CASE2-8 「ふう……いいお湯……」
【イラスト・トド様】
「ふう……いいお湯……」
マイスは乳白色の豊かな湯に身を沈め、手足を存分に伸ばしながら、思わず嘆声を漏らした。
白獅子城の正殿の中には大きな浴場が設けられており、その湯船は採算度外視で源泉から引き入れた掛け流しの湯で、なみなみと満たされている。
効能は、“疲労回復”“打ち身”“切り傷・擦り傷”――そして何よりも、“美肌”!
肌触りの柔らかいこのお湯ならば、確かにその効能は望めるだろう。
マイスは、身体の隅々にまで湯で温められた血が通い、収縮していた血管が開くのを感じながら、その快感に身を委ねる。
「は~、極楽極楽ぅ……」
思わず口からついて出た自分の言葉に(年寄り臭いなぁ……)とセルフツッコミし、軽い自己嫌悪に陥りながら、マイスは頭の先まで湯の中に潜る。
湯の中で膝を抱えて身体を丸め、軽い浮遊感を楽しむ。普段の彼女だったら絶対にしないような、子供っぽい戯れ事だったが、広い浴場に自分ひとりだけ――その事実が、彼女に羽目を外させたのだ。
「――ぷ、はあ~っ!」
ギリギリまで息を止めて、限界に達したマイスは、一気に手足を伸ばして、湯面から跳び上がった。
両手両脚を思いっきり伸ばして立ち上がる。
そんな、開放感に溢れ、満面の笑みを浮かべるマイスの前に――、
「……アナタ、いい大人なのに、そんな格好で何をしてますの……?」
長い黒髪をアップに纏めた全裸の小柄な少女が、顔を引き攣らせて立っていた。
「! ――? ――! ――へ?」
自分ひとりだった筈の浴場に忽然と現れた、謎の少女……しかも裸。
一瞬状況が飲み込めず、目を白黒させるマイスだったが、自分もあられも無い姿で湯船の中に立っている事に気が付くと、顔を真っ赤にして湯の中に潜った。
「――もう、色んなものを丸出しにしてらしたのに、何を今更恥ずかしがってるのですか、アナタ?」
「あ――貴女こそ何なのよ? いきなりお風呂場に入ってきてッ!」
呆れ顔で首を傾げる少女に、肩まで湯に浸かって肌を隠しながら、頬を朱に染めて問い質すマイス。
そんな彼女に対して溜息を吐いてみせると、少女は桶で湯を掬って身体にかけた。そして、ゆったりとした所作で、香油に浸したブラシを使って身体を洗う。
しばしの間、少女が身体を洗う音と、樋から流れる湯の音だけが浴場に響く。
その間、鼻下まで湯に浸かりながら、マイスはじっと少女を観察していた。
――女のマイスから見ても、可愛い横顔だ。黒目がちの若干きつい目元は好みが分かれるだろうが、彼女の魅力を損なうものでは無い。
幼い顔つきと体つきから見て、彼女はまだ十代前半といったところか……うん、まだまだ伸び代がありそうだ――。
――と、
湯の中に浸かりながら、じっと自分の事を凝視しているマイスを横目で睨んで、少女は先程投げかけられた言葉を返す。
「――『何なのよ』とは、ご挨拶ですわね。私が、自分の屋敷のお風呂に入って何が悪いのかしら?」
「え……?」
マイスは、彼女の言葉に引っかかった。
「……『自分の屋敷のお風呂』って――? もしかして……」
「今頃気付いたの? 鈍いですわね、アナタ」
かけ湯で身体の香油を落とし、湯船の縁に仁王立ちした少女は、マイスに敵意に満ちた視線を浴びせながら、
「私こそは、カミーヌ・ライム・フリーヴォル。フリーヴォル伯爵家の第二継承者にして、アルヴール・エスト・フリーヴォル伯爵の最愛の妹ですわ!」
と、よく通る声で、勝ち誇るように高々と叫び、堂々と胸を張った。……全裸のまま。
マイスは、そんな居丈高な少女を前にして、暫し呆気に取られていたが、はたと気付いて手を叩いた。
「――ああ~、確かに。フリーヴォル伯爵には妹君がいらっしゃると聞いた事がありました。……では、あなた様が」
そう言うと、マイスは湯船に浸かったまま、ちょこんと頭を下げた。
「――伯爵のご令妹とも存ぜず、大変失礼を致しました。お初にお目にかかります。私は、マイス・L・ダイサ――」
「知ってますわよ、ダイサリィ!」
全裸で仁王立ちしたまま、カミーヌはマイスを見下げきった目で見て、吐き捨てるように言い放つ。
「アナタの――お兄様をその下品な色香で惑わせて、取り入った上で伯爵家を乗っ取ろうという愚かな企み……このカミーヌには全てお見通しで……で……へぷしっ!」
――マイスを糾弾しようとした所で、思いっきりクシャミをする。
突然、全く身に覚えのない濡れ衣を着せられ、唖然として目を丸くしていたマイスだったが、鼻を啜りながら全裸で身を震わせている伯爵令妹の姿を見て、思わず苦笑を浮かべる。
そして、彼女に向かって優しく声をかけた。
「ええと……何か、私的に色々と心外極まる勘違いをなされていらっしゃるようですけど……」
そう言うと、彼女は大輪の花が咲いたような笑顔で、カミーヌを手招きする。
「――まずは、お湯に浸かられては如何でしょうか? いつまでもそのままでは、お風邪を召されてしまいますわ」
「な――あ、アナタごときに心配される謂れはありませ――せ……へくちっ!」
カミーヌは、マイスの言葉に反発するが、またひとつ大きなクシャミをする。
「――ほら、ご覧なさい。早くこちらへおいで下さいな、カミーヌ様」
マイスは、呆れ顔を浮かべて、再び伯爵令妹を手招いた。
「――それに」
そして彼女は、皮肉気な笑みを浮かべてみせた。
「第一、そんなあられも無い姿でいきがられたところで、品格も威厳もあったものでは無いですわ。特に、そんなお可愛い姿では、ねぇ……」




