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男と女へ戻る日

「オンナじゃないって、ホンマはウソやろ?今まで、短い間やけど伊月のこと見て来て、分かることが一個だけある。それは、俺には本心を明かさんっちゅうことや。いつも俺をかわして、はぐらかして……俺の気持ちはもう気付いてるはずや。でも、俺のこと嫌いやって言うんなら、ハッキリ言ってや。諦めるから」

伊月は真っ直ぐに向かい合い、じっと咲良の言葉を聞いていた。そしてうん、と小さく頷くと、また咲良を真っ直ぐ見つめた。

「言いたいことは分かった。咲良のことは大好き。でも友達以上にはなれない」

咲良は、唇を噛んだ。そして伊月は、フゥと小さく息を吐くと、少し微笑んで言った。

「咲良、佐野伊月は、子どもを産めない。……オンナじゃないって、そう言うことだよ。ごめん。とりあえず、謝っとく。でももしこれからも、友達で居てくれるなら嬉しい……今日は送ってくれてありがとう。あと……病院まで駆けつけてくれて、嬉しかった!」



どうやって家まで帰ったのか、記憶に無い。

衝撃すぎて、去って行く伊月の後ろ姿も覚えていない。目の前が真っ白になって、思考は完全にストップした。

咲良は掛け布団に潜り込んで、泣いた。隣の部屋に声が漏れても苦情が来ようとも、どうでも良かった。今は思い切り泣きたかった。自分の知らない苦しみをずっと背負っていた。それでも笑って何にもないかのように接して。

「勝手過ぎるわ……そんな強いやつ、俺は知らん……」



「なによ、あんたたち、連絡先も交わしてないわけ?」

あきれ返った口調で、恭子が空を仰いだ。

あんたたちとは、咲良と伊月のことだ。二人はジムで会った時だけ会話をし、時間があればそのあと呑んでは別れ、を繰り返していた。それ以上に接点は無かった。

「俺も何度か言おう思って切り出したんやけど、なかなかかわすのもうまくてなぁ」

と苦笑いする咲良。それを細い目で見る恭子。

「あなたには私のこと、そんなに友人のプライベートを軽く言うような女に見えて?」

「あのな」

咲良は急に真っ直ぐな目で彼女を見据えた。

「知ってたんやろ?伊月がそうゆう身体やってこと?俺の気持ちも知ってて、ずっと隠してたんやろ?」

「私がどうこう言う立場じゃないからね!」

「どっちかが傷付くのも、分かってたんやろ?」

恭子は黙ってしまった。そして数秒顔をしかめた後、肩を落とした。そして傍らのメモ紙にサラサラと書くと、それを差し出した。咲良はそれを見て驚いた。

「会って話した方がいいでしょ。あんたたちなら」


普段あまり緊張しない咲良も、伊月のことに関しては何回も緊張させられている気がする。恭子のメモ通りに道を辿り、閑静な住宅街の片隅。彼はとうとう伊月の家の前に来てしまった。

会ってくれるかどうか分からない。顔を見て、追い出されるかもしれない。だが、もうここまで来たら引き返せなかった。

電話やメールでは到底伝えられない気持ちが、咲良には溢れるほどあった。

渋い字体の表札横、インターフォンを押すのに、かなりの労力を使った。

遠く聞こえる音、応対した声は、伊月によく似ていた。

「あ、あの……日向と言います。伊月さんは……」

最後までちゃんと言葉になっていたのか、頭が真っ白だったが、カチャンと玄関の鍵が開けられる音が聞こえると、やっと我に返った。ドアから出てきたのは、伊月だった。

左腕の包帯が一日経っても痛々しい。その表情は、咲良と同じようにこわばっているように見えた。

「よう!元気か!」

咲良はわざと大きな声を出した。それで少し、緊張がほぐれた。伊月は門の外に出てくると、あっちに広場があるから、と促した。


芝生に囲まれ、細い数本の木々の下、ベンチがいくつかあるだけの広場で、二人は立ち止まった。そして伊月は振り向いた。向かい合う形で立つ二人。

伊月は、何を言われても受け止める覚悟をしていた。恭子から連絡を受けて、咲良の前に出るかどうか悩んだが、もう後には引けなかった。ここまで彼を追い込んだのは、すべて自分の責任だ。

