟まれている問いの答えを探す。
ちょうどあったそれを背中に直接触れて確認しては、都合よく二人の諫めあいを静めるような心持で、シュンは口を開き、
「──そういえば、背中になんかあります」
「お」
「はい?」
二人同時にこちらを向くと、立ち上がって背を向け、服の裾を上げる。ゼリューが近づいてそれをのぞき込んだ。
「石だな、これ」
「いし?」
小さく埋まったそれは、水色を呈した、透明感のあるきらきらとした石だった。思わずシュンが訊き返す。
「多分魔力を持ったなんかだと思うが、生憎ボクは専門外だ。ニコセンは今いないしなア」
「命に関わるものじゃないといいんですが……」
ネフカは万年筆を執りながら心配そうに言い、女医がシュンに訊く。
「痛みはあるか?」
「あんまり」
「ま、動けてるならいいんじゃね。不自由もなさそうだし」
もうしまっていいぞ、と言って席に戻るゼリューに、ネフカは再度敵意にも似た視線を送った。
「本当ですか……?」
「一応、センセーに早く戻ってきてくれるよう頼んでみるよ」
「正直頼りないですが、お願いします。」
その会話に、些細な高揚を心の中で行って、シュンも席に戻る。おそらくニコセンや、センセーとやらも石に詳しいニコルグという人物と同一だろう。制限時間までに帰ってきて、例の石の話が聞ければそれでいい。
「で、他にはなんかあるか?」
「あとは特には……あ、」
ゼリューの繰り返す問いに、ネフカが切り出した。
「瞳も赤いし、勇者語も知っているので忘れかけていたんですけれど……勇者様、手紙はありますか?」
「──ヤギに食わせました。」
「は?」
シュンは話を早めるために素直に答え、ゼリューが困惑の声を上げた。思わず彼女らの背後で資料を読んでいるニカたちも、まるい目でシュンを見つめている。
「えっと、その、手紙を……?」
「はい。読めないので、なんかやけになって食わせちゃいました。」
「なんかって……、それもらったとき、落とすなとか言われなかった?」
「おぼえてないっす、申し訳ないですけれど」
ネフカとゼリューと、交互に来る質問を軽い調子で答えるシュン。このあたりはもうどうしようもないという諦観が、悪さをさせている。
「その手紙って、大切なもんなんですか?」
「そりゃまぁそうです。勇者様が勇者様であると証明するもので、ですから……、ああ、どうしましょう……。」
当然な疑問に頭を抱えるネフカに、シュンがそのままの表情で首を傾げた。彼女の横からニカが顔を出して、
「なんか、過去の勇者さまで手紙をヤギにくわせた人とかいないんですか?」
「いるわけないじゃないですか、だから今とても困ってるんですよ」
「ま、まぁでも勇者に足る証拠はあるだろ」
「あー、でも巧妙に容姿を似せた偽物の可能性も……」
「たしかに。攫われたときにそれっぽく成りすました別人を置いていったとか……」
三人はそれぞれの不安を展開し合う。
シュンはその光景を見ながら、何故ラディアが山羊に手紙をくべてしまったのかを考え、ニィティラは壁に立てかけている槍斧を手に、シュンを見つめた。
そこから間もなくして、シュンの肩に白い手が置かれた。
「だいじょうぶだよ。この子は、本物の勇者だ」
その台詞とともに、彼らの喧騒がぴたりと止む。視線は一斉にシュンの背後へ吸い込まれた。
シュンはなにがなんだかわからず、振り返る。いたのは白い男だ。音もなく在るその人物に、思わずわっと声を漏らしてしまう。
「えっと……それは、ほんとうですか? ジアさん」
ニカが訊く。
ジアと呼ばれた男は、白い肌、床まで垂れる長い髪、白衣、ほぼ全身白い様相を植物の蔦と白い花が絡んでおり、物理的な植物人間を体現している。縫われた瞼と笑みの形に留めた口が不気味である。
「証拠をみせようか」
