三十九話
異変は急に訪れた。
疲れに耐え兼ね、うたた寝していた宗司は突然宙に投げ出されて、床に頭を打った。
「いっつ……なんだ?」
鈍く痛む頭を何回か振りながら宗司は体を起こした。まだ眠りから完全に覚めてないのか、目を細めたままあたりを見渡す。ぼやけた視界の隅に大穴が映った。どうやら馬車に穴が開いたらしい。車内に看守の姿はないようだが、外に出ているのだろうか。
事故か何かだろう。宗司はそう結論付けた。手元を見れば、未だ自分の手錠が梁にしっかり結わえられている。混乱に乗じて脱出するのは無理そうだ。
(……もうひと眠りするか)
トラブルだとして、宗司が何かしてやる義理はない。逃げられないのなら寝ていたい。欠伸をしながら宗司は再び壁に背を預けようとした。
ちょうどそのタイミングで、再び馬車が大きく揺れる。
「え? 何が起こってんの」
流石に単なる事故とは思えず、慌てて宗司は立ち上がった。しかし、馬車内に窓はなく、彼がいる場所からは穴の外は確認しにくい。面倒に思いながらも、宗司は結び目を少しずつずらして穴へとにじり寄っていく。
そのさなかであった。宗司はこちらに迫りくる強い魔力の塊を感じた。
「は!?」
宗司は咄嗟に縄を力任せにずらし、馬車の隅に避難する。その直後であった。
馬車がひときわ大きく揺れたかと思うと、乾いた破砕音が響き斜めに傾いた。車輪が壊れたのだ。揺れる車内で危うく転倒しそうになるも、宗司は梁をつかんでそれを免れた。
梁にしがみついたまま、宗司は汗をぬぐう。
「あっぶねー……。本当に何が起きてんだよ」
とはいえ確認する方法はない。何か聞こえそうなものだが、この馬車にはそういった結界が施されているようだ。ため息をついて、再び宗司は縄をずらしていく。
「おっ、いい感じに解れてくれたな」
どうやら先ほど力任せに引っ張ったことで、縄が千切れかけていたようだ。そのことに気づくと、これ幸いと宗司は手錠を繋いでいた縄を解いた。これで移動はできるようになったが、相変わらず手錠は残っている。金属製のこれを破ることができないのは既に経験済みだった。
素早く穴へと近づき、宗司は慎重に外の様子を伺った。まだ夜明けまで時間はあるが、彼には外の光景がはっきりと分かった。そこで信じがたい光景を目にして、宗司は思わず身を潜めた。
(なんでなんで!? なんであんなに人が倒れてんだよ!?)
襲われているであろうことは想像していた。しかし、外の光景はその何倍も凄惨な光景だった。夜にもかかわらず明るく見えたのは炎が燃えていたからだ。隣の馬車を焼き、迎え撃った人たちを燃やしていたからだ。宗司の考えていた以上の人数が、予想していた以上にひどい事になっていた。
こみ上げる吐き気をこらえながら、宗司は静かに震える。
(逃げないと……早く!)
この襲撃の目的がなにかは分からないが、もし宗司がいることがバレればどうなるか想像に難くない。手錠を付けたままではろくな抵抗も出来ずに殺されるだろう。
先ほど目にした誰かの死体が目に焼き付いて離れず、いつしかその幻影は自分へと変わっていく。それに応じて体の震えが大きくなり、
「こんなところで、無意味に死んでたまるか!!」
鮮明な死のイメージを振り払うかのように、自分を怒鳴りつけて宗司は立ち上がった。強引に足を踏ん張らせて、体の震えを止める。しかし、所詮は虚勢に過ぎない。少しでも気を抜けば、容易に崩れるだろう。まだ動けるうちにこの場から去ろうと、宗司は慎重に動き始めた。
気力を奮い立たせながらも、やけくそにならず、冷静に場の状況を確認していく。そのおかげか、ある物を思い出すことができた。
「そうだ、押収されたものも取り返せるんじゃね?」
リリアからもらった機能付きノート。元はと言えば、盗賊に奪われたのを取り返そうとしたから捕まったのだ。一刻も早く脱出したいが、ノートを回収するには絶好の好機でもある。見たところ、他にも馬車はいくつかあるようだが、看守は宗司と同じ馬車に乗っていたはずだ。ここにある可能性も高い。車内は暗いが、宗司は手探りで漁る事にした。
錠で手に制限がかかっていながらも、宗司はなんとか荷物を探っていく。時間がかかる作業だったが、不思議と宗司に焦りは生まれなかった。
なぜなら―――
(多分この馬車にあると思うんだけどな……)
それはある種の確信だった。実際に馬車の荷物を把握しているわけではないが、なんとなくある場所がわかるのだ。そして淀みなくては動き続けて、無事見覚えのある袋を掴んでいた。
湧き上がる喜びを抑え、袋の感触を確かめる。間違いなくノートはそこにあった。
「よしっ! これでもう用はないな」
心臓は恐怖と興奮が入り交じり、けたたましく音を立てている。宗司は駆け出す前に、再び注意深く外の様子を観察した。倒れている者たち以外に人影は見当たらない。
(様子見は無駄だ! 行くしかない!!)
硬直しかけた足を思いっきり動かし、宗司は外へと飛び出した。結界の効果が失われる。
宗司の元に今まで届かなかった、音と臭いの情報が一気に流れ込む。
(うっ……焦げ臭いのは我慢できるけど……血とか人が死んだ臭いがきついな……)
思わず顔をしかめるも、怯まずに慎重に靴を進めていく。
(思ったより燃える音がうるさい……ていうか人の声がしないのはまずくないかっ!?)
この状況で自分以外誰もいないなど楽観的な考えはない。人の声ならびに戦う音がしないということはつまり、戦闘は終わっているということだ。それも恐らく襲撃側の勝利で。
炎に照らされているにもかかわらず、宗司は背筋が冷えていくのを感じた。
(これだけの馬車と兵士に勝つような連中が襲撃したってことじゃないか……どうかんがえてもやばいだろ……)
加えて、時間を稼ぐ術はない。単純に逃げるか見つかるかだ。宗司は決して音をたてぬよう、必死に足を動かす。体は動くのに支障が出かねないほど縮こまっていた。
そうして、幸運にも宗司は暗闇へと身を投じることに成功したのだった。
* * * *
宗司がいたところから少し離れた場所。ひときわ死体が多く転がる場所で、二人の魔族が歩きながら話をしていた。
「いやー思ったよりも兵がいたな。急いで出立させたはずだろ?」
「それだけあいつの部下が優秀だったんだろう。呆気なく全滅したがな」
「なあ、それなんだけどよ……。もしかして例の奴って巻き添え食らって死んでるんじゃねえ?」
「大丈夫だ。ロギの話によると不死身らしいぞ」
「そうか。ならいいや……っておいおい。見ろよこっち。逃げられたくせえ」
「おかしいな……あいつの話だとリリアに頼りっきりの根性なしって聞いたが。ああ、でも頭の方は情報どうりだな」
「逃げるってやつが血でぬかるんだところを歩いちゃいけねえよなあ」
「それじゃあとっととその間抜けを追うぞ」
「そうだな」




