CASE3-3 「アレは、アレね」
スマラクトの怪しい定時退社は、その日だけでは無かった。
ほぼ毎日、締め作業が終わった瞬間に「ではでは、失礼致しますゾ♪」と言い捨てて、颯爽と去っていく。
しかも、彼の私服も見違えた。
以前はヨレヨレのシャツに、皺が寄ったズボンという冴えない出で立ちだったのが、最近では、パリッと糊のきいたワインレッドの開襟シャツと仕立ての良い黒のスラックスに、爪先が尖った革靴という、歓楽街のホストもかくやというような、チャラチャラした格好でバッチリキメている。
本人はイケているつもりなのだろうが、一番上に乗っかっているのが、冴えない薄らハゲの中年オヤジの頭部なので、滑稽な事この上ない。
そんな格好で、すまし顔で出ていく彼の後ろ姿を見送りながら、イクサとシーリカは爆笑を堪えるのに必死だった。
そして今日も……。
「ではでは、失礼致しますゾ! あでゅ~」
「「……――! ……?」」
例によって、締め作業完了と同時に更衣室へ入室したスマラクトが着替えを終えて出てきた時、シーリカとイクサは、思わず口に含んでいたお茶を噴き出した。
――無理も無い。
この日のスマラクトは、更にグレードアップしていた。遂に、それまで手つかずだった、首から上にも手を加え始めたのだ。
薄い頭髪を隠す為に、つばの広い紳士帽を斜に被り、黒いサングラスをかけた――どこからどう見ても不審者ですほんとうにありがとうございました。
スマラクトは、口からぽたぽたと茶を垂らしながら、呆然として凝視し続けるふたりに向けて、上機嫌でサムズアップしながら颯爽と店を出ていった。
イクサとシーリカは、目をまん丸に見開いたまま、お互いの顔を見合わせる。
「……な……何だ、ありゃ……?」
「あ、あたしにも分かりませんよぉ……。ど……どうしちゃったんでしょう、スマ先輩……」
もはや笑えるレベルを超越してしまった、彼の格好を目の当たりにして、二人の顔は青ざめる。
「……さすがに、一度、それとなく伝えてあげた方がいいのかな……? 『その格好、ちょっとヤバいですよ』って……」
「ていうか……それ以前に、何があったのか、訊いてみた方がいいのかもしれませんね……」
「……『何があったか』って――?」
深刻な顔で紡がれたシーリカの言葉に、イクサは首を傾げる。シーリカは、小さく頷くと、小声で言う。
「そうですよ! 絶対に、何かがあったから、急に早く上がるようになったし、あんな変な格好しだしたんだと思いますよ!」
「――多分、アレは、アレね」
「――あ、マイスさん!」
またしても、唐突に会話に割り込んでくるマイス。彼女は、「取り敢えず、顔を拭きなさいな、ふたりとも」とタオルを渡しながら、カウンターの椅子に腰をかけた。
「……で、アレって、何ですか、マイスさん……?」
お茶まみれの顔をタオルでゴシゴシと拭きながら、イクサがマイスに尋ねた。彼女は、ティーポットからお茶をカップに注ぎながら、上目遣いに彼の顔を見た。
「アレって、そりゃ、アレよ」
「だから、その……アレって……」
「分からないかなぁ、イクサくん。君も男でしょ? 男がいきなりおしゃれに目覚めるきっかけなんて、一つしか無いでしょ?」
「え――! ま……まさか、それって……?」
タオルで顔を拭く体勢のまま、驚愕で目を見開くシーリカ。――イクサも、マイスの言葉の意味を察して、思わず椅子を蹴って立ち上がる。
「ま、まさか! ――スマラクトさんに……か――彼女がぁっ?」
「多分、ね」
イクサの言葉に、苦笑いを浮かべながら頷くマイス。イクサは、愕然とした顔で、椅子へと崩れ落ちる。
「ば……馬鹿な……! す……スマラクトさんに……あんな冴えないオッサンに……彼女――? お、俺にだって、まだ出来た事も無いのに……? スマラクトさんに――先を越された……?」
「おーい。心の声がダダ漏れだぞ~」
マイスは、虚ろなイクサの目の前で掌を振りながら言った。
と、いち早く自失状態から立ち直ったシーリカが、首を傾げる。
「……あたしも、女の人関係だなとは思いますけど……でも、まだ彼女だと決まった訳でも無いんじゃないですか? もしかすると、スマ先輩の片思いなだけなのかも……」
「そうねぇ。その可能性もあるわねぇ……」
「――いや、ひょっとして、一方的にストーキングしているだけなのかも……!」
ようやく立ち直ったイクサが、口にした自分自身の言葉に青ざめた。
「……あり得る! あの人、女性に全く免疫無さそうだし……。思い込んで、これまで無縁だったオシャレに、トンチンカンな方向に頑張った挙げ句、あんな奇天烈な格好に……! そして、嫌がる女性の元に何度も押しかけて、迷惑をかけまくっているのでは……?」
「……意外と言い方に容赦ないわね、イクサくん……」
イクサが捲し立てた言葉に、軽くヒくマイス。
「……で、でも! イクサ先輩の言葉も一理ありますよ、マイスさん……! いえ、どちらかというと、彼女説より、ストーカー説の方が信憑性高いかも……!」
「って、シーリカちゃんまで……」
自身の預かり知らぬところで同僚から散々な事を言われるスマラクトに対し、さすがに同情の念を抱きながら、マイスは溜息を吐いた。
「……でも、それだったら、ちょっと見過ごせないわね。ウチの従業員から、犯罪者を出す訳にはいかないわ」
「――ど、どうしましょう、マイスさん……」
「尾けましょう」
「――!」
キッパリと言い放つマイスの言葉の圧に、ふたりは息を呑んだ。
マイスは、ふたりの顔を交互に見回しながら、言葉を続ける。
「今度……多分明日、スマラクトさんがさっさと上がったら、私たちも変装して、後を尾けるの。――本来は、従業員のプライベートを覗き込むのはするべきじゃないけど……万が一、イクサくんの想像の通りだったら大変だからね。――一応、経営者としては、確認しとかないと……」
彼女の言葉に、ふたりも真剣な顔で頷いた。
――と、イクサが訝しげな顔で、彼女に問いかける。
「……ひょっとして、そんな事を言いながら、内心ではメッチャウキウキしてません? マイスさん」
「…………バレた?」
マイスはそう言うと、おどけた顔でペロリと舌を出した。
帽子+サングラス装備のチャラホスト仕様スマ先輩は、「忘年会で、似てないChageのコスプレをする窓際係長」のイメージで補完してください(笑)。




