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3回。  作者: 重カ
10/13

第9話:緋傀儡


 木陰のかかった田舎らしい一方通行道路を、少女について歩くこと体感10分。

 都心から離れるとともにアスファルトに染み付いた暑さが軽減され、だんだんと身を預けたくなるような涼しさへと変化する代わり、どんどん蝉の声が大きくなってきた。汗をヒンヤリとした風に冷やされて時折、寒気を感じる。

 左手には青々とした広大な田園風景が窺え、右手の急な傾斜には立派なケヤキやウラジロガシが乱雑に根を張りめぐらしている。ここに来る途中で通りかかった十字路のカーブミラーは、オレンジの塗装が剥がれ、霊のような肌をしていた。

「今更だけど、鞄ぐらい置いて来ればよかったって後悔してるわ、俺」

 ゆっくりと、時速20キロほどで走る乗用車とすれ違う。これほど安全運転をする人に溢れていたら、この世から車での事故は無くなりそうだ。

 女子の横に並んで歩くのはどうにも抵抗があるため、春川の数歩だけ後ろを歩くが、蝉の叫びも相まって俺の声が届くか不安になる。教材の入ったリュックは、校舎を出たときから俺の肩にかけられており、ついさっきネクタイを仕舞っておいたため、襟元はゆったりしている。

「せっかち君、いつか体壊しそう。感情に左右されすぎでしょ」

 物理的に春川の顔は窺えないが、笑っているのだけは想像できる。彼女が歩く度に髪が絶妙に跳ねて可愛らしい。木の隙間から日の光が当たって、黒い髪の明度が少しだけ上がった。

「せっかち君じゃないし、緋傀儡の事だけだって。こんなのは」

 駅前での待ち合わせでは、やはり彼女は俺より早く待機していた。どこか遠くを見るおぼろげな顔は今にも離れて行ってしまいそうで、交わす会話の内容も考えず、すぐに声をかけた。コロコロと自由自在に操られる声色と表情は、どこかの劇団員みたいな凛々しさも無く、ピエロのような仮面を被った無機質さも感じられない。それこそ、自然なのだ。

「緋傀儡だけ?」

「そう、いつもはもっと冷静だから」

 肩が疲れてきて、鞄を抱き抱えるようにして持ってみるが、しっくりこなくて止めた。風が蒸れた背中をくすぐり心地良い。

「ふーん、嫉妬するなあ」

 こちらを一度も振り返らず、だからと言って歩く速度を速めるわけでもなく、彼女は言う。その口調は、ぬいぐるみを取られて拗ねてしまった子どもみたいだ。

「嫉妬って、何に?」

 自然に囲まれた景色を楽しもうにも、左側の単調な風景は絶えない連続なので飽きてしまうし、右側はほぼ山なので見慣れた植物を呆然と見ているしかない。

「緋傀儡にに決まってるじゃん」

「そんな、冗談でしょ」

 柔らかな日差しが左肩を攻撃する。が、痛くも痒くもない。

「さあ?」肩を上げ、手をヒラヒラと振って見せる春川。「どう受け取るかは、石田君の自由だけどねー」どんな顔をして、そんな飾った事を言っているのか見てみたいものだ。

 今度はそこそこのスピードの白い軽トラとすれ違い、運転席の男の人と目が合う。こちらを怪しむような目に、確かに俺たち、事情を知らない人から見ると怪しいのかもしれない。

「まあでもさ」軽トラがすっかり見えなくなってから口を開く春川。「石田君たち明日から夏休みでしょ。良いな」

「『良いな』って。春川も夏休みでしょ、学校一緒なんだから」

「あははっ、そういえばそうだったね。忘れてた」

 ここまで来ると、もはや建物一つとしてない。やっと景色が変わったと思えば、畑も輪作年限の最中なのか、収穫直後なのかは知らないけれど、何も植わっていない土地。なんとも寂しい。

「もう少しで着くと思う。研究所」何か面白いものでも無いかと視線を遊ばせていれば、春川がこちらを振り向いた。いつもの通り、その顔には喜色が現れている。「石田君、心の準備はオッケー?」

