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3話ほどの短いめの話です
色とりどりの花が溢れる王宮の庭園で、八歳になったわたくしは初めて王太子のエミリアン殿下とお会いしました。
少し癖のある銀色の艶やかなお髪、理知的な輝きを秘めた美しい夜明け色の瞳……完璧で素敵な婚約者の姿に、わたくしの胸はドキドキしました。
殿下となら、きっと物語のように幸せな結婚が待っているわ、と子供らしい夢想に浸っていたら―――思いがけない言葉が殿下から発せられました。
「うわ……出た、悪役令嬢だ……!」
「は?」
気のせいかしら?
悪役と聞こえた気がするのですけど。
初対面で、まだお互いに名乗ってもいないのに、どういうこと……??
わたくしはベルティーユ・ド・ガランス。
公爵家の生まれです。
美しい金の髪と、青空のような澄んだ青い瞳をしております。なかなかの美少女だと自負しております。
さて、王太子殿下と改めて自己紹介を済ませたあと―――殿下は恐縮するように身を縮めてわたくしに謝ってくださいました。
「申し訳ありません、驚きのあまり、つい……変なことを……」
「悪役令嬢と聞こえました。たとえどれほど驚いたとしても、咄嗟に言うような言葉に思えないのですが」
このような席で、わたくしとて咎めるような言い方はしたくありません。だけど、そのまま流してしまうことも出来ない言葉です。
なるべく語気を荒げぬよう、静かに問いました。殿下はビクッと震えて、泣きそうな顔になりました。
まあ!
まるで、わたくしが虐めたみたいではありませんこと?
「ご、ごめんなさい……!」
「別に謝って欲しいとは言っておりません。ただ理由をお聞きしたいだけです。巷では、わたくしはそう思われているのですか?」
殿下に問いつつも、わたくしは自分の身を改めて振り返りました。
悪役……と言われるほど悪いことをした記憶はございませんが、我がままな面があることは否定できませんわね。たびたびお父さまから注意はされていますし。
それに、この婚約の話もわたくしの望みで進められているようなもの。
だって……我が公爵家に釣り合う婚約者となれば、どうしたって限られているんですもの。その限られた相手の中で、エミリアン殿下が一番わたくしの好みだったのだから、仕方ありませんわ!
ちなみに、わたくしの周りには王太子殿下以外にも、宰相閣下のご子息、近衛騎士団長のご子息、魔術師団長のご子息、さらに隣国の第二王子殿下───と、わたくしと同じ年で家柄的にもピッタリな相手が不思議なほど揃っております。
だけども、みな、あまり容姿がわたくしの好みではないのですわ。
王太子殿下お一人だけが、ど真ん中の好みなのです。そうなると、これはもう、婚約者に名乗り上げるしかありませんわよね?
ということで、わたくし、全力でお父さまにお願いをいたしました。そしてお父さまは、もちろん、わたくしが可愛いので、ちゃんとお願いを聞いてくださったという次第です。
ですけれど、無茶なお願いではありませんことよ?
まだ若輩者ですが、王太子妃に相応しい教養と知識は順調に蓄え中でございます。とても八歳とは思えないと教師たちにも褒められました。
容姿に関しても、自信はあります!
そして、当然ながら今後も努力は怠りません。
それと……たとえわたくしが王太子殿下を見た目で選んだとしても、以後は敬愛し、常にお側で支えて行く決意をしております。
こんなわたくしは、決して悪役では……ありませんわよね?
殿下はオドオドと視線を彷徨わせ(王太子としては、やや問題アリな仕草です)、最後にぎゅっと目を瞑りました。
「僕……僕、ゼンセの記憶を持っているんです!君と婚約したら……僕、転落人生が待っている!」
「はあ?!」
どういう意味?
淑女にあるまじきことですけれど、わたくし、思わず叫んでしまいましたわ。
結局、殿下が取り乱して泣き出したため、お茶会はお開きとなりました。
王妃さまから、うちの息子を何故泣かせたの?という非難の眼差しを受け、お父さまからは、こんな王太子で大丈夫かと心配されつつ、わたくしは屋敷に帰りました。
うーん……婚約の件、考え直すべきかしら。王太子殿下、ちょっと変かも?
でも、王太子殿下の顔は本当にわたくし好みなのよねぇ。泣いた顔も可愛くて、わたくし、不覚にもときめいてしまいました。
さて、婚約の話を白紙に戻すかどうか考えているうちに、王太子殿下が謝罪しに我が家へ来てくださいました。
「先日は大変失礼をいたしました」
「いいえ。……というより、結局詳しく話してもらえなかったので、気になっているのです。今日は話してくださいますか?」
殿下は悲壮な決意を秘めた目で、こっくりと頷きました。
―――僕は、前世の記憶を持っています。
前世とは、今より前の生のことです。こことは違う世界で僕は生きていたんですけど、コウコウセイ……えーと、17歳でコウツウジコ……まあ、事故で亡くなりました。
それで……えっと、僕の前の世界にはゲームやマンガというものがあるんですけど、その妹が持っているマンガに、今の世界とそっくりなものがあって……
そう言って殿下が話してくれた内容は、はっきり言って荒唐無稽な話でした。
その書物の中のわたくしと殿下は、婚約者同士。そして、わたくしはゼンセとやらの記憶を持っている(つまり今の殿下のような……ということですわね?)。
で、ゼンセの記憶によると、将来、殿下は平民の女性と恋に落ち、わたくしとの婚約を破棄して平民女性を虐めた罪でわたくしを断罪をするのだとか。なので、わたくしはそれを回避しようと幼少期からいろいろ準備をする。
最終的にわたくしは無事に断罪を回避、代わりに殿下を追放する―――という筋だそうです。
ええ??
