6話 人にはそれぞれ事情がある(1985年7月その1)
登校する日とさぼる日で起床時間を変えると2度寝の誘惑が物凄いので、日曜日以外は6時30分に統一することにした。今回の月曜日は早紀にお願いして銀行に付き添って貰う約束をしている。僕の勝手なスケジュールでは月曜と土曜は登校することにしているので今日は特別だ。
気配から三久も起きて登校の準備のために洗面をしているようだ。僕は朝食でも作るかと台所に向かい静は食べるか不明だが念のために3人分手早く用意する。目玉焼きとトースト、千切りキャベツに削ったカレールーを振りかけて炒めた。トーストはフライパンで焼く派だ。
「おはよう、今日も学校に行くの?ご飯有難う、いただきます。」
『ワン』
「おはよう、今日はさぼる。」
今日もでしょと軽口を言って食べ終え登校する三久を見送り、洗面を終え用意した食材をサンドイッチにして朝食をとる。時計を確認すると7時30分過ぎで約束の10時まで、いや、三文判と封筒を買いたいので9時30分まで教科書の復習?予習?でもするか。国語の教科書を捲りながら漢字の書き取りをしていると、ごそごそと静が起きて出かける気配があったがそのまま続けた。
ウエストポーチにパチンコで稼いだ2.8万円と別口で4千円を分けて出かける。学校をさぼりの日には毎日午後から1万円を目安に稼ぎ、毎回、静に1千円と栄養のために食材費1千円、早紀にも迷惑料として1千円を使うことにしている。
店内で子供に会えば都度菓子パンセットを渡す。結果スリップしてきた初週は7千×4日で2.8万円の稼ぎだ。
スーパー2階の文房具屋で佐藤の三文判と茶封筒を買い、4千円を1枚の封筒に入れる。1階でピク〇ックコーヒー味を2本買ってバス停前のベンチに座っていると黄色い傘を片手におーいと手を振る早紀がやってきた。
「おはよう、今日はありがとうございます。」
「おはよう、はい、これ、傘ありがとう、助かったよ。」
ピ〇ニックとウエストポーチから取り出した茶封筒を渡すと早紀は封筒をのぞき込んで困り顔で尋ねる。
「こんな大金どうしたの?受け取れないよ!」
「お母さんをパチンコ屋に迎えに行く度に横で遊んでいるけど、ガチャガチャやっているとたくさん玉が出できて、どうやらお金が貰えるみたいなんだ。遊びなのにお金が貰えるって面白いね。それは今日のお礼、早紀姉さんの口座でも祐樹君の分でもいいので使ってください。」
僕は笑顔でストローを差し込んで飲み始めた。早紀は疑うような自問自答するようにうーん、うーんと悩んでいる様子だ。
「今日の僕は佐藤 太郎です、早紀お姉さんは知り合いの子供の付き添いと考えて、所謂子守料です。」
お金を受け取ることに納得できていないようだが、行こうかと言って早紀は立ち上がり、ロータリーを渡ると智則が住んでいる公団の6号棟の地階にある銀行に着いた。
自動ドアを抜けるといらっしゃいませと聞こえてきた。早紀に続いてカウンターに行くと、早紀は自分の息子と近所の子供の口座を開設したい旨を銀行員に伝える。何も問題が無かったのか2枚の開設用紙を受け取る早紀を見てホッとした。
入り口付近にある記入テーブルで早紀は祐樹の分を、ぼくは佐藤太郎と偽の住所、4桁の番号を適当に記入してウエストポーチから1千円と佐藤の三文判を取り出し、お願いしますと早紀に渡した。
緊張しているのか硬い顔をした早紀の隣にソファーで座って待っていると暫くして中村さんと呼ばれた。当時は受付番号のシステムもなかったので個人情報も駄々漏れだ。早紀の後ろを付いていくと佐藤 太郎君、はい、どうぞと三文判と通帳とキャッシュカードに粗品のティッシュをケースごとくれた。