「実感わかないけど、多分オーケー」

 白い襟付きノースリーブに、黒のショートパンツを穿いた彼女は「そうだよねえ、私も実感わかない。本当にあるのかな、緋傀儡」などと、俺を不安にさせるような一言を零す。

「あってくれよ、緋傀儡は」苦笑しながら、また前を向いてしまった彼女の背中に語り掛ける。「でも、春川もしばらく来てないの? この辺」

 しきりに立ち止まってはスマホと見つめ合い、何度も道を確認する姿を見ていては、そう思わずにはいられない。

「うん。2、3年ぶりかな、そんぐらい」肩掛けタイプの小さい鞄から、またスマホを取り出す春川。下を向いて、左からの風に髪が揺れる。「だから道がちょっと不安で、もうそろそろ着いてもおかしくは無いんだけど――」そこまで呟くように言ってから、彼女は何かを見つけたようで、駆け足になった。「あ、やっとあった!」黄色い声が弾ける。

「あったって、研究所が?」

 俺も駆け足で春川に続けば、その進行方向には頑丈そうで、高さ3mほどのゲートフェンス。そこで道はぷっつりと途切れ、先へは進めそうにない。見上げると、有刺鉄線が巻き付いていた。

「フェンスがあるから、道は間違えてなかったみたい。やっと着いたよー石田君! 研究所の入り口」あれが春川の言うフェンスだろうな。だがそれには【無断での立ち入り禁止】や、【関係者以外の侵入を禁ず】【No Trespassing】との張り紙や看板が貼り付いていて、中々どうして気圧される。

「うわ、ここが……流石は国家機密ってところか。やけに厳重だな」

「だよね。ここまでしたら、逆に悪目立ちしそう」

 ビビっているのを勘ぐられないように、2重になっているフェンスにそっと触れる。何が起きてもビクともしなさそうだ。そして見た目よりも新しい。

「ここに入るの? めっちゃ塞がれてるけど」

 今は横に立つ彼女に振り返って尋ねてみる。鍵とかはあるんだろうか。

 ゲートの隅には大きめの南京錠と、センサーのような機械が顔を覗かせていて、ハイテクなのか原始的なのか測りかねる。

「ううん。ここからは入れない」

 春川は首を大きく横に振った。その答えを聞いて、俺はゲートから数歩後ろに下がる。『やっと着いた』との発言や、これ以上は続かない道を見る限り、他にルートは無いような気がするのだけれど。

「じゃあ、どこから」念のため足元も見てみた。黒いアスファルトと、青い夏草がこちらを無表情で見ているだけだった。

「石田君、右見てみてごらん? そっから右だよ」

 気付いてなかったんだ。とでも言いたげに、これからの俺の反応を楽しむように、春川は右を向くよう指示する。

「右って、ずっと山だったんじゃ」

 右向け右で、春川の指が差す方向を見やる。

「あれ、なんか道がある。いつの間に」

 葉の陰に隠れ少しばかり見づらいが、天に届きそうなほどに長く続く石段が悠々と腰を下ろしていた。1段目の境目は少しだけ道路にはみ出ていて、これがもし間違い探しならば、中盤に見つける程度の難易度。要するに、よく見てみないと分からなかっただろう。

「うわ、階段……?」

 真っ直ぐと、こちらをあざ笑うかのように。傾斜が急というわけでもないが、曲がる部分が無く先が見えているだけ、上ってみたいという感情は消え失せるような。「こんなん」言葉が浮かび上がっては消える。後ろからの風が俺の背中を押した。「もうヤバいだろ、この長さ」俺の語彙は階段に溶かされてしまったようだ。

「あっはは、恐ろしいほど長いよね、この階段」

 俺の反応を楽しむように笑う春川。

「昔はこのフェンスから車で通れたんだけど、私たち免許持って無いし、歩いて行くには長すぎるんだよねー」ゲートフェンスをペチペチと叩き、彼女の顔がにやつく。「ってことはだよ?」ってことは、だ。

「今からこの恐ろしく長い階段を上るぞー!」

 知ってた。と言うか、そこしか道が無いのなら行くしかなんだろうな。さっきまでこの山の周りを歩いていたし、案外、緋傀儡のすぐ近くをずっと歩いていたのかもしれない。

「おーし、目指せ緋傀儡。上るぞー」

 控え目に拳を作って持ち上げる。学校帰りに山を登る高校生2人組、なんて天然記念物になりそうだ。山と言うより丘に近く、登ると言っても階段を上がっていくだけなのだが。

 自然の恵みを全面的に受け、大きく成長した木の葉を手で押しやる。葉が掛かっているのは一番手前の段だけのようで、上に続く階段は比較的キレイだった。左右に並ぶ丸い鉄の手摺りが、木漏れ日を受けて不気味に輝く。

