070:夢幻の花
鼻口に香るのは、ほのかに甘く心地の良い花々の息吹。耳を澄ませば、気持ちよさそうに靡く植物の喜びさえも聴こえる。
懐かしい空気、暖かな陽光に包まれているかのようなこの感覚に浸ると、今自分が体感しているこれは夢なのだと実感しては感傷的になってしまう。
もはや失われたあの場所。大切な、あの花畑。大好きだった人たちの声が聴こえる……
『 そうだ。お別れの前に折角ですから一つ助言を、カイル君。これから先、ずっと一緒にいたいと思える程に大切な誰かと出会ったら、このお花をプレゼントしてあげてください。きっと、喜んでくれますよ 』
差し出されては、当時幼かった俺の視界一杯に広がっていた、輝く金の稲穂花。
『 ちょっとカグラ、それはいきなりすぎ!! 』
『 でも、ヒイロさんからこのお花を貰ったネアさんは凄く嬉しそうにしてたって、ジンさんが…… 』
『 あ、あのジジィ。余計な事ベラベラ喋りやがって……あぁッ、もういいわ。いい?カイルよく覚えておきなさい 』
優しいけど、ちょっと口調が強くてたまに怖いお姉さんは耳まで真っ赤にしてて、それは子供だった俺にも分かるくらいに照れているようであった。
『 こ、この花はずっと一緒にいたい、たた、た、大切にしたいと思った女の子にあげるの!!……うん、きっとカグラの言ったようにそれをカイルからコレを受け取った子はきっと、喜んでくれると思うわ 』
そう教えてくれたお姉さん。その後ろで沢山一緒に遊んでくれた黒髪のお姉さんも優しそうに微笑んでいた。
『 おぉぉい、なんだここにいたのか。お、カイルも一緒か?なんだなんだ、なんの話してたんだぁぁ 』
『 あ、ヒイロさん。はい、お花のお話を……ネアさんが貰ってうれ 』
『 ああぁぁーーーッッ。そ、そうだ、カグラまだ出発の準備ちゃんと出来てなかったわよね!!?私手伝ってあげるから、さっ、行きましょう、ねッッ!!? 』
『 なんだよ突然叫び出して、情緒不安定か? 』
『 うっさい、ヒイロは黙ってなさいッッ!! 』
『 ふふふ…… 』
懐かしい、あの輝いていた一時。
全てが満たされていた、俺にとってかけがえのない思い出……あの日の温もりは、もう二度と手に入らない……ーーーー
「 ……ん、うぅぅん……くぁぁ…むにゃ 」
本能的な伸びと共に意識が夢の世界から返ってくる。それによって先ほどまで感じていたものとは違う、しかし変わらず心地の良い気温や周囲の香り。
( ん?……しまった、寝ちゃってたか )
あまりの心地良さに瞼が我儘にも労働拒否しているかのように、重くて開かない。
合わせて長期休み後の初日出勤のようにボゥっとして働かない頭もなんとか動かして、眠りにつく前の光景を朧げに思い出す。
( あれ?俺ベンチに座ってて、そのまま寝落ちしちゃってたんじゃ……なんで、横になってるんだ? )
後頭部には上等な枕でもあるのか、柔らかくて温かな気持ちの良い感触。感覚的に身体が石のベンチに寝ているのが分かるが、何故そうなってるのかは分からない。
これは勘だが、おそらく今の状況は身の危険という程ではないと思うので、もう少しこのまま心地良さに身を委ねていたいという気持ちが強いが、そんな「働きたくないでござる!」とばかりに駄々をこねる瞼や脳に「うるせぇ働け!!」と喝を入れては、無理矢理にでも覚醒へと持ってゆく。
「 ん、んん……ッッんん!!? 」
そうして開かれた世界。少しボヤけた後ハッキリと映し出されては視界の半分を埋めるその予想外かつ衝撃的な光景。それは……
MUNE……OMUNE!!!
