058:花畑
中央都市研究部附属植物園。
訪れる客人からささやかな入場料を頂き、研究費の足しとして運営されているそこは、その堅苦しい名称や公開されている一般的に地味と思われても仕方がない植物に関する研究内容からか、少し前までは毎日閑古鳥が鳴き続けてる状況であった。
植物の研究に全ての情熱をかけている研究員たちにとって初めはそれでも良かった。
しかし、それぞれが自らの生活費。特に食費を削ってまで職務に没頭し続けた結果、エルフ族の血を引き森心術が使える訳でもないのに何故か自分には草たちの声を聴けると騒ぎ出した者が現れた事で皆考えを一転する事になる。
そうして栄養失調で次々と入院者が増える中、現状の金欠事情を改善させる為に捻り出された、研究としての結果を得られつつも一般の見学者にも好意を持ってもらえる施設。
それこそが、最近になって造られた第三棟施設『実験用植物栽培温室』と名付けられた天井の代わりにドーム型の魔力を常に展開しているという特殊建築物であった。
中央都市研究部・魔導術式部門と提携を結び、植物園からは両部門の実験に必要となる広大な土地を提供。
加えて研究員たちが執念で所長の不倫を突き止めては、奥さんにバラすと脅すことで引き出させた多額の隠し資産を用いて建築されたそこは皆の悲願を達成することに見事成功し、多くの市民に好まれる施設となり、結果そこで働く者達はようやっと歯が折れる心配が不要である柔らかいパンを口にする事が出来るようになっては涙を流したのであった。
施設としては、直線距離だけでも端から端まで歩くと人によっては1時間はかかるであろうかという程に広大であり、中心に立てば四方を見渡しても目を薄めなければ果ては見えずらい事だろう。
それほどまでに巨大な内部であるにも関わらず、頭上でドーム状に薄く展開されている魔力結界によりその気温は常に一定で安定しており、すごしやすく心地の良い環境がそこにはあり、その恩恵を生かし、実験の為と通路を除くあらゆる場所には珍しい花や植物などが栽培されては、癒しを求めてそれらを観に訪れる客人の心と研究員たちの細く弱きりってしまっている胃袋を豊かにしてくれている。
そんな植物園に、正午という事で到着までの道中で買ったサンドイッチと飲み物を荷物に、ルイス・フォーゲルンは訪れていた。
眼前にある、予想していたよりも遥かに美しく咲き広がる花畑にその顔付きは歓喜で溢れている。
「 凄い……本当に今の季節でこんなにも花が育つだなんて 」
ゆっくりと大きく息を吸い込むと、花々が発する甘く優しい蜜の香りが肺を満遍なく満たしてくれ、今が雪の季節故に冷たく肌を指す外の世界でこんな事をすれば一瞬で身体は凍えるであろう事を思うと、室内を覆う完成された結界術式の能力に感激してしまう。
所々に施設案内と立てられる説明板には、今はまだ長期に及ぶ結界の効力を調べている最中であり、それが終えれば食用の植物。野菜などの栽培を開始し、最終的には【エンデル】に依存する事なく、一年を通し安定した食糧生産が行えるようにしたいと書かれおり、それを目にルイスも心だけではあるが応援しようと思った。
「 落ち着くなぁ……なんだかずっとここにいたくなるよ〜 」
相変わらずうっとりとしながらも、ゆっくりと歩き観覧しては時々止まり、膝を折って間近で花を楽しむ。そうして大満足の心で時間を忘れ楽しんでいると、今度は開けた一角が現れる。
運動場のように大きく展開された芝生の空間。その所々には腰を下ろせるベンチやトイレなどもある事から、ここは休憩用として作られた場なのだろうと推測でき、それと同時に思い出したように「ぐぅぅ」と遠慮なく鳴った腹の音に彼女は自分の事ながら苦笑を溢した。
「 お腹減ったな、良い感じに休める場所探そうかな 」
心が満腹でも身体は文句を言っているようで、ルイスは呟きながらも、首を回してみる。すると直ぐにひらけたそこの中でも花畑が一望でき、更に座れる場所まである、食事をするに打ってつけの一角を発見し思わず笑みが浮かんだ。運の良い事に他に見られる客たちもそこは利用していないようでルイスは「やった!」と歓喜しながらも足早に向かっては二人掛けのベンチへ腰を下ろす。
「 それじゃあ、いただきます 」
そうして早速、買っておいたサンドイッチを取り出しては、感謝の言葉を呟き口にする。
紡鍾状のパンを上下二つに分け、その中にローストハム、チーズ、レタスに輪切りのトマト。そしてそれらを引き立てるソースを満遍なくかけては挟んだ、田舎出身のルイスたちにとって贅沢気分を味わいたい時に買う一品だ。
