プロローグ1-1 「私は、この武器防具修理工房『ダイサリィ・アームズ&アーマー』の責任者――マイス・L・ダイサリィと申します」
「おい、ゴルァッ! 下っ端じゃ埒が明かねえ! 責任者出せや、オイ!」
決して狭くない店内に、ドスの効いた野太い怒声が響き渡った。
天井から吊り下げられたカウンターの看板が揺れ動き、壁に飾り付けられた刀槍類が、彼の胴間声の音圧でビリビリと震える。
「ひ、ヒイッ! ス、すみませんすみません!」
声の主――身の丈が優に2エイムを超えている髭面の巨漢に睨み据えられて、カウンターで対面していた若い男の店員が、まるで甲羅に閉じ籠る亀のように体を竦め、カウンターに擦り付けんばかりに頭を下げる。
「すみませんじゃ済まねえんだよ! 俺は『何だこれは?』って聞いてるんだ! 納得のいく説明をしやがれ! 水飲み鳥みてえに頭ばっかり下げてんじゃねえぞッ、ゴラァ!」
髭面の巨漢は、その若い店員の怯えきった態度に更に苛立ち、手にした大剣を眼前に突きつけた。
「先月、てめえらの言い値通りの高い金出して修理したのによぉ! 肝心な時にぶっ壊れやがった! てめえ、オレがコイツを引き取りに来た時に偉そうにほざいてたよなぁ。『修理は万全、真水晶被膜も施したので、前よりも性能が上がってます』ってよ! 性能が上がって、コレか? この様か!」
巨漢は絶叫すると、大剣を鞘から抜き放ち、カウンターに力任せに突き立てる。
「…………う、うわぁ~」
目の前に屹立する大剣の刀身に目を移し、店員は思わず絶句した。
大剣の刃は無残にも、あちこち刃毀れを起こし、大きな亀裂も数ヶ所に見られる。更に、白銀色だった筈の刀身には、いたる所に赤錆の様な腐食痕が浮かび上がっていた。
「…………あ、あのぉ、恐れ入ります……が」
目を丸くして、無惨な大剣の有様を凝視していた店員は、血走った目で自分の事を睨みつけている巨漢の顔色を窺いながら、おそるおそる口を開く。
「ち、ちなみに、つかぬ事をお伺いしたいのですが……。こ、こちらは一体、な、何にご使用になられま――」
「あぁっ? 何でもいいだろうが! んな事より、どう落とし前つけてくれるっつーんだ、ゴルァ! こっちは、この不良品のおかげで、大枚手に入れるチャンスがおじゃんになっちまったんだぞ! いや、それどころじゃねぇ! 危うく死ぬところだった! きちんとケジメ付けてもらおうじゃねえか!」
自分の吐く言葉に更に興奮したのか、真っ赤な顔を更に充血させて赤黒くした巨漢は、その巨木の様な腕を伸ばし、カウンター越しに店員の胸倉を掴み上げた。
「ひぃっ! お、お客様、おち――落ち着いて……」
床から離れた足をバタバタと動かしながら、顔を青ざめさせ、目を白黒させる店員。必死で首に絡んだ太い指を引きはがそうとするが、万力の如く固く食い込んだ巨漢の指は微動だにしない。
「だぁかぁらぁ……! てめえみてえな下っ端じゃ話にならねえっつってんだろ! さっさと、具体的なお話の出来る責任者を呼べや、オイ!」
「……せ、責任者を呼べと……い、言われても……い――息が……」
首根っこを掴まれ、吊り上げ続けられている店員の顔色が、段々と青黒くなってくる――。
「おらぁっ! オレは気が短ぇんだ! さっさとしやがれ!」
「ぐえぇ……ぇ……(いや、だから、アンタが首を絞めてるから……コ、声が――)」
巨漢の指を掴む店員の手から力が抜け、だらりと垂れ下がる。彼のハシバミ色の目がグルンと裏返り、口がだらしなく弛緩し、首がガクリと――。
――その時、
「――あらあら、これはハデにやらかしちゃいましたねぇ」
「!」
緊迫した状況とはあまりにそぐわない、涼やかな美声が、巨漢の耳朶を打った。
