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視界が開ける時

咲良は、逃げるようにこの地に来ていた。

彼が生まれ育った大阪には、もう戻らないつもりでいた。

彼が生涯最後までと心に決めた相手は、灰になって空へと消えて行った。その立ち上っていく煙を見送って、咲良は生まれ故郷を去った。

半年前のことだった。

住居も仕事も心機一転、知り合いも誰一人いないこの地に転がり込んで、ただ忘れる為に無我夢中で働き、たまたま見つけた麻木キックボクシングジムでメチャクチャに体を動かした。そうでもしなければ、自分で自分を壊してしまう、そんな恐怖さえ感じていた。


そんな時、伊月と出会って、最初は馬の合う友だちが出来たと嬉しかったが、相手が女と知って動揺した。だが、彼女は女の持つ武器をほとんど持っていなかった。色気も無い、性格も竹を割ったようにハッキリしているし、そこいらの男よりもずっと男らしかった。そのおかげか、咲良は安心して伊月と向かい合うことが出来ていた。むしろ彼女と居れば、新しい自分になれる気がしていたのだ。ただ、男女の仲になることは、まだ考えられなかった。

そんな事情を、咲良は誰にも話さなかった。

ある日突然現れた、陽気な関西人というイメージを貫くつもりだった。



ある日の仕事帰り、少し疲れていた咲良は、景気付けに一杯、とコンビニで缶ビールを買って、呑みながらフラフラと歩いていた。すると、向こうの方でなにやら言い争う声が聞こえてきた。目を凝らすと、薄暗い街灯の下で揉み合いになっている三つの人影が見えた。近づくにつれ、争っている人たちの姿もだんだんとハッキリ見えてきた。やがて咲良の足は速くなって、しまいには走り出し、そのまま、揉み合いになっている中に突っ込んだ。

「ちょいちょい!待ちや、お前ら、なんやねん?二人で寄ってたかって何してんねん?」

「なんだよてめぇ!邪魔すんなよ!」

「そうだよ、カンケーねぇ奴はどいてろ!」

二人の若い男たちは、威勢良く咲良に殴りかかった。が、彼はその拳を器用に避けると、一人の足に自分の足を引っ掛けた。拍子につまづいた身体がもう一人にぶつかり、二人つんのめって道路に倒れ込んだ。