「ここをひたすら真っ直ぐ?」

 春川に目配せをし、大きく頷く姿を確認してから、石段に足をかける。

 カツン、ローファーで来てしまったことを、また少しだけ後悔した。

「どっかの映画みたい。完全に山だよ、これ」俺の後から葉をくぐった春川が、はしゃいで言う。「テンション上がるねー。わあ、こんな風になってるんだ」

 周囲をキョロキョロと見回す彼女が、うっかり段に躓いて転んでしまわないかヒヤヒヤして見守る。「うわっと。危な、い」その心配も束の間で、彼女が後ろへかたむいたので、慌てて背中を支えた。「へへ、転びそうになっちゃった」あーもう、言わんこっちゃない。

「気を付けろよ?」

 彼女のしなやかな背中の感覚が掌に残り、ふわりと飛んできた香りにムズムズする。異性と2人きりだという状況に改めて気づかされ、少しばかり緊張する。

「はーい。ありがとう、助かった!」俺の忠告には聞く耳も持たず、春川は2段飛ばしで上り、こちらを振り返る。「石田君、行こ行こー」童心にでも戻ったのだろうか、やけにオーバーに動いているようだ。クルリと回り、少し前に流行っていたアイドルの決めポーズ。それには反応にも困ったので軽く笑っておいた。

「ってか、そんなにはしゃいで大丈夫なのか? 心臓病って」

 藪から棒に「じゃんけんグリコしようよ、ルール知ってる?」とでも言い出しそうな彼女を止めようと、心の隅に乗っかっていた疑問を絞り出す。それに、こんなハイスピードで階段を駆け上がられたって、俺の方がついて行ける気がしない。

「うーん。大丈夫だよきっと」俺に注意された春川は、詰まらなさそうに口を尖らせてから、ヘラヘラと笑った。「今日はほら、調子が良いからさ」

「そんな事言って、本当に大丈夫なのかよ」

 去年に一度、倒れたんだろうに。彼女は俺と目を合わせようとさえしないけれど、誤魔化している部分でもあるのだろうか。

 呆れつつ、彼女の1段下まで上がる。道路からの音がピタリと止み、静寂が木と木の間を波打っているように思う。

「それよりほら、石田君」俺をなだめるつもりなのか、無理に盛り上げようとする春川。確かにこの人、静かな状況は苦手そうだ。「じゃんけんグリコしようよ、ルールは知って」

「やらない」まさかの予想的中。言ったよ、この人。

 まあ、春川が健康体だったら俺もしたかもしれないけど。なんなら発案したかもしれないけど。なんとなく、少しだけ彼女の行動パターンを掴めてきた気がする。

「えー、面白そうなのに」

 俺が本気で心配しているのを察知したようで、肩を落とす春川。

「それより話をしよう。ほら、こんな良い機会は中々無いだろ?」しょぼくれている姿を見るとちょっと気の毒に思い、どうにかして慰める。「無理しないでゆっくり歩こう。俺はこの状況を楽しみたいしさ」

 俺がそう言うと、彼女は驚いたような顔をする。

「石田君の事だから『緋傀儡を早く見たい!』とか言って、走り出してもおかしくないなって思ってたから。何か、意外」

「うわ、失敬な。そこまで見境なくはないから、俺」

 春川は満足そうに笑ってから「いやあ、失敬失敬。夢は逃げないもんね。ゆっくり行こう」俺の隣まで降りてきた。2人の肩が並ぶ。

「うーん。でも、こんなに長かったっけ。出羽三山神社みたい」

 自分から話をしようと言っておいて、話題を何も考えていなかったなと焦っていたら、春川が開口した。これは、階段の事を言っているのだろうか。

「何それ、神社?」

「日本で一番石段の多い神社だったはず、2500段ぐらいあるような」

「うっわ、そんなにあるの? この階段」

 最初から数えてくればよかったかと思ってみるも、戻るのも面倒で止めた。

「んー、言うて半分ぐらいだと思うけど」春川も、俺と一緒に来た道を振り返ってから言う。「てっぺんが見えないと怖いねえ」

 1段、また1段と上がって、空に近づく。

「石田くんのさ、将来の夢って何?」話題が絶えず、沈黙が無い。会話に関しては彼女に任せても良い気がする。

「将来の?」

「うん。緋傀儡を見るのが夢だって言ってるけど、将来的にはどうなのかなあって。子どもの頃の夢でも良いけどさ」

 センダイムシクイの可愛らしいさえずりが聞こえる。上を見ると、丁度今2、3匹が飛び立って行った。

「うーん、子どもの頃は研究者になりたかったけど、今は分からない」子どもの頃、とは言うものの、今が大人であるとは言えないだろう。「どうせ、親の店を手伝うとか、中小企業のサラリーマンとか、そんなのだと思うけど」

