三十話
「今日も港町セガンの下見だ」
「昨日は途中だったからな」
昨夜のことを思い出し、ジト目を向けるローゴ。
首をすくめながらも、宗司は開き直ったように言った。
「ちゃんと軽めの朝食にしたろ?」
「…………。」
だから問題ない、と言わんばかりの態度である。
実際、今日彼が作った朝食は、どこで覚えたのか今までの趣向から外れた極めてヘルシーなメニューばかりであった。
宗司なりに昨夜の暴走については気にしていたのだ。
だが、そんな気遣いを見せたところで暴走した事実がなくなるわけではない。
無言で睨み続けるローゴの視線から宗司は目を逸らした。
「それにもうあんな暴走はしない……と思う」
「そこは断言してくれ」
頼むから、と割と真剣にローゴは懇願した。
昨日は始終暴走しっぱなしだったことを考えると、本当に大人しくしてくれないと困るのだ。
そのことについてはちゃんと自覚があるのか、宗司は頭を掻いて気まずそうに本題に入った。
「でさ、また市場に連れてってくれない?」
「別にいいが……なんでそんな下見にこだわるんだ? 適当に見て気に入ったところにすればいいじゃねえか」
「仮とはいえ、住むところだぞ。しかもリリアがいることを考えれば、慎重を期すに越したことは無いね」
「お前ひとりなら?」
「あばら家で十分だ」
「そ、そうか」
相変わらずリリアが関わることだけは無駄に気配りする男である。それでいて、彼女に関係がないことにかんしてはとことん杜撰なのだから、読めない。
今の会話に関しても比喩や冗談じゃなく、自分が住むだけなら本当にあばら家でいいと言っていた。
宗司の極端な姿勢に辟易しつつも、ローゴは頼まれた通り市場へ向かうことにした。
* * * *
「今日も賑やかだな」
「まあな」
なにせ世界最大の貿易港に隣接する市場だ。もちろん世界最大規模である。一年を通してその賑わいが衰えることは無い。
中心部は国や貴族、豪商同士の貿易がメインのため、宗司たちは一般に開放された外周を見て回っていた。
何を買うわけでもなくただ散策を続けることに意味があるとは思えず、ローゴが宗司に問いかける。
「見て回るだけでいいのか?」
「俺が知りたいのは雰囲気と、どんな町なのかっていうことだけだからね。それに、必要なものがあれば昨日みたいに何か買うよ」
「そうか……」
宗司の意図を聞いて、何か思うところがあるのかローゴは歩みを止めて考え始めた。
かと思えば、見定めるかのように宗司を見つめる。
「どうした?」
「この町について知りたいっていうなら、案内しなくちゃいけないところがある」
「へえー。それなら行くか」
「いや、そう簡単に案内していいものか、と思ってな」
何に迷っているのか、歯切れの悪そうな返事をするローゴ。
どこに案内しようとしているのか察しがついたのか、宗司は少し声のトーンを落とした。
「これだけでかい町だ。そりゃあ奇麗なところばかりじゃないだろ。お前が案内しようとしているのもそういうところだな?」
「ああ。スラム街だ」
「……正直俺はそういう人達がどんなふうに生きているとかは知らない。けど、その人たちを嫌悪するような教育は受けてないぞ」
(そういうことじゃないんだがな……)
宗司が真剣なのは伝わるが、ローゴが案内を悩んでいたのはそういうことではない。
むろん、自衛についてでもない。危険についてではなく、心構えを示したあたり本人なりに考えたつもりではあるのだろうが、しかしローゴが確かめたかったのはそのことではない。
なまじ覚悟を決めているため、ローゴの迷いがますます深まった。
「……悩んでてもしょうがない。けど、余計な行動をしたら引きずってても連れ帰るからな」
「わかった」
* * * *
港から南に向かうにつれて、街並みがどんどん寂れていく。
目的地がそういうところだとは知っているが、こうして景色が変化していくのを見ると、どうしてもしり込みする気持ちが湧いてきてしまう。
