いつもの朝……?
銀髪少女との邂逅を果たすのは夜。時はその日の朝に遡る。
——けたたましく鳴る目覚まし時計を止めて起き上がり、制服に着替えてから洗顔し、そして歯を磨く。学生が必ず行うであろう、朝のルーチンだ。
「おはよう直ちゃん。今日はちゃんと起きたんだね」
俺をリビングで迎えた同い年の女の子は、幼馴染の光坂凛だ。
俺の家の隣に住んでいて、毎日一緒に登校している。
髪は肩にかかるくらいの長さ、目はやや大きめでパッチリとしている。身長は一六〇センチメートル弱で、体重は把握していないが細身のためそこまで重くはないだろう。ちなみに胸は平均的な大きさ——多分C——だが、パッと見のスタイルはかなり良い。
凛は小学校の頃からずっと一緒に過ごしてきた幼馴染だ。
両親が失踪してからというもの、炊事は凛に頼りきりである。さすがに掃除や洗濯などは自分でこなすようにしているが。
「おはよう、凛。いつもありがとうな」
「突然どうしたの? 似合わないから止めて」
凛は茶碗に白ご飯をよそいながらぶっきらぼうに答える。……本心なんだがな。
去年の夏休み、俺の両親は海外へ行ったきり帰ってこなくなった。必死の捜索も虚しく全て徒労に終わり、結局居場所を突き止めることは叶わずじまい。
両親が失踪して一人で生活しなければならなくなったが、学生の俺には地獄だった。
金銭面は両親の残してくれた貯金を切り崩すことでなんとかなっているが、日々の家事が大変だった。掃除洗濯や炊事、その他の細かな雑務なども全て自分でこなさなければならない。凛が「手伝う」と言ってくれていたが、最初はプライドが邪魔して遠慮していた。今思えばカッコつけていたのだろう。
だが、そんな見栄が長続きするはずもなく。早々に根を上げた結果、ご覧の有様である。
「直ちゃん、早く朝ごはん食べちゃって。食器片付かないから」
凛は母親みたいなことを言う。……まあ今の俺にとっては似たような存在かもしれない。
それにしても、凛はいつまで「直ちゃん」と呼ぶんだろう。直人の「直」を取って『直ちゃん』。小さい頃からのあだ名なのだが、男で「ちゃん」は恥ずかしいのでいい加減止めてほしい。そう頼んでも一向に止める気配がないから、困ったものだ。
「直ちゃん、今日から授業始まるんだからね。シャキっとしてよ」
「へいへい」
今日から残り二年間の、憂鬱な学園生活の始まりである。厳密には昨日からなのだが、俺たちの通う白鷺学園は始業式には授業がないので、実質今日からみたいなものだ。
……それにしても学園って誰がつくったんだろうな、本気で恨みたい。
「バカなこと考えてないで、早く行くよ」
「ナチュラルに心を読むな」
「どれだけ一緒にいるとおもってるの。直ちゃんの考えてることなんて、全てお見通し」
「俺はお前の考えていることがわからないんだが?」
「わたしはATフィールドを展開してるから」
「お前使徒だったのか……?」
俺の幼馴染が人類の脅威だった件。……なんかのラノベにありそうだ。
「乙女の心はきっちりガードされてるからね。直ちゃんごときには早々打ち破れないよ」
「不公平だ!」
なぜ一方的に心を読まれなきゃならん。俺も乙女の心読みたいんだが。
……ん、乙女?
「どこに乙女がいるんだ?」
「殺されたいみたいだね、直ちゃん?」
凛は極上の笑みを浮かべ、キッチンの下をゴソゴソと漁りだす。……ヤバい!