ハッとした表情を浮かべた巨漢は、声の源に視線を移す。
いつの間に現れたのだろうか、カウンターの傍らに、菫色のロングドレスを着た女の姿があった。
カウンターに突き立てられた大剣を、興味深げにしげしげと眺めていた女は、巨漢の視線に気付くと、にっこりと微笑んで、優雅な所作でロングスカートの裾を持ち上げ、軽く頭を下げる。
「――お客様、いらっしゃいませ」
「……アンタ、誰だ?」
訝しげな表情を浮かべて誰何する巨漢に、女は穏やかな笑みを浮かべながら答えた。
「申し遅れました。私は、この武器防具修理工房『ダイサリィ・アームズ&アーマー』の責任者――マイス・L・ダイサリィと申します」
「――はぁ?……姐ちゃんが、責任者……だと?」
ぞくっとするほど艶っぽい微笑を浮かべる若い女が、無骨な武器防具修理工房の“責任者”と名乗った事に戸惑う巨漢。
思わず、店員の首を掴む指の力が抜ける。
「――かはっ!ゴホッ!ゴホッ!はぁはぁ……はぁ……」
その隙をついて、ようやく巨漢の指から脱出した店員は、そのまま床に崩折れた。
だが、巨漢は床に落ちた店員の事など意識から抜け落ちた様子で、まじまじと女の顔を凝視する。
彼女はあらゆる意味でこの場にそぐわなかった。
――美しい。
白蝋石を磨き上げた様なキメ細かい肌。紫水晶を思わせる大きな瞳がきらきらと輝き、形の良い、ぷっくりとした柔らかそうな唇が、完璧な微笑みを形作っている。
後ろで束ねた、軽いウェーブがかかった髪は金糸の如し。
美術品の彫刻か、或いは絵画から抜け出してきた様な――という、使い古された陳腐極まる比喩が、彼女を目の当たりにすると何の違和感も無い。
浮世離れした絶世の美女――そんな形容が誇張無しに相応しいと思われるような女性が、目の前でこんな無骨な武器防具修理工房の『責任者』を名乗っている……。
違和感以外の何者でもない。
「おいおい……冗談だろ?……て」
顔を歪めて一笑に付そうとする巨漢の目の前に、零れんばかりの営業スマイルで、1枚の紙片を差し出すマイス。
受け取った名刺には、
『ダイサリィ・アームズ&アーマー 代表取締役兼工房長
マイス・L・ダイサリィ』
と確かに記されていた。
「……マジだと……」
愕然とする巨漢。
と、彼の下でノビていた店員が、頭を押さえながらヨロヨロと立ち上がる。
「……ぼ、ボス、すみません……」
息も絶え絶えの店員が、マイスに向かって深々と頭を下げる。
「イクサくん、大丈夫? もういいわよ。あとは私が対応するから」
店員にも微笑んでみせるマイス。
上司の優しい言葉に、安堵の表情を浮かべる店員――イクサだったが、
「――ちょっとだけ話があるから、あとで事務所まで来て。いいわね」
次いで紡がれた彼女の言葉を耳にした途端、彼の顔色は、巨漢に詰め寄られた時よりも遥かに青ざめた。
彼は、ガックリと肩を落とし、
「は……はい……」
と、蚊の鳴くような声で返事をすると、背中を丸め、処刑台への階段を上る死刑囚の様な顔で、スゴスゴとカウンターの奥へと去っていく。
マイスは、そんな彼に一瞥もくれる事無く、ニッコリと巨漢に向かって微笑みかけた。
巨漢も、彼女の天使のような微笑みに鼻の下を伸ばしながら、ニタニタと気持ち悪い下卑た笑いを浮かべる。
「――大変お待たせいたしました、お客様」
マイスは、鈴を転がす様な軽やかな声で、巨漢に向かって口を開いた。
「弊社の社員が、大変失礼致しました。これよりは、私――マイス・L・ダイサリィが、お客様のご対応をさせて頂きます。――大変申し訳ございませんが、もう一度、話をお伺いしても宜しいでしょうか?」
素晴らしいイラストは、ペケさんから頂きました!
ありがとうございます!