「親の店かあ。石田君のご両親のお仕事って、どんなの?」

「花屋だよ。だから俺も植物に詳しくなって」

「じゃあ、石田君は長男ってわけだ。あ、もしかして一人っ子?」

「弟と妹が1人ずつ」

「そっかー、羨ましいな。私は一人っ子だから」

 彼女の横顔を見つめる。春川だったら、両親の愛情を余すことなく注がれてそうだ。でもその分、両親は大切な一人娘を失うことになるのか、……いや、それを考えるのは止しておこう。

「春川の夢は?」

「私の、ええと夢、はね」春川の目線が泳ぐ。「あれ、なんだったっけ」そう呟いて、息を短く吸った。「あ、そうそう! 政治家、だった。よ」苦しそうに、途切れ途切れに言う。

「そっか。ごめん、答え辛かった?」

「ううん。そんな事無いって、ちょっとド忘れしちゃっただけだよ」

 なんだか彼女の表情が冴えない。やはり、急な運動とかは身に毒だったのか。

「……ねえ。石田君」

「どうした?」

「記憶が無くなるって、どういう感覚なのかな」

 やけにおかしな質問をしてくる。病気の治療が出来たときの想像でもしているのだろうか、声に色が無かった。カサ、と石段にはみ出た草に足がぶつかる。

「えっと? 経験したことないから分からないけど」

 認知症に似たもの、と考えるのが妥当だろうか。それとも、夜に見る夢のように、起きた際には感情だけが残っているのを指すのだろうか。

「実際に自分に起こったら、不安だとは思うよ。欠落しちゃった本みたいに、そのページだけ無くしちゃった感覚、とかかな」どんな話でも、真剣に応対しよう。胸の内でそう決めた。

「本のページかあ、じゃあさ。石田くんて、天国とか信じる人?」

 言い方は明るいが、話の流れが暗い。妙に暗い。

「さあね、あるんじゃない?」

 彼女の意図が汲めないので、どっちつかずの答えを出す。

「私はね、分からないと思う」彼女はあくまで真っ直ぐだった。「この世にいる人ってさ、誰一人として、死んだことが無いわけじゃん?」

 少しばかり横暴な言い方だが、的を射ている。

「ここに居る、この地球に居る誰も知らない事を知れるのって、なんだか不思議な感じがしない? 好奇心が湧きたつ、というか」

「うーん? えっと、それは知らないといけない事なのか?」

 これがもっと軽いノリで、言った主が春川でなかったら。俺は肯定しただろう。

「いや、知る必要は……、難しいねー。それ」声のトーンが、心なしか明るくなった。彼女にとって興味のある話題に持って行けたのだろうか。

「ニンゲンが、必ず死ぬって事はさ」

 春川の歩く速度が少しだけゆっくりになった。

「必ず“死なないといけない”って事かもしれないし、“他の人に人生を譲れ”って事かもしれないし、“新しい何かのスタート”とか、“幸せはお終いで、ここから地獄”かもしれない」

 頭を捻って、全てを出してしまいたい、と。アピールされている気がする。人とこんな話をしたの、何気に初めてだ。

「うん、もしかしたら“真っ暗闇で何もない”かもしれない」

 あいの手を入れる。春川はご満悦に頷いた。

「でも、動物的本能として“死にたくない”って思っちゃうのはさ。この世界に重要な何かがあるか、あの世で本能的に拒絶させる何かがあるのかもしれない」

 感情を動物的本能と言ったぞ、この人。でも、あながち間違っては無い、のか?

