051:夜を駆る獣
厚い雲の群列に遮られている事で僅かしか開かれていない星空に、数えれる程の物音だけを奏でているそんな侘しい夜。
しかし、そんな暗き寒空の下で繰り広げられている一方的な静寂の襲撃。目の前で起こるその異様な光景をルーキーのあだ名を持つその若き護衛団の団員は膝をついたまま唖然と見入ってしまっていた。
夜目が十分効いているハズなのにハッキリと認識できない襲撃者たちは、身に付けている黒の装備を迷彩とし、更に暗殺術なのか音もなく滑るように動く事で、周囲の闇に溶け込み、もはや入団したばかりで一般人とあまり大差ない力量である彼の目では影が高速で縦横無尽に流れているようにしか理解できない。
そしてそんな影達が囲うのは、着物を纏う、ボサボサの白を多く含む黒髪を持つ一人の老人。
その腰にはカイドライン大陸ではあまり見ない、刀と呼ばれる陽の国で鍛えられた片刃の業物が納められているのが一見で分かる細い黒筒の鞘。
しかしどういう訳か、それには鍔に括り付け伸ばされた幾つかの白い紙のようなナニカが、全身に何重にも巻き付けられており、その様はまるで刀身に封をし誰にも抜かせるつもりがないかのように感じられる。
そんな異様な雰囲気を醸し出している業物を下げ、キリッとした鋭い顔付き、加えて大胆に額を露出している事で古い武人のような力強い雰囲気を漂わせているその人は、自らを翻弄しようと時折り星明かりを反射させる複数の刀身に包囲されながらも悠々とした表情を浮かべていた。
その余裕ある顔付きからの連想は難しいが、先程から老人はルーキーの目で認識できた回数だけでも20は超えるであろう襲いくる影を軽くあしらっている現状。であるにも関わらず、その額には汗一つも浮かんでいない。
「 ……ッ!! 」
そんな状況に痺れを切らした黒のそれらは、決着を早めようと試みたのか荒れた呼吸を僅かに溢す。そしてそれを合図に間髪入れず闇から高速を纏う幾つもの短剣のものであろう刀身を伸ばし始めた。
闇を蠢く影から伸びる星明かりを反射させる刃の群。
そんな中、武人は焦ることもなく変わらずの悠々を残したまま目を伏せスゥっと静かな息を吐く。それにより十分に脱力をかけたその全身をゆっくりと動かし始めた。
そんな余裕に逆撫でされながらも獲物を包囲した夜に駆る獣を思わせる影の群れは、音を殺しながら、高速を纏い荒れ狂う。しかし……
「 〜〜♪♪ 」
状況に反して、心地良く鼻歌を溢す老人。それを前にし決着を急ぐ影たちから僅かに焦燥が漏れ始める。
立ち回りだけを見るのなら、その速度差は圧倒的だ。しかし、何度影たちが素早く闇に軌跡を描こうとその殺撃が届くことは決してなかった。
まるで大樹から落ちる一片の葉のように、風に撫でられ空を舞う一つの花弁のように、世界に溶け込む歩行を繰り出している老人に向けられた殺意の数々はその存在を捉える事を出来ず、伸びた凶撃はひたすらに空だけを裂いてゆく。
「 気配の断ち方は中々だが、襲撃の際に出る殺気までは上手く抑えれてないようだな。若いの 」
瞬間、忠告のような言葉を発した武人は先ほどまでのゆっくりとしたものとは違う、その年老いた容姿からは想像もできない程の、周囲にいた誰一人として目で追えない機敏な動きで自らを襲う影の一つ。
それが持つ短剣を軽く抑えながら、カウンターと引く手の力を乗せた強烈な掌底をその鳩尾へと深く潜り込ませた。
「 まずは一つ 」
重く、くぐもった音を肉体から無理矢理引き出された黒の一つは「ぐはっ」という言葉でもない音を喉から吐き瞬く間に目の焦点を薄れさせては、その意識を闇へと沈めドサっと抵抗なく地に倒れ込む。
そしてそれを皮切りに武人の反撃は始まる。いつの間にか掠め取っていた短剣、それをひらひらと靡かせその全容を理解する。
「 おいおい、動きが雑になってるぞ。動揺してるのか? 」
半端に持っていた柄をしっかり握り直す。しかし、構えるわけではなく、身体を僅かに逸らし狙いを付けた大地へと迷いなく投擲。その刀身を深く地に突き立てた。
「 なッッ!!? 」
それは影の動きを読み切った正確無比の一撃。滑るように高速で動いていた影は突如として足先に刺された短剣に勢いよく躓いてしまい、驚愕と共に倒れこむように姿勢を崩す。
「 そして、二つ 」
そこへ瞬時に間合いを詰めた武人は、一直線に突き上げる掌底で落下の勢いが課せられた影の顎を打ち、その全身を容易にかちあげながら意識を確実に刈り取る。
そんな瞬き一つで見失ってしまうであろう、高速の攻防は続く。
「 三……四っと 」
武人の力を目に心を乱した二つの影が自らの恐怖を払拭するかのような、暗殺者たり得ない雄叫びを上げながらの凶撃を伸ばす。しかし、またしても年老いたソレは目で追い切れない速度で全身を動かしては、その一つを足払いによって空に浮かし、それが地に落下するよりも早く放つ掌底の乱打で後方へ吹き飛ばし撃退。
