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第1話 双子の姉ばかり可愛がる毒父に思いやり溢れる老爺が憑依したよ

 うるせぇ!だまれってんだよ、この!」

「やだぁ!パパ、もうぶたないで!!」

 五歳の娘に手を挙げる俺、ひどい父親だと思う。

 だけど、もう抑えが利かない…。


 外面はいいんだよ。五歳の娘に手を挙げる外道が起業に成功して社長なんてしている。

 俺の名前は稲垣弘毅、二十八歳、会社社長だ。

 妻の茜二十六歳、双子の娘、愛花と愛梨は五歳、この四人暮らし。

 妻とは恋愛結婚、俺からのプロポーズで結ばれた。

 現在、家族の仲は良好とは言い難い。

 外では言えないが、実は俺と妻は次女の愛梨を虐待している。長女の優秀な愛花ばかりを可愛がる。

 双子と言っても、二卵性のため愛花と愛梨は全く似ておらず、姉の愛花は容姿端麗の美少女、妹の愛梨は地味な不美人、しかも右足に障害もあり、物覚えが悪い。



 姉の愛花は本当に目に入れても痛くないと思えるほどだが、どうにも妹の愛梨は愛せないのだ。どうしてなのかと思う。俺自身、姉と弟がいるが両親に差別されることも無く育てられたと云うのに。


 結婚前にDVや児童虐待のニュースをテレビで見た時には『ひどいことしやがる。どうして我が子にそんなことが出来るのか』と心底思ったものだが、いま自分は当事者になっている。おエラい心理学者さんなら、これこれこういう理由があって…とか説明できるのだろうが今の俺には分からない。


 せめて、嫁が体張って止めてくれる、というようなことがあればいいんだが俺と一緒になって愛梨を虐待しているから最悪の展開だ。


 ああ、俺は遠からず嫁と共に子供を虐待死させた最低の父親としてニュースに出るんだろう。こんな自分を客観視できるというのに娘への虐待が止められない。

 いまも娘の愛梨を叩こうと右手を振り上げた時だった。愛梨は身を縮め両腕で顔を守ろうとする…その時だった。



「ぐああああっ!」

 強烈な頭痛だった。今まで味わったことのない、頭が割れそうなというのは、こういうものかと。俺は両手で頭部を掴み、立っていられず両膝から地に着き、上半身の姿勢も保てずに顔面を床に叩きつけ、両手で頭部を掴んだまま苦しみ、のたうちまわった。

 それと同時に知らない知識と経験がものすごい勢いで頭の中に入っていく。

 昭和と平成、そして令和を生きた、一人の男の人生が…。


 そして、俺の意識は失われていく。ああ、分かる。この知識と経験の持ち主に俺自身が塗り替えられていくことに。だけど、どの道、我が子を殺した極悪人になるのは分かり切っている。これでいいんだ。俺は消えるべきなんだ。ああ、この新しい稲垣弘毅はまっとうなヤツならいいなぁ…。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「パ、パパ!大丈夫?」

 頬を赤く腫らした愛梨が父の私の顔を心配そうに覗き込んでいる。


 ああ、ああ…神様は願いを叶えてくれた…。


 私の名前は高橋次郎…。この稲垣家と同じアパートに住む独居老人だ。

 愛梨ちゃんは孤独な爺の私を『お爺ちゃん』と呼んで慕ってくれた。

 そんな愛梨ちゃんの泣き叫ぶ声、これに我慢ならず直接部屋に押しかけても父親と母親に暴力的な態度を取られ、警察と児童相談所に連絡しても、やつらはずる賢く切り抜けていき、通報者が私であることを分かっているため、うちの教育方針を妨害するなら、もっと愛梨に厳しい指導をすると言われ、どうにもならなかった。