噛むと全ての旨みが一体となり、トマトの酸味がローストハムの肉々しさを引き立て、レタスがもつシャキシャキの食感は歯を動かしてて心地が良い。
値段の問題からか薄く切られたされたハムの頼りなさを主役へと昇格させるチーズとソースの活躍もあり、当然の如くそれを味わうルイスの顔には圧倒的な満足が浮かんでいた。
同じく買っていたハーブ茶はスッキリ爽やかなモノで、喉を通すとそれまで浸っていた美味さの余韻を綺麗さっぱり胃へと流し込み、後に残るのはハーブのスゥーっと優しく突き抜ける風味。
文句なし相性抜群の組み合わせに、見渡せば美しい光景。そんなご機嫌そのものである昼食に彼女は「うんうん」と満足を溢れさせ続けている。
「 もう、最高ね……そうだッッ中央都市にいる間にもう一回、今度はカイルと一緒にこよう!! 」
リースにも声をかけようかと思ったが、そこは「ごめん」と彼女は切り捨てる。この期間だけは自分の思いを伝える事を何より優先したいと思っていたのだ。
きっとここにある多くの花達に後押しして貰えば「大好き」と口にできるとルイスはたかを括っていた。
「 ………あれ? 」
最後の一口を味わいハーブ茶で喉を潤している中、不意に彼女の目に見覚えのない花たちが映る。
一見では靡く稲穂。田舎ではよく見られる黄色で壮大な集まりだと思っていたが目を凝らすとそれが間違いであったと気付く。
まるで鉱物の金であるかのように光を反射させている幹にその先には綿毛のように黄の、おそらく種子の集まりなのであろう柔らかそうな塊たちが下がっているそれは、植物の事においては知識人であるカイルにさえ勝るであろうと自負していたルイスでさえ観たことのないものであり、思わず彼女は勢いよく立ち上がっては凝視を強める。
「 なに、あの植物?……えっと、説明とかないかな? 」
謎の花たちはベンチから見える奥にあり、ルイスは荷物をまとめながらも、その植物が最も近くで見れるであろう通路、或いはその説明板がないか探そうとキョロキョロと辺りを見渡す。
「 ルイスお姉さん。あのお花が気になるのですか?? 」
瞬間、不意にかけられる声と裾を引っ張られる感覚から咄嗟に「きゃッ!」と驚愕を上げては距離を取る。そして先程まで何もいなかったハズのそこへ慌てて視線を戻すと、彼女の目には一人の少女がルイスの反応にご立腹とばかりに頬を膨らませるといった姿が映し出された。そんな予想外な光景に「え?」と呆けた声をこぼしてしまう。
「 もう、なんなのですか!?そんなに驚かなくても良いじゃないですか、ルイスお姉さん 」
そうぷんぷんとあからさまな怒りを露わにする初対面であるはずの少女に対してルイスは困惑しかなかった。何故自分の名を知っているのか?もしかして何処かで会ったことがあるのか?
混乱が消えることはないが、とりあえずとばかりに彼女は膝を折っては、自らの視線を少女と同じ高さに合わせる。
「 あの……ごめんね?おねぇちゃんダメダメで、物覚えが悪くて……あの、もしかして以前私たち何処かで会ったことがあるのかな?? 」
口にしておきながら、彼女は本心から申し訳なさを感じていた。物覚えでいうなら寧ろそれなりの自信があった。出会った人の事など忘れるはずもない。そう思い込んでいたのに実際、目の前にいる少女の記憶がルイスにはない。
お嬢様たちが通うような由緒正しい学院のものを思わせる、黒とワインレッドの長袖であるストライプワンピースを着こなし、更に腰まで伸びる艶やかな白髪と透き通る肌に赤眼の女の子。
特徴的な見た目をしておきながら、やはり面識を思い出す事が出来ず、そんな彼女に少女は「むす〜」と頬を膨らませ続けるが、少しして「もういいのです!!」と啖呵をきる。
その反応にルイスは「ごめんね!!」と謝罪を強めるが、女の子はそれを遮るように先ほどの謎の花たちを指差した。
「 アレ……『ラロイズ』はずっとずっと昔、森の中で多くが生きていた頃からある花なのですよ。確か……これを想い人に渡して愛を伝える事が魔虫の伝統だったとか、でしたか?? 」
気持ちを切り替えたとばかりに、ニコッと微笑む少女であるが、そんな女の子にルイスは疑問を強めざるを得ない。
『ラロイズ』という初めて聞く名前。話の通りに伝統などが絡んでいるなら尚更記録には残っているはずだ、なのに彼女が読み漁ってきたどの書物にもそんな記述があったという記憶はない。