そう言って、彼はシュンの手をとった。
「この世界の果てがいま、謎の瘴気によって汚染されていることは知っているね。そして、それを浄化するのが勇者の血だ。ここまではいいね」
つらつらと言葉を並べながら、懐からとある小瓶を取り出して机上に置く。中には、彼のまわりにまとわりついているようなものと同じ花がしおれた姿で液体に浸かっており、赤黒い変色をしており禍々しい様相を呈している。
「これは、ぼくが研究のために採取した汚染された植物だ。この子の血で元に戻れば、勇者だと証明できるだろう」
面々はじっと、彼を見つめることしかできない。
男は小瓶のコルクをやんわりと外して、シュンの指先に触れる。おとなしくしていてね、と言うと、何故だかすぐさま、シュンの指先からぽたぽたと赤い雫がこぼれだした。
「……?」
痛覚は感じぬまま、男に促されるままにそれをそのまま小瓶の上にかざし、血液を垂らすと、小瓶の中の液体に別の赤が広がり、沈むと、たちまち花の患っていた赤がかすむように消え、男を囲んでいるような元の白を取り戻しはじめるのだった。
シュンやネフカたちがただじっと、新鮮な納得感を得る最中に、彼は続ける。
「これでよくわかったね。この子は勇者だ。きみたちは事前に通達したように、この子の案内をしてあげなさい」
「──は、はい」
しんと静まり返った空間の中で、ネフカだけが困惑を含ませた返事をする。
「シュン、きみはあとで最上階にくるように。それと、それはあげるよ」
「えぇ……?」
さらりと紹介した覚えのない名前を呼ばれて、はっきりと困惑を返すシュン。妙なものを押しつけられ、正式に勇者の烙印を押され、納得をするのにも時間がかかるといったところだ。
彼が、この場を後にしようとシュンたちから踵を返したところで、
「ジアさん、それと、現状の報告を──」
「必要ないよ。この件についてはぼくも認知しているから、きみたちは心配しなくていい」
いつもより低い声の、ゼリューの言葉を遮って、言葉を述べながら階段をおりて行った。
いや、けれど、と彼女は広間の方を見渡して叫んだが、そこにはもう、男の姿はどこにもなかった。
*
じっと、食堂の近くにあったバルコニーのような場所の縁に上半身を乗せてトペリを眺めては、シュンは今日のことを振り返っていた。
あれからは各所の案内で自室、騎士団本部や訓練場、各所のトイレ、犬舎、等を巡って夕食を摂っては、すぐさま夕方である。
「結局、面倒事に引きずられるだけだったなぁ……」
こんな身ではあるが、王宮内であれば自由でいられる時間を得ることはできた。しかしながらこの世界の知識はまだまだ浅く、王とこの街を救う手立ては見つからない。
シュンはゼリューからもらったコーヒー味の棒付き飴を、喫煙でもするかのように口に含みながら独り言ちる。
「異世界召喚ってそんな甘くないのかもなぁ……、こういうの、最初はもっと簡単なクエストから始まるもんじゃないの……? 虹色のりんごを拾ってこいとか、虹色のいぬを連れてこいとかさ」
「にじいろのリンゴや犬がどうかしたんですか?」
「え?」
ふと、隣に昨日知ったばかりの声がして、シュンは思わず口を手で押さえる。今日はこんなことばかりである。
隣に来た少女──リアリが、一瞬だけ首をかしげて。
「ああ、ごめんなさい。よくわからない話をしているなぁと思って、気になって」
「いや、だいじょうぶですけど、……。」
正直なところ、大丈夫ではない。あの【契約】の内容を知られてはいけない且つ、存在しているかどうかわからないため、ここでそれらしいことを言っていたらこの街はいま爆発四散のところだった。
「……王宮はどうですか? 慣れましたか?」
「まぁ、それなりに。……リアリさんは、教堂のひとって聞いたんですけれど、どうしてここに?」