「って、暗いね。ごめん」

 春川は笑った。もう、何がしたいんだ、この人は。

「私が何が言いたいかって言うと、今私は幸せだから、このまま死ねたら気持ちがいいだろうなって。ホントに、軽い気持ち」

「ダメじゃん、それは」

「ダメだねー。でも、本心だよ?」

 何も言えなくて、春川の目を見つめる。冗談だと取り消してほしかったのに、何も言ってくれなかった。

「ダメだよ」もう1回言ったけど、俺の声は落ちて、階段を転がっていった。


 それからしばらくは、今日の天気が良くて助かったとか、昨日の夕食は何だったかとか、草冠に化けるで花という漢字が出来るから少しばかり怖いだとか、話題の墓場のようなことを話していて、そんな話題もそろそろ尽きてきた時。

「私が教室にも行かなかったのってね、他にも理由があるんだ」

 語を含ませて、俺から目を離した春川は言う。

「理由って?」

 もう、4分の3は上っただろうか。振り返ればスタート地点が小さく見える。

「私、仲の良い子が居たんだよね。中学校で、転校する直前まで」

 過去形だ。転校する直前とは、なんとも想像の付きやすい時期に。

「その子、私が転校するときに入院してたの、ひどい骨折で」

 春川が、自身の左手にグルグルと包帯を巻くジェスチャーをしたから、その仲の良い子は左手を骨折でもしたのだろう。

「それで、最初で最後のお見舞いがてら、私の病気の事を伝えたんだ。全部本当の事を話して。……それぐらい、仲のいい友達」

 先を促すのも違う気がして、黙って春川の話に耳を傾ける。

「そしたらねー『この世界って、平等なんだね』とか言われちゃって、そっから喧嘩離れ」彼女が足元を見た。顔が隠れる。「へへ、実はあの台詞も受け売りなんだ、ぎだらけなんだよ、私」

 継ぎ接ぎだと言われ、どうしてか納得してしまう。不定形でフワフワしてて、かと思えば堅くて鋭い。一見整っている美しさは、万華鏡のような人だと俺は思う。

「友達だったんなら、仲直りはした方が良いよ。絶対に」

 こんな事を言ってみる。他者の社会的関係とか分からないし、春川がどんな気持ちで俺のこの事を教えてくれたかとか、予想すらつかないけれど、彼女が悲しそうに笑うものだから。

「うん。その後、向こうからはごめんねって言われたんだけど」

 苦々しく目を細めた春川。「まだ友達なのかな、私。どうなんだろ。むつかしいね」俺に、どうか、友達の定義を教えてください、誰か。


 カツン、足音が、やけに大きく聞こえた気がした。

「よーし。そろそろかなあ、緋傀儡。結構上ったけど」

 立ち止まって大きく伸びをした春川は、呑気に言う。

「多分、あれが頂上か」

 正面を指さして、微妙に開けた場所を示す。あと……20段そこらだろうか。

「おお、ホントだ! 多分そうだね」顔を見合わせ、笑顔に微笑む。「もうすぐだよー。ワクワクするね」

 あと、たったの数十歩で、緋傀儡に会える。

 意識した途端、心臓が跳ねた。バクバクと心音が鳴る。うるさい。体が裂けてしまいそうで、怖い。昔から好きだったアイドルに出会うファンはこんな気持ちなんだろうか、多分、違う。宇宙飛行士を目指した少年が、宇宙へ飛び立った瞬間はこんな気持ちなんだろうか、これも多分、違う。

 俺の方が中身の無い継ぎ接ぎなんだと、今更気付いた。他者に背中を押された夢を、他者の力で叶えて。この行為に俺は居ない。

「ねえねえ、石田君。もしここを離れる前にさ、よかったら研究所に寄ってくれない? 私の鞄の中に鍵が入ってて、それで中に入れると思うからさ」彼女が言う。

 俺より1段だけ上の段に立ち、こちらを振り向いて、とびきりの笑顔で。

「どうしてそんな事」まだ視界にすら入っていないと言うのに、離れる時の事を言ってくるとは。「その研究所には、一緒についてきてくれないのか?」俺はまず、研究所がどんなものなのかの想像すらもついていない。それにも関わらず、そんな高難易度な事を要求された。

「私はほら、石田君より先に知りたいものがあるからさ」

 いたずらっ子のように笑う春川。

「その知りたいものって、俺が一緒だと駄目だったりする?」

 空っぽは尋ねる。

「え、それは絶対にダメ! 私が許さない」

 自称継ぎ接ぎは言う。

「じゃあ、緋傀儡は一緒に見れるんだよな?」

 自称、中身の無い継ぎ接ぎは続けて尋ねる。

「もっちろん! 叶うことなら、一緒に」

 叶うことなら、なんて俺をどうしようもなく不安にさせる。まるで見る事のない未来があるみたいに。

「なら、まあ。良いけど」

 どうにも腑に落ちないが、口だけの了承をしておく。

「やった。じゃあ、約束ね」

 大きく息を吐き出して、足を前に進めた。

 カツン、カツン、コツ、コツ。

 2つの足音が重なって、葉のざわめきが耳をくすぐって。緑が視界の隅を流れて、空の青が中央で広がっていく。

 あと、10段ちょっと。頂上の景色がすんでのところで見えそうな時、春川が足を止めた。燃料切れのロボットみたいに。「どうした、急に立ち止まって」俺の声が聞こえていないようで、彼女は反応をしない。