 何とか愛梨ちゃんを、そして妹への虐待が止められず傷つく愛花ちゃんを助ける術はないかと考えた。

 だがよい思案など浮かばないまま時が過ぎ、私は部屋で孤独死をした。たった今の話だ。

 死の直前、意識が薄れるなか、私は願った。あの父親の魂と私の魂を取り換えてくれと。

 愛梨ちゃんを守り、育てていくのは、あの父親自身になるしかない。

 支離滅裂もいいところだが私は死の直前にそれを願った。そして、その願いは叶った。


「もう大丈夫だよ、愛梨…」

「パパ…」

 私は愛梨を抱きしめた。

「ごめん、ごめんな…。パパとママ、ちょっとお病気しちゃったようだ…」

「お病気?」

「そう、愛する娘が嫌いになってしまうという悪い人にかけられた呪いの病気だよ」

「それが…治ったの?」

「ああ、たったいま治ったよ。これから愛梨がお嫁に行くまでいっぱい愛して償わせてもらうからね」

「パパ…」


「あ、あなた、どうしたの?」

 茫然としている妻の茜だった。

「茜、今後も私と夫婦生活を送るのなら妹愛梨への差別を一切しないことを約束してくれ」

「はあ?急に何を言っているの!?しかも『私』って…」

 ああ、あの男は自分を『俺』と言っていたな。そんなことはどうでもいい。


「では、君は己が腹を痛めた子を虐待することが絶対に間違っていないと言い切れるのか」

「虐待!?あれは躾けよ!ブスで障害者、陰気な愛梨に並の養育でどうにかなると思っているの!?」

「だからといって叩いて、満足に食事を摂らせないことが正しいのか?私は君と揃って児童虐待で警察に捕まる未来は御免なのだが」

 この時点で、稲垣弘毅の中身は私、高橋次郎となっていた。齢を重ねたぶん、それなりに雰囲気も出ていたのだろう。二十代半ばである茜は気圧されつつある。

「……ちっ」

 茜は舌打ちをして愛花の手を握り、別室へと引っ込んでしまった。



「パパ…」

 夕食中だったらしい。愛梨の分は無かったのだろう。テーブルの上を見れば分かる。

「いま、愛梨の夕食をパパが作ってあげるからね」

「うんっ」

 かわいい、何でこんなかわいい娘を叩こうなんてしていたのか。


「ええと、おっ、うどんのパックがあるじゃないか。ネギと卵も!」

 私は愛梨に月見うどんと小ぶりのおにぎりを作ってあげた。

「わあっ、パパ!美味しそう!」

「ああ、冷めないうちにお食べ」

 美味しそうにうどんをすする愛梨、米粒が口の周りにいっぱいついている。


「なあ、愛梨、食べながらでいいから聞いてほしい。ママはまだ病気が治っていないけれど、パパが絶対に治すから。それと愛梨は幼稚園に行っていないからパパが勉強を教えてあげるからね」

「ほんとっ!」

「本当だ。愛梨、お金は使えば無くなってしまう。だけど一度覚えた知恵は誰も愛梨から奪うことが出来ない財産となる」

「ざいさん?」

「生きていくうえで一生の宝物となるものだよ」

「うん、愛梨、勉強がんばるね」

 よほどお腹が減っていたか、アッという間にうどんとおにぎりを平らげた。腹が膨れるや眠くなったか、舟をこぎ出したので私は愛梨がいつも寝ている床ではなく父親のベッドへと寝かせたのだった。



 稲垣弘毅の記憶は頭に残っていた。ただ人格はもう完全に消滅しているようだ。漫画のように体の内部から話しかけられるというのもない。どういう原理が発生したのかは知らないが不思議なこともあるものだ。あの毒父が会社の社長と知って心底驚いている。


 私、高橋次郎も元は経営者だ。戦後に生まれ、貧しい暮らしの中、バイトで学費を稼いで大学にも行き、卒業後は商社マンとして働いて、しばらくして独立し起業した。その後に結婚もし、子供も生まれた。


 バブル崩壊も何とか耐え抜き、仕事一筋に生きてきたが、それが良くなかった。女房は不倫し、子供はグレてしまい、やがて家庭崩壊…。気が付けば独りぼっちになっていた。


 会社は信頼できる部下に継がせて勇退、その後しばらくして倒産したと聞いた。

 私は年金と預貯金でその後の生活を送るため、当時新築だった、このアパートに越してきて趣味の小説を書いて余生を過ごしてきた。

 入居して何年経ったか忘れたが、稲垣夫婦が越してきた。引っ越しの挨拶に訪れた時は、さわやかそうな若夫婦と思っていたのだが、双子が生まれ三年も経てばひどいものだった。小さな女の子の泣き声が聞こえてきて…何とかしてあげたかったが年寄り一人では、どうにもならなかった。



 リビングに戻ると愛花がいて

「パパ」

「ん?ママはどうした?」

「寝ちゃった」

「そうか…。愛花もうどん食べるか?」

「うんっ!」

 愛花にもうどんを作った。美味しそうに食べている。愛梨と愛花の間には溝が生じていないようだが、後々姉として妹を守れなかったという心の傷が生じることも考えられる。愛花のケアもしっかりやらないと…と、思いながら愛花の顔を見ていたら、愛梨と同じく眠ってしまった。