リアリはありきたりなことを問いかける。シュンはなんとなく会話らしいことを続かせるために、てきとうな問いを返した。
彼女は再度首をかしげながら、シュンの目を見つめて答える。
「どうしてって、昨日会う約束をしたからですよ。」
「……だれと」
「あなたと。」
シュンも、同じように首をかしげて、しばらく沈黙が流れた。
昨日の記憶は疲労しかない。とにかく怖がっていた自身しか、頭の中には見えない。ぼうっと考えながら、シュンは飴を咥えなおす。
「まぁでも、元気そうでよかったです。それで、あなたは勇者さま、なんですか?」
リアリは景色に目をそらしながら、なんだか幼い声をシュンに向けた。
「そうみたいです、よくわかんないけど」
「私も、勇者に関する仕事してますけど、よくわかんないです」
何故だか微笑むリアリに、シュンもなんとなく笑い返しながら。
「勇者関係の仕事って、何をするんですか?」
「えっと、なんていうんでしょう……。基本は、昔の勇者さまのお墓のお手入れとか、儀式とかします」
「神社の巫女さんみたいな感じかな……」
「よくわかりませんけど、ああいうのはたぶん、見てもらったほうがはやいですね。基本はルーマおじさんが担当しているので、説明が難しいです」
ふと、シュンの悩みの種が話の中から顔を出し、なんだか怯んだように固まって、彼女の視線を覗く。
リアリは、澄んだあおい瞳で、ぼんやりと橙に染まる空を眺めながら続ける。
「勇者さまの旅立ちの儀式とか、ルーマさんがやるんでしょうね。」
「…………そうなん、ですか」
心を落としたような返事をして、シュンも空を見上げた。
今度はそんなシュンを、リアリが見た。昨日の気分に逆戻りしたかのように見えたからだ。
「どうしましたか?」
「いやぁ、大層だなぁって。全部終わったら、家に帰してもらえるのかなぁって」
冗談じみたことを、信じ込んで滑稽なそぶりを見せるように呟いた。
「帰れるんじゃないですか?」
「え?」
揃って困惑した顔を、視線を重ね合う。
「もとの世界に、帰れるの?」
「流石に勇者さまの負担が大きいので、図書館にいる賢者さまが勇者さまの願いをなんでもひとつ叶える【契約】をするという話は聞きました。まぁ、勇者さまがどうやってこの世界に来たのかはわからないので、それはできるかどうかわからないですけど」
「それはそうだけど、いいことは聞いた。」
がり、と口内で飴の形を崩して、シュンは口を手で覆いながら笑った。
「その賢者さまっていうのは?」
「ジアさんという人です。なにしているかよくわからない人ですね。王宮の最上階の図書館というところに、基本います。いきなり現れたり消えたりして、変なひとですけど、なんでもできそうな人です」
「そんな雰囲気なんだ。」
意外にも彼女の言葉の中には変人どまりの感覚で、シュンは少しだけ安心した。図書館に来るように言われはしたが、得体が知れな過ぎて、正直恐ろしかったのだ。
「勇者さまの歴史をそばで見守り続けている人らしいです。あまり接点がないので、これくらいしか知らないですけれど」
「つまりは、不老不死のひと?」
「そうですね。あんまり信じられませんけど」
神妙な顔で返事をするリアリに、シュンは上機嫌な様子で縁を離れた。言葉をかけることを忘れている様子に、当然ながら彼女は困惑する。
「どうしました?」
「その人に呼ばれていたのを思い出したんで、ちょっと行ってきます。いろいろありがとうございました!」
「き、気をつけてくださいね!」
コーヒー味の棒を咥えながら、シュンは駆けだす。彼女には言葉足らずで申し訳ないが、いま激突している問題に転機が訪れたのだ。
その勇者の願いをなんでも叶えるという【契約】を利用して、どうにかしてもらおうという魂胆である。日本には帰りたいが、この大きな問題を払うには仕方がない。嘘でもなんでも、証明されて、安心ができれば、それでいい。
