3
動きやすい服に着替えて、夜、こっそりと寮を抜け出しました。
長い寮生活の中でこんなことをしたのは、初めてです。
辺りは真っ暗でしたが、寮から十分に離れるまで明かりはつけず、勘で歩きました。
何度か躓いて転びそうになりつつ、王宮の庭へと続く林に入ってから、持ってきた魔石ランタンをつけました。頼りない明かりでも、足元が見えるようになったので、先ほどよりは速く歩けそうです。
もう、月が昇り掛けている。急いで、フィルマン殿下の元へ行かなくては。
―――辿り着いたガゼボでは。
月の薄明かりに照らされ、ガゼボの柱にもたれて月を眺めるフィルマン殿下がいて……一瞬、エミリアン殿下かと勘違いしそうになりました。
ドキッとして、思わず足を止めてしまいました。少ししか似ていないと思っておりましたが、背格好はそっくりですわね。
わたくしに気付いたフィルマン殿下は、すぐにわたくしのそばへ。
「こんな暗い中、ここまで来させて悪かった。大丈夫だったか?」
「はい。……それであの、さっそくですが、朝、仰った件を詳しく教えてください」
「まあまあ、まずは、座ろう」
性急なことは分かっておりますが、早く教えて欲しいものです。
わたくしはもどかしい気分で、ガゼボの椅子に座りました。すると、フィルマン殿下はわたくしの横に立ち、わたくしの椅子の背に右手を置いて、左手でわたくしの両手を握りました。
「フィルマン殿下?」
思わず身じろぎして、殿下の手を振り払おうとしました。
が、殿下の力が強くて出来ません。
「離してくださいませ。何をなさるのです」
「ベルティーユ。エミリアンはね、あの平民の少女と恋仲だよ。卒業式で君と婚約破棄をし、あの少女と結婚するつもりだ」
「は?」
なんですって……?
いきなり衝撃的な話を聞いて、驚き硬直するわたくしに、フィルマン殿下はさらに言葉を続けました。
「でも、本来はそれが正しいストーリーだ。……ねえ、ベルティーユ。何故、君は商会を立ち上げなかったんだい?いつ、私のところへ商会立ち上げの相談に君が来るかと心待ちにしていたのに、いつまで経っても来やしない。私は心配でずっと、ハラハラしていたよ」
「なんの……話ですの?」
わたくしは混乱したまま、フィルマン殿下を見上げました。
フィルマン殿下の灰色の瞳が、熱っぽくわたくしを見つめております。
「ああ、やっぱり……君は前世の記憶がないんだね、ベルティーユ?そうじゃないかと思っていたんだ。……仕方がないから、強制的に私が正しいストーリーにすることにしたよ。始めるのが遅かったせいで、かなり無理をする必要があったけれど」
意味が分からない。
分からないけれど、ゼンセですって?
まさか、フィルマン殿下もゼンセとやらの記憶を?
「もしかして……エミリアン殿下が急に変わったのは……あなたが……」
フィルマン殿下がうっすらと笑いました。
わたくしは、訳もなく背筋がゾッとしました。
「変わったんじゃない。本来のエミリアンになっただけさ。君が献身的にそばで支えるものだから、馬鹿王子に育つはずだったのが、すっかり立派な王子になってしまった。まったく、馬鹿げている……」
「リアンに何をなさったの!元に戻して!!」
わたくしは大きな声を上げ、フィルマン殿下の手を思いっ切り振り払いました。
そして、急いで立ち上がろうとしたものの―――突然、周囲の植物が伸びてきて、わたくしを椅子に縛りつけました。
魔法!
一体、どこに隠し持っていたのか……フィルマン殿下の手には、杖があるではありませんか。
「ベルティーユ……目を覚ますんだ。君も正しいルートに戻らなくちゃならない。馬鹿なエミリアンを追放し、私と結婚して共に国を治めるというルートに」
「ふざけないで!こんなことをしておきながら……貴方が王になるなんて有り得ないわ!」
「いいや。間違った話を元に戻すだけだ、何もおかしな話じゃないさ。……ああ、暴れないで。困った子だ、あまり抵抗するようでは、強引な手段を使うしかなくなる……」
口ぶりだけは残念そうに―――しかし、目は愉悦に細められて、フィルマン殿下は懐から手の平ほどの振り鈴を取り出しました。
古びた振り鈴です。
不思議な模様が全体に刻まれています。
カラン。
その振り鈴が、フィルマン殿下の一振りで鳴った瞬間、わたくしは目の前が一瞬で真っ白になりました。
体も、動きません。
これは……何?