「 ーーーッッ!!? 」
その刹那、不意打ちの顔面パンチを受けてしまったかのような強烈な衝撃で頭が一気に覚醒する。
首を少し持ち上げれば、我突貫いたす!!とばかりの超至近距離にある二つの膨らみ、これはマズイですよ先生!!
当然俺は混乱している。男の子ですからね!!?
「 あっ、あぁ……し、しんきんぐタ〜イム!! 」
僅かに残った冷静で急いで推測を開始。
すぐに分かるのは、髪と胸板には暖かくて白く細い綺麗な手のようなモノが這わされるのと、目覚めてからずっと後頭部にある柔らかくて心地いい感触ッッ!?
それらを組み立てて思考をなんとかまとめてみるに、たぶん寝落ちしてしまった俺へ、ルイスが大胆にも膝枕をしてくれたといった所だろうか?
しかしこの、あまりにも無防備すぎる体勢、加えて動揺する俺を膝にしていながら、何も返ってこない反応からこの幼馴染、たぶん寝ちゃってます!!
この植物園凄く心地良いもんね、仕方ないね!!
とはいえこんな状況、すぐにでも脱出しなければ危うい……具体的に何がとは言わん!!とにかく危ういッ!!!
身体を起こせば必然、突貫。なら寝たままの姿勢でこの状況を脱するしかないッッ
伸ばしていた両足をベンチの端で折る。これなら力を加えれば滑るように全身を動かせるはずだ……良し
慎重にしかし確実に肉体を動かす……その刹那!?
「 ……ふ、ふぇふぇ。つっっかまえたぁぁぁ 」
「 だ、だにィィィィィ!?ぎゅうわァァ!!? 」
不吉の象徴とばかりに耳にするのはルイスの寝言。するとそれに合わせて胸に這われていた手が咄嗟に動き出したかと思うと、それは一直線に俺の喉元を捉え締め上げる。
髪に回していた方のそれもしっかりとそこにある黒束を掴んでは、グィッと引っ張りだした。
「 ふ、ふぇふぇ……晩御飯のウサキとったどぉぉぉ……むにゃむにゃ 」
「 ぴ、ピィィィィィィ!!? 」
引きちぎらんばかりの万力を込められる髪に、寝てるはずなのにフルパワーで締められる首。それによりまともな発言が出来なくなり、図らずして捕まった動物とばかりの悲鳴しか上がらなくなる。
夢の中でまで狩猟してるぞ、この幼馴染!!?ウサギ食べれる系のワイルドウーマン!!
「 ぐ、ぐぅぅぬぬ……し、死ぬ 」
「 う〜ん……むにゃ……ん、ふぇ?? 」
神は(たぶん)言っている。ここで死ぬ運命ではないと……
ギリギリと締められる首。そろそろ呼吸が限界となり冗談はここまでにしとかないと!?というタイミングで奇跡に救われる。ようやっと眠り姫がうっすらと目を覚ましてくれたようだ。
無意識に込められていた力が抜けていき、ようやっと自由に吸えるようになる酸素。
変わらず首に手、髪を鷲掴みという捕縛された状態だが、そんな中、寝ぼけた顔つきのルイスと目が合う。
「 ふるふる、僕悪いウサギじゃないよ 」
「 へ?これって……あぁ……成る程。ごめん 」
流石は長い付き合いだ、一瞬で君の寝相が起こした悲劇を理解してくれたようで嬉しいよ!!