加えて魔虫という言葉は、ルイスでも知っている500年以上前。人神歴が始まるよりも過去に他種族がエルフ族を呼んでいた時に使われたという差別用語の一つだ。
人種が統一された今の時代でそんな言葉に意味はなく、使うものなどいないはずだ。
とりあえず微笑を浮かべてはいるが、それらの事実にルイスはただ混乱し続けるしかなく、そんな彼女に少女は「くひひ」と小さく不気味な笑いをこぼしている。
「 でも不思議ですの。ルイスお姉さんは何度も『ラロイズ』を見たことあるはずなのに、なんでそんな反応をするのですか? 」
「 ………え?それってどういう事? 」
かけられた言葉に何故か嫌な予感を感じ、唖然としながらも彼女は立ち上がっては無意識に女の子とゆっくり距離を取る。それにより、ようやっと周囲の雰囲気が変わっていることに気付いては、冷や汗を流した。
先ほどまでいたはずの多くの一般客たちはいつの間にか皆いなくなっており、空気は重く息苦しい。
「 こ、これは一体…… 」
呟きと共に瞬きをした刹那、一帯は黒が支配する夜となり、ルイスを囲うように広がるは金の稲穂花。
「 なッッ何が起きてるの!!? 」
そんな突然に変わりゆく現実に動揺し、彼女は慌てて警戒を強めるが、それよりも早く、金縛りのような謎の衝動、拘束される感覚がその全身を襲った。
それはまるで「私から目を離すな」と少女が訴えかけているかのようで、ルイスの視線は目の前の女の子へのもので固定されてしまう。
「 ルイスお姉さん……お姉さんはここから逃げてきたんじゃなくて??………くひひ、忘れちゃったのですか?? 」
瞬間、声の終わりと共に金縛りが解かれ軽くなる全身と背後から発せられる爆発音にも似た轟き。
辺りを囲う金の稲穂花が強烈な熱風に呑み込まれては世界を喰らう化け物の如く荒れ狂う炎へと変わり夜の闇を橙色の悍ましい明かりで照らし始める。
「 い、嫌……な、なんなの、これ 」
美しく咲いていたハズの花々が燃え失われてゆく。塵へと変わり果ててゆく。
そんな光景を目に彼女の心は恐怖で埋め尽くされる。
「 逃げろッッ逃げるんだァァァァァ!!! 」
「 ッッ!!? 」
突然に発せられたそれは、まるで自分かけられたかのような雄叫びであり、慌てて振り返ると目に入る存在たち。
白い布で何かを絡み持っては必死に走り逃げる白のフードの女性に、それを追おうと剣を掲げる黒のフードたち。それに対抗する、民族服のようなものを身に纏うたった一人の戦士。
しかし、多勢に無勢。戦士はあっという間に複数のフードの剣に刺し貫かれてしまう。
「 こ、これはなんなのッッ!!? 」
怒りや焦燥で埋め尽くされる混乱のまま、少女を問い詰めようと振り返るが、そこには誰もいない。あるのは燃え広がる炎の壁のみ……
「 な、なんなの!!?なんなのよ、これは!!?……もう、やめてよ。助けて……カイル 」
訳のわからないこの現実にどうすることもできず蹲り、膝を抱えて震える。しかし、彼女は耳にしてしまった。
倒れてもなお、必死に黒のフードの足を掴み命尽きる瞬間まで足止めを遂行しようとするその戦士の咆哮を、祈りを……
「 ルアァァァァ!!!我が愛子を、ルイスをどうか守り抜いてくれぇぇぇぇ!!! 」
「 え……うそ、でしょ?? 」
耳にした偶然によるものか自らと同じ名前に顔を上げると、まるでそんなルイスの存在など見えないとばかりにその横を涙をこぼしながらも走りすぎる白のフードを纏う女性。
僅かに見えたその自分に似た顔のその人とそれが持つ白の布に包まれた赤ん坊の姿。
それらにルイスの頭は真っ白になってしまい、それ以降に動く事も思考を凝らすことさえも出来なくなる。唯一、彼女は呟く……
「 ……お、母さん?? 」
「 ………ッッ!!? 」
全身が無意識に動き、飛び上がってしまう。
「 はぁ、はぁ、はぁ……夢?? 」
荒れた呼吸を整え周囲を見渡すと、変わらない植物園とお客さんたちが目に入り、おそらく食事を終えた後知らず知らずにベンチで眠ってしまっていたのだろうと理解できた。
「 疲れてたのかな?……嫌な、夢 」
額に浮かんでしまっていた汗をぬぐってもう一度花たちを見てみる。すると、やはり目に入る金の稲穂花。
気がつくと、空模様は変わりつつあり夕陽を迎えようとしていた……最後にあの花だけみて帰ろう。
「 夢、なんだよね 」
未だ高鳴る心臓を落ち着かせ、私は荷物を手にするのであった……ーーーー
『 くひひひひ 』




