2話 現状把握(1985年6月その1 10時から14時)
(う~ん、臭い、痒い、そして何だかお尻が痛い)
僕は目覚めると知らない天井を見ていた。どうやら21年間分タイムスリップしたことは夢ではないようだ。その証拠にお尻に痛みを感じるからだ。夢の中では痛みを感じないらしいが真矢は試したことが無いので本当は解らない。
前世?でも夢を見たことを覚えていることが良くあって、いつかは夢の中だと自覚しつつ過ごしてみたいと思っていた。
臭い、痒いの原因の煎餅布団だが、しかし、お尻が痛いと感じるのはなぜだろうと自問しながら起き上がる。半ズボンのお尻部分を触るとなんだか湿っている。慌てて半ズボンと一緒にパンツをおろして確認すると出血していたようで白いブリーフが血に染まって赤く変色していた。
確かに昨夜寝る前に6歳から7歳まで生活していた児童養護施設の呪いの行為をことを思い出しながら眠りについたが。
分からない事は考えても仕方がないし出血はすでに止まっているので、諦めて他のパンツと半ズボンに着替えることにした。呪いのパンツと半ズボンは黒いビニール袋に捨て、お風呂場に行き浴槽に貯めてある昨夜の残り湯を桶で掬ってお尻を洗った。ヒリヒリする。
洗濯済みの衣服を畳んでタンスに片付ける人は家族には誰もいないのでインコゲージの近くにある衣服の山までフルちんで移動し着替えて早く洗顔、歯磨きを済ます。
冷蔵庫の中にはモーニングセットの残りのゆで卵が幾つかあり、そのうち2つ取りを取り出して子供部屋にある自分の学習机の椅子に座りマヨネーズを付けて食べた。おやつ感覚なので挨拶はなし。
母親の静は僕たちに朝食を用意したことは一度もなく喫茶店モーニングが利用できる時間に起きたら一人勝手に出かけて朝食後そのままパチンコ屋に行くのが日課だ。
偶々姉弟のどちらかが朝早く目覚めている場合は二人を連れていってくれるので朝食にありつける。
目覚まし時計で時間を確認すると10時を少し過ぎている。母親の姿は当然部屋になく今頃はパチンコ屋だろう。三久も学校に行った後の様だ。
「さて」
意を決して謎の存在に話しかけることにした。タイムスリップしてからずっと空中を漂っている黄色と黄金色の中間色のような毛並みでたれ耳が特徴のビーグル犬がお座りの状態でこちらを凝視しているからだ。
「君は誰?僕に何が起こったのか説明してくれるとありがたい」
『やっと話しかけてくれたね。』
ビーグル犬は舌を出して口角を上げ嬉しそうに小さくワンと鳴いた。
「頭を打った後だしね、タイムスリップなんて現実とは思えなかった。僕以外には君の姿を認識していないようだったし。それに」
『それに』
「関わり合いにならない方がいい気がして。魔〇少女になって世界を救って欲しいとか無理難題を押し付けられる気がしたから。」
『チッ』
「今何か言った?」
『冗談だよ。僕の名前はハッピー。小惑星ダイスから来た思念体だ。』
「毛並みが黄色い子犬で名前がハッピーとは随分安直だな」
『言っておくが僕の姿がビーグル犬の子犬に見えてその子犬の名前がハッピーなのは真矢の記憶のせいだから。もしほかの人が初めて僕の姿を認識したら違う動物で違う名前になるよ。もう真矢のせいでこの姿に固定されたから仮に僕を見える人からも黄色い毛並みのかわいいビーグルの子犬だよ。』
「かわいいかはともかく。とりあえず自己紹介。僕は山田真矢31歳でいいのかな?これからよろしく」
『よろしく。じゃ早速設定の、、ゲフンゲフン。
状況の説明をするよ。分からなければその都度質問してよ、可能な範囲でなるべく答えるようするよ。』
「部屋の掃除をしながら色々質問させてもらうよ」
掃除の基本は上から下だと誰かに聞いたことがある。できれば玄関の鉄製のドアも開けてしまいたかったが2部屋の窓を開けてまずは換気をする。昨夜使った煎餅布団を子供部屋の窓に掛け、もう一部屋の静と三久が使っている布団はこちらの部屋の窓に掛けた。埃がすごい。鼻と口を覆うためにマスクが欲しいがタオルで代用する。木製の布団たたきをフルスイングで振るいながらハッピーの説明に耳を傾ける。
『真矢は部屋の中いて掃除している。
まず次元の話だけど3次元の概念はわかるよね。X軸、Y軸、Z軸。空間』
「唐突だね。うん、でもわかるよ。数学や設計などで座標としても使うし、日常生活では高度を意識することは少なく文字、写真や映像だと奥行きを感じにくいので2方向の情報がメインだけど、3方向の座標を繋いでで出来るのが空間なのは理解できる。」
『次に空間の原点はどこかについて。
座標もしくは位置情報の数値は太陽系規模で考えると原点としては太陽の方が正しいから地上では不偏なはずの空間の位置情報は常に変化しているはずだよね。原点は動かない場所に設定するはずだから。』
「地球は自転していて太陽の周りを公転しているからたしかにどこを原点、起点として設定するかで位置情報は変わるなあ。」
『次にいつ空間内にいるかだ。3次元空間内のどの時間か?
