068:凍える夜に
それは彼女ーーイヴリン•アンジュリーナが騎士団の団長に座するよりも前。
シンシンと降り積もる雪によって一帯が細かやかな白に上書きされながら、その季節を表現しているウィルキーの町中を、彼女は周囲を満たす静寂を乱すように荒い呼吸を繰り返しては白く凍る吐息と忙しく吸い込む冷気によって痛む喉さえも無視してひたすらに走り続けていた。
目的地は『ウィルキー総合病院』であり、数月もの間生死を彷徨う程の重症に苛まれ、眠りについていた親友が目を覚ましたとの一報を耳にし、居ても立っても居られなかったのだ。
そんな彼女の疾走が雪や凍結程度で阻まれるなどあるはずもなく、時間を置かずして到着した病院へ勢いよく駆け込む。
本来であるなら周囲に広がる夜景の通りその日の時刻は既に遅く、患者との面会は後日にと釘を刺され帰宅を促されていただろう。
そうされなかったのは、毎日激務である騎士団の職務の合間を縫っては足繁く通うその献身さに胸打たれた医師や看護師たちが温情をかけてくれたからだ。結果彼女は呼吸、そして身に付けた衣服さえも乱れた不恰好で親友ーーメリッサ•ベルクスの病室へとなんとか辿り着く。
「 はぁ、はぁ……はぁ。め、メリィーーッ!? 」
そうして扉を開けると共に大粒の汗を幾度も流し肩で息を繰り返す彼女の目に映ったのは、多くの包帯が巻きつけられた痛々しい半身をベットから起こしては、窓から入る神秘的にさえ思える月光に照らされる親友の姿。それはボゥっと呆けて外の凍える雪世界を眺めており、突如として現れたイヴリンに僅かに驚愕しながらもすぐにいつもと同じ優しく柔らかな微笑みを浮かべた。
「 あっ、イヴちゃんだ。ダメなんだよ〜こんな遅くに病院にきちゃ〜 」
「 メリー!!……良かった、本当に良かった。心配したんだぞ、こっちはッッ 」
目を渋めたい程の痛々しい一見に反して変わらずの口調、そしてふんわりとした雰囲気に安堵しては溢れ出ようとする感涙をなんとか我慢して笑みを返す。
「 ふふふ、知ってる?イヴちゃん。气流力使いは死を身近に感じる事で、自らに巡る力をよりハッキリと認識出来るようになり、更に強くなると言われているのだよ〜つまり私は前よりも数段パワーアップしたのです!!ぐっふふふ 」
「 はいはい、強がらなくていいから。それに本当だとしても、もう勘弁しておくれ心臓が何個あっても足りないよ 」
そうして彼女は親友が横たわるベットの隣まで足を運んでは、切望していた、たわいもないありふれた談笑を楽しんだ。
学生の頃よりメリッサとの交友を続けているイヴリンにとって、この時間こそがなによりも幸福を感じる時であり、これを失う恐怖に苛まれていた永き数月間。日々大きくなっていた不安が杞憂となった喜びに彼女自身気付いていないが、談笑の中で不意に我慢できなくなり溢してしまう涙の粒。それをメリッサは愛おしく感じては、やはり優しく微笑む。
「 さて、それじゃあそろそろお開きにしよう?じゃないと、先生たちに怒られちゃうよ? 」
「 そ、そうだな……あの、メリー。その前に一つだけ聞きたい事があるんだ 」
友としての時間はあっという間に過ぎ、その日の別れを告げようとする前に、イヴリンは歯切れ悪く言葉を向ける。
当然そんな反応に病人であるメリッサは不思議そうに頭を傾けるが、それを目に彼女は『騎士団員』としての役割を口にした。
「 メリー。目覚めてから直ぐに付き添いをしていた団員からされた聴取の報告。そして加害者であるギルド長『ウィル•クルーザー』からの証言照合は終わっている。だが、本当にこの怪我は決闘による名誉の損傷だと言うのか?……私には、信じられない。だって、お前はそんな……ッ 」
「 イヴちゃん 」
熱を上げ言葉を続けようとする彼女の名をメリッサは静止の意味を込めて鋭く呼ぶ。その声色は先程までの柔らかな言葉を発していた者と同一人物とは思えない程に冷たく、静かなものであった。
予想外の、そしてなにより初めて見る親友の暗く重い何かを感じさせる雰囲気に彼女は咄嗟に言葉を失ってしまう。
「 私は气流力を極める者として無謀にもギルド長に決闘を挑んで、負けた。それが全てです。この怪我はその代償。だから誰にも非はなく、私が弱かったという結果があるだけ、それで全部だよイヴちゃん 」
一瞬で纏う雰囲気を戻したと思えば、一息で迷いもなく続けられる言葉。でも、それが嘘だと彼女には分かってしまう。
いつものように笑っているつもりなのだろうその綺麗な顔付きにはしかし、隠された哀愁•愛憎、複雑で様々に入れ混じった感情が僅かにだが露わになっており、それは寂しさを感じてしまう美しくも哀しい微笑みとなっていた。
きっと何か大きな悩みを、問題を抱えている。それは自らの命を容易に捨てるという選択すらも取れる狂気を生み出す闇そのものであり、しかしおそらく誰にも手助けすることが出来ない心の難題。