「すいませんでした!」
「あまり変なことばかり言ってると、朝ごはん没収するよ?」
「申し訳ございません!」
朝飯を守るために全力で謝罪し、凛の作ってくれたベーコンエッグに醤油をかける。
そんなバカなやり取りをしつつ朝飯をかき込んでいたところ、テレビから、ニュースを読み上げるアナウンサーの声が聞こえてくる。
《全国的に振り込め詐欺といった特殊詐欺の被害が急増しているとのことで、警察庁は今月四月一日から『特殊詐欺撲滅強化月間』を開始しています。常駐警察官によるATMでの呼び掛けや、注意喚起のポスターを広く設置しており——》
「詐欺増えてるみたいだねー。直ちゃんも気を付けなよ?」
ニュースを聞いていた凛が、自分の食器を洗いながら話し掛けてきた。
「んなの引っかかるわけないだろ。爺さん婆さんじゃないんだから」
「え?」
「おいなんでそこで訊き返した」
「直ちゃんって御年六十一歳だと思ってたから」
「十六歳だよ! 位ひっくり返すな」
そもそもお前と同い年だっつの。
そんないつも通りの俺弄りを受け流しつつ朝食を食べ終え、手早く登校準備を済ませた俺は玄関で待つ凛の元へと向かう。
だが、玄関横の父さんの書斎を横切ろうとしたとき、ある異変に気付いて立ち止まる。
「(なんだ? 机の上に妙な物体があるぞ?)」
「何してるの直ちゃん? 早く行くよ」
「ちょっと待ってくれ」
三和土で待つ凛を制して書斎に入り、机の前に向かう。
「……本?」
真っ黒なその本は異様な雰囲気を醸し出している。表紙には、大きな鳥がデカい球体の上に掴まっているような奇妙な絵が描かれている。……なんでこんなものが机に?
俺は不審に思いながら、それを確認しようと右手で持ち上げた瞬間——
不気味な漆黒の本が、強烈な光を放った!
「ぐっ!」
突然の閃光に驚いた俺は反射的に左腕で目を隠すも、光は収まる気配がない。
「直ちゃん早く——って、えっ! 何この光!」
「俺にもわからん!」
発光する本を掴んだままだとまずい気がして、素早く右手を離す。机に落下した本が鈍い音を立てた。
そのまま目を庇いつつ立ち尽くしていると、強烈な閃光は徐々に収まっていった。
「なんだったんだ一体……?」
半ば呆然としていたところ、後ろから凛が声を掛けてくる。
「直ちゃん今のなに? ちゃんと説明して」
「いや、机の上に置いてあったこの本を持ちあげたら、急に発光したんだ」
「本が発光なんかするわけないでしょ。で、どういうドッキリなの?」
「ドッキリとかじゃねえよ」
「またまたー、わたしを驚かせようとして仕掛けたんでしょ? ん? モ○タリング? カメラはどこかな~?」
「ちげえよ。いそいそとカメラ探してんじゃねえ」
「じゃあなんなの?」
「知らん。俺に訊かれて——っ!」
俺は突然眩暈に襲われ、片膝をついてしまう。
「なに? どうしたの直ちゃん!?」
身体が異様に熱くなり、心臓がバクバクと早鐘を打つ。……なんだ、これ!
「直ちゃん!? 大丈夫!?」
「……な、なんとか平気だ」
少しうずくまっていると動悸が治まってきた。身体の熱も次第に引いていく。それは熱が身体に染みこんでいくような、非常に不思議な感覚だった。
「どうしたの直ちゃん? 本当に大丈夫……?」
凛はとても心配そうな表情で俺の顔を覗き込んでくる。妙な出来事の連続に思考が追いつかないが、ふと——吸い寄せられるように、凛の健康的なピンク色の唇に目がいった。
「(凛の唇から目が離せない……なんだ、この感情)」
自分の中の何かが『凛の唇に迫れ』と急かしてくるような、奇妙な感情に襲われる。
「直ちゃん、どうしたの? 目、怖いよ……?」
「いや……なんか急に眩暈と動悸に襲われてな。もう大丈夫だ、心配かけた」
必死で奇妙な感情に抗っていると、徐々に沈静化していくのを感じた。……一体なんだったんだろう? 自分の意思に反した奇妙な感情に、少し薄気味悪さを覚えた。
「本当にいいの? 念のため病院行っといたほうが……」
「大丈夫だって、そんな心配しなくていい。ほら、可愛い顔が台無しだぞ?」
「茶化さないで。本気でビックリしたんだからね!」
「……すまん」
珍しく凛に怒られてしまった。……さすがに無神経だったかもしれない。
「本当に大丈夫なの?」
「おう、もうピンピンしてる。だから早く学園に向かおう」
「……わかった。もう急いでも間に合わないから、ゆっくり行こ」
凛は微妙に納得していない様子だったが、深く追及してこなかった。ひとまずは様子を見ることにしたのかもしれない。今詰め寄られても返答に窮したので、正直助かった。
ひと悶着終えた俺たちは学園へと向かったが、時間的に間に合うはずもなく。
……俺と凛は新学期早々、遅刻してしまうのだった。