真矢の存在を固定、判別するために必要な要素なら時間も次元の1つと考えることが出来る。ただし、君の場合は時間軸が少しややこしい。』
「21年間分タイムスリップした今の僕にとってはこれから起こる事象が前世?と全く同じと仮定すれば、過去を追体験するだけといえるけど、実際には未来といえる。なぜなら10歳なのに31歳までの記憶があるので前世?と同じ選択をするとは限らず。記憶には無い体験をするだろうから」(むむ、ややこしくなりそうだ。)
真矢は顔を顰めながら布団を裏返してフルスイングを繰り返す。
『3次元プラス時間で4次元と考えると今真矢は5次元の空間にいることになるんだけどね。』
「追加の1次元分に関して詳しく教えて欲しい」
『所謂パラレルワールドや分岐点という考え方。真矢が前世?と考えている地球が存在している次元を仮に次元Aとする。ところで人は生まれてから死ぬまでに生命の危機に瀕することがある。真矢にも何度かあって記憶していると思うけど。』
「例えば昨日の様に頭を強く打つようなこと?」
『そう、次元Aでは問題はなかったけど運悪く死んでいた可能性もあるよね。というかこの次元では真矢は死んでいたんだ。本来なら。
ところが次元Aで死んだ真矢の記憶もしくは魂が次元Bの10歳の体に入り込んだ。』
「僕は死んだのか。死んでからどうなったの?一人暮らしだったし姉とも疎遠で最も早く連絡をくれそうなのは無断欠勤を叱るための仕事先の班長ぐらい、次に早そうなのは家賃の振り込みを確認できない弁護士だと思うけど」
『終わったことだし今更何もできないけどそれでも本当に聞きたいかい?』
「ハードディスクの中身がどうなったかだけでも」
『それに関しては真矢のお気に入りのAV女優が誰なのか知られたくらいで大した問題じゃ・・』
「終わった。」
項垂れながら子供部屋に移動して窓に干してある布団を脱力しながらたたき始める。3分ほど呆けたように同じ動作を繰り返していたが気を取り直してフルスイングをし直し、裏返した布団をこの日一番のスイングスピードで振りぬいた。(さようならHDD。AV女優の○○さんお世話になりました。合掌)
165cmあった身長が今は140cmにも満たないので、手の届く範囲をはたきを使って家具やドレッサーに付いている埃を落とす。次に机の上にある漫画や雑誌、新聞などを一纏めする。紐を使って縛るのは後日にしよう。
掃除機を使って子供部屋、団らん室、ダイニング的な空間を掃除する。最後に学習机やこたつ机など平面を水で濡らした雑巾で拭いた。
次は悪臭の元であるインコゲージの糞受けトレーの新聞の交換だ。下手な油絵かと思うほど量が溜まってたが、糞受けトレーの新聞2か所交換し、ピヨピヨ鳴くインコのためにすぐに新しい水と餌を上げた。
ハッピーとの会話中だったことを思い出した。
「ハッピーからの声は直接頭の中で聞こえるけど僕からは発声しないと会話できないよね。」
『思念体の僕は発声していないし出来ないけど言いたい意味はわかる。他の人には見えないし聞こえない思念体の僕を真矢は認識できているだけでもすごいと思うけど、こればかりは仕方がない。』
「他の人がいる時でも簡単なコミュニケーションぐらいは取りたいから簡単なブロックサインを決めとくよ。右手で頭を掻いた時は肯定(Yesの意味)で、左手の場合は否定(Noの意味)でいいかな?」
『オーキードーキ』
「欧〇か?」
「話を戻すけど次元Aで死んだことは理解したけどどうして僕の意識はこちらに飛ばされたか聞いてなかったな。」
『輪廻転生の環から真矢の魂が外れたからだと思う。生前の君は結婚せず一人暮らしだったよね。まず命を次の世代へつないでないよね。また他人に技術や思想を伝えることもなく、君の性格も内向的で他の人との交友関係も皆無だ。誰からも思い出されることもない、世界に何も影響力を及ぼさないような生活をしていたから地球というかシステムにとって不必要な存在として削除されたんだと思う。
輪廻転生の環とは、そうだな真矢が好きなゲームに例えるユーザーIDと新しいゲームで新しいアバターを使う関係に近いと思う。ゲーム機のユーザーIDはいつも一緒だけど、新しいゲームを始めるつまり生まれ変わりで、毎度アバターも作成し直すし当然スキルなどもリセットされる。今回はユーザーIDごと削除されることになったみたいで不要になった次元Aの真矢の意識は丁度空いていた10歳の体に入ることが出来た。』
「パラレルワールドや分岐というのは途中セーブみたいなものか」
『イグザクトリー』
「そのキャラウザイのでチェンジで」