耳元で、フィルマン殿下の囁く声だけが聞こえてきました。
「これは、王室の聖魔道具だよ。人に暗示を掛け、思い通りに操る。人の尊厳を踏みにじる道具だということで、もう随分昔に封印されてしまった。だけど、これはきっと私のために用意された道具なんだろうな。今こそ使うときじゃないか。歪んでしまったストーリーを、正しい形にするために。さあ、ベルティーユ。私の言葉だけを聞いて。君はエミリアンを捨て、この私、王弟フィルマ―――」
バチン!
突然、白い世界に稲妻が走りました。
「っ痛!」
「ああ、良かった。間に合った。……まさか、僕のベルに手を出すとはね。ふうん、あんたが諸悪の根源だったんだ?」
「エミリアン……!」
さあぁぁ……と視界が晴れ、わたくしの拘束も解けました。
目の前には、腕を押さえ膝をつくフィルマン殿下の姿。その腕からは、血が……滴っています。
状況を掴めないわたくしの横に、誰か来て―――優しく椅子から抱き上げられました。
「リアン!」
「怖い思いをしたよね。助けに来るのが遅くなってごめん。もう、大丈夫だから」
以前と変わらぬ、思わず見惚れるようなエミリアン殿下の笑顔がわたくしに向けられ。
……思わず涙が出そうになりました。こんなことくらいで泣きそうになるなんて、きっと、フィルマン殿下の暴挙に恐怖を感じていたせいだわ。しっかりしなさい、ベルティーユ!
そんなわたくしに、殿下はそっと額に口付けを落とします。今までにない甘い行動に、わたくしは動揺してしまいました。
「え、あの、リアン……あの……」
そしてその間に、騎士たちがフィルマン殿下を取り囲んでいます。騎士に囲まれたフィルマン殿下は、真っ赤な顔でエミリアン殿下を睨みました。
「お前……どうやって暗示を解いた……!」
ふふ、とエミリアン殿下は笑いました。
見慣れた笑顔と違って、少しだけ不穏で、不敵な笑み。ちょっとドキッとしました。
殿下が、こんな顔をなさるなんて。
「いきなり僕で試すのは不安だからって、試す相手が偏りすぎたね。いわゆる"攻略対象者"が急にミラに惚れ始めたから、何かおかしいって思うのは当然だろう?ま、彼らはみな優秀で有力な高位貴族だ。もし、あんたが王位に就こうとするなら彼らの親ともども面倒な相手。僕と一緒に潰したかったってところかな……?」
「お前……もしかして、お前も前世の記憶が?!」
「ああ、そうさ。……残念だね、前世の記憶持ちがあんた一人じゃなくて。でも、前世の記憶があって本当に良かったよ。あのマンガを元にしているとすれば、急に人が変わる原因は簡単に分かる。マンガでは、確か、卒業式にあんたにやり込められたエミリアンが、宝物庫に封じられた聖魔道具を持ち出して国王を操ろうとするんだっけ。そのときに使う、人の精神を操る聖魔道具。それが原因だ、と。ま、マンガでは使う寸前に取り押さえられるけどさ。そしてエミリアンは哀れ、追放処分に……」
「それが!それが正しいストーリーだろうが!てめぇ、原作改悪しやがって……!」
急にフィルマン殿下は乱暴な言葉遣いになり、暴れ始めました。
しかし騎士たちに押さえつけられ、地面に倒されました。それでも、彼は叫びます。
「くそっ、くそぉっ!ふざけんな、お前は主人公じゃねぇんだよ、主人公はベルティーユでヒーローは俺だ!やられ役はおとなしくやられてろよぉっ!」
「うわぁ、嫌だ、あんたの前世ってチンピラ?……言っておくけど、別に僕は何も悪いことをしていないよ。改悪なんてとんでもない。単に王太子に相応しく真面目に勉学に励み、浮気もせずベルティーユを大事にしただけだ。でも普通ならそれが当たり前のことじゃないかな。それで誰も処罰されたり追放されたりせず世界が回るんだから、何が間違っているというんだ?これこそが、もっとも平和で望ましい形だろう?残念ながら、それを歪めようとしたあんたは、それなりの罰を受けることになるけどね」
ふわっと天使のような微笑みをエミリアン殿下は浮かべました。ただ、その目はとても冷ややかな光を放っています。辺りが凍りつきそうなほどに。
フィルマン殿下を抑えている騎士たちも、その目を見て一瞬、体を震わせました。
嗚呼、でもわたくし……嫌だ、ゾクゾクしちゃう。わたくしのリアンにこんな猛々しい面があったの……?
