4話 僕の名前は佐藤 太郎(自称) (1985年6月その2)
目を覚ました真矢は背伸びをしながら起き上がり窓から外を見るとシトシトと雨が降っている。目覚まし時計を確認すると10時を少し過ぎているようで既に静と三久の気配はない。
「ハッピー、おはよう!」
『モーニング』
換気の為に両方の部屋の窓を少し開け、インコ達にもおはようと声を掛けながらゲージの掃除と餌やりを手早く済ます。欠伸をしながら一通り部屋の掃除を終えると朝食のためのゆで卵を作るために水を入れた鍋に火を付ける。
「ハッピーは空腹を感じたり、エネルギー切れになったらどうするの?」
『こちらの食べ物を食べてみたいと思うけれど、思念体だから空腹感は無いね。エネルギー切れに関しては問題なさそうだ。』
毛繕いをしながらハッピーが答えた。
「食事の心配がないのは羨ましいな」
真矢は寝ぐせのついた髪の毛を手櫛で抑えながら歯磨きを終えて、ゆで卵3個の白身部分にマヨネーズを付けて朝食を終えた。
早紀姉さんをレジで見かけるのは確か15時頃までなので、煮干し丼を机の片隅に用意して14時半過ぎまで4年生の算数の復習をすることにした。教科書をパラパラとめくり、四則演算は問題ないので台形などの公式を覚えているか確認しながらページを進める。算数の教科書を読み終えるとほぼ同時に煮干しも食べ終えたようだ。時計を確認すると14時を少し過ぎているが残りの30分で衣服の山を片付けることにした。
傘を持ってスーパーに着くと店内でピク〇ック(パック入り牛乳飲料)コーヒー味を2本持って5番レジに向かい早紀お姉さんに挨拶をする。
「こんにちは、早紀お姉さんにお願いがあるからお仕事の後でいいのでお話できますか?」
「こんにちは、私の仕事は15時までだからその後なら大丈夫よ。バスターミナル側の一番奥のベンチで待ってて、あ、120円になります。」
「はい、500円」
「380円のお返しになります、ありがとうございました」
また後でと飴玉をくれた方の手を小さく振っている。
暫くすると雨の様子を気にしながら早紀お姉さんがやってきて僕の隣に腰を下ろした。
「参ったな、傘を持ってくるの忘れちゃった。これから祐樹のお迎えに行かないといけないのに。」
「来てくれてありがとう、お仕事お疲れ様です、これでも飲んで」
早紀お姉さんはピクニッ〇コーヒー味を受け取ると有難うといいながらストローを差し込んで飲み始めた。
「ふう、お願いがあるようだけどまずは話から聞かせてほしいな。」
「うん、、銀行口座を作りたいけれど子供だけでは作ることが出来ないと思うから付き添いをしてほしいです。」
僕もピ〇ニックコーヒー味を飲み始め、片手で合掌?的な動作をしがら頭を下げた。
「月曜日はお休みだから午前中であれば大丈夫だよ。」
早紀お姉さんは真矢の事情を察してくれたのか快く協力してくれた。
「ありがとう、早速来週の月曜日にお願いしたいけどだいじょうぶですか?」
「オッケー、来週の月曜日10時にここで待ち合わせしよっか?」
「お願いします。それと僕は口座を作る時は佐藤 太郎と名乗ります。もし銀行員に僕との関係を聞かれたら知り合いの子供と答えてくれると助かります。」
「私も祐樹のために口座を作ろっかな?、、そろそろ行かないと。」
「ありがとう、黄色い傘で良ければ僕のを持って行って。」
「うん、ありがとう、じゃ来週月曜日10時ね。」
『ワン』
僕はハッピーの鳴き声を脳内で聞きながら足早に去ってゆく早紀お姉さんに向かって手を振った。
当時銀行口座を開設する際に身分証明書を求められることはなかったことから複数名で口座を持っている人は普通にいた。現在では身分証明書の提示が必須の為に偽名で口座を開設できないし、他人に譲渡することも法律で禁止されているので良い子の皆はマネしないでね!
