CASE2-10 (結婚とか恋愛とか……考えてる余裕なんて無いのよね……)
翌日。
白獅子城“応接の間”にて――。
「ああ……今日も綺麗だね、マイハニー……」
「……お褒めに与りまして光栄ですわ、伯爵様」
マイスは、内心でウンザリしながら、表面では花のような笑顔を、テーブルの向かいに座るフリーヴォル伯爵に見せてやった。
ウンザリもするだろう。何せ、このやり取りを交わすのは、これで七回目なのだ。
「……お話を続けさせて頂いても宜しいでしょうか?」
マイスは、喉まで出かかった溜息を呑み込むと、穏やかな笑みを浮かべて、手元の書類を手に取る。
そして、紙に記されたスペック表を目で追いながら、涼やかな声で中断した説明の続きを話し始める。
「……という事で、弊社のレザーアーマーは、四重の耐火・耐水処理を施したエチャスク水牛の皮革を使用し、従来品より30パーセントの軽量化に成功いたしました。更に、弊社独自の鞣し加工によって、強度も格段に上がり……」
「あー、解っているよマイハニー」
新型レザーアーマーの説明を続けるマイスを遮って、椅子の肘掛けの上で頬杖をつき脚を組んだ気障ったらしい格好で、フリーヴォル伯爵は爽やかな微笑を浮かべた。
「君の所の製品が如何に優秀なのかはね……。今更、説明を受けるまでも無いよ」
「ですが――防具を扱う業者として、事前に詳しいご説明を――」
「それよりも、ボクは君の事がもっと聞きたいな、マイハニー」
フリーヴォル伯爵はそう言って、真っ白い歯を見せて、爽やかな笑みを浮かべた。
マイスは、今度は隠しもせずに深い溜息を吐いた。
「お言葉ですが、伯爵様……。あくまで今は、弊社製品のプレゼンの場でございます。私的な会話はお控え頂きたい――」
「ああ、なら、お堅い話はサッサと終わりにしよう。君の所の新型レザーアーマー、取り敢えず百領、定価で購入しよう」
「ひゃ――百領……ですか?」
マイスは、思わず目を丸くした。レザーアーマー百領という数字は、“ブラレイド武器商会”の様な王家御用達の大規模武具商ならいざ知らず、“ダイサリィ・アームズ&アーマー”の様な中小企業にとっては、目が飛び出るどころではない大量受注だ。
「……百領でお間違いは無いですか……? 十領ではなく……」
マイスは、思わず声が上ずるのにも気が付かず、茫然として聞き直した。
一方のフリーヴォル伯爵は、すました顔で首を傾げてみせる。
「おや、百じゃ少なかったかい? 言っただろう、“取り敢えず”だと。もちろん、追加はさせてもらうつもりだよ。いずれは、我が兵達全員へ行き渡らせるつもりだからね」
「それは……どうも、ありがとうございます……」
夢を見ているような心持ちで謝辞を述べるマイスだったが、ハッと気付いて、我に返る。
「も――もしかして、レザーアーマーを購入する代わりに、結婚しろとか……そういう……」
「あっはっは! そうか、その手もあったね」
マイスの呟きに、呵々大笑してみせるフリーヴォル伯爵。ニヤリと笑うと、指を立てて横に振ってみせた。
「安心したまえマイハニー。ボクは、さすがにそこまで卑劣で矮小な男では無いよ」
「……でしたら、何故ですか? さすがに気前が良すぎて、色々と邪推せざるを得ない条件なのですが……」
「『我が配下の者たちに、少しでも良いものを与えてやりたい』――それが理由では不満かい?」
そう、サラリと言ってのけると、伯爵はマイスの深紫の瞳をじっと見つめて言った。
「……ボクは、ボルディ・クワルテの特別展示を見に行ったからね。――あそこまで見事な修復を行う職人を抱えている業者の造るレザーアーマー……大枚を叩いて購入する価値は、十分にあると思うがね」
「……嬉しいお言葉を賜り、ありがとうございます」
マイスは初めて、心からの感謝を込めて、伯爵に向かって深々と頭を下げた。
普段はマイスに色惚けしっぱなしの伯爵だが、今の言葉は、為政者として、そして、ひとりの戦士としての実感が籠もった本音だと感じて、素直に感嘆と感動を感じたのだ。
そんな彼女を目の当たりにした伯爵は、目を輝かせ、身を乗り出した。