願いの内容の言葉を選びながら、王宮内の廊下を駆ける。見知った道から逸れた、図書館に通じるという螺旋階段をぐるぐると登っていく。手すりから顔を出して上を覗き、あまりの先の見えなさに吐きそうになる。味の落ちた棒をポケットに放る。
薄暗い空間をずっと、ずっと、ずっと、登っていく。一切止まらずに、目を回しながら、思考するのも忘れて、息を荒くさせて。
ようやく辿り着いた平坦な場所で、四つん這いになって必死に呼吸をし、多少の落ち着きを取り戻すと、シュンは目の前にある両開きの扉に手をかける。扉を開けると、広い空間が現れた。
背の高い本棚が並び、壁には蔦と花が絡まっている。左には大きな窓があり、今日の終わりを壮大に知らせていた。目につくそれ以外はほぼ、本である。
呼吸を徐々に落ち着かせつつ、目的の人物を探そうとシュンは辺りを見回しながら進む。しかし彼のいそうな場所など見当もつかず、てきとうに奥の方へと向かえば、
「よくきたね、シュン」
「……。」
背後から声がして、振り返る。
当然のようにそこにいる男をみて、もはや慣れたような感覚とともに、シュンは口を開く。
「……ほんとは賢者じゃなくて、忍者なんじゃないの?」
「ぼくのことはどう思ってくれても構わないよ。自由に呼んでほしいな」
「実際びっくりするから、知らないうちに後ろに立っているのはやめてほしいよ。あとなんで名前知ってるの?」
ジアは人形のように固まった笑みと、温度のない無機質な声で続ける。
「きみの都合のいいときに、ぼくはいるよ。名前はきみが言ってくれたのを、ぼくがおぼえているだけで、なにも問題はないだろう」
「言った記憶ないんだよなぁ……」
「それは残念」
首をかしげて、疑問符をつけているのかつけていないのかよくわからない話し方をしながら接近してくる男に、シュンは困惑と不気味さから同時に逃げるように彼から目をそらす。じりじりと距離を詰めてくる男から後退しながら、
「それで? 話って何? なんで目ぇ縫ってんの。こわいよ」
「ずっと昔からみえなくてね、あける必要がないんだ。けれどわかるから、だいじょうぶだよ。」
「だからこわいっつってんの」
話が進まないのでス、と立ち止まると、彼もぴたりと近づくのをやめた。本当に認識はできているようだ。
「……用件は?」
「これをきみに。手紙の代わりのようなものさ」
「また手紙?」
そう言って、ジアは懐から赤い帯のようなものを取り出して、シュンの肩を掴んだ。
「結んであげるから、じっとして」
「……はい」
何故だか気圧されて、言われた通りに立ち止まり、呼吸までも止めて、彼の行動をシュンは見つめる。
男は丁寧にそれを結ぶ。襟に帯がゆっくりと回っていくとき、シュンはなんだかそれに命を握られているような感覚を覚える。見覚えのある感覚である。
「はい、できたよ」
ジアがぱっと手を離すと、シュンは些細に彼から距離を置きながら訊いた。
「……これには、なんの意味があるの?」
「医者が白衣を着ているのと同じようなものさ。きみが勇者であるという証だよ。きみは、この建物の中にはまだ出会っていない人が多くいるはずだ」
「たしかにじぶんから勇者ですなんて言いたくないけどさ……これ寝るとき解いていい?」
「いいよ。みんなから顔を覚えられるまではつけていてね」
やはり表情は一切変えず、一定とした雰囲気で彼は答える。しーんとした空間の音をシュンは聞きつけて、じっとこちらを向く男に口を開いた。
「ジアさんの用件はそれで終わり?」
「そうだね。なにか、話でもあるのかい」
「ある」
一連の流れでやはりこの男は不気味であることが知らされたが、それでもシュンには言わなければならないことがあるのだ。