通帳に1,000と記載されていることを確認してすべてをしまう。カウンター越しに、あら、しっかりしているのねと銀行員の小さな呟きが聞こえた。ありがとうといって早紀と一緒にカウンターを離れてお互いを見て微笑む。
「ATMも確認したいからあっちに行こう」
「そーだね」
よし、これで閉店時間さえ過ぎなければ一人で預金できるぞと嬉しくなり、早速ウエストポーチに残っている中から2.4万円を預けた。
銀行から出ると早紀はふ~と一度大きく深呼吸した。
「うまくいったね。太郎君」
「ありがとうございました。誰も聞いていないので真矢でいいですよ。」
「もうすぐお昼だけどお家に帰る?」
「どうしよっかな?」
「祐樹の保育園が今日は半日だからこれからお迎えなの。良かったらお昼ごはんを家で
食べていってよ。」
「えっと、先に傘とティッシュを置いてくるのでお迎えが終わったらどこかで合流しませんか?」
「そーだね、買い物は家の近所のスーパーで済ますことにしているからそこの食料品売り場で見つけてね。」
「分かりました。また後で。」
部屋に着いた僕は傘とティッシュケースを片付けて出かける準備をする。残っていた3千円をポーチから取り出し畳んでポケットにしまい、通帳や三文判、キャッシュカードを輪ゴムで一纏めにしてビニール袋に2重で包み洗濯機を持ち上げて隠した。
出かけようと扉を閉めていると僕は緊張していることを自覚した。前世では初級魔法使い、はっきり言えば30歳を過ぎても童貞だったので、子供時代は兎も角、成人してから女性の部屋に入ったことは無かった。肉体的には4年生だが精神年齢は30歳を超えている。スリップしてから下半身にムズムズと感じたことが無いので大丈夫だと思うが、気を抜かないようにしよう。
早紀が働いているスーパーから10分ほど離れた別のスーパーに到着し、二人を探して5分程歩いていると、カートを片手で押しながら小さな男の子と手を繋いでいる早紀を見つけた。
「こんにちは、早紀お姉さん、祐樹君は初めましてだね。」
「真矢ちゃん、こんにちは、ほら、祐樹、こんにちはでしょ?」
僕は目線を合わせるために屈みながらこんにちはと祐樹に声をかけると、祐樹はあっかんべえをして早紀の後ろ隠れてしまった。
「ほら、もう、しょうがないわね。」
祐樹は隠れながらおなら、うんち、ブッブッと独特な踊りを早紀の後ろに隠れながらしている。(MPが削られそうだ。)
苦笑いしながら祐樹にお菓子を買ってもいいかと早紀に尋ねて一緒に棚に向かった。祐樹は赤ちゃんせんべいが好きなようでハイ〇インを1袋籠に入れ、早紀に尋ねるとアーモン〇チョコが好きだと恥ずかしそうに籠に入れた。僕はあまり堅くない?固くない?醬油せんべいとフレンチサラダ味のチップスを選んで菓子籠分は僕が精算した。
固辞されたが半ば強引に早紀が買った食材の入ったレジ袋を受け取るとありがとと言いながら頭を撫でてくれた。ハイハ〇ンを持っている祐樹も僕も僕もと早紀にせがんでいる。
アパートの2階の一番奥が早紀達の部屋のようだ。早紀は鍵を開けてちょっと待ってねと言って食材の入ったレジ袋を受け取り扉を閉めようとすると、祐樹はただいまと早紀をすり抜けて入っていった。
アパートの手摺から外を見ていると背後からどうぞと声が聞こえたのでお邪魔しますと言って部屋に入る。1k、1dkの区別が良く分からないがあまり広くはない。
「うちは祐樹と二人暮らしだからちょっと狭いけど今は十分かな」
早紀はエプロンを着けて昼食の準備を始めている。祐樹は奥の和室でテレビを付けて大人しく座っている。
「うがいと手洗いをしたいので洗面所を借りてもいいですか?」
