CASE2-9 「「はぁ~……極楽極楽ぅ~……」」
「な――お……お……お可愛い――ですって?」
カミーヌは、マイスの言葉に目を白黒させて、視線を落として自分の胸元を見た。それから、視線をマイスの胸へと移し――、
「だ――誰の胸がお可愛い……洗濯板ですって! 何よ、アナタのそれみたいに、大きければいいってモノじゃないのですよ!」
顔を朱に染めて激昂した。どうやら、そこは彼女にとっての地雷だったらしい。
「そもそも、胸なんか大きくたって小さくたって、お兄様のような真の紳士には関係無い事なのですわ! 淑女に必要なこ……こ……コトックシュンッ!」
「……ですから、まずはお湯に浸かりなさいな、カミーヌ様……」
呆れ顔で苦笑しながら、マイスは立ち上がり、カミーヌの手首を掴んだ。
「わ――な、何をするの、ダイサリィ! 不敬ですわ!」
「あーはいはい。不敬で結構ですよ~」
怒りと羞恥で、真っ赤な顔を更に真っ赤にして喚くカミーヌを適当にあしらいながら、マイスは彼女の手首を引っ張って、無理矢理湯船の中へと引きずり込んだ。
派手な水しぶき……もとい、お湯しぶきを上げて、カミーヌの華奢な身体が乳白色のお湯の中に沈んだ。
「ぷ――はあぁっ! ちょ、ちょっと! いきなり、何をするの、ダイサリィ!」
お湯の中から顔を出し、憤然とした顔をして喚くカミーヌに、ニコリと微笑みかけるマイス。
「ほら、いいお湯でしょ? 身体がポカポカ暖まりますよ」
「わ――私は、そんな事を……まあ、確かに……いい……お湯……ですけど……ふぃ~……」
カミーヌの吊り上がった眉は、次第に下がっていき、遂には彼女の表情全部がだらしなく融けた。
「ふあぁ~……極楽極楽ぅ……」
「あ! それ、出ちゃいますよね! 『極楽極楽』って!」
カミーヌの口から、思わず飛び出した言葉に、目を輝かせるマイス。
(良かった……こんな若い娘でも出ちゃう言葉って事よね! ……私が年寄りじみてるって事じゃ無いって事よねっ!)
彼女の胸中に、歓喜と安堵の感情が溢れ出る。
「……だらしない表情をして、何だか不気味ですわ……アナタ……」
そんなマイスの顔を横目で見ながら憎まれ口を叩くカミーヌだったが、そう言う彼女自身も、負けず劣らずのだらしない表情をしているのだった――。
マイスとカミーヌは、並んでお湯に浸かっていた。同じようにふやけた表情をして。
「「はぁ~……極楽極楽ぅ~……」」
図らずも、二人揃って同じ言葉が口から出る。――と、カミーヌが目を剥いてマイスを睨みつけた。
「ちょっと、ダイサリィ! 私の真似をしないで頂けます?」
「あ……いや、つい……。と、いうか」
マイスは怪訝な表情で、横のカミーヌの横顔を見る。
「カミーヌ様は、私に何か仰りたい事でもあるのですか?」
「え――? あ、そういえば……」
湯の気持ちよさに、その事が頭からすっぽり抜け落ちていたカミーヌは、本来の用件を思い出して、目を剥いた。
彼女はコホンと咳払いをすると、ビシッとマイスを指弾して、敢然と声を張り上げた。
「ダイサリィ! 私はアナタに忠告――いえ、警告しに来ましたの!」
「……警告?」
「そうですわ!」
そう叫ぶと、カミーヌはやおら立ち上がり、先程のように胸を張って仁王立ちした。
「アナタがどんな色仕掛けや奸計を廻らせようと、この私が目を光らせている限り、お兄様には指一本触れさせない。だから、さっさと諦めて、お家に帰りなさいッ! ……てね!」
「……色仕掛け? ――奸計ぃ?」
マイスは、カミーヌの言葉に、思わず目を丸くした。
カミーヌは、そんな彼女に憎々しげな目を向ける。
「そうですわ! ――もっとも、私が目を光らせるまでも無いかも知れませんけどね。ちょっと見目がよろしいからって、おっぱ……胸が大きいからって、そんな見せかけだけのアナタに、あの聡明で優しくて格好良くて、とっても妹想いのお兄様が騙される筈はありませんわッ!」
そう一気に捲し立てると、勝ち誇った表情を浮かべ、フフンと鼻で笑ってみせるカミーヌ。一方のマイスは、白けた顔でカミーヌの顔を見ていた。
(……というか寧ろ、グイグイきてるのって、貴女の“聡明で優しくて格好良くて妹想い”のお兄様の方なんですけど……)