それは心構えしていた宗司とて例外ではない。少しずつ歩みが遅くなっている。
「実はもうスラムについてるんだけどな」
「ここがか?」
思わず宗司は問い返した。
あたりを見れば、寂れてこそはいるもののそれなりに往来があり店だって構えられている。とてもではないがスラムと呼称されるような佇まいには見えなかった。
驚く宗司をよそに、ローゴは歩きながら話をつづけた。
「別にスラムっていっても人が野ざらしになってるわけじゃないし、そういう地区があるわけでもない。ただ、平均的な生活からあぶれた奴が集まっている、それだけだ」
「そういうもんか」
「それにここはさっきいた市場につながる通りだ。いわゆる表通りだから、店も人通りもある。少し荒くれ者が多いのはしょうがないけどな」
「確かにあそこと比べると一般人ぽく見えない人がちらほらいるな」
少なくともあからさまに武器を携えた人間は市場では見ていない。
いつのまにかローゴも剣を腰に差している。
「……マジか」
そんななかある意味非常に見慣れた格好をした人物が酒場に入っていくのを見かけて宗司は驚愕に目を見開く。
それもそのはず、その人物の恰好とは。
(せ、世紀末だ、ヒャッハーだ)
汚物は消毒だぜぇ!! とでも言わんばかりなのだから驚きもするだろう。
ただ、その人物のおかげで宗司にもここがスラムだという認識がついた。
まあ、ヒャッハーがいるからスラムというのはあまりにも短絡的ではあるのだが。
「それじゃあ、酒場に入るぞ」
「わかった」
近くにあった酒場に二人は足を踏み入れた。
「うおっ」
途端に怒号や喧噪がけたたましく響いてくる。たたらを踏む宗司とは対照的に、慣れた様子でローゴは席に着いていた。
遅れて宗司が同じテーブルに座る。
やってきた給仕に、注文は後ですると伝えて、ローゴは神妙そうに話を切り出した。
「さて、さっき俺が迷っていた理由を話してやろう」
「ああ」
「まず、お前の印象についてだ。ソージ、今までスラムをどういうふうに思ってた?」
「えと……お金のない人たちが集まるところ」
「間違っちゃいないが正しくもない。もちろんそういう奴が大多数を占めるが、必ずしもそうじゃない。スラムっていうのは結局その場所のランクでしかないんだ」
「っていうと?」
「周りを見てみろ。市場で見かけたような連中はほとんどいないだろ。けど、こんなのほかの町や村じゃ案外普通の光景だ。そんな奴らが必要とされながらもセガンから外れて暮らしているところがスラムって呼ばれているだけだ」
この世界でのスラムというのは大きな町での下流階級が住まう地区でしかない。都市部にあるから目立っているだけだ。
「そりゃあ多少治安が悪いだとかはあるが、衛兵が巡回してないだけだ。スラムの在り方はしょうがないこと、っていう認識が足りてないんだ、お前には」
「そうか」
宗司は自分の考えの甘さについて思い知らされる。確かにローゴの言う通り、彼の認識にはスラムで暮らす人々の生活が抜けていた。
宗司が考えを改めたであろうことを確認して、ローゴは給仕を呼んだ。
「ま、もう一つはそのうち教えてやる。今は食って考えろ」
「……そうだな」
「それとな――」
ローゴは素早く懐に手を入れて、銅貨を弾き飛ばした。
「いってぇ!」
それは宗司の後ろの席からこっそり財布を取ろうとした男の手に命中する。
「財布の管理はしっかりしとけ」
「危ね」
宗司はローゴに倣って、財布を懐に入れる。
コインに撃たれた男は舌打ちをすると、慌ただしく店を出ていった。
「半分正解っていうのは危険に対する構えについてだからな。そこは怠るなよ」
「いや、本当に助かった。けどよく気づいたな。あいつ、体制ほとんど変えてなかったろ」
「ま、伊達に剣聖とは呼ばれてないってことだ」
そう言って、ローゴはどや顔で大きく酒を呷った。
後編は11/1投稿予定です。