少し間が合ったがいいよと聞こえたので移動する。慌てて片づけたのか洗濯籠が山盛りだったが見なかったことにしよう。
「何か手伝いましょうか?」
「ちょっと前から思っているけど急に大人になったね、」
「そうゆう年頃なんですよ。大人ぶりたいお年頃」
「自分で言うかな?」
早紀はフフッと微笑んで千切りお願いとキャベツを渡してきた。台所で切るには身長が足らないので冷蔵庫近くの食卓用と思われるテーブルで千切りを作り、何となく部屋を見渡す。片づけたのか元から物が少ないのかスッキリしている。
生姜とタレの混じった香ばしい匂いがしてきて腹がグーと鳴った。祐樹もやったー、生姜焼きだ、とこちらにやってきた。
3人でいただきますと昼食を食べ始める。幼い子供と一緒の食事はとても忙しい。
「生姜焼き、美味しいですね。豚肉が全然パサパサしてない。」
「わかる?豚肉に小麦粉をまぶして焼くことがコツかな、こら、祐樹食べ物で遊ばない。」
<ご馳走さまでした>
「お粗末様でした。」
早紀と一緒に食器を片付けて僕だけ和室の入ると祐樹がドーンと言ってオモチャを片手にぶつかってきた。一緒に遊びたいようだ。
「なあ、兄ちゃんは誰だ?」
「僕の名前は山田真矢、10歳だ。小さい頃に、たぶん今の祐樹くんぐらいの年かな、とてもお腹が空いていて困っていたんだ。」
「可哀想、おなかが空くのはいやだね。」
「うん、祐樹君のお母さんが働いているスーパーで困って座っていると早紀お姉さんが僕を助けてくれたんだ。何度もね。いつからか早紀お姉さんのことが大好きになっていた。」
「おねえさん?お母さんじゃないの。」
「僕にとっては本当のお母さんがいるから、早紀お母さんと呼ぶのはおかしい、自分より年上の女の人はお姉さんと呼ぶんだよ。保育園でもお姉さんがいる友達もいるでしょ。」
祐樹は僕の方がもっとお母さんが好きだよと言いながらいろいろなオモチャを取り出しては説明をしてくれたが次第に静かになってきて、いつの間にか眠ってしまった。端に畳んであったキャラクター物のタオルケットを掛けてあげる。
色々と片付いたのか早紀もやってきたので、勝手に急須でお茶を用意する。
「ほんとに、、これからは真矢君と呼んだ方かいいかもね」
早紀はテレビの音量を小さくして祐樹を撫でながら話し始めた。
「さっき言ったけど母子家庭なんだよね、旦那とも色々あって離婚したし。」
「早紀お姉さんには家族は居ないのですか?」
「物心ついた時から児童養護施設に入っていてね、中学卒業後から働き始めたの。」
「僕も1年間入っていました。小学校1年生の1年間」
「だから突然見かけなくなったのか、心配したな。」
「最初の工場も直ぐにやめてしまって、暫くフラフラしていて夜のお店で働いている時期に元旦那に出会ったんだよね。出会った当初は優しかったし、何より誰にも頼れない心細さを埋めてくれたから有難かったけど、だけど、、」
「だけど、、」
「結婚して祐樹を出産して、そうだな、祐樹が1歳を過ぎた頃かな。急にお金が必要だから夜の店で働けって言ったの。もともとどうやって稼いでいたのか分からなかった人だったけど。1歳の祐樹を家において働けないと言ったとたん、殴りかかってきて、初めて手を挙げられた。段々と暴力もエスカレートしてきて、、」
「もう、いいですよ、無理に思い出さなくても。」
「ううん、私が言いたいし、覚えておいてほしい事もあるから。」
早紀は一度湯呑からお茶を啜って話を再開した。
「そのうち祐樹にも暴力を振るおうとして我慢の限界であの人がいなくなった隙に残っていたお金をかき集めて祐樹と一緒に家を出た。頼るところも無いから、結局育った施設に行った。施設の先生が色々と助けてくれて、でも、色々とあって、私も仕事と住む場所、生活の基盤を作る必要があったから祐樹を1年間預かって貰った。」