「じぶんが勇者としてこの世界を救うかわりに、あなたが【契約】で願いを叶えてくれるって、聞いたんだ」
「うん、そうだね。」
おそるおそる言うシュンに、ジアは軽快なような、不透明の相槌をした。
「それ、いま叶えてくれない?」
言い終えて、新しく言葉を選ぶ。
ここからは慎重にならなくてはならないのだ。単純明快に、あのことを厚い綿の塊に仕舞いこむ準備をする。次に険しい表情をしていたシュンの受け止めた彼の言葉は、
「だめだよ。きみの願いごとはすでに、叶えたじゃないか」
言葉を選ぶまでもなく、残酷だった。
「………………は?」
頭が真っ白になり、呆けた表情をするシュンは、嫌なにおいの焦燥を抑えるために続けた。
「なに……? じぶんは今日初めてあなたと会って、願いを叶えてくれる話も、ついさっき聞いたばかりなはずなんだよ……なのに、すでに叶えたって、おかしいよ」
「名前と同じさ。きみが忘れてしまっているだけだよ」
「じゃあ、なんて言ったんだよ」
弱々しく言うシュンに、男は変わらない笑みを返す。
「さぁね、どうだったかな」
その顔は、知っているとも知らないとも言わない。なにも読めない。
「じゃあ、いつ、どこでじぶんはそれを、あなたに言ったんだ。それも、じぶんが忘れてるっていうの?」
「そうだね。それに、ぼくにはきみとの【契約】を確認する必要はないんだ」
「納得できない!」
シュンは叫んだ。
「そこを秘匿するなら、本当に契約したかなんて、わかるはずないじゃんか」
「けれども、きみが納得するかどうかというのは大した問題じゃない。単純にきみは願いごとを忘れてしまっているだけで済む話のはずだよ」
「あなたにとってはそうかもしれないけど──」
「きみにとっても終わった話なんだ。だいじょうぶ、きっといつか納得できるよ」
無機質な声はシュンのそれを遮る。しかし都合のよい結論は、シュンにとっては理不尽でしかないのだ。
「なにが、なにがだいじょうぶなんだ」
拳の形に丸めた手を震わせながら、心のままに続ける。
「ああ、わかった、」
「わかってくれたかな」
「そっちじゃない。夢のなか、いやこの世界に来たとき、最初に出会ったのがあなただったんだ。声が似てる」
「たしかに、そうだね」
シュンは不安定な身体の内をなんとか落ち着けながら、頭の中を整理する。
「手紙のこと、勇者の証をここにくる道中で紛失したこと、怒ってるんでしょ。お仕置きのつもりで冗談を言っているんだ?」
「きみがそれで納得できるのなら、そう思うといい。きみの心の整理は、きみに任せるよ」
「そういうことじゃない!」
次の言葉を繰りだそうというとき、彼は背を向けて、
「どういうことでも、きみのそれは、結局はわがままにすぎない。用件は済んだろう、ぼくはいくよ」
「いや、まってよ! まだはなしは──」
シュンが手を伸ばしたが、瞬いたその次の刹那に、その姿はなかった。
残った手のついていない問題にシュンは、呆然とすることしかできなかった。
*
しばらく螺旋階段をゆっくりと下りながら、さきほどまでのショックと、この問題に向き合う心構えを再形成する。
いくらか回ったので、くらりと足をよろめかせながら、出口のドアノブに手を伸ばす。扉を開いて少し歩くと、食堂の前の壁になにかを貼っているニカの姿が目に入った。
「あ、勇者さま」
彼もシュンに気づいたので、シュンはなんとなく近づいてみる。
「さっきぶりですね、なにしてるんですか?」
「ちょうど、勇者さまがここで迷わないように目印を貼っていたんです。この矢印に沿って歩いていくと、勇者さまの自室につくことができます。」
「おー、ありがたいです」
「いえいえ」
さわやかに笑って言うニカは、貼り終わったそれをいくらか手のひらで押して、床に数枚重なったそれを拾い上げた。
