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序章 狂犬の憂鬱

 この話は、陽炎の少女シリーズの二巻目であり、前作「陽炎の少女」の続編となっております。こちらを読む前に「陽炎の少女」を読む事を強く推奨します。

「……緊張した」

 真夏の陽も落ちて夜の帳が下りた頃、俺は疲れ切った体をベッドに投げ出しながらそう呟いた。普段なら籠った熱気に嫌気がさし窓を開けて寝ているのだが、今日はそれを行う気力すらもう起きない。体力的にはそこまででは無いが、如何せん精神をすり減らしすぎた。

「まさか何も言ってこないとはな…。拳骨の一発や二発は覚悟してたが」

 街灯と月の光だけが入り込む薄暗い部屋の天井を半目で眺めながら、俺はぼんやりと今日を思い返した。

 四季桜の処分を適当に行った後、俺は橘の提案で宿直や警備員に見つからないように学園内を見て回った。俺にとっては見慣れた風景も橘からすれば新鮮なものだったらしく、何かと驚いたり燥いだりとリアクションが少しだけ鬱陶しい位に激しかった。

 一通り回った頃に、日曜にも拘らず休む事無く練習をすると言った能代との待ち合わせの時間になったので合流。模擬戦の相手をした。内心は四季桜の盗難騒ぎを両親が起こしていないかが心配で身が入りきっていなかったがなんとか気取られる事無く練習を昼過ぎに終えると、能代が調べ物をしたいと言うので学園を出て図書館に移動、飲食可能なスペースに入ると、もはや持って来て当然と言わんばかりに弁当を持参していた能代に感謝と申し訳なさを感じながら昼を食べる。調べ物の内容は秘密と言われてしまった為に無闇な詮索はせず気になった本を手に取って読みながら能代の事をのんびりと待っていた。

 能代の調べ物は一時間程度で終わり、その後は近くのモールをぶらぶらしながら散歩して自宅まで歩いて帰る。家の前に着いた時点で時刻は午後四時。能代といる間はそぶりを見せる事は無かったが内心では矢矧からの連絡が無い事に恐怖を感じながら過ごしていたのは言うまでも無く、玄関ドアの前に立った際に矢矧からの『任務完了ですな』の一言が無ければサボったのではないかと考えていたほどだ。本当にここまででうちの両親が騒ぎ立ててないのかを疑問には思っていたが、なんにせよ家に帰らねば始まることも無く、この時点では親父からの怒りの鉄拳を数発食らえば済むだろうか、などと大層後ろ向きな考え方をしていた。

 数度深呼吸をして、意を決し鍵を開けて中に入る。靴を脱ぎながら居間の方に気を向けると両親の会話が小さく聞こえてくる。内容までは聞きとれず、どうせ留守の間にすり替えられた四季桜に関して二人してお冠と言った所であろうと覚悟をしたものだったが、何故か居間から漂う雰囲気は笑いなどが聞こえてきていて、とても物物しいものとは思えないものだった。幾ら計画が思い通りに行ったとしてもここまで和やかな空気になるだろうか、何かしらに謀られたかと疑心を抱きながら居間に入る。

「お帰り咲良。日曜日にも学校に行ってるなんて珍しいじゃない」

 俺を迎え入れた雪根さんは別段普段と変わった様子は無く夕飯の支度を早くも始めていて、ちらと横を見れば親父がテレビを見ながら週刊誌を読んでいると言う室内の状況。てっきり帰って早々に詰問を食らうと思っていたので、一点だけ大きく様変わりした四季桜の絵について誰も見向きしないのは逆に気味が悪くなってしまい、やらなくてもいいのに自分から話を振ってしまった。

「俺にも色々用事があるんだよ…、ってかすげぇなあの絵。買ってきたのか?」

 この時程、自分の頭の悪さを呪った事は無かった。あからさまに怪しい発言を口にすれば最早それは自供のような物であり、今の台詞はどう考えても私がやりましたと言っているような発言であった。そんな事を考えて心の中で冷や汗を流していると、雪根さんはあっけらかんとした様子で笑いながら逆に質問された。

「あぁ、あれねぇ。逆に咲良何も知らない?」

「…さぁ?俺が家を出た時はあんなじゃなかったけどな」

 この返事すらも悪手であり、もうどうにでもなれと言わんばかりに居間の食卓に荷物を足元に置きながら腕を組んで座る。そして机の上に逆さになっていたグラスに麦茶を注いで一気飲みすると、雪根さんが麦茶の替えを置きながらこう締めたのだ。

「そう。…まぁ桜夏だってこの時期に咲くんだし四季桜が咲いちゃってもおかしくないのかしらね」

 この返事は完全に予想外であり、今度こそ完全に狐に化かされたかと思わず辺りを見回してしまう。誰かしらが俺に仕掛けたドッキリなのではなんて事も考えながらも、あの絵を作った原因は俺以外に知る由も無く、他の誰かがそんな事を仕掛けられる筈は無い。居たたまれない気持ちで部屋から逃げ出したくなったのをグッと堪えて、先程まで無反応であった親父の方を確認する。あの絵が無くなって、最初に反応があるのは親父だと確信していたが、何故ずっとこちらに質問をしないのかと焦りを感じながら俺は横を向く。