 妻のいる部屋へと抱いて運んでいくと妻は起きており、私は無言で愛花をベッドに寝かせた。



「どういうつもり?さっきの言葉は」

「どういうつもりって…。娘二人を平等に愛そうなんて当たり前のこと、夫婦間で討論する内容なのか?」

「…………」

「ちょっと、おさらいしたいこともある。リビングに来てくれないか」

「…分かった」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 私はリビングのテーブルで茜と対し、切り出した。

「そもそも発端は何だったんだっけ?私たちが愛梨を愛せなくなった理由は」

「それは…障害があり、顔も可愛くないから…。健常で可愛らしい顔立ちの愛花の方に愛情が偏ってしまったわけで…。二人の年齢で言うのなら三歳くらいに、そうなってしまったかと思うけれど…」

「…お互い、子供のまんまで親になってしまったな…。そんなもので差別してしまうなんて」


「ねえ、どうしたの急に…」

「さてな、愛娘の悲痛な叫びで我に返れたんじゃないのか。で…今から愛梨を幼稚園に入れることは?」

「難しいわね」

「右足の障害、治療すれば治る見込みは?」

「生まれた病院で、そう診断された以降、他の医師に診せたことはないわ」

「アレルギーの類は?」

「知らないわよ、そんなのっ!ねぇ、本当にどうしたのよ、あなたがあなたじゃないみたいで気持ち悪いわよっ!」

「ちょっと仮説を立ててみよう。このまま愛梨の虐待と愛花だけ溺愛することを続けていたら、どんなことが起こりうるか」

「…………」


『一つ、愛梨の虐待死、我ら夫婦の逮捕』

『二つ、泣き叫ぶ愛梨の声から通報、同じく逮捕』

『三つ、親戚、もしくは施設を経て里親に引き取られ育てられる愛梨。一生父母を許さないまま大人になる。当然、孫にも会わせてもらえず我らの老後の面倒など見てくれない』

『四つ、甘やかされて育った愛花、善悪の判断もつかず、やがて揉め事起こして慰謝料発生。そのまま自立も出来ず一度の挫折で引きこもり。私たち夫婦は借金地獄』


「…………」

「破滅しかないな」

「どうして、そう悪い方ばかり考えるのよ」

「そうか?君には思春期となった娘たちと私たちが幸せそうに笑い合っている構図が頭に浮かぶのか」

「…………」

「今なら、まだ修正が利く。いや、そうしなければならない。君は愛梨にこれまでの虐待を詫び、姉妹を平等に愛すること。このまま続けば、いずれ愛花も愛梨を軽んじるようになり虐待する側に加わる泥沼。お願いだ。愛梨も愛花と同様に愛してほしい」

「分かった。明日からでも」

「今からだ」

「…分かったわよ」



 …しかし翌朝、茜と愛花の姿は部屋になかった。記入済みの離婚届と『今さら愛梨との関係修復は無理です。愛梨は私を許されないでしょう。大人になったあの子に仕返しされるだけ』と記された置手紙がテーブルの上にあった。


 不思議と驚きも怒りも湧かなかった。何となく、そんな予想がついていたのだ。

「仕返しされる、か。生まれてから愛情いっぱいに育てたとしても子は思い通りに育たず、道を違え、しまいには子に絶縁されて、最悪殺される展開だってありうるんだ。子育てなんて何が起こるか分からない。育ててみようじゃないか、後に仕返しをされるために」



 そして、この日の夜、私は同じアパートに住む高橋さんを今日一日見かけず、かつ異臭がすると警察に通報した。

 よくある孤独死した独居老人発見というわけだ。私は通報者の稲垣弘毅として警察に事情聴取をされた。

 おかしな話だ。自分の死について事情聴取をされるとは。


 財産はない年金暮らし、親戚もいない。家具は基本的なものしかないし、大家さんには自分が孤独死した場合の始末料も事前に支払っているし問題ない。

 警察が用いる大きな黒い袋に入れられて運び出されるのを見送り、手を合わせた。他の人が絶対に味わわない体験だろうなと思い、私の死体が乗っかる警察車両を見つめていた。


 私は男の子しか子供がいなかった。会社の部下にも男しかいなかった。女と言えば女房くらい。男手一つで女の子を育てていくのは大変だろうが、それなりに人生経験もある。何とかなるだろう。いや、何とかしなくてはならない!


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