「諦めた?」

小さく、それでもハッキリと言った。

咲良は、クッと息を呑み込むと、胸を張って言った。

「俺はな、怒ってんねん。何でそんな大事なことをずっと隠してたんやろって。そやから、こんなにややこしくなったんや」

「……」

「一発殴ってもええくらいの怒りや」

静かに、それでも真の通った声で言う咲良に、伊月は少しうつむいた。そして

「いいよ。殴っても。それで咲良の気が晴れるなら……」

と、目を瞑った。咲良は少し驚いたが、すぐに気を取り直して言った。

「うつむいてたら殴れへんやろ!顔を上げ!」

黙って顔を上げた伊月は、グッと唇をかみしめた。

「いくで!」

次の瞬間、伊月の頬は痛みではなく優しさに包まれた。それが咲良の唇だと分かるのに時間はかからなかった。慌てて身を引こうとする伊月を、咲良はギュッと抱きしめた。

「殴るわけないやろ!アホか!」

「で、でも、咲良怒ってるんじゃ?」

「怒ってる。自分にや。もっと早く知っとけば、そこまで悩むこともなかった。伊月、しんどかったんやな、ずっと」

「さく……ら……」

スパーリングのときとは違う優しい温もりに包まれ、目を丸くしたまま声がかすれて言葉にならない伊月を、なおさら抱きしめた。

「もう頑張らんでええ。俺がおる」



「ずっと自分をごまかそうとしてた……」

しばらくして、二人はベンチに並んで座り、伊月は、やっと落ち着いた赤い目を俯かせて、話し始めた。

「二十歳前くらいに、卵巣がおかしくなって、ひとつ取ったんだ。それ以来、病院には通ってる。だけど、もう子供は産めないかもって思ったら、女でいる必要も無いなって。それならいっそ、性転換でもしたらいいかなって、考えたりもした。けど……心は女のままで、どうしようもなくて……」

「んで、ジムで心身鍛え始めたってわけか」

伊月はこくん、と頷いた。

「男みたいに強くなって、自信がついたら、変われるだろうってずっと信じてきたから」

咲良は、ふぅ、と息を吐いて、前を向いたままでポン、と伊月の頭に手を乗せた。

「甘いなぁ、甘ちゃんや。オトコを舐めとる。そんなことで変われるんやったら、俺はオンナになるとこやったわ」

「え?」

「言うたやろ?俺は半年前に逃げた。自分からも過去からも逃げて、新しい世界で一からやり直そうとしてた。それを伊月は、一喝してくれた。そこらの弱い男よりもずっと、強い女や、あんたは」

ニッ、と笑って、咲良は伊月を見た。

「ごまかさんでも、ずっと魅力的やで」

伊月は、バッと俯いた。耳まで真っ赤なのは、暗がりの中でもよく分かった。咲良はポンポンと頭を軽く撫でながら笑った。

「だから諦めへん。ますます好きになってんねん。これは止められへん」

「だ、だけどーー」

「二人で、な」

咲良の優しい声に、伊月は顔を上げた。

「これからは、二人で行けばいいやろ?今まで一人で頑張ってきた分、俺も挽回して一緒におる。そやから、そんなに気張らんでええ」

「咲良……」

申し訳なさそうに眉をしかめる伊月の眉間をグイッと広げて、咲良は顔を近づけた。

「もう一人でしんどい思いはして欲しくない」

もう一度ギュウッと抱きしめた咲良を、伊月はもう抵抗しなかった。ずっと強張らせてきた身体が、みるみるうちにほぐされていくのが、とても心地よく感じた。

「ありがとう……」

小さくもれた言葉が、咲良の肩に熱く染み込んでいった。



「一件落着ってことで、いいのね?」

「んなオチは安価すぎるわ」

「じゃ、何て言うの?ていうか、くっつけてくれてありがとうの言葉も無いわけ?」

「ありがとな!」

「つめたー!」

咲良と恭子のやり取りを聞きながら、伊月は苦笑いでため息をついた。まだ左腕の包帯は取れないが、咲良に誘われてジムに顔を見せた伊月の前で、二人は早速やりあっていた。

仲が良いのか悪いのか判別のつかない二人の間に、遮断機の様に右腕を差し出して、伊月は

「はい、ここまで!」

と制止した。

「漫才はもういいから、咲良は着替えてくる!」

彼の背中を押して、更衣室へと促した伊月は、恭子へと振り返った。そして

「ありがとね」

と、微笑んだ。恭子はやっとホッとしたように肩をすくめると

「世話の焼ける二人だったわ。でも、良かった。伊月が女の子に戻ってくれて!」

と、視線を下へと移した。

膝下までのスカートを履いた伊月は、ジムに入った途端、他のトレーナーや会員たちの視線を奪っていた。胸は無くても、鍛えられた足元は筋肉で引き締まって、スタイルも良い。今まで緩いジャージ姿でいた姿からは、想像できなかった。

伊月は恥ずかしそうに頬を赤らめると

「パンツは、ジムで身体を動かすとき以外禁止されたから……」

と口を尖らせた。

「その割には、イヤそうじゃ無いけどね」

意地悪そうに口元を歪ませて、恭子は彼女の顔を覗き込む。そして嬉しそうに微笑むと

「また買い物にも付き合ってあげるわ」

と、伊月の肩を抱いた。

そこへ着替え終わった咲良が戻ってくると、伊月のスカート姿に視線を寄せる人々に一喝しながら、マシンへと歩いていく。

その後ろ姿を笑いながら追いかける伊月。

やがて包帯が取れる頃には、また二人で汗を流す時間が流れるのだろう。

少しだけ雰囲気が柔らかくなった伊月の視線を感じながら、咲良はもっと強くなるために、腕に力を込めてマシンを握った。

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