「ほんとに、どこ歩いてるのかわからなくなるので助かります。」
「そうですよねー。住んでいる人も迷うので、この機に迷子が減るかもしれません。一部の場所は使う人しか行かないですし。」
「そうなんですか」
「ゼリュー姉さんとかしょっちゅう迷うんですよ。そういうときにニコルグさんが手を貸してるみたいなので、ちょっと心配なんですよね」
なるほど、てきとうに相槌をうって、シュンはしばらく他愛もない話に癒されることとする。
「ゼリュー先生は、結構迷う人なんですか」
「なんか、考え事をしながら歩いていたら、気づいたら知らない道にいるみたいです。まぁ迷子になっても結局ここは家なんで、深刻な問題ってわけでもないんですが、あのひとがお酒とか飲んだ後に、たまに廊下で転がっているのをみます」
「おいしゃしゃん……」
喫煙に続けて飲酒も趣味らしき医者の実態を情けなく思うシュンが、気の抜けた声を反射して、ニカが苦笑いを浮かべると、
「そろそろ僕、いきますね。勇者さまは他に、困っていることはないですか?」
「いや、特にはないです。いろいろ今日はありがとうございました。」
「いえ、勇者さまもお疲れ様です。」
頭を下げ、この場を後にした。
それに手を振って見送って、しばらくその場でシュンは呆然と立っていた。現実の中に戻されたような気がしたからだ。シュンの中にある二面性はどちらも現実であることには違いないのに、こんな時に限って、現実は常に嫌悪を示されているなどと気づいてしまった。
そして、背後から聞こえる声は、そんな寄り道さえ許してはくれないかのようだった。
「調子はどうかな。」
「……どうだろう」
じっとうつむきがちの視線を固定して曖昧な返事をするシュンに、おだやかな声の主は食堂の扉を開けて、
「すこし、話をしようか」
とだけ伝えた。
そのまま気配のなくなった彼と、壁に貼っている矢印をシュンは交互に意識して、結局ため息を吐いては、自身も食堂へ向かった。
がらんどうの、奥のカウンターの前に座り、グラスへ酒を注いでいる様子のルーマの隣にシュンは座る。
「きみも飲むかい?」
「……ちょっと、わからないです」
「じゃあ、注いでおくよ。いつでも飲めるようにね。」
ルーマは曖昧な否定を無視して琥珀色の酒の入ったグラスを差し出した。躊躇なく差し出されたそれに、シュンは困惑しながら、
「いちおう、未成年なんですけど……」
「関係ないさ。こういう日は、飲まなくてはやっていられないというものだよ」
都合を押しつける壮年に無理な納得をして、その液体を見つめた。隣では既にグラスに口をつけるルーマがいる。
「……あなたはまだ、じぶんに、殺されるつもりでいるの?」
「当然さ。退路がないんだ。仕方がない。」
「しかたないで、済ませられるかな」
「済ませられるよ。」
酒が入ったからか、楽観的に彼は言う。シュンは何故だか、この正気こそが、狂気かもしれないと錯覚した。
「もっとなんか、やりたかったこととか、ないの」
「そりゃあるさ」
「あるのに」
彼にとっては残酷な話であるのに、自身の正当化のためにシュンはそれを押しつけるように吐いた。
しかしルーマは、その穏やかな心持のまま答える。
「ニカに楽器をおしえたかった」
「……。」
シュンはただ黙って、その言葉を見つめた。
「たとえこのことがなくても、墓までもっていくつもりだったけどね。」
「いや、教えればいいじゃないですか。こうやってじぶんに押しつけているみたいにして」
「あの子は音楽が好きだけれど、強制したら嫌いになってしまいそうだからなぁ」
「だれだってそうでしょうに」
しかし控えめな姿勢のルーマに、横槍を入れずにはいられなかった。不機嫌をぶつけるように、感情論で、彼のそれを汚く利用している自分がいることを自覚しながら、しかしシュンはその姿勢を彼に向け続ける。