と、口の先まで出かかったが、しつこく迫られてほとほと迷惑しているとは言え、フリーヴォル伯爵は曲がりなりにもクライアント。実の妹に、彼を謗るような事を言う訳にもいかない。
代わりに、マイスは眉尻を下げて、肩を竦めてみせた。
「ええと……、カミーヌ様は何か誤解をされていらっしゃいますわ。――私と伯爵様には、そんな感情も企みもございませんわ」
「ウソおっしゃい! 私にはお見通しだと、何度言えばお分かりになるのですか!」
「貴女こそ、何度言えば――」
“自分が伯爵なんかに興味が無いと分かるのか”――と言葉を返そうとして、彼女ははたと気が付いた。
(――この娘、使えるかも知れない)
唐突に――マイスは顔を俯け、「ふふふ……」と意味深な笑い声を上げる。
そして、その顔を上げると、いかにも悔しそうな表情を浮かべた。
「――くそう、さすがは聡明なフリーヴォル伯爵のご令妹……私の企みを先刻ご承知だったとは~!」
――もちろん、真っ赤な嘘である。マイスは、カミーヌの“妄想”に敢えて乗る為、わざとらしく悔しがってみせたのだ。……その台詞はとんでもない棒読みだったが。
「……ほ、ほら、ご覧なさい! 化けの皮が剥がれましたわね、この泥棒猫がっ!」
それでも、伯爵家の令嬢として、この白獅子城の中で大切に育てられ、良い意味でも悪い意味でも世間擦れしていないカミーヌは、マイスの芝居にまんまと騙され、勝ち誇った顔になる。
かかった――と、マイスは胸の内でほくそ笑みながら、悔しさを装った表情をますます歪める。
「何て事! この私の偉大な計画が……でも」
そう言って、彼女は上目遣いにカミーヌをみて、薄く笑みを浮かべる。
マイスの酷薄そうな薄笑みを向けられたカミーヌは、少しだけ気圧された表情を見せるが、伯爵令妹の威厳を総動員し、その大きな瞳を吊り上げて、睨み返した。――自分では精一杯の迫力を込めた表情なのだろうが、日頃から武器防具修理工房の主として、手強いクレーマーや取引先や同業者との丁々発止の戦り取りに慣れたマイスにとっては、
(あら、子猫みたいでお可愛いこと)
と、思わず微笑みを浮かべてしまう程度のものだった。
だが、彼女のプラン成就の為には、目の前の可憐な少女にほっこりと癒やされている場合では無い。マイスは、気を取り直して、「伯爵を誑かそうとしている悪女」の演技を続け、なるべく悪い表情でほくそ笑んでみせた。
「――でも、もう遅いですわ。伯爵は、もう既に私にメロメロ……。すっかり私に首ったけですのよ、おほほ……」
『伯爵はマイスに首ったけ』――この事自体は、歴とした事実である。その言葉を聞いたカミーヌは、眦を決して、マイスの鼻先へ指を突きつけた。
「な――! や、やらせませんわ! アナタが、お兄様にどんな色目を使おうとも、そして、お兄様がアナタの色香に惑ったとしても、この私がアナタの企てを阻止して差し上げますわ!」
(――よし)
全て、マイスの計算通りである。これで、少なくともこの白獅子城の中では、フリーヴォル伯爵がどれだけマイスに言い寄ろうとしても、最愛のお兄様を女狐の毒牙から守ろうとするカミーヌが、この上ないストッパーとして機能してくれる。
マイスは、面倒な伯爵除けの防波堤として、最高のものをゲットしたのだ。
「――あら、いけないわ。そろそろ上がらないと湯あたりしてしまうわ……。――と、いう事で」
満足いく結果に、満面の笑みを浮かべたマイスは、軽く会釈をして立ち上がる。
「カミーヌ様、私はそろそろ失礼させて頂きますわ。楽しいお話、ありがとうございました」
「な? ちょ、ちょっとお待ちなさい! まだお話は終わってませんわ――」
「でも、これ以上お湯に浸かっていたら、のぼせてしまいます……。お話の続きはまた今度に」
「ちょ……ダイサリィッ!」
カミーヌが大声で呼び止めようとするが、マイスは背中を向けたまま脱衣所へ向かう。
脱衣所の引き戸に手をかけたマイスは、そこで振り返り、恭しく一礼した。
「――では、失礼致します。カミーヌ様も、あまり長湯されませんよう……。湯あたりは辛うございますから」
「な……何ですか! 泥棒猫の女狐のくせに、人を子ども扱いして――!」
湯船の中からギャーギャー叫ぶカミーヌを無視して、ガラガラピシャンと引き戸を閉めたマイスは、ぷうと頬を膨らませた。
「……取り敢えず、猫と狐か、どっちかにしてほしいんだけど……」