「な、っにするんだよ!」

「やかましい!女ひとりに男二人で突っかかる方が悪いわ!」

咲良の言葉に、男たちが尻をついたままキョトンとした。そして顔を見合わせると、弾かれたように笑い始めた。

「はぁ?ソレのどこが女だよ?目がおかしいんじゃねーの?」

「それに、最初に絡まれたのはコッチだぜ!悪いのはそいつ!」

男たちの言葉に、咲良はやっと振り返った。

「んなわけないだろ?伊月?」

二人の男たちを相手にしていたのは伊月だった。彼女は、揉み合いになっていた時に落ちた帽子を拾うと、ポンポンと埃を落として被った。

「タバコの煙が気になったからさ、ココ、歩きタバコ禁止だって教えてあげただけなんだけどな。逆ギレされた」

ニッと笑って言う伊月に、咲良は再び男たちに視線を移した。

「お巡りでも呼ぼか?」

二人が知り合いと知るや、慌てて立ち上がると、分が悪そうにブツブツと言いながら、足早に去っていった。その背中をため息つきながら見送ると、咲良は伊月に声をかけた。

「大丈夫か?ケガはしてない?」

「うん……ありがとう」

「ほんまか?」

暗がりで帽子を目深に被って表情が読めない伊月を、咲良は下から覗き込んだが、パッと踵を返した彼女。

「大丈夫だって!ちょっと押されただけだから。ありがとね!」

そう言って、去ろうとした。その腕を、反射的に咲良は握った。そして引き寄せると、帽子を取ってその顔を見つめた。

「なんで嘘付くんや?そんな顔して」

伊月は慌てて視線を外したが、潤んだ目で唇を噛んでいた。

「ほんとは怖かったんやろ?無理して……」

そう言ってポンポンと背中を撫でると、熱を帯びた背中が少し震えているのがわかった。咲良は、ふぅ、と息を吐くと

「どっかで休もか?」

と優しく声をかけた。



近くにバス停を見つけ、そこのベンチに伊月を座らせた咲良は、自販機でアイスココアを買うと、彼女に渡した。

「甘いもん飲んどき。ちょっとは落ち着くはずや」

伊月はやっと顔を上げると、口元だけで小さく微笑んだ。

「優しいなぁ……」

「当たり前やろ。俺を誰やおもてんねん?」

咲良の言葉に、伊月は小さく笑った。

「なんか、自分は強いと勘違いしてたのが恥ずかしい。思ってたよりずっと弱かった」

咲良は、うなだれる伊月の頭を軽く小突いた。

「アホか。女は守られときゃええ。無理して強がることせんでもええって」

「まぁ、ホントはそうなのかもね」

グイッとココアを飲み干した伊月は、勢いよく立ち上がった。

「ありがと!偶然会えて助かった。お礼はちゃんと返す。じゃ!」

「家まで送るわ。心配や」

「大丈夫大丈夫!ほら、もう落ち着いたから!」

立ち上がる咲良に、ニコニコといつもの笑顔で言う伊月。すっかり元気を取り戻している様子の彼女に、咲良はそれ以上何も言えなかった。



見えない壁が、そこにあるように思った。

その壁は、伊月が作っているものなのか、それとも自分が作っているものなのかハッキリとは分からず、漠然と踏み込めない何かを感じていた。

伊月の強がりな姿勢が、なんだか咲良の心を締め付ける気がしていた。彼女の性格なのだろうと、そう決めつけてしまえば簡単なことだが、それだけでは片付けられない気になってしまう。

彼女は自分と似ている。そんな気がしていた。

咲良は悶々と頭の中がぐちゃぐちゃになって、布団に突っ伏すと、枕を思い切り被った。



「咲良〜〜!さ〜〜く〜〜らぁ〜〜!」

伊月が半ば叫ぶように名前を呼んでいた。

咲良は、リングの横に吊るされたサンドバッグにひたすら拳と蹴りを叩き込んでいた。我を忘れたかのように、一点集中するのはいつものことだったが、今日の彼は違っていた。ここまで伊月の声さえ聞こえていないのは初めてのことだった。

ズバン!ズバン!と気持ち良い音を繰り出しながらも、咲良の目はまだまだ足りないとばかりに肩をいからせている。

コーチの永井も、必死に拳と蹴りを繰り出す咲良を見守っていたが、その眉は険しく寄っていた。

やがてタイマーが鳴って息をつく彼の頭に、ヘッドガードが当たり、頭上から声が飛んだ。

「咲良!上がれ!」

やっと咲良の耳に声が届いた。リング上に、伊月が立っている。ロープにもたれて咲良を睨んでいる。彼は汗も拭かずに彼女を見ると、息を整える間も無く立ち上がった。


ーーーー


「大丈夫かっ!」

永井の声も虚しく意識を飛ばしたのは、伊月だった。咲良のパンチがストレートに入り、伊月は脳しんとうを起こして倒れたのだ。咲良は慌てて彼女の頭部を冷やしながら、名前を呼んだ。



「はぁ〜〜ビックリした」

医務室に運ばれベッドに横になった伊月は、すぐに意識を取り戻した。傍に座っていた咲良は、速攻で頭を下げて謝ったが、伊月は笑いながらその頭をペシペシと叩き言った。

「スッキリした?」

「えっ?」

「なんか悩んでる感じだったから、喝を入れてやろうと思ったのに。逆にやられたな」

ケラケラと笑いながら起き上がる伊月。少し首を気にしながらも、すぐに微笑んで見せた。

「で、何かあったの?」

その笑顔に、咲良は心が崩れ、心のままに身体を起こした。

「ダメや、やっぱりあかん……」

「えっ?」

急に抱きしめられた伊月は、耐えきれずにまたベッドに倒れ込んだ。戸惑いながらも彼女は、肩越しに顔をうずめる咲良の頭を、今度は優しく撫でた。




「俺な、逃げて来たんや。一生を捧げようって思った人がおって……でも、病気で死んだ。もうそこにはおれんようになって、忘れようと思って、コッチに来た。一からやり直して、新しく生まれ変わりたいと思ってきたのに……あかん……」

咲良は、座り直した椅子の上でうつむいたまま、そう語っていたが、頭を上げて伊月の顔を見た。彼女も座って、真剣に彼の話を聞いていた。

「俺、あんた見てるとツラいんや。自分の鏡を見てるようで……しんどい……」

「鏡?」

「伊月、何があったんか知らんけど、俺と同じもん感じる……良かったら、教えてくれん?伊月のこと……知ったら俺もーー」

「その前に!」

伊月は、咲良の言葉を遮った。そしてキツイ口調で言った。

「彼女に謝るのが先だ!」

「え?」

「え、じゃないわ!何が忘れたくて逃げてきたじゃ!生まれ変わりたい?笑わせるわ!あんた、二度も彼女を死なす気か?」

呆気にとられる咲良に、伊月は早口で言い放った。

「あんたが忘れたら、彼女が生きてた事を否定することになるんだよ!あんたが彼女の生きてた証を踏みにじったら、彼女は無かったものにされるの!そこまで愛してた人を裏切って、自分だけ生まれ変わるとか、どれだけ自己中なの?」

その途端、咲良の頭の中で何かが弾けた。パアッと視界が明るくなった気がして、思わず立ち上がった。

「俺、行ってくるわ」

そう言い残して、咲良は医務室を飛び出した。


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