転
契約を終えて五日後。
担当者から男へ電話がかかってきた。内容は、日時が決定したというものであった。
男は分かったと返事をして電話を切った。
男の死亡予定日当日。
男は死亡相談所へは行かず、競馬場にいた。
「行け! そこだ、行け!」
男は賭け事に夢中になり、死ぬ手続きをしていたことをすっかり忘れていた。
男は当たった馬券の換金し、次のレースに備えて食事をしようと食堂へと向かっていた。その途中、声をかけられて振り返った。
「時間通りに来てもらわないと困ります」
男の目の前には見た覚えのある人物が立っていた。
「……? ……ああ、あんたか」
「早く行きますよ。随分と遅れていますので」
行く? 何処へ? 何だったかと男は必死に思い出そうとし、担当者の差し出した契約書を見て全てを思い出した。そして、告げた
「あー、あれ。やっぱり無し。俺死ぬの辞めるわ。金借りればいくらでも遊んで暮らせるし、死ぬの馬鹿らしくなっちまった」
「そうですか。では、違約金を支払って頂きます」
死亡相談所の担当者は表情を変えず、淡々と違約金の計算を始めた。
男はこの隙に逃げようと考え、担当者の横を通り過ぎようとした。しかし目の前に男が立ち塞がり、逃げようとした男を引き止めた。
「駄目ですね~。工藤さん。結んだ契約はしっかりと守らないと」
立ち塞がった男は、闇金業者の男であった。
「なんであんたまで」
「払えないっていうから催促に来たんだよね」
「まだ払えないと言ったのです。それに支払い予定日は今日です。本日中に支払いが出来れば問題はありません」
「まあまあ、そんなに怒らないで。協力してあげるからさー」
死亡相談所の職員と闇金業者の男。二人の会話から男は何かを感じとった。
「なんであんたらそんなに仲がいいいんだよ。まさか、俺をどうにかし嵌めようって魂胆なんじゃ」
「誤解されては困ります。こちらの方と私は仕事上の付き合いがあるため一緒に居るだけです。契約者様を罠に嵌めよう等と思った事は一度もありません」
「ならなんで居るんだよ」
「契約者様がこちらの方から借金をされていらっしゃるからです」
「それが何だってんだよ。あんたには関係ないはずだろ」
闇金業者が話し出した。
「工藤さん。借金、今すぐ返してくれない。利息付きで全額」
「今すぐには無理」
「なら死んで来い。移植に使う臓器を提供したら礼金が支払われるんだろ。その金で借金はちゃらだ」
男は小ばかにしたような態度で闇金業者へと言った。
「死んだら俺の遺産は放棄されて借金は無くなる。だからあんたに返す必要は無い。そうだろ、職員さん」
「いいえ」
「はっ?」
予想外の返答に、男は担当者の顔を見詰めた。
「くっくっく。それがあるんだよねー。管理者の責任ってもんがあって、所有物の過失は所有者の責任だっていう法律があるからさ」
闇金業者の言った言葉の意味が分からず、男は職員へと尋ねた。
「契約書に記載されております。契約者は契約後、死亡相談所の管理下に入る。そして死亡予定日当日、午前零時をもって人権が剥奪され、死亡相談所の所有物となる。これは、人権を尊重するべきだと訴える方達に対しての備えである。該当の文の事をおっしゃられているのでは無いかと思われます」
「まっ、そういう事」
説明を受けても理解出来ていない顔をしていた男へ職員は分かりやすく言い直した。
「あなたは既に人ではありません。物です。死亡相談所の所有物になりました。生かすも殺すも私達死亡相談所が決める事が出来るようになりました」
「ご理解頂けましたか?」
「いやいやいや、俺は契約をキャンセルするって言ったよな」
「はい。お聞き致しました。なので契約破棄に伴い、違約金の支払いを請求致します」
「いくら?」
「移植補助金として千六百万円。相談料として六十万。総額、千六百六十万を請求致します」
「はぁ? 払える訳ねーだろそんな大金。頭おかしいんじゃねーの、あんた」
「おかしくはありません。契約を破棄するのであれば必ずお支払い頂きます」
「おいおい、佐藤さん。俺の所の借金も入れてくれよ」
「そうでしたね。訂正致します。千六百六十万円にこちらの方から借りた借金を合わせてお支払い頂きます」
無茶な要求をしてくる職員に男はもう一度言った。
「だから、そんな大金払えねーて。俺そんなに金持ってねーもん」
「その点は大丈夫です。安心してください。契約者様には私共の提供する環境で労働をして頂き、働いた金額分だけ違約金から差し引く形をとります。ご心配なく、生きてください」
「そうだ。なら俺は自己破産する。それで払う必要は無くなるだろ」
「現在、あなたの自己破産は認められません。なぜなら、人ではないからです」
「はー。あんたの話は意味わかんねーて」
話の通じない職員に男は疲れ、再び逃げようと考え始めた。
闇金