「あれ、なんだけ」

「えっと、春川……?」

 声をかけても返事がない。自然の音が俺たちを囲む。

「石田君、はるかわ、って?」

 風の音にまぎれて、彼女の口が微かに動いた。

「え? 今なんて言って」

 彼女の顔が見る見るうちに青ざめていく。生気が吸い取られ、触っただけで倒れてしまいそうだ。

「春川、大丈夫か? 調子が優れないなら、上で休んだりとか」

 緊張がまた別の色になって俺を襲う。どうしよう、こんな状況で。

「ああ、石田君。大丈夫だよ、私は」

 小さな肩が震えている。俺の腕を掴んで、キュ、と弱い力で握りしめた。細い指が腕に絡まる。「あの、体力的にじゃなくて、精神的にちょっとやられちゃって。なんだか気圧されちゃったみたい、私」目の焦点が定まっていない。俺を心配させないための必死の言い訳だと判断し、すぐに上に着いた方が良いと見定めた。

「大丈夫、俺も怖い」

 励ましになるかも分からないけど、自分にとっての激励の言葉を投げかける。

「ふふっ、何それ」

 口角だけ釣りあげて、今にも泣きそうな顔で。

「行こう、一緒に」

 彼女の手を腕ごととった。春川はそれに抵抗なくついてくる。

 また、風が俺の背中を押した。風向きは、研究所の方へ向いていた。


 結論から言うと、緋傀儡は存在した。頭を天に注ぎ、地球からのエネルギーを全面的に受け、息を呑むような美しさで。

 その煌びやかさに圧倒されて、俺は足が動かなくなった。感情が溢れかえり涙さえ出る事は許されず、呼吸を忘れてしまった。意識しない内に口角が緩んだ。全身の血が湧きたつ。

「これが、緋傀儡」

 言葉と共に、体が一気に動き出した。全身の感覚が研ぎ澄まされる。花弁の緋色が目に焼き付いた。葉の柔らかで力強い深碧が視覚を覆う。飛び立つ種子が、白く光に反射して漂い、空に届く前に落ちていった。

 絶景。緋傀儡が一か所に集まり、そして一斉に呼吸をしている。風が吹き、緋傀儡たちの体がよじれた。やはりこの花は、傀儡の名が相応しい。

「やっぱり綺麗だね。来てよかった」

 春川は大きな咳を一つして、苦しそうに笑う。飛んでいた意識が瞬時に戻り、一瞬でも緋傀儡に見とれていた自分に心から腹が立った。

「っつ、春川。歩けるか? 鍵があるんだったら出してくれると助かる。研究所の中で休もう」人を操る花の後ろに、大きな建物が見える。そう遠くはない。そこで春川を休ませ、病状が悪化するようなら救急車を呼ぶのが最善だろう。

「ごめん、石田君」

 春川はそう俺の耳元で呟いて、ヘナヘナと座り込んだ。俺の腕は掴んだままで、離そうとはしない。手が震える。嫌だ。また1人、大切な人が俺の前から消えてしまう。

「ああ、怖いよ。ホントに怖い」今にも潰れてしまいそうな声がして、彼女の頬に涙が伝った。「まだ、死にたくないよ」

「絶対に死なせないから、絶対に」

 俺は叫ぶように言って、彼女の脇に腕を通す。そっと掴まれていた手は、なるたけ丁寧に外した。いや待てよ、この状況ならすぐに救急車を呼んだ方が良いのではないか? そうだ、それが良い。

「春川っ、スマホ借りるぞ!」

 こんな時に俺は、人を助ける手段さえ持っていない。学校帰りのあだが出て、彼女の鞄へ手を伸ばす。焦って、ファスナーがうまく開けられない。

 どうしよう。速く、速く!