婚約破棄のときに断罪って何ですの?
平民の女性にわたくしが嫌がらせをしたせいで断罪されるそうですけど、嫌がらせくらいで処刑をする?
意味が分かりません。
そして、断罪回避して殿下を追放するというのも、目茶苦茶です。国が乱れるではありませんか。
「それ以前に、わたくし、前世とやらの記憶はないのですが」
「これから思い出すんじゃないですか?」
「……その物語の中の殿下も、前世の記憶があるのですか?」
「あ……それは無かったですね」
ポカンとした顔でお答えになるので、わたくしはつい笑い出してしまいました。
「では、もうそのお話通りではありませんわ。何も心配なさることはないでしょう?」
「まあ……そうですけど」
少し情けない顔で殿下は眉を下げます。
ああ……憂いを帯びたその表情、やはりわたくし好みです。中身はちょっとアレですけど、でも、おっとりとしていて素直な感じは良いですわね。
やはり、わたくしの婚約者は殿下が良いわ……。
それならば。
「ねえ、殿下。それでは、わたくしも殿下も処刑や追放にならない未来を、共に築きませんか?」
「共に……?」
「ええ、そうです。これから先、わたくしがゼンセを思い出しても思い出さなかったとしても、絶対に、殿下を追放する選択は取りません。わたくしは生涯、殿下を愛し、支え続けます。今、ここで誓いますわ。ですから殿下も将来……平民の女性が好きになった、婚約を破棄しようなんて言わないでくださいませ。もちろん、わたくし、殿下から愛されるよう頑張りますから」
そっと殿下の手を取って、上目遣いで切なげに訴えてみました。
殿下はすぐに顔を赤くして、わたくしの手を握り返してくださいました。
「は、はい!だ、大丈夫です、マンガの中のあの少女は、全然、僕の好みではなかったので!ど、どちらかといえば、あなたの方が好みです!」
……まあ。なんてことを大きな声で仰るのかしら。
でも、もし殿下の荒唐無稽なお話が本当だとしたら、ゼンセの記憶のおかげで―――殿下が将来、平民女性と恋に落ちる可能性は消えたと考えて大丈夫…なのよね?
ふふふ。それは、喜ぶべきことですわ。
わたくしのことを好みだと仰ってくれましたし。
これはもう、二人の幸せな未来を目指して全力で努力しますわよ!
ということで、わたくしとエミリアン殿下は婚約をいたしました。
なお殿下のゼンセの件は、わたくしと殿下だけの秘密です。ま、誰も信じないと思いますけれどね。
それからのわたくしたちは、王太子・その婚約者として、お互いに努力する日々となりました。
たとえば、王族は聖魔道具という国の守護を担う魔術具を使いこなせるようにならなければなりません。
王族以外の貴族は、それぞれに合った杖を使って魔法を行使するのでそんなに難しくはないのですが、聖魔道具を動かすのは杖とは感覚がまったく違うらしく、なかなか難しいそうです。
ちなみに聖魔道具は、剣や盾もあれば、鏡や杯もあります。全部で十二ある聖魔道具は、それぞれに違う用途があり、国の危機の際はそれらで国を護るのだそうです。
もっとも現在はそのすべてではなく、使うのはもっぱら八つの聖魔道具のみ。
起動させ、動かせることが、王族の一員たる証となります。
エミリアン殿下は魔力は多いのですけれど、扱いがあまり上手くはなく……魔力操作の得意なわたくしが他の魔術具でコツを教えたり、実践してみせたり。何度も音を上げそうになる殿下を励まして、普通の魔法も、聖魔道具も使いこなせるようお手伝いしました。
反対に、殿下はかなり勉強が得意でしたので、わたくしの苦手な教科は丁寧に教えてくださいました。
殿下はとても教え上手な先生でした。わたくしの他の教師よりも何倍も。
ああ、それと!
殿下はゼンセの記憶とやらのせいで、どうにも、気弱で引っ込み思案な面があります。わたくしは、そのたびに殿下を叱咤し、宥め、手を引かなければなりません。
特にわたくしと二人だけのときは、すぐに泣きそうな顔になって尻込みするのです。
「僕は、陰キャなんです。人前とか、苦手なんですよぉ!」
「王太子ですのよ?!その、インキャとかいうのは理由になりません。わたくしが横についておりますから、しっかりなさいませ」
一方わたくしも、すぐ侍女に怒ったりしていたのを、改めるようにしました。
そうするようになって初めて気付きましたが、わたくし、わりとよく怒っておりました。
……こ、これが将来、悪役と言われる要因なのかも!?
しかも一度、わたくしがとても怒っているところを殿下に見られたのですけれど……その瞬間の殿下の恐怖に慄いた顔といったら!
さすがにわたくしも落ち込みました。
幸い、そんなわたくしを見ても婚約解消はされませんでしたが、もう二度と殿下を怯えさせる訳にはいきません。これからは、微笑みのベルティーユと呼ばれてみせますわ!