「それに、今日の夜と明日だけでは終わりそうにもない」
「別に今日明日で終わらせなくたっていいでしょ。一週間だって、一か月だって、一年だってかけようよ」
「それは無理だよ。」
「無理じゃないよ!」
叫んで、心の中に生まれたどうしようもないどろどろを吐き出すように、
「あなたはなにもしていないし、なにも悪くない。それがこんなにも確実に追い詰められるのは絶対に間違いで、あっちゃいけない。それに踊るあなたもよろしくないし、正しくない。これは絶対に、曲げない」
胸中でぐるぐると沸騰させた正義を伝えた。
真っ直ぐな赤い瞳をみて、ルーマは、ひどく冷静に空になったグラスに視線を落として、変わらない声音で答える。
「それは、きみもいっしょだろう。きみも悪くない。それがわかってくれたら、はやめに手を打ってほしい」
「わからないし、わかりたくない」
声量を押し殺してシュンは言い、彼は心を殺した声のまま、
「しかし、仕方がないことなんだよ。どんな形であっても、平和を得るためにはなにか代償が必要なんだ。いくら駄々をこねても、問題はなにひとつ変わらないんだよ。」
単なる駄々として扱った冷たい言葉は、シュンの思考を止めた。
「きみがわたしの立場になったらどうする? じぶんの命だけで乗り越えられる問題なら、それでいいと思うだろう?」
「──それは、そうかもしれないけど……それはそれとして、明らかな不条理は認めないし、命がかかっているなら尚更だよ。まだ粘りたい」
語気の弱まった勇者の心をじわりと追い込めるように、ルーマは続ける。
「それに、わたしはこれが嘘だったとしても、このまちをまもれたと思って死ねるんだ。きみにとっては単なるわがままかもしれないけど、それは誇らしいと思うんだよ」
「そんなのきれいごとだ。あなたのそれは、きっと、正義じゃなくて、じぶんを言いくるめるための独りよがりだ」
「ここでの正義は、完璧に問題を解決できる方法を実行することだよ。幸いにも方法はある、今からでも遅くはない」
「違う!」
幼く甲高い声をきんと響かせて、感情論での悪あがきをするシュンに、ルーマは一切の嫌悪を示さず耳を傾けている。
「理想ばかりみてることも、じぶんが未熟だってこともわかってるんだ。それでも、抗いたいよ……! どこかに抜け穴があるかもしれないじゃんか。」
「だいじょうぶだよ。きみは、勇者だ。その心がいまは、わたしにとってなによりも尊い」
「まだ勇者じゃない!」
シュンは立ち上がり、叫んで、カウンター上にあるひとくちもつけていないそれをルーマの前へ滑らせて、その心の行きたいように胸に手を当てた。
「じぶんは、しゅんって名前です。本名だから、きみって名前でもよかったんだけど」
「あ、ああ」
唐突な話題の変化に困惑するルーマを横目にシュンは独りよがりを続ける。
「だから、なんかわかるまでちゃんと待ってて、それかまだ探してほしい。ほんとうにあなたが死ぬ必要は、どこにもないと思うんだよ。」
グラスから手を離し、背を向けては
「だから、諦めないでよ!」
捨て台詞を吐いて、彼の顔さえ見ずにシュンは走り出した。逃げ出した、というほうが近いらしかった。
ぽかんとその背を見つめる壮年は、残されたそれを手にとり、上げっぱなしの口角を下げて、ようやくため息を吐いた。
*
ふわふわと心地のいい気分で、しかし心の底に残る憂鬱をどうにかしなければという思いは晴らせなかった。それでも普段の憂鬱よりはだいぶましである。
やはりそんなことをずっと思いながら、壮年は、いつものように階段を下る。
薄暗い王宮のなかをちらちらと目新しいそれが、死神の居場所を暗示しているが、殺意がなければ意味がない。今はとにかく待つしかないのだ。
