CASE1-9 「俺を助けてくれて、ありがとうね」
翌朝、『ダイサリィ・アームズ&アーマー』の入り口の前に立ったイクサは、なかなか中へと入る事は出来なかった。
昨日、事情はともあれ、仮病を使って欠勤した事は事実だし、マイスが引き受けたとはいえ、エレメンタル・ダガーの件も片づいていない。
「あ……、イクサ先輩……。おはようございます」
と、イクサの背後から、か細い挨拶の声がかけられ、彼はハッとして振り返る。
そこには、沈んだ表情を浮かべたシーリカが立っていた。
「あ……、シーリカちゃん……。お……おはよう」
イクサも、気まずさのあまり、オズオズした様子で挨拶を返す。
と、突然シーリカが頭を深く下げた。
「イクサ先輩、すみませんでした!」
「え? ――あ、あの……」
シーリカの突然の行動に、イクサは戸惑い、狼狽える。
そんな彼に、シーリカは頭を下げたまま、時折声を詰まらせながら言った。
「私……イクサ先輩から、黙っているように言われていたのに……ボスに、例の件を話してしまって……」
「あ……ああ~。その事ね……」
イクサは、昨夜のマイスとの会話を思い出した。
――――
『あ、そうそう。イクサくん、シーリカちゃんにちゃんとお礼を言っておきなさいよ』
『……シーリカちゃんに……ですか?』
『そうよ。シーリカちゃんが「イクサ先輩を助けてあげて下さい~」って、半泣きで今回の件を打ち明けてくれたから、こんなに早く、私も状況を把握できたのよ』
『あ……そうなんですか……』
『可哀相に……どこかの誰かさんがキツく口止めしていたから、あの娘も随分悩んでいたみたいよ……』
『…………』
『でも、会社と、何よりあなたがピンチだと思って、ビクビクしながらも、キチンと報告してくれたの。どっかの誰かさんとは違ってね』
『う……』
『ホント……どこかの誰かさんより、ずっと優秀かもねぇ……』
『…………』
――――
「……顔を上げてよ、シーリカちゃん」
「……あの……」
イクサは、口ごもるシーリカの肩にそっと手を置いて、微笑みかける。
「謝らなくちゃいけないのは、俺の方だよ」
「――え?」
「俺が、シーリカちゃんに変な口止めをしちゃったから、変に気を遣わせてしまって……ごめんね」
「――そ、そんな……」
「シーリカちゃんがマイスさんに打ち明けてくれたから、俺は助かったよ。俺がひとりで抱えたままだったら、とんちんかんな対応で空回って、暴走して――多分、ずっと悪い方に事態が転がってしまったと思う」
「イクサ先輩……」
「マイスさんにバレて、物凄く叱られたけどさ……馬鹿な事をする前に引き返せた。シーリカちゃんのおかげだよ――俺を助けてくれて、ありがとうね」
そう言って頭を下げるイクサを前に、シーリカは顔を真っ赤に染めながら、メガネの奥の大きな瞳からボロボロと大きな涙の粒を流し始める。
「ふえっ……あたし……ひっ……怖くって……先輩が何する気なのか……不安で――」
「……あ、ご、ごめんね、本当……! 本当に、心配させちゃって――」
「ふぁあ~あ……おふぁようございまぁ……ふぁ……?」
泣きじゃくるシーリカを前に、オロオロとするイクサ。その後ろからアクビ混じりの挨拶がかけられ――その声が驚愕で途切れた。
振り返ると、ドギマギしながら、額に浮いた汗を拭き拭き、白々しく目を背けているスマラクトが立っていた。
「あ……すみません、主任……。何か、お取り込み中のトコロ……」
「は――?」
「あ、ワタクシ、これでも社内レンアイというものには理解があるつもりでございますから、どうぞご安心を……。おふたりが、そのようなご関係であっても、全くモンダイ無いと思いますデス、はい!」
「あ、いや……ちょっと、ちが――!」
「――ただ、それを仕事の場にまで持ち込まれるのは、その……」
「違う違う! そんなんじゃ――」
「……あと、老婆心ながら……」
スマラクトはイクサの言葉には耳を貸さず、口に手を当てると、コソコソ声で言った。
「ボスの前では、極力お隠しになった方が宜しいかと……。ボスも、ああ見えて二十歳を超えてらっしゃいますので……、万が一、おふたりの関係を見とがめられると、色々と厄介な事に――」
「だーかーらーっ! 違うって言ってるでしょーが! 人のハナシを聞――!」
「――あーら……誰が、『適齢期超えそうで内心焦ってる嫁き遅れ年増』ですって?」
「――――!」
スマラクトの更に背後からかけられた、地獄の鈴を鳴らしたような涼やかな……否、凍てついた声に、イクサとスマラクトの顔は引き攣る。
「……………………」
ふたりが恐る恐る振り返ると、そこにはにこやかで凄惨な笑顔を浮かべたマイスが立っていた。
サーッと顔色が漂白されるふたり……特にスマラクト。
マイスは、そんなふたりの様子に気付かないかのように、満面の笑みのまま「おはよう、みんな♪」と挨拶する。
「「――お……オハヨウゴザイマスデス、マイスサン!」」
直立不動で最敬礼するイクサとスマクラフト。……ふたりの背中は、冷や汗でグッショリと濡れている。
「みんな元気ね♪ 今日も1日、頑張ろうねえ♪」
「イ……イエス、マムッ!」
マイスの言葉に、息ピッタリで、踵を鳴らして軍隊式に答えるふたり。
マイスは、ニコニコと微笑みを絶やさずにツカツカと近づくと、――ポンとスマラクトの肩を叩いた。
その瞬間、“ビクゥッ!”と、スマラクトの身体が跳ねる。
「……そうそう。――スマラクトさん? ちょっと、一昨日の件で訊きたい事があるの。ちょっと来てもらえるかしら?」
「ひ――っ! お、お、一昨日のけ、件……で、アリマスか?」
目が零れ落ちそうな程大きく見開いたスマラクトは、絶望に満ちた表情でイクサとシーリカの方を見た。
「あ、あれ……? しゅ、主任……ひょっとして……」
「……うん、昨日バレた。ゴメンな」
「え……聞いてない……ですぞ! そ、そ、そういう事は、もっと早く――!」
「ハイハイ! グダグダ言う時間も勿体ないから、早く行きましょうね~。じっっっくりと、お話を聞きますからね~。……さっきの発言の事をねっ!」
「ひいいいいいっ! やっぱりお怒りでしたかぁあああっ! ――主任! シーリカくぅんっ!お助け……お助けををををっ!」
マイスに襟首を掴まれ、ズルズルと引きずられていくスマラクトは、情けない声を上げながら、市場に出荷される子豚の目で必死に助けを求めるが、
「さ、さてっ! 早く開店準備しようか、シーリカちゃん!」
「あ、あーらいけない! もう、こんな時間ですねっ! 急ぎましょう、イクサ先輩っ!」
イクサとシーリカは、聴こえないフリをした。
「ああああああああああああっ! お助けをおおおお……………!」