小雨が降る中探し歩き、2店舗めの「玉天国」で静の姿を見つけ、ポケットから昨日買った黄色の耳栓を取り出し両耳に差し込んだ。。
静の右隣しか空いていないし、さらに僕の右隣にもおじさんがいるのでハッピーに話しかけながら羽ものを打つのは難しそうだ。
『真矢のお陰で感情エネルギーは少しある、僕の助けは必要かな?』
僕は左手で頭を掻き、不必要と伝えた。
残りの耳栓を静に渡したが使い方を知らないらしく、左手に握ったままそのまま打ち始めてしまった。僕はハンドルを握る静の右手を揺すって握っていた耳栓を受け取ると静の両耳に差し込んだ。他人に耳栓を差し込まれた経験が無いのできちんと遮音出来ているのか不明だが、無いよりはましだと思うことにした。
ポケットから100円硬貨を3枚出して1枚を玉貸し機に投入する。昨日ハッピーに教わった捻り打ち?を試すと最後の100円硬貨分の貸し玉がなくなる前にボーナスを獲得することが出来た。よし、これで貯金計画は何とかなりそうだと考えながら8R分を消化し終えると右隣りのおじさんがチっと舌打ちしながら去っていった。左隣を見ると静も僕と同じようにハンドルを左右に調整しながら打っているようだがなかなかうまく当たらないようだ。
1箱山盛りのプラスチック箱を静の座席下に置き、上皿と下皿に残っている玉を使って次のボーナスを目指す。その後3回同じようにボーナスを獲得して静の座席下に2箱、僕の座席下に2箱出玉を獲得できたので帰ることにした。
静はやっと自力でボーナスを獲得できたようで嬉しそうに煙草を吸っていたが、ボーナスを消化し終わったタイミングで僕は静に言った。
「そろそろ帰ろうよ。」
声が聞こえなかったのか打ち足りないのか直ぐには席から立ちあがらなかったので、僕は座席下にある4箱の山盛りプラスチック箱を指さした。
驚きを表すようにたばこの灰がポトリと一塊で落ちた。静も帰ることに同意したのか立ち上がったので、僕は複数の箱は同時に運ぶためのカートを取りに行き、4箱をカートに並べた。静は自分が獲得した出玉は打っていた台に置きっぱなしのままなので、やはり打ち足りないようだ。
静は4箱分の出玉を精算機に投入しレシートを受け取ったので、その後ろに続いて景品カウンターについていった。静と一緒に並んでいると小さな女の子がぶつかってきた。その後を追いかけるようにお兄ちゃんらしき子供が向こうから駆け足で寄ってきて僕に向かって何か言っている。
「・・・・!」
片方の耳栓を外すとようやく聞き取ることが出来た。
「妹に謝れ!」
「うん?、ごめんごめん」
この年で当たり屋やかと冗談半分に考えていると妹を背に庇いながら真剣な顔で続けて言った。
「パンをくれたら許す。」
景品カウンターでは注文しなければすべての獲得出玉分を特殊景品に交換してくれる。しかし、1玉4円で玉を借り食料品など通常景品ならば精算時も4円換算で交換できるが、特殊景品に交換する際には1玉2.5円換算されてしまう。
パンをあげるにしても現金でパンを購入するより店内で交換した方が得だ。
静がレシートを交換するタイミングで僕は店員のおばさんに言った。
「おばさん、菓子パンとピク〇ックと魚肉ソーセージを2つづつ下さい。もし余裕があれば合計で200玉になるようにお菓子を追加してほしい。」
菓子パンセット誕生の瞬間であり、後に子供がパチンコ屋で真矢と出会うと貰える定番の土産となる。
同じ組み合わせで作ったビニール袋2袋を僕に渡してくれ、残りは特殊景品入りの段ボール箱と端玉分のサイ〇ロキャラメルを静に渡してくれた。
真矢はポケットに残っている10円硬貨2枚取り出して、幼い兄妹に菓子パンセットと10円硬貨を渡した。
「許してや、、ありがとう。」
「あんがと。」
『ワンワン』
「次に会う時はわざわざぶつからなくても良いから。じゃあな」
兄は少し赤面し、妹は良く分からないによう首を傾げている。