「………」

しかし、その親父すらも俺と雪根さんの会話を聞いて溜息を一つ洩らす程度に終わっていまい、こちらに対して責めてくるような事は無かった。

 緊張の度合いが激しかった分、完全に肩透かしを食らってしまいどうしたものかと思いつつも、これ以上藪をつついて蛇を出す様な真似をする気も起きず、狐につままれたような気がしながらも今日を終わらせて、今に至る。

「想定よりも状況が悪いと困りものだったが、想定以上に上手くいってるとそれはそれで反応に困るって良い例だったな…何だったんだアレは?」

 布団の上で仰向けになりながら今日の両親の反応について思考を巡らせる。家に帰るまでの俺の予想では良くて質問責め、悪くて自治会への突き出し程度は想定していたが実際の反応は無反応、というよりは許容に近いものであった。いくら演出などを凝りに凝ったとしても、あの絵が盗品と言う背景を知っていたとしても、あそこまで緩い反応になるなんて俺には想像もつかなかった。正確に言えば、こうなって欲しいとは心の隅では思っていたが、あまりに理想的な状況すぎて逆に疑心暗鬼に陥っている、という方が正しい現状か。今でも若干混乱していて、このまま寝ても逆にうなされそうな気がする。

「あの反応は確かに俺の描いた計画の理想そのものだった…それは間違いない。だが理想はあくまで理想であって幻のようなものだ…そんな結果が起こり得ると考えてはいけない筈だったが……。何か理由があったのか?」

 独り言をブツブツと呟きながら、俺は計画が上手く行った理由を考える。根っからの疑り深い性格が悪い癖を出しているのを自覚しながらも、過去の経験からか理想的な結果を享受する事が出来ず、こうしてあれこれ考えて無為な時間を過ごす。考えて分かる事ならばとうに答えの片鱗でも見つかっている筈。何も思いつかないのは単に自分に与えられた情報が足りていないからだろう。それが分かっているにも関わらず原因を探そうとする。まさしく無駄である。

「何があの結果を呼び寄せた…?両親の中にある橘への想いに対して踏み込みが浅かった部分があったのか…?…俺の知らない部分でどんな感情を持っていたんだ…あの両親は」

 勿論、人の考えている事や胸に秘めた思いなんてものが完全に理解できるわけが無いのは百も承知。どんなに情報の欠片から推理をして擦り合わせをしたとしても齟齬は必ず生じる。それが分かっていても、少しでも近づく必要があるから俺は夏休み初日から今日までの会話の端々を思い返す。

「…………そういえば、あの時の反応…」

 瞼を閉じながらここまでの一週間を反芻していると、ふと俺はこれまでの雪根さんとの会話を思い出していた。

 最初の違和感を覚えたのは橘の名前を始めて出した時の会話。あの時確か俺は三人組なのだから雪根さんも感傷的になるのではないかと聞いたが、その時に雪根さんは何故か黙ってしまった。それもご丁寧に親父と橘の中の良さを口にした後に話が続かなかったのだから、雪根さん自身の話で思うところがあるのだろうか。

 更に、翌日の会話では橘との思い出よりも別の何かに思いを馳せているような節が見受けられた。その時も強調していたのは親父と橘の仲であり、何故か自分の事を意図的に外しながら語る様は怪しい事この上ない。

「とは言え、雪根さんがそんな態度を取る理由なんて皆目見当もつかないしなぁ…」

 あの時の会話を思い出せば、当時の三人の中で雪根さんだけが違う感情を持ち合わせいるのは明白。しかしそれが何なのかを読み解くには、やはり材料が足らなすぎる。会話を切る辺り、あまり良い心象を持っているとは思えないがそれにしたら何故、親父と結婚をして子供を作り家族を築こうとしたのか。

 ついでに言うならば、橘の発言が独り善がりの可能性もあるが高校時代の三人組の話はとても仲睦まじいものであり、そこに黒い感情が入り込む余地があるとは考え辛い。となれば雪根さんが暗いモノを抱え込んだのは橘が死んでからの人生であると考えるのが妥当。しかし、だとすればこの話を橘や西村先生から聞き出すのは不可能。馬鹿正直に雪根さんや親父に聞いた所で素直に答えてくれるわけが無いのでまさしく八方塞がりである。

「…これ以上は考えても詮無いな」

 結局は何も新しい見解は出てこなかった事に辟易していると、だんだんと室内の暗がりによって瞼が重くなってきた。色々な事に気を揉んだ所為か、妙に疲れているのが感覚で分かる。体はさておき、精神的に体力を消耗した一日であったのは間違いない。金縛りとは体が寝てしまった状態で頭だけが起きている状態の事を主とするらしいが、今なら夢の中での行動がそのまま寝相に出てしまうかもしれない。

「ま、少しくらい暴れても両親は気にしないか…。部屋も反対側だし、そこまで響かないだろ……」

 意識もぼやけてきて、いよいよ夢現となった布団の上で瞼を閉じる。ぼんやりしてきた頭の中で、俺は結局成仏する事は無かったあの幽霊との今後の付き合い方を考えながら、浅い眠りに落ちるのであった。


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