それを長い仲から感じとり理解できてしまったが故に、友の助けにさえなれない。その奥深くに根付いた闇を拭う事の出来ない自らの不甲斐なさに彼女は心の中で涙を流す。
「 分かった……じゃあ、また明日来るよ。おやすみ 」
そんな情けなさに打ちひしがれ、流れそうになる涙をなんとか堪えては、笑顔で病室を後にしようとする。しかし、その扉を閉める寸前、また窓の外を見ようと首を動かすメリッサの顔付きに見えてしまった友のものとは思えない程の一瞬の修羅。
明らかな殺意、憎悪によって鋭さを増したそれを目にしてしまった彼女は逃げるようにそこを後にした……ーーー
ーーーーーー
「 はぁ……… 」
今より7年も前の記憶を鮮明に思い出しながらも、ため息を吐きながら、手にしていた学生の時卒業記念にと、メリーと一緒に撮った写真を納めた小さな額面を机に戻す。
「 団長?お疲れですか?? 」
不意に、そんな私を見てか同じく夜勤の為騎士団兵舎で事務作業をしてくれていた団員の一人が心配を投げてくれる。
ハッとして顔を上げると他の者たちも同様に優しさを向けてくれており、すぐさま私の心は申し訳なさで打ちひしがれた。
「 す、すまない皆んな。少し考え事をしてしまって業務を怠ってしまっていた。本当にすまない 」
素直に謝罪をし頭を下げる。皆はそれぞれに「そんな時もありますよ」や「気にしてないですよ」など励ますような、それくらいで責めないとばかりに口を揃えてくれるが、これは私の落ち度だ。貴重な仕事時間を無下にしてしまった。
ダメだな、最近は同じ事ばかり悩んでしまう……
首を振り、気持ちを切り替える。
「 みんな、コーヒーでも飲まないか?お詫びに用意させてもらうよ 」
今は雪の季節という事で、夜勤は特に冷え込む。兵舎には暖炉やランプもあり、中の明るさと一定の暖こそあるが身体を中から温め癒してくれる飲み物は嗜好の存在だ。団員であるなら誰でも手に取れるハーブティーもあるが、それよりも自腹でストックしているコーヒーの方が美味しいのは確実。
喜ぶ者や遠慮を口にする者それぞれだが、構わず全員分のコーヒーを用意し振る舞う。そうして皆が嗜好を味わう事で安らぎをその顔々に浮かべているのを目に満足しては、近くに掛けていたコートを手に取り羽織った。
「 団長、いかがなさいましたか? 」
「 少し早いが、街の見回りに行ってくるよ。歩きたい気分でもあってね 」
そう口にし、団員たちの「お気を付けて」との声を背にもらいながらも外に出ると、直ぐに目につくのは綺麗な月明かりと、それを受ける白の街並み。
その見た目の通り、気温はかなり低く凍える身を丸めるようにしては白い息を従え、発展により昔とは僅かに変わってしまったここに少しの寂しさを感じながらもゆっくりと歩みを進める。
最近、メリーの……親友であるメリッサ•ベルクスの様子が明らかにおかしい。おそらく時期で言うなら地下でソリチュードを仕留めて以降からか……
本人は隠しているつもりらしいがどこか暗い表情が多くなったし、何かを思い悩んでいる仕草をしているのを何度も目撃している。
それを分かっていながらも、なにも出来ない。まるで7年前のあの日のように……
力になりたいと本人へ直接相談したこともある、けどいつも話をはぐらかされては逃げられるばかり……
私は、メリーの力になりたいんだ。
もう…メリーが目を覚まさないかもしれないと不安で仕方がなった、あんな数月なんて二度と体験したくない……嫌なんだ。傷ついてほしくないんだ。
「 どうしたらいいのだろう…… 」
どれだけ歩いたか、不意に呟きが漏れ思わず足を止めてしまう。そして満点の月に向かって「はぁ」と白い息を吐く。
……って、ダメだダメだ。
またしても職務をそっちのけにしてしまっていたことを自覚して、急いで頭を横に振って再び思考を切り替える。
そんな中、不意に視界の端で僅かに動く影。
「 アレは……? 」
距離がかなりある為、目を凝らして見てみる。相手は私に気付いていないようで、雪の景色に混ざる事のない黒のコートを身につけた、体型的に女性だろうか?
しかし次の瞬間、月明かりが解答を用意してくれていたように照らされることより判明する見知った顔。
アレは……メリー!?なんでこんな時間に?こんな場所で?
今いるここは町の端であり、彼女の住居からも病院からも遥かに距離がある。そこに疑問もあるがなにより……ッッ!!
「 あの顔付き……7年前と同じ 」
病室を出て扉を閉める瞬間に見た、遠くからでも分かったあの修羅の表情。それを浮かべ建物の影へと消えた親友。
……追いかけよう!!
何故そう思ったのか、それを考えるよりも先に身体は動いてしまう。私はメリーを追いかけるように音を殺して足を急いだ……ーーーー




