053:神域に届きしモノ
光が生み出す白。それこそが全てであり、今のここには音もなく、風も匂いもない。
まるで突如として世界が一色により終焉し、刻が止まってしまったかのような錯覚、それはそこにいた一人を除く全てを覆っていた。
何秒、何十秒それが続いたのか。しかし、そんな単調な世界は瞬間として轟く一つの雷鳴、天を裂き地を貫き砕く雷神の咆哮によって切り開かれる。
( ーーーーッ!!? )
鼓膜が破裂してもおかしくない程の空気の震動、それにより空間は一点に収束されるように輪郭と色を取り戻しながらも、そこへ伴う幼子であれば到底耐えることなど出来ないであろう勢いを宿す爆風を引き起こし、それは瞬く間に一帯を襲いあらゆる物体を無情にも吹き飛ばした。
( ぐぅぅッ、な、なんだ!?! )
餌にされようとしていた暗殺者は、尻餅をついた姿勢をそのままに、両手で突如として殴りくる謎の突風に備え耐える。同時に目の前で自らを護ろうと立っていた青年が力無く吹き飛ばされようとしている事に気付き、慌ててその全身を受け止め、支えた。そして急ぎ彼の顔に刻まれた傷を確認する。
( 気を失ったか……にしても傷が深く出血も酷い )
そんな自らの手の中で瀕死の重症をその身に眠るよう目を閉じている青年に、護る価値などないはずの自分を宣言通り命懸けで庇ったその護衛団の団員に、娘は困惑せざるを得なかった。
しかし、今はそれどころではない。ハッとして視線を光の収束点、老人が黒狼の攻撃を耐え凌いでいたハズのそこへ移す。
そして今だ僅かに眩みボヤけている視界が色と輪郭を取り戻した事でようやっとそこで起きている事を理解出来るようになると共に、驚愕が娘の全てを捕らえた。
目に映し出されたそこには、まるで大岩のような大質量の物体が高所から降り落ちたかのように、ヒビ割れ隆起した大地。にも関わらず老人が立つ地面には何も変化はない。
それだけでも白に包まれていた間に何が起きたのか理解に苦しむものはあるが、そこに加わるように武人の手にはいつの間にか先程まで全てに隠されていた、ほんのりと蒼い見ていると吸い込まれそうになる程に美しい刀身の刀、もう片方にはその黒鞘が握られている。
そんな一転した空間を前に、娘が最も驚愕したのは老人の動きを封じていたはずの黒狼の姿がどこにもない事にあった。見渡しても獣の姿などはなく、代わりとばかりに足元には肌を撫でる冷たい風によってボロボロと崩壊している黒炭の塊が転がっている。
「 い、一体なにが……ッ 」
困惑に包まれ娘は唖然とするしかない。対して爆風により吹き飛ばされ散らばっていた黒狼たちは、いよいよ本性を見せたのだろう老人へ低い唸りを漏らし、警戒を強めていた。
そうして刻が来たかのように、老人は封じられし力の結晶。自らが手にする、抜刀せし魔冠號器の銘を呟く、その名をーーーー
【 降雷斬裁刀 】
その呼び声は抑えられていた力を世界へ解き放ち。呟きと共に老人を荒々しく囲う魔力の波動、それは瞬く間にジリジリと鼓膜を激しく襲う高音を発する稲妻へと変質し、四方八方に巡り奔った。
刀、そしてその担い手から発せられる、あらゆる万物を焼き貫く災厄の如き雷撃たちは大地を奔り抉ってはその絶大な破壊力による軌跡を次々と描いてゆき、隆起していたその地に更なる深い傷を刻んでゆく。
そんな一歩でも近づけば命はないであろう恐ろしい光景、更に老人が手にしている先程までなかったはずの、金の波が現れ紋様を描いている黒鞘を目に娘の脳裏には一人の人物についての特徴をさす噂が蘇る。
「 陽の国特有の言葉遣いに容姿をした、金の波入る黒鞘を携えた勇士 」
それは冒険者が活躍していた全盛期では知らぬ者などいなかった、どこにいても耳に入るような噂。人類史における最強の雷撃使いの面影を現すもの……
「 ……はぁ、兄ちゃんに悪い事しちまったな 」
老人は娘の腕の中で気を失っている青年をチラリと見ると、ため息をつきながら、手にしていた黒鞘を渋々と腰へ付け直す。
「 兄ちゃんの覚悟ってのを軽くみて、殺し屋の嬢ちゃんたちは自業自得だからと、蔑ろにしちまってた……ったく、歳をとるってのぁぁ、いけねぇな〜若い頃だったら、なんも余計な事考えず抜けてたんだろうに……はぁ、嫌だね〜性根まで老人になるってのは 」
そして愚痴を吐きつつも気怠そうに手にする刀を持ち上げ、自らを警戒し唸る獣の中から、ルーキーの目を抉った黒狼を見定めその剣先を向けた。
「 けどまぁ、これ以上好きにはさせんよ。傷は出来ちまったが、兄ちゃんならなんとかなるさ。若葉を守るのも、見守るのも、老人の役割さね……そうは思わんかい、畜生共 」