相変わらず膝枕のままといった状態だが、もはや胸がドキドキな童貞心などはもうなく、変わりに「やっちゃった〜」と苦笑いを浮かべるルイスが可笑しくて……温かくて、安心から面白くなってきた。
「 ふふふ、あははは 」
「 な、なに?突然どうしたの?……ふふふふ 」
そんな俺の笑いに釣られて、ルイスも笑顔を浮かべ始める。
そうだ……子供の頃のあの温もりはもうない。その寂しさが消える事はないだろう。
でも、だからこそ今あるこの愛おしい温もりを俺は大事にしないといけない。
もう失わないように、今度こそ守り抜きたいんだ。
そうして少し、俺としても一頻り笑い合って満足したので、またベンチに隣掛けるように座り直しては大きく身体を伸ばす。
軽く見渡すと外はもうすぐ夕陽になろうかとしてる程か、少し空模様が変わってきているようで、どうやら中々に長居してしまったらしい、立ち上がっては特に汚れてるわけでもないズボンをポンポンと払う。
「 よし、それじゃあそろそろ帰るか。ルイス今日は連れてきてくれて、ありがとうな。凄く充実、大満足だよ。また来ような 」
ニィっと笑いながらそういうと、ルイスは「うん」の言いながら続くようにベンチから腰を上げるのだが、そこでまたしても耳まで真っ赤にしてはなにか口篭ってしまう。
流石にそれは気になるというか、無視出来ないですよ幼馴染。疑問と共にその顔を覗き込んだ。
「 どうした?……もしかして寝てる間に俺なんか言ってたり、とか? 」
「 う、ううん。違うのッッ……あのさ、カイル!! 」
もじもじとしてたと思いきやグィッと唐突に距離を詰めてくる幼馴染の気迫に「お、おう」と押し負けては少し後ずさってしまう。これじゃあ数日前にあった森での夜と同じだ。
綺麗な女の子が対童貞とのコミュニケーションにおいて、先手距離を詰めてくるなんてド卑怯だぞッッ人の心とかないんか!!?
「 ステイ、ステイ!!ちょ、ちょっと近いですよ、ルイス選出。身体に触れたらイエローカードだす、から……あっ 」
「 え……どうしたの、カイル? 」
手をアワアワとしては、なんとか至近距離のルイスを離せないか試みようとするそんな中、視界の端。僅かに映った遠くにあるそれ、うっすらとしか見えない、しかし確かにそこにあるモノに、俺の意識は強制的に吸い寄せられる。
思わず息を呑んだ。口から出かけていた言葉は咄嗟に止まってしまい、気がつくとベンチに置いている荷物、そして突然不審を開始した俺を心配してくれる幼馴染の声さえもそっちのけで歩き出してしまう。
「 ちょっと、カイル!!どうしたの?こっちに何が……ッッ 」
辿り着いた、美しく咲き靡くその花々の前で片膝をつく。気のせいか、それと同時に背後にいるはずの幼馴染も咄嗟に口を閉ざしたような気がする。
ゆっくりと伸ばす手は、何故か震えていた。
そうして手の平の中で微かに靡く金の稲穂花。それはさっき夢で見たばかりの思い出の一つ。
「 ……懐かしいな。こうして触れたのは、あの時以来か 」
感傷が心を満たす。何故だか、温かかったはずの周りが少し……寒い。
「 カイル……ラロイズの事、知ってるの? 」
不意に背にかけられたルイスの言葉で我に返っては、頭までどっぷりと浸ってしまっていた感傷からなんとか抜け出す、同時に頬に感じてしまうのは恥ずかしい、温かな感触。
嘘だろ、この歳になって無意識にお涙ポロリって……見られないように慌ててそれを袖で拭っては、心配をかけまいと笑顔で幼馴染へ振り返った。
「 へ、へぇ……この花、そ、そんな名前だったのか!!流石はルイスだ。よ、お花博士ッッ 」
続けて「ははは」と笑うが……うん、自分でも分かる酷い空元気だ。当然そんな俺へルイスは心配そのものを向けている。
流石にこんな過去との再会なんてのは予想外で、突然のこれを前に心を取り繕うなんて難易度が高すぎる。誤魔化すことが出来ないなら、いっそ話したほうが良いかもしれない。
