少女と交わす契約
回想を終えた俺は、目の前に立つ銀髪少女との会話に集中する。
「——で、協力する気になったかしら?」
「キスしろ、とだけ言われても理解できん。というより一つだけ先に聞かせてくれ。さっきお前は『両親の居場所を知っている』と言ったな?」
「言ったけど、それが何か?」
「……俺の両親は無事なのか?」
「ええ、安心して。アナタの両親はちゃんと生きている」
「本当だな?」
「間違いない。ワタシが保証するわ」
俺は思わず安堵の息を漏らす。初対面の少女の言葉に信憑性など欠片もないのだが、そうと分かっていても、どこか安心せずにはいられない。
「……えっと、協力? とやらだが正直意味がわからない。さっきよりは冷静になったから、ちゃんと説明してくれ」
銀髪少女はやれやれといった感じで肩を竦めてから、詳細を語りだした。
「ワタシは、特殊な能力を使える人間からそれを回収する任を負っているの。アナタも見たでしょう? 手から炎を燃え上がらせる黒髪ロングの少女を」
「……ああ。アレは一体何なんだ?」
「あのような特殊な能力はワタシの世界では『精霊力』、一般的には『霊力』と呼ばれていてごくありふれたものなのだけれど、こちらの世界ではそれに当たるものが存在しない。存在しないものが存在してしまうと、二つの世界のバランスが崩れてしまう。それは非常に危機的な状況で、よろしくない事態」
「何を言ってる? ワタシの世界ってなんだ……?」
「アナタのいる世界とは別にもう一つ世界が存在する。そうね、わかりやすくワタシ側の世界を『精霊世界』、アナタ側の世界を『現実世界』と名付けましょうか。ワタシは精霊世界からやってきた」
……頭が痛い。銀髪少女の言うことは全くもって理解不能だ。
思わず顔をしかめた俺に構わず、銀髪少女は続ける。
「で、彼女の霊力をそのままにしておくのはまずいから回収したいのだけれど、わけあってワタシにはそれができない。だから、アナタに協力を依頼しに来たの」
「……なんでできないんだ? お前は回収するためにこっちに来たんじゃないのか?」
「色々と訳アリなのよ。それができればとうの昔に回収している」
「……ちょっと考えさせてくれ」
精霊世界とやらにある異能の力『霊力』が、なぜか俺の住む現実世界でも見られるようになってしまったから、それを回収しなければいけない。でも、自分でできないから現実世界に住む俺に協力を依頼しに来た、と。
……うん、全くもって意味不明。今すぐにドアを閉め、サヨナラするのが理想だろう。
だが——俺は既に二つも奇妙な現象を目撃していたため、この少女の言葉を頭ごなしに否定するのは、どこか違うような気もした。
「正直意味がわからないが……というか、キスってどういうことだ?」
「それがアナタの霊力なの。アナタの霊力を黒髪ロングの彼女に行使して——」
「待て、俺にその『霊力』とやらが宿ってるのか?」
「そうよ。アナタ、あの黒い本に触れたでしょう?」
「あの不思議な本のことか。もしかして——あの、変な光のせいで?」
「そう。あの本に触れたことで、アナタの潜在的な力が刺激されて霊力が宿ったの。ちなみにアレは精霊世界に存在する特殊な本で、その名を『精霊本』というの。縮めて『霊本』と呼ばれたりもする」
「……色々と疑問はあるが、まず、なんでそんなものが俺の家にあったんだ?」
「『何者かが何かの目的のために置いた』と、考えるのが妥当でしょうね」
「誰が何のために?」
「さあ?」
銀髪少女は首を傾げている。一見とぼけている風だが、微かに笑みを浮かべているようにも見える。……何かを知ってそうだが、答える気はないってことか。
「……俺は正真正銘、現実世界の人間だぞ。なのに霊力? とやらが宿ったのか?」
「極めてイレギュラーな事態ね。そちらの人間に霊力が宿ることなんてそうそうない」
「でも炎を使う彼女も現実世界の人間だろ。イレギュラーが立て続けに起こるのか?」
「起こってしまったのだから対処しなければならない。それがワタシの仕事」
「そうかい。じゃあそれはひとまず置いておくとして、さっき言ってた俺に宿った霊力とやらはなんだ? キスがどうとか言ってるが、具体的に説明してくれ」
「口と口を接触させることで粘膜同士を触れ合わせ相手方の霊力をアナタへと移し——」
「もっと簡潔に」
「キスした相手の霊力を奪える」
……なんだそのバカげた霊力は。軽く自己嫌悪に陥りそうなぐらいイヤなんだが。
「俺が彼女とキスすれば、あの炎の霊力を俺のモノにできるのか?」
「その通りよ。でも、ただキスをするだけではダメ」
「まだ何かあるのか……」
「意識レベルを可能な限り近づけなければならない。心の波長を最大限に合わせてお互いに強く想いあう気持ちを抱く必要が——」
「くどい。一言で」
「『仲良くならないとダメ』ってこと」
……これまた厄介な条件が付随したもんだな。
「それはどのぐらいの程度でだ?」
「『強固な信頼関係』と言えば伝わるかしら? 少なくとも、ただの友達程度ではダメね。恋人同士になるのが理想なのだけれど」
「無茶を言うな。大体、それは俺の努力だけではどうしようもないだろ。もし、俺が彼女を好きになったとしても、彼女が俺を好きになってくれるとは限らない」