「ふふ、嬉しいな。こんなに必死になってくれて、自分の夢の余韻も捨ててさ。石田君の、そういう所に惚れたんだろうな、私」

 何を呑気な事を言っているんだ。止めてくれよ、そんな、死ぬ前の遺言みたいな事。絶対に、絶対にダメだ。

「石田君」

 春川は、空気を読まずニッコリと笑う。涙の痕が、可愛い顔に残ってる。

「大好きだったよ、ありがとうね。それと、ごめんね」



“好き”


もう、最後。


やめてくれ。もう、嘘だと言ってくれ。



 やっとファスナーが開いた。彼女のスマホを取り出す。

 ――圏外。

 吐き気が込み上げてきた。頭がクラクラする。

「待ってろ、春川」地に手を付いた彼女に、願うように言う。

「電波の通じるとこまで行くから! すぐに戻る」

 声を絞り出す。俺は合ってるのか、この行動は、何かもっといい策があるのか? 今はもう、考えている時間さえ惜しい。

 踵を返し、階段を降りようとした。2段飛ばしで走ればどうにかなるか? 体を前に傾けた。落ちる。そう察した途端、春川が、俺の手を掴む。

「まって石田君、私を」懇願する目だった。痛みに歪んだ顔だった。

「お願い、ひとりに、しないで」

 声が当たって、俺の代わりに落ちて、割れて、粉々になって、消える。

「そんな、の」

 浮いた足を下ろした。さっきから吹いていた風が止んだ。

「どうして」

 意味が分からなかった。死にたくないと、彼女は言って、それで。

「もう、もうひとりにはなりたくないの、お願い」

 春川の言う『ひとり』が“独り”なのか“1人”なのか、兄弟が居ない事を指すのか、1番になる孤独を指すのか。友人を失った悲しみなのか、患った病気への恐怖なのか。多分、全部だ。

 彼女はまた辛そうな咳をして、口を押える。

「私ね、石田君に嘘ついてたんだ。ごめんね」

 言葉の凹凸が無く、淡白で。冷たい。

「心臓病じゃなくて、肺炎なの。石田くんなら知ってるでしょ? だから私はもう助からないと思うし、多分、救急隊が来る頃にはもう、……だめだと思う」

 胃が重い。体の中から、どんどん、どんどん、消えていく。怖い。

「ああ、そっか。なんで、どうして」

 きっと俺だけ、何も知らなかった。

 違和感が取り払われてフラットになる。知りたくなかった。こんな事、知りたくなんて無かった。言わぬが花だ、どうして。

「ありがとう、ほんとうにありがとう」

 彼女の呼吸が不規則的になる。どうしようもなく立ち尽くしていると、春川はフラリと立ち上がり、緋傀儡の泉に向かった。

「な、あ。春川……? 止めてくれよ、そんなの」

 おぼつかない足取りを、止める事も助ける事もできなかった。

 彼女は数歩進んでから、愉快にクルリと回転する。快活で、光に溢れている少女が見えた。体は痛みに蝕まれ、神経の自由を奪われているのだから、立つこともままならないだろうに。

「はるか、わ」

 彼女は柔らかい笑顔を浮かべて、こちらを見る。

「石田君、笑って?」

 視界がぼやけた。涙でかすんだ。どうか涙よ、出ないでくれ、彼女の姿をちゃんと見たい。目を何度もこすった。

 口角を、指で無理矢理に押し上げた。あの日のように。

「うん、良い笑顔。その方がカッコいいよ」

 そして彼女は、少し迷ったように視線を漂わせて、言った。


「ねえ石田君? 私のさ、私の」

 呼吸が苦しそうだった。こんなにも美しい場所に居るのに、彼女は辛くて辛くてたまらなさそうだった。俺も、彼女ほどではないが、とても苦しかった。


「私の名前ってさ」彼女の口が開く。「なんだったっけ、忘れちゃった」


 それから彼女は、緋い海に、まさしく溺れるように沈んでいった。

 この花が、俺にはもう憎くて憎くて仕方がなかった。

「めぐみ、だよ。春川、愛美」

 俺の小さな呟きと、その後の声が枯れるほどの咆哮は、彼女に届いていたのだろうか。駆け寄って抱きかかえた俺のぬくもりは、少しでも彼女に伝わったのだろうか。


 3回。短いカウントダウンは今日、終わった。



 *



第9話:緋傀儡ひかいらい

〇緋傀儡の花言葉

・歪んだ美しさ

・記憶に残る

・願い


・夢を叶えたその先


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