そう決めはするが、それとは別に自分の情けなさに一つため息が出た。
「 昔……ウィルキーに来る前まで、よく見かけてた好きな花だったんだよ、この花……話、遮ってごめんな。懐かしくて、つい近くで見たかったんだ 」
もはや上手な作り笑いなんて出来ない。でも真顔だとか悲しみは出したくなかったので無理にでも苦笑いを浮かべる。すると、ルイスもゆっくりと隣で膝をついては目の前の花を優しそうに眺め始めた。
「 そうだったんだ……私は前に植物園に来るまでこの花の事は知らなくてね。だから少し調べたの 」
ヤバい、またお涙が勝手に湧き上がってくる。すぐ隣の幼馴染はラロイズをそっと触れては言葉を続ける。たぶん、必死に情けない顔を見せたくないと動いている俺の方を見ないのは彼女の優しさなのだろう。
「 この花は、人の手があまり加わっておらず魔素が濃い高原付近でしか咲かない希少な種なんだって……人神歴が始まるよりも前からある、古代エルフ族が特に大切にしていた花…… 」
やはり隣のルイスを直視するのが恥ずかしくて適当に首を巡らせてみると目につく説明看板。それを簡単に読み取るに、今俺たちの目の前にある花達は再現した謂わば品種改良種であると書かれており、それを知ったからか少し寂しさを感じつつも心は軽くなる。
「 へぇ〜古代エルフ族がねぇ……って事は、魔法に関わる薬品の材料とかに使ってたのかな?まぁ、みるからに輝いてて特殊な見た目だしな 」
そんなようやっと出た俺の軽口に、幼馴染は「ううん」と首を横に振る。その声が穏やかで静かだったのが気になってしまい思わず、顔を向けてしまった。
金の稲穂花に照らされて、息を呑んでしまう程に美しいルイスの横顔。安らかな表情を浮かべるその顔で何を思っているのかは分からないが、何故か視線がこの幼馴染から外せなくなる。
不意に、彼女の白い手が地面につけていた俺の手に添えられてドキッと胸が高鳴る。
ゆっくりと視線を合わせてくるルイスに、変わらず目が離せない。
「 この花はね、愛を告げる花なの……想いの告白と共に、契りを誓う際に添えられる愛の花 」
「 ………へ、へぇ 」
通常なら、初めて知った思い出の花。その意味に驚愕する所だが、今はそんな余裕すらないらしい。
うるさい程にバクバクと暴れている心臓、加えて時がゆっくりと流れているかのような錯覚からか、今の俺にはルイスの言葉を待つ事しか出来なかった。
「 カイル……あのね? 」
さっきまでと同じ、耳まで真っ赤な顔つき、しかしそこにはこれまでのような羞恥などは欠片もない、決意のこもった美しい表情が灯っている。
それがあまりにも綺麗で、呼吸の仕方が分からなくなる。けど、胸が苦しいのはきっと上手く酸素を吸えないからじゃないのだろう。
重なった手と視線。流れる沈黙。
もうなにも茶々なんて入れない、彼女が、ルイスが何を伝えたいのかきっと俺は聴かないとダメだと思ったから、口を閉ざしてより激しく鼓動する心臓がいよいよ飛び出してきそうな感覚に耐えながらも真っ直ぐにその目を見て真意を待つ。
「 カイル、私は………ぐすっ、もぅなんで?? 」
「 ふぇ??? 」
そんな息が詰まる中、真意を告げようとするルイスはしかし、不意に視線を何処かへと向けると、一瞬にして決意のこもっていたその顔付きをふにゃりとした泣き顔へと変えてしまった。
おいおい、どうした!!?
慌てて振り返り、ルイスが見たであろうナニカを確認しようと試みる。いや、試みるまでもなく、それはすぐに視界へと映った。
第一印象は『Y』。ブカブカのコートを羽織りスカートを身につけた黒髪の女性が「何も見てない」とばかりに目をギュッと閉じ上を向いては、両手を空へと広げ直立しているという謎の光景。
「 ………木です 」
「 いや、無理があるでしょう 」
するとそんな『Y』は、ダバァという音が聞こえそうな勢いで「タイミング最悪でごめんなさぁぁい」と涙を流しながら泣き叫び始めるのであった……ーーー