「許さねぇ、許さねぇぞエミリアン!!」
エミリアン殿下の視線を受けても、真っ赤な顔でまだ罵声を上げるフィルマン殿下。
しかし、エミリアン殿下はわたくしを抱いたまま、さっと踵を返してその場を後にしました―――。
エミリアン殿下は寮へ戻らず、王宮の一室へ。
部屋に入るなり、すぐに侍女たちが温かいお茶を用意してくれました。
部屋についてからは、エミリアン殿下はずっとわたくしの横に座って手を撫でています。先ほどフィルマン殿下に魔法で縛られた際、手首などが少し擦れて赤くなってしまったようです。
やがて廊下が騒がしくなり……陛下がいらっしゃいました。
急いで立ち上がり、礼をします。
「ああ、良い、ベルティーユ。楽にしなさい。我が愚弟の蛮行を聞いた。大事ないか?」
「あちこちが赤くなっています」
わたくしが答えるより早く、エミリアン殿下が怒りを含んだ声で言いました。
わたくしは慌てて首を振りました。
「いえ、これくらい大丈夫ですわ」
「大丈夫じゃない。……ベルの肌に傷をつけるなんて。殴っておけば良かった」
「リアンよ。お前はベルティーユが絡むとすぐに見境がなくなるな。落ち着きなさい。……あれは許されぬ重罪を犯した。その罪に相応しい罰を与えられるよ」
「……はい」
そして……陛下は今回の件について、簡単に説明をしてくださいました。
エミリアン殿下が、"学友の様子がおかしい、聖魔道具が使われているかも知れない"と言い出し、宝物庫を調べたそうです。すると殿下の懸念通り、聖魔道具の一つ、振り鈴がなくなっていることが判明。使える者はほとんどいないはずだけれど、使われたら大変なことになる。
なので、すぐに大捜索が行われました。
しかし、誰がいつ持ち出したかさえ分からない。
そのため密かに調べつつ、聖魔道具が陛下やエミリアン殿下に使われる危険性を考えて、それを解くための術式も用意していたのだそう。
「でも、もし僕に使われた場合、すぐには解かず様子を見ようという話になっていたんだ。なにせ敵の目的が分からなかったからね。一人の少女に夢中になるだけなんて、誰になんの益があるのか、意味不明だろう?まさか、ミラ嬢が逆ハーを望んでいるとも思えないし」
エミリアン殿下は、陛下の説明に続いてそう言い、私の手を一層、優しく撫でました。
ミラ嬢は聖魔道具紛失が判明したときに取り調べされ、すでに潔白であること、また盗んだ何者かと繋がりがある様子もないことが分かっているようです。
そもそもミラ嬢は、高位の男子生徒に言い寄られて脅えていたのだとか。
……考えてみれば、当然ですわよね。高位貴族に嫁ぎたいと考えていたならともかく、普通に過ごしていて急にモテ始めたら、気味が悪いことでしょう。彼女の立場では、拒否することも出来ないでしょうし。
わたくし、妙だなと思ったときに少しミラ嬢と話をしてみるべきでした。
元平民で、そのうえ途中編入だから特に親しい人もいない彼女の不安はどれほどだったでしょう!同じ女性として、級友として、さらには未来の王妃として、わたくしも立ち回るべきでした。
自分のことばかりで、ミラ嬢のことを考えていなかったわ……。
深く反省をしていたら、エミリアン殿下はわたくしを覗き込みました。
「ごめんね。ベルには辛い思いをさせたと思う。……それとも、僕が他の子と話してても気にならなかった?」
そう尋ねながら、いつもの捨てられた子犬のような目をなさいます。
途端にわたくしは、先ほどまでの反省する気持ちをどこかへ放り投げて、殿下の手を握り返しました。
「そんなはず、ありません。……わたくし、どれだけ悲しかったか……」
「良かった。ベルに嫌われたら、僕は生きていけないから」
まあ。
それを言うなら……わたくしだってそうだわ。今回の件で、殿下のことをとても大事に想っていることを実感しましたもの。
「わたくしがリアンを嫌うなんて……そんなことありませんわ」
「うん。それでね……ええっと、僕は、二日前に王宮へ来たとき、聖魔道具を使われたようなんだ。でもそのとき、振り鈴の音を聴いたあとの記憶が全然なくて。僕についていた王家の影も振り鈴の影響を受けたらしく、犯人を捕まえるどころか誰かも分からないままだった。それで当初の予定通り、僕に掛けられた魔法を解除せず、様子見をしていたんだ」
だけど、今日、わたくしが夜になって寮を抜け出したことから、急いで掛かっている魔法を解いて、追いかけてきたそうです。