『次元Aの地球では不必要と判断された意識(=アバターの真矢)が次元Bの21年前のセーブデータに残っていた体に入り込んだ。体と意識がないと人間は生きていけないからね。ちなみに真矢、元データが削除されたので次のスリップもないし、寿命も100%に近い確率で31歳だよ。それ以上の寿命を得る確率は、サッカーくじをコンビニで10口購入してすべてが同じ組み合わせになる確率だよ』
「あれって初めから抽選するつもりもなかったんじゃないかな?、、。
ともかく、
時間と次元の2次元分スリップした原因は何?いや僕を選んだのはなぜと聞くべきかな?」
『小惑星ダイスは次元A以外の次元にしか存在できないみたい。21年周期で地球とニアミスする垂直方向に公転しているけど、次にニアミスする時は毎回別次元の地球なので僕も正確な原理は解らない。
で、名前から分かる通り1辺1kmの立方形の小惑星なので資源と呼べるものは何もないく、唯一のエネルギー源は太陽光だけ。地球の様に地軸の傾き角が無いので常に太陽光を得ることが出来る面は1面だけだ。1天地6、サイコロの1上面・2西・3南・4北・5東・6底に位置している。
6面にそれぞれ生命体が住んでいるけど1面だけが常に太陽光を得るのは流石に不公平だと中の人が考えたらしく、ある時から21年毎にポールシフトが行われるようになった。ポールシフトを行う際の基準は集めてきた感情値の量が最も多い代表がしょぞくする面が1面に位置することが出来るようになった。
感情はエネルギーだからね、行動を起こしたり続けたりするモチベーションに繋がるし過去の体験には色々な感情が付随しているので、それらを何かのきっかけで想起させることで何度も使用可能。ダイスでも地球で集めた感情値を利用させてもらっている。』
「感情値を集めるのが目的ならば僕を選んでは勝てないでしょ。」
『それは僕がギャンブラーだからさ。キリッ。
次のポールシフトまでの21年間で感情値を集めるわけだけどもう一つ条件があって次元Aでの死亡時の感情値即ち他者への影響力と次元Bでの死亡時とのギャップで競うので真矢を選ぶことはあながち間違っていない。
元の数字が限りなくゼロに近いから、』
「それ以上は言わないで下さい。シンでシマイマス。ところで、6面の代表者ということは僕以外にも5人いるのか?」
『輪廻転生の環から外れたかどうかは定かではないが、2006年に死亡且つ1985年に途中セーブポイントがあった内から5人は選ばれているはずだよ。』
空腹を感じたので時計を確認するとあと10分で14時だった。ある程度の情報は確認できたと思ったので僕は昼食をとることにした。冷蔵庫を漁って焼きそばでもいいかと独り言ちして具なしのソース焼きそばを作った。七味唐辛子を一振り振って食べているとハッピーは慌てて追加情報を教えてくれた。
『集める感情値は、真矢が嬉しいと感じる感情ではなく、真矢が他者に対して行った行為の結果、他者が嬉しいという感じる感情を集まることだ。ヒントとしては直接行為には時間や身体的な制約があるので、間接行為を通してうまく感情値を集めることだ。
注意点として直接行為でも相手が真矢個人を認識していなければ効果は半減する。見ず知らずの他人にされた行為は忘れやすいし、後から思い出されることも少ない。まして間接行為の場合はさらに半減するが現時点ではあまり関係ないので考えなくていい。情報量の多さで感情値の値が変動することを覚えておいて。
それともう一つ、真矢の一人称が俺から僕に変わっているけど気づいている?』
「全く気付かなかった。」
『肉体と意識は密接に関係しているんだ。本来はあり得ないが今の真矢は31歳の意識が10歳の体に宿っている。肉体年齢は10歳なので意識もそちらに引きずられるようだ。肉体年齢と精神年齢の齟齬による記憶の忘却も生まれる可能性があり、今朝の出来事も何か関連性があるかもしれない。手っ取り早い解決策は31歳当時の体形になるべく早く近づけることだね。』
「今の食生活ではカロリーはともかく栄養素が全然足りないな。どうにかしないとな」
試したいことが浮かんだのか洗面台に移動して歯磨きをする真矢であった。
文中で使用している記号についての補足説明です。
《 環境音 》
環境音で、聞こえている音の中で強調したい時に使用しています。
< 言葉 >
挨拶や会話の中で同じ文句を複数人が発する際に使用します。
『 ハッピーの発する言葉 』
真矢にしか聞こえないハッピーの言葉です。
「 会話 」
通常の会話で使用します。
( 心の声 )
口には出さないで心の下で留めている言葉です。