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石と誰かの物語

母の根付

作者: 河 美子

石と誰かの物語です。

 ベーコンエッグを作りながら、キッチンから二度目の叫び。

「起きなさい! ママは一人で幼稚園に行くからね」

 さすがに眠いと言いながらふてくされて起きてくる娘。

 名前はリン。我が家の長女、5歳。

「ママ、朝から怒ると子どもがダメになるってテレビで言ってたよ」

「そんなことは好きに言わせておくの。怒らせたのは誰よ」

「リンはね、風邪も引いたみたいよ」

 コホン、コホンと嘘丸見えの咳をする。

「今日は、ママにとっても大事な日なの。早く食べて。制服を着て」

「たっくんはママに着せてもらうんだって。いいなあ」

「じゃ、たっくんちの子になれば」

 まるで親と思えない冷たいセリフ。いい加減自己嫌悪になるけど、朝の分刻みの忙しさをいつになったら理解してくれるのだろう。

 小さな手でボタンをはめている。紺のプリーツスカートのタスキは襟のところで絡み合っている。

 パンをトースターに入れセット。その間に襟を直し髪をとかす。

「ママ、リンのこと好き?」

「うん、大好きよ」

 そう言いながら抱き上げる。もうミルクの匂いはしなくなった。

「ごめんごめん。もうできたね。食べよう」

 ミルクを入れたコップがリンの手に触れ見事に床にダイビング。


 ガッシャーン。


 床を流れるミルク。下に置いてあったリンのブレザーが見事にミルクまみれ。

「あああああ。やだあ。もう忙しいのに、何やってるの」

 悲鳴を上げながら風呂場に行き水洗い。

 この調子ではいつもの電車に乗れない。

 ヒステリックに洗う私の背中をリンがさする。

「ママ大丈夫? ごめんね」

「早く食べなさい!」

 叱られ続ける娘は小さくつぶやく。

「リンのこと好き?」

「嫌い! ママの言う通りにしてくれない子は嫌いなの」

 思わず出た言葉。

 ひっくひっくと泣き出す娘。

 泣くと食も進まない。

 通園バッグから連絡帳を取り出しメモる。

「先生、朝からリンを叱って泣かせてます。幼稚園でわがままを言うかもしれませんがよろしくお願いします」

 書きながらこちらが泣きそうになる。

「さあ。もう行くわよ」

 どこまでもせかす私。

 キーホルダーにつけているアメジストを握りしめてリンが言った。

「ママ、この紫の石は愛がいっぱいなんでしょう? おばあちゃんが言ってたよ」

「そうだったね」


 幼稚園に送り届けると電車に飛び乗った。

 窓ガラスに映る疲れた母親。それが私。単身赴任の夫も明日は帰る。

 リンの言葉を思い出す。

「愛がいっぱいの石」

 

 母は身を飾るものは何も持っていないような人だったが、自分の祖父が満州で手に入れたというアメジストの根付を私が結婚するときにくれた。今では私がキーホルダーにして何かの時にいつも握りしめていた。

 リンが生まれるときも、母が握らせてくれたっけ。

「愛がいっぱいあるのよ。この石は。しっかりね」

 あんなに愛にあふれた瞬間を忘れていたっけ。

 高らかな泣き声を夫とともに喜んだ瞬間を。

 今では早く早くと呪文のようにせかす私。

「ゆっくりでいいよ、あんよが上手」

 そう言ってきたのに。

 ごめんね、リン。

 今日はリンの好きなから揚げを作ろう。

 パパにも電話しよう。


「早く帰ってね」

 

 

 

 

 

 


 

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― 新着の感想 ―
[一言] このアメジストは、きっとリンが結婚するときにあげるんだろうね。
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