もしわたくしに異変があったら、殿下が対処するので他の何よりも優先して魔法を解くようにと、影に命じていたそうです。
「そうですか……。わたくしにも、王家の影がついていたとは知りませんでした」
「当然だよ。だってベルにも聖魔道具を使われる可能性があったからね。……実際に使われたけれど」
本当に無事で良かった……溜め息のように呟いて、エミリアン殿下はわたくしを抱き締めました。
その向こうに、所在無げな陛下の姿を見て、わたくしは慌てました。
「リ、リアン。あの……」
「ああ、良い、良い。私はそなたの様子を見に来ただけだ。そのまま少しエミリアンと話して、今夜は王宮に泊まっていきなさい。もちろん、エミリアンに不埒な真似はさせんから安心していい」
陛下の苦笑混じりの言葉にわたくしは恐縮しましたが、エミリアン殿下はますます腕に力を込めました。
「あんなことがあったあとなのに……ベルと離れるなんて、心配で出来ない」
「エミリアン」
陛下が珍しく厳しい声を出し、殿下はしぶしぶわたくしを離してくださいました。
ふふ……わたくしを助けに来てくれたときは、今まで見たことがないくらい荒々しかったのに。
こうしてみると、やっぱり、わたくしの可愛いリアンだわ。
その後。
フィルマン殿下は王族籍を剥奪され、遠い地の修道院で残る一生を過ごすこととなりました。
エミリアン殿下とわたくしは、無事に学園を卒業し、もうすぐ結婚です。
今日は結婚式で着るドレスの最終調整をし、終わってからエミリアン殿下と庭でのんびり散策です。フィルマン殿下の件以降、二人で過ごす時間はほとんどなかったので、ちょっとホッとしますわね。
「ああ、早くベルと結婚して、ずっと一緒にいたいよ」
「ふふ。結婚したからといって、四六時中、一緒ではないでしょう?リアンは王太子としての仕事、わたくしは王太子妃としての仕事があるんですから」
「えー……それじゃあ、一緒の部屋で仕事をしない?」
口を尖らせながら、そんなことを言い……殿下はわたくしを抱き締めました。あの一件以来、殿下のわたくしへの密着度はかなり上がった気がします。悪い気はしませんけど。
「ねえ、ベル?僕はさ。結構、執着心が強いんだ。この間の件で、隠していた僕の黒い面をベルに見せちゃって……嫌われるんじゃないかって心配してた。でも、ベルは変わらなくて……ホッとしたよ……」
あら!
そんな心配をなさっていたの?
わたくしは……殿下のちょっと悪そうな面を知って、かえって魅力が増したと思いましたのに。
わたくしがそう告げると、殿下は更に気まずそうに視線を彷徨わせました。
「えーと……えーと、実は九歳のとき、王宮でお茶会の予定があったんだけど、僕はそれを中止にしたんだ。マンガでは、そのときにベルが前世を思い出す流れだったからさ。だから、その、つまり、ベルが前世を思い出す機会を僕は奪った訳で……」
「まあ!」
思わず、わたくしは吹き出してしまいました。
「リアンがゼンセを思い出して話が変わったから、それはもういいのですわ!」
わたくしまでゼンセを思い出したら、ややこしくなるのではないかしら?
とにもかくにも、エミリアン殿下のおかげで今は幸せですもの。ゼンセなんて、別に思い出す必要なんてありません。
「リアン。幼い頃に誓いましたよね?わたくしは生涯、リアンを愛し、支え続けますって。たとえ黒いリアンでも……それは変わりませんから」
「ふふふ、ありがとう、ベル。大好きだよ、これからもずっとそばにいてね?」
「ええ、もちろんですわ。リアンの方こそ、浮気は駄目ですのよ?」
エミリアン殿下の鼻を軽くつついて、わたくしもぎゅっと殿下を抱き締めました。
そういえば、わたくしは"悪役令嬢"だと殿下から最初に言われたんでしたっけ。もしかしたら"悪役令嬢"になるはずだったわたくしを、殿下が変えたから……殿下が"悪役"王太子になっちゃったのかしら。
だとしても、それこそがわたくしたちに相応しい形なのかも知れませんわ!
軽い短編を書くつもりだったのに、びっくりするほど長くなってしまいました。
どうせならもっと個々のエピソードを厚くして、もう少し長い話にした方が良かったかな……。
とにもかくにも、読了、ありがとうございました!
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