更にそこから流れるように、自らへ伸びる短剣を難なく躱し、合わせて武器を握る手に打撃を加ることで短剣を軽々と奪う。そうして瞬時に握り直した柄で急所を突き、二つ目にも崩れ落ちるように地へ両膝を落とさせ、その闘争心をへし折ってみせた。
そんなあっという間の出来事にルーキーはやはり唖然とするしかなく、気がつくと認識できなかったはずの集団、内4人は地に伏せ意識があるかないかの違いこそあれ、皆同様に動く事が出来ない状態となっている。残った二人も最早闇に潜む襲撃が通じないと悟ったのだろう、姿を表し、老人と対峙していた。
「 こうなれば…… 」
「 悪いが、お前達を逃すつもりはない。大人しくお縄についてもらう 」
おそらく集団のリーダー格なのだろう、ルーキーに短剣を刺そうと始めに姿を現した黒のそれが冷や汗を流しながら思考を急ぐが、老人は相変わらずの口調でいつの間にか懐に入れていた一枚の紙を取り出し、それを暗殺者たちに向ける。
「 別にお前らの仕事を否定するつもりはないさ。人が生き続ける限り明るい場所がありゃ暗い場所もある。時としてその暗さが必要な時ってのも、まぁあるだろう。とはいえ、肯定する訳じゃないがな。それで……こいつが今回の標的だろう?流石に今からこの坊主殺しに行きますって連中を無視する程、人間終わっちゃいないさ 」
「 ……いつの間に 」
そんな老人の言葉や行動に、もはや暗殺者の驚愕も薄れつつあった。
本来なら今の今まで奪われた自覚すらなかった、今回の標的を示した闇の依頼書を突然に出されれば、動揺し僅かながらに騒いでいた事だろう。
しかし、襲撃を躱しながらソレを盗む。そんな奇行をこの武人ならやりかねない。
これの力なら可能であると納得してしまうほどの証明をされてしまったのだ。
依頼書に書かれた標的の情報と顔写真。殺害対象『カイル・ダルチ』のあらゆることが書かれた紙を目に、暗殺者たちは敗北を悟ったのか渋々短剣を鞘に戻し脱力した。
「 まっ、あんたらはついてなかったって事で諦めるんだな 」
「 ふっ……成る程。本当についてなかったのはこっちの方だったって事か…… 」
暗殺者としての技を身につけた6人がかりでの襲撃が全く通じず、加えて老人は腰に下げた刀を使いもしなかった。
もし、それを手にしていたら命の保証すらなかったのかもしれない。そんな現状を理解しているからこそ、黒のそれらは諦めざるを得ず、その敗北宣言を目にようやっとルーキーも安堵の息をつく。
「 ふん……まぁ、こんなもんかな? 」
事態の解決に老人は息を吐き、落ち着きこそしたものの未だ腰を抜かしている彼へと踵を返した。
「 さて、守衛の兄ちゃん。怪我の方は大丈夫……ッ!!? 」
瞬間……風が一帯を襲う。
それは数分前暗殺者がルーキーを穿とう伸ばした凶撃を、突如として老人が現れ止めた時と同じ、冷たくかつ強烈に肌を殴る突風。故にルーキーは本能的に目を見開いてはその瞬間を目撃した。
風に潜み老人の背に現れる巨大な黒。対して驚愕を浮かべながらも、目にも止まらぬ速度で武人は腰から鞘を外し、振り返ると同時に襲いくるソレの凶撃に構えた。
「 ぐッぅぅ!!!? 」
一帯に響くドシンッという重音。それは周囲の空気すら激しく揺らす。
そして次にルーキーの耳に入るのは、集団を相手しても決して聞くことのなかった、武人の口から溢れる苦痛の呻き。更に鞘によって直撃こそ防げたもののその重すぎる衝撃により片膝が勢いよく地に付けられている光景が目に入る。
「 ははっ……こいつは一体どういう事だ? 」
予想外の現状に寸前まで悠々と構えていたハズの老人のその顔に冷や汗が浮かぶ。
鞘が受け止めていた重厚。
それは凌がなければ人の顔など簡単に抉り飛ばせるだろう、強靭な筋肉と3本の凶爪。あらゆる斬撃、衝撃を吸収する厚い体毛で武装された獣の脚。
星明かりが黒き獣を照らす。そしてそこにいた者の目にハッキリと映ったソレは高さだけでも2mはある巨大な黒狼。
「 黒狼。こっちじゃあ『ブラクガルヴ』だったか?なんで街ん中に金級の魔物がいるんだぁぁ? 」
鞘を押す爪はギリギリと音を発し、獲物を地に伏せよう力を増してゆくが、老人はそれをどうにか耐え皮肉めいた強がりの笑いを浮かべて見せる。
( 周囲に人の気配こそあれ、魔物の気配なんて感じなかったはずだ。こいつら、どっから湧いて出やがった )
武人は常に気配を読み動いていた。故に広場の外で動く人の気配も確かに感じていたが、あくまで通行人程度であろうと、気にしていなかった。
万が一巻き込まれるような事があれば助ければいいだけだ、そう思っていたのだ。
しかし今、人の気配は消え、代わりに魔物のそれをヒシヒシと感じている……そう、5つの気配を
「 ひぃぃぃ!! 」
「 クソ、こいつはちょいとキツいかもな 」
瞬間、一帯に轟く四つの咆哮。そしてそこにいる全てを襲う暴力的な風圧。
そうしてルーキーの目には、風の中から現れた老人が対峙しているのと同個体の四つ黒狼が動けなくなった暗殺者たちを襲い喰う、悍ましい光景が映るのであった……ーーー