しかし、心の中で嘆いているわけにもいかない。シュンの言った通り、この状況を打開する方法を、言葉以外でなにか考えなくてはならない。
そんなときだった。
なにか、軽いものが壮年のつま先に触れた。静かにそれは転がって、彼の一歩も満たない歩幅の先で、拾い上げられる。
「筆……?」
やけに古い、ぼろぼろのそれを、壮年は見つめて呟いた。
あまりにも不可思議な状況のそれは、すぐさまあの問題へと絡みつく。これはもしかして、例の遺物ではないかと。であればなぜここに。
ルーマは辺りを見回す。誰もいない。静かな空間が、思考の中へと彼を意識させる。
当然の疑問は払われ、ひとまず、壮年はそれを持って、道を引き返し始めた。そそくさと今日、勇者と出会った室へ入っては、ぼんやりと空間を照らす棚のなかにある赤い光に目を向け、
「──やってみるしかない。」
と、それに手を伸ばして、机へ向かった。
てきとうな紙を広げ、引き出しからは絵具をさがして取り出しては、些細な量のそれを机上に垂らす。荒れた頭の筆を濡らして、絵具を掬っては紙に向き直った。
始祖の遺物らしき腐りかけのそれは、噂通りなら、誰かの直筆署名を介さずに【契約】を結べるということだ。たとえこれが偽物で、ふざけた行為として終わってもいいのだ。手紙もまた見返して、筆を動かす。
すべてをなかったことにできる可能性がある。【契約】をした相手となら、再度契ることでなかったことにもできるのだ。
「────」
ルーマの手がとまる。であれば、書けないのだということに気づく。自分の本名は知っているとしても、顔も見たことのない相手の本名など、知る由もない。呼び名すら、記されていないのに。
だとしたら、渋々ともうひとりの可能性を探る。
──じぶんは、しゅんって名前です。本名だから、きみって名前でもよかったんだけど。
頭の中に、甲高い声が反芻する。そばにおいた赤い炎を見つめた。
そして、筆を執り、勇者の名前を記した。自分の心がずっと、肯定してきたことだ。
「……。」
本文はすらすらと思いついた。書き上げて筆から手を離すと、炎の入った瓶を手に取った。この炎を持っている理由も、この筆を拾った理由も、奇妙な運命だと思いながら、疑いさえ忘れて、その炎を紙に落とした。
燃える紙は灰を落とさず、炎は机に移らず、ただ使命を全うするかの如く、静かにそれだけを溶かす。
赤い揺らめきのなか、知っているその現象をゆるやかに理解して、壮年は呟いた。
「──すまない」
あとがき
小説を書くのが難しい。さも当然のことであるが、いやほんとに難しい。日記を書くのをやめたからかな。
というのも旧版のこのあたりは自分でも気に入っていなかったので、かなり練り直した次第。土台をしっかりしないとどうしても足もとに気を取られて、続きが書けない。その苦しみを払うためにも、文字数を多少膨ら増しても、安心をとったほうがいいという考えのもとでした。
それにしてもなんだか少しミステリーの予感がしてきて、なんだこれ、となっている。最近は「ハンター×ハンター」とか、「デスノート」のアニメを観ていたのでその影響もかなり出ていると思います。一定の時間を消費して物語を浴びることができるアニメは強い。小説は書くのも読むのも体力がいります。そう考えると絵ってあまり報われないなァ。個人的には絵の方が生み出すのに労力が要る。かといって創作者はめちゃくちゃいるので、一瞬一瞬に気を取られるのも勿体ない。最近はいろいろのことにうつつを抜かしてばかりで、時間がありません。
そんなわけで、次回がほんとうに一区切りです。シュンの誕生日が四月中にあるので、その日を目安に投稿しようかと思いますが、全然五月にする可能性があります。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。