「もしかして、4年前の僕が6歳頃の話?」
「そう、階段で蹲っている真矢君を見て祐樹の事が心配になってどうしようもなかった。」
早紀はその後暫く嗚咽を吐きながら5分程泣き続けた。
「3年前に祐樹を引き取る手続きをしながら旦那とも離婚した。あっちは祐樹に会いたがっているようだけど合わせるつもりはない。」
「あの、祐樹くんは5歳か6歳ですか?」
「祐樹は6歳で、ちなみに私は今年25歳、、そうそう、覚えておいてほしい事なんだけど。」
「はい」
「親切顔で近づいてくる大人には気を付けた方がいいよ。思い返せば、元旦那も出会った当初はやけに家族関係などを気にしていて、気持ち悪いぐらい親切だった。逃げ出さない、逃げ出せない子を探している、選別しているようだった。」
祐樹が目を覚ましたので早紀は終わり終わりと吹っ切るように立ち上がった。テレビの時刻は3時を過ぎているのでそろそろお暇しようと僕も立ち上がる。
「兄ちゃん、帰るのか」
「あんまり長い時間お邪魔すると早紀お姉さんに迷惑になるからな。」
お邪魔しましたと言って玄関で靴を履いていると祐樹がやってきた。
「また遊ぼうよ。」
「そうだ、早紀お姉さん。今月の月末のお祭りに祐樹君と一緒に行きませんか?夜の時間は混むし危ないから午前中に。」
行きたいと早紀にせっつく祐樹の頭を撫でながら僕は言う。
「祐樹と一緒に楽しみに待っているね。時間はまたスーパーに来た時に決めよっか。」
いつものスーパーに行って店内を物色する。まだ2千円あるのでちょっと豪華な夕食を作るとしよう。カレーも好きだがハヤシライスはもっと好きなので具材を見て回る。2種類のルーとトマトは必須でピーマンと本当はマッシュルームが良かったがシメジで妥協した。静は豚肉しか使わないが、ハヤシライスには牛肉の方が合うので買えるだけ買って帰宅した。
「ただいま」
返事も電子音も聞こえてこなかったので三久も外出中のようだ。時間は16時を過ぎたばかりで余裕があるのでご飯も炊くことにした。ガス釜のご飯は電気炊飯器で作ったご飯よりもおいしく感じるのは何故だろう。
ご飯を仕掛けハヤシライスを作り、余ったトマトとキャベツでサラダを作った。少しは食卓の色彩が鮮やかになったなと思い、興が乗ったので卵焼きとピーマン炒めも作ってしまった。ご飯が炊けたのかいい匂いが漂ってきたので火を止める。
三久と静はまだ帰ってきていないので一人で食べ始めてもとなあ思い、筋トレを済まして帰宅すると二人ともすでに帰っていた。どうやら食べずに待っていてくれたようだ。
<いただきます>
夕食を終え、入浴を済まして漢字の書き取りをしていると、ピンポーンとチャイムが鳴りこんばんはと聞こえた。
僕が扉を開けると牧 絵美がこんばんはと言ってお盆に載っている焼うどん3皿を渡してくれた。
「夕食が余ったからよかったらと思って持ってきたのだけど。」
どう見ても余った量ではなくわざわざ用意してくれようだ。
「いつもありがとうございます。いただきます。そうだ、お昼にハヤシライスを作った余りがあるのでよかったらどうですか?ちょっと待ってください。」
お盆を受け取りタッパーにハヤシライスを詰めてこぼれないようにラップに包みお盆に乗せて返した。
あら、おいしそうと言いながらしかし怪訝な顔で帰って行った。
僕は部屋に戻って漢字の書き取りの続きを終えて就寝前の洗面をしているとハッピーが小さく吠えた。
『ワン』
渡したハヤシライスを気に入ってもらえたようだ。
月末の祭りが楽しみだな、牧 泉美と智則も誘ってもいいかなと眠りにつく真矢であった。