「あくまで理想よ、恋人は。それに近い関係になってくれればいいのよ。もしくはそれに準ずる友好的な関係を築くか」
「むちゃくちゃな要求だな」
「それでもアナタはやるしかないのよ」
「……やるかどうかはともかく。ひとまず、お前が言ってることをまとめるとこうだな」
話が長くなってきたので、とりあえずこいつの話を要約してみる。
「『精霊世界から来たお前は、現実世界で霊力を使う人間からそれを回収する任に着いた。だが、訳あってその任を遂行することができないお前は、俺が宿す霊力——『キスした相手の霊力を奪う』を頼って、協力を持ち掛けてきた』」
「そう」
「『俺が協力して彼女の霊力回収に成功すれば、その対価として両親の居場所を教えてくれる』、こういうことだな?」
「ええ。その解釈で問題ないわ」
俺は溜息を吐いてから、目の前の銀髪少女を見据えて告げる。
「……正直全く理解できん。だがそれを言っても埒が明かない。だから、証拠を見せろ」
「証拠、とは?」
「イタイ銀髪少女の妄言だと信用に値しないから、お前が言ってることに根拠を持たせるような証拠を、なんでもいいから見せろと言ってるんだ」
「イタイとは失礼ね。アナタもこんな恰好、カッコイイと考えたことあるでしょ?」
「——!? ね、ねえよ、そんなこと! というか証拠だよ、証拠!」
「図星みたいね。で、証拠だっけ?」
銀髪少女は右の手のひらを上に向け、俺の視線を集める。すると、次の瞬間——
——右手から、勢いよく蒼い炎が燃え上がる。
「マジか……」
「イタイ銀髪少女ではないと信じてもらえた?」
「……お前が普通の人間じゃないことはわかった。でも……それだけだ」
「面倒くさいわね。じゃあ、アナタの両親の特徴でも話しましょうか」
銀髪少女はまず、父さんの特徴について滔々と語り始める。
「向井勉。三十八歳。職業は大手自動車メーカー重役。趣味は海外旅行で、世界の名所を全て巡るのが目標。他の趣味としては柔道。二段を修めるものの途中で飽きて止めてしまう。また数々の資格を取得しており、第一種、第二種運転免許十四種全て、フォークリフト、不整地運搬車、高所作業車など、その他十一の資格を取得している」
銀髪少女は続いて母さんの特徴に移る。
「向井沙夜。三十八歳。専業主婦。二十四歳で所属していた劇団を退団。その卓越した演技力を評価され、数多の業界からスカウトされるも全て辞退。理由は子育てに集中するため。趣味は夫と世界中を巡ること」
一息に語り終えた銀髪少女は長い髪を整え、「ふう」と息を漏らしている。
「……全部本当だ。でも、なんでそんなに詳しいんだ?」
「知っているからよ」
「だからなんで知っているのかって——」
そう問い詰めようとしたが、微かに笑みを浮かべているのを見て気勢が削がれた。
……どうやらそれを教えるつもりはないらしい。
「どう? これで信用してもらえたかしら?」
「それだけでは——」
信用できない、と告げようとしたが、銀髪少女の顔を見ていると——ふと、脳裏に父さんと母さんの姿が浮かんだ。この銀髪少女が何か手掛かりを持っているかもしれない。そう考えだすと、俺は言葉を紡げなくなってしまった。
「アナタがキスをして彼女の霊力を奪えば、あとはこちらに任せてもらえればいいわ。アナタに宿った霊力を回収し、それを終えればアナタの両親の所在を明かす」
「……お前は霊力を回収できないんだろ? どうやって俺から回収するんだ?」
「それは後のお楽しみということで」
「なんだそりゃ。まあ、できるのなら別にそれでいいんだが」
「そこは心配しなくて結構よ。アナタは彼女の霊力を奪うことに集中しなさい」
「まだやるとは言ってない」
「やらないの?」
銀髪少女は挑発するかのように生意気な笑みを浮かべている。……食えない奴だ。
しかし、こいつの言うことはあながち嘘でもないのかもしれない。
霊本に触れて光が走ったときに覚えた、身体に熱が染みこんでいくような不思議な感覚。あれが、俺に霊力が宿ったという証左の可能性はある。
そして凛の唇から目が離せなくなった奇妙な感情も、宿ったばかりの霊力が俺の精神になんらかの影響をもたらした結果と考えると……頷けないこともない。
それに、もし俺がこいつの依頼に協力したとしても、神楽さんと仲良くなれなければそれで終わり。目立ったデメリットや大きな損害を被る可能性も低い気がする。ならば——
「……約束しろ。彼女とキスすることができたら、必ず両親を返せ」
「ワタシは所在を——って、もういいわ。もちろんそのつもりよ。ただ、霊力の回収に成功すればの話だけれど、ね」
「……はあ、わかった。まあダメで元々だ、やるだけやってやるよ」
「交渉成立、ね」
未だに半信半疑ではあるが、今まで何も得られなかった両親の手掛かりを思いがけず得られた。この機会を逃すわけにはいかない。
「俺は向井直人だ。お前は?」
遅すぎる挨拶にやや面食らったのか、銀髪少女は俺の顔をジッと眺め、「フッ」と小さく笑ってから自らの名前を口にした。
「ワタシは津々夜真央」
「絶対本名じゃないな……」
「こちらでの名前よ。気軽に『マオ』と呼んで頂戴」
突然現れた謎の銀髪少女「マオ」と妙な契約を交わした俺は。
——両親を取り戻すため、美少女とキスをしなければならなくなった。