手を振る兄妹を後にして静と一緒に古物屋に行く。静の手には小さな段ボールに特殊景品が19本入っていて、景品と交換すると9500円を窓口で受け取った。今日も全額渡してくれたので、1000円札を1枚渡した。
『ワンワン』
「なるべく早く帰ってきてね」
僕はパチンコ屋に再び向かう静の背に向って小さく言った。
いつの間にか雨は止んだようだと歩き出し、微かに耳の痒みを感じたのでもう片方の耳栓も外す。その後スーパーの2階の雑貨屋に行き特売で500円のウエストポーチを購入し、1階で食材の卵2パックと煮干し1袋を購入し家に帰ることにした。
「ただいま」
扉を開けると電子音が聞こえたので三久はゲームばっかりだなと思ったが、少なくとも毎日学校に行っている点においては真矢よりも余程真面目だと考えなおした。
卵2パックを冷蔵庫に入れてから時間を確認すると17時を少し過ぎている。頭の中で就寝までの予定を立てる。子供部屋に移動し開封前のタオルと使い古した靴下1セットを探し出す。靴下の指先部分を裁縫道具箱から取り出した裁ちはさみを使って切断し、用意したタオルと共に買ったばかりのウエストポーチに詰め込み現金は机の奥に隠す。
筋トレ後にお風呂に入るために浴槽掃除に取り掛かり、ガス釜のスイッチを入れる。
「出かけるけど20分ぐらいでお風呂が沸くからスイッチを止めてね」
「分かった。」
三久の返事を確認して真矢は1階の階段踊り場に向かった。
1階階段の踊り場で屈伸してからアキレス腱伸ばしをしているとハッピーが声をかけてきた。
『誰に見られるか分からないから一方的に話しかけるけど大丈夫かい?』
真矢はウエストポーチから取り出した新品のタオルを首に掛けながら右手で頭を掻いて、階段を駆け上がり始める。筋肉痛を少しも感じなかったので強度を上げることにしたからだ。
『了解のサインだね、よし、今日パチンコ屋で出会った兄妹についての説明をするよ。出会い云々ではなく以前に説明した間接行為について理解を深める良いシチュエーションだったからだ。僕の鳴き声で真矢の行為を兄妹が喜んでいたことは分かると思うけど、中村早紀から受けた行為のおかげで真矢は同じように兄妹に行えたといえる。中村早紀と兄妹は面識がないと思うけど、中村早紀から視ると間接行為が繋がって連鎖したと言える。中村早紀も誰かから過去に受け取っているかもしれないし、もしかしたら兄妹も将来同じような状況で知らない誰かに優しくするかもしれないし、しないかもしれない。
何が言いたいかというとこれからも励んでみて、運がいいことに真矢に集めてほしい感情エネルギーは嬉しいという感情だから。』
右手で頭を掻きながら階段を黙々と駆け上がる。キツイ、3階の踊り場に着いた頃には汗が吹き出てきて、ようやく屋上に着くとへたり込んでしまった。喉がカラカラだ。
顔を洗って水を飲んで一息ついたので、腕立て伏せ6回と先端を切った靴下を両腕に付け肘に充ててプランク11秒間行い最後にストレッチをして帰宅した。
「ただいま」
帰宅すると静と三久は食事を既に夕食を始めているようで、僕もTシャツだけ着替えて夕食に参加した。三久の髪の毛は濡れているので今日は先にお風呂に入ったようだ。メインは手羽先のから揚げ(通称サクランボ)で納豆丼も食卓に載っていることから静は気に入ったことが分かる。
夕食を終え食器を台所に戻し煮干し丼を片手に子供部屋に籠る。子供部屋おじさん(中身)だ。
社会、理科と教科書を捲っていき、まだお風呂に入っていない事を思い出したので散髪に行って坊主頭にしたいなとぼんやり考えながら入浴を済ませた。歯磨きを終えて子供部屋に戻って就寝しようと団らん室を横切ると布団の上でのんびりテレビを見ている静と三久を見かけておやすみといって布団に入った。
数日後の土曜日は学校に行く予定だ。スリップしてから初めてきちんと授業を受けるので少し気が重いなあと眠りにつく真矢であった。