深みのある声色から出る問いかけ、それは老人を目にする全てに、まるで喉元に刃を突き立てられているかのような、直ぐにでも命狩られるという恐怖を強制的に感じさせる。
殺気とされるそれは娘が暗殺者として自らも活用してきた威嚇とは全くの別物。レベルの違いすぎるその当てられた気に無意識に呼吸は早まり、全身は震え動けなくなる。
しかし、黒狼たちは違った。
怯みながらも果敢に、それとも無謀にか、一斉に老人に向かって跳んだのだ。高速の風を纏い暗殺者の目でも追い切れない速度をまとった突進。
数分前、一人の殺し屋の胸から上をいとも容易く喰い狩った凶撃の籠る黒の軌跡は奔る。しかし、それを否定する世界を割る雷撃の咆哮。
瞬間、黒の軌跡よりも早く巡るは稲妻の線たち。
老人を囲う雷導から伸びる無数の線たち。それは閃光を生じまるで初めからそうなっていたと思ってしまう程の雷速で獣たちを貫き刺す。
「 ……ッッ!?なにが、起きてッッ 」
娘の目では、瞬きすらしていないにも関わらずいつの間にか伸びていた稲妻に貫かれ持ち上げられている三体の黒狼が映し出される。
それに唖然と口を開くも、言い終わるよりも先に再び世界を染める閃光が生み出す白。しかし、今度のそれはすぐさま三つの天地を裂く猛威を従えその轟音を世界に響かせ地を激しく揺らした。
「 きゃあぁぁ!!! 」
娘はそんな突然の現象に思わず耳を塞ぎ顔を伏してしまうが、それが収まり再び目の前を見た瞬間、そこにある元の黒い体毛よりも更に深い色の炭そのものとなった三つの塊に驚愕する。
状況から察するに、おそらく新たに天から降り下された雷撃によるものだろう、更に隆起しボロボロとなった大地にその塊たちは堕ちては、崩壊を始めている。
それを怯え見つめる残された黒狼。老人は変わらず剣先を向けたまま口を開く。
「 儂なりにお前らの胸くそ悪いやり方にはちょいとムカついててな、折角だみーちゃんへの手土産ついでに直接斬らせてもらう 」
そう言葉を向けられた獣に選択肢などない。逃げれば問答無用で雷撃の餌食となり、黒狼はそれを避け凌ぐ事など出来ないと本能的に理解できてしまっている。故に取れる行動は一つ。
獣は最後の呻きをこぼし跳ぶ。それは先と同じように、老人の喉元を喰い破る跳躍。
そんな向かいくる脅威に武人は手にした刀をゆっくりと奔らせる。それはこれまでの目で追えないような高速などとは違う、鈍重にも感じられる流れる動作。なのに、その刀は確かに空へ軌跡を描き表している。
そうして交差する獣と武人。一瞬の間で重なっては通り抜ける影。
しかし、交わり一つとなったそれが分たれた時、地に移されたのは六つの形であった。雷鳴も絶命の咆哮もなく、ボトッという短く重い五つの音だけを最後に一帯は完全に静まり返る。
「 ………っあ 」
呆気に取られまともな言葉を失った娘はただただ口を開くことしかできず、一仕事終えたとばかりに悠々と「ふぅ」と短い息を吐きながら一振りで刀身を汚す血潮を払い落とし納刀する老人。そしてその背で一瞬の斬撃によって四肢と頭部をスパッと斬り落とされ分断された黒狼の亡骸を目の表面が乾いてしまう程に見開き見つめる。
かくして残虐の宴は幕を閉じ、それを讃えるように空を覆っていた雲は晴れ月明かりがそこを照らし始める。それにより更に見やすくなった夜の世界に老人は再び深いため息をついた。
「 はぁ、まっそうなるよな……朝にでもみーちゃん通じて詫び入れないとな〜……はぁ 」
元々は整備されていたその多目的広場であったそこの地面は複数の雷撃によってボロボロとなり、ならさなければ歩く事すら難しく、更に問題なのは翌日のためと用意されていたハズのアイドルライブの会場が、降り落ちたそれの爆風により激しく損傷し、もはやその面影がなくなってしまったことにあった。
こうなる事を見越して力の解放を渋っていた老人だったのだが、結局変えられなかった仕様のない結末に、やはり頭を掻き溜め息を吐く。
そんな武人にようやっと我に返った娘は口を開いた。
「 あなたは、やはり 」
そうして娘の脳裏に浮かぶ一人の偉人。英雄。
かつて、ただ一人で白金級の魔獣『女帝白狼』そしてそれに従う約10万匹にも及ぶ黒狼の圧倒的軍勢を全て斬り伏せたという伝説の武人。
「 生ける伝説。雷神ーーー神羅雷蔵 」
「 伝説、ね……いや、今の儂は理由もなくぶらぶらとあちこち放浪してるだけの、ただの老人だよ 」
月明かりに照らされながら、そう御老人は笑うのであった………ーーーー