「おお! その態度は、遂にボクの魅力に気付いてくれた様だね、マイハニー! じゃあ、気が変わらぬ内に、さっさと結婚しようそしてボクの子どもを産んで下さいゆくゆくは一緒の墓に入って下さいお願いします!」
「……そういう所なんですよ、伯爵は……」
折角、小指の先くらい見直したのに……と、マイスは呆れ顔に戻って溜息を吐く。
その時――、
「お兄様! その泥棒猫に騙されてはいけませんわ!」
扉を開け放って、応接の間に飛び込んできたのは、フリルが付いた桜色のロングドレスを着たカミーヌだった。
……そういえば、彼女の服を着た姿を見るのは初めてだ。
「おや、カミーヌ。どうしたんだい、血相を変えて。……というか、ボクは今、非常に大事な話をしているんだがね……」
「大事な話ですって? とんでもない!」
彼女は、小柄な身体を目一杯に動かしながら、何とか兄を諫め、思いとどまらせようと熱弁する。
「お兄様、この女狐の色香に騙されてはいけませんわ! この女は、お兄様の優しさにつけ込んで、フリーヴォル伯爵家の財産と地位を掠め取ろうとしているのです! 昨日、私はこの女の口から確かに聞きましたの!」
「え? それは本当かい?」
伯爵の眉がピクリと動く。勢いを得たカミーヌは、更に捲し立てる。
「ええ! 昨日、お風呂で、確かに言っておりました! 私に企みを看破されて『この私の偉大な計画が~!』と、顔を真っ赤にして悔しがっておりましたわ!」
「な……何だって~っ!」
カミーヌの告発を聞いた伯爵は、愕然とした表情を浮かべ――それから、パアッとハンサムな顔を輝かせた。
「……じゃあ、マイハニーは、ボクの求婚を受けてくれるという事だね!」
「は――はいぃ?」
全くの意想外。兄が上げた歓喜の声に、今度はカミーヌが愕然とした。
「マイハニーにだったら、ボクは騙されても構わない! 伯爵家の地位も全財産も、マイハニーを手に入れられるのなら安いものさ!」
「お……お兄様! どうか……どうか正気に戻って!」
思わず兄の腕に縋り付いて懇願するカミーヌだったが、伯爵は止まらない。懐から、例の指輪を取り出し、高らかに叫んだ。
「さあ、マイハニー! 君を手に入れられるのなら、伯爵家の地位も領地も金も惜しくは無い! さあ、存分にボクを誑かしてくれ給え、マイハ……て、あれ? マイハニー?」
指輪を差し出した先にいるはずのマイスの姿が忽然と消えている事にようやく気付いた伯爵は、キョロキョロと部屋を見回すが、彼女の姿は、どこにも無かった。
「ど……どこへ消えたんだい? 恥ずかしがっていないで出ておいで、マイハニーッ?」
「お兄様! お願いだから、目を覚まして下さいませッ!」
だだっ広い応接の間に、兄弟の(別々の意味で)悲痛な叫び声がこだました。
◆ ◆ ◆ ◆
「はあ……付き合ってられないわ」
伯爵とカミーヌが漫才問答をしている隙に、こっそりと部屋を抜け出したマイスは、自身にあてがわれたゲストルームに戻ると、ベッドの上に身を投げ出した。
彼女は仰向けに横になり、しばしボーッと天井の木目を眺めていた。
(……何か、こんがらがって更にややこしい事になっちゃった気がする……)
――面倒くさい。
と、彼女は大きく息を吐き、目を瞑った。
――瞼の裏に、ハルマイラの“ダイサリィ・アームズ&アーマー”の店構えの映像が浮かんだ。
まだハルマイラを離れて数日しか経っていないのに、ひどく懐かしく感じる。
(第一、私には、あの店があるのよ。結婚とか恋愛とか……考えてる余裕なんて無いのよね……)
――ふと、マイスの脳裏に、不意に青灰色の髪の青年の顔が浮かんできた。彼は、そのはしばみ色の瞳を細めて、ニコリとマイスに向かって笑いかける。
「――て! え、な……何で――?」
マイスは、思わず叫んで飛び起きた。
無意識に自分の頬に触れる。――何故か、仄かな熱を感じた。
(……な、何で……何でいきなり、イクサくんの顔が浮かんでくるのよ……?)
と、マイスは目を丸くしながら、この不可思議な現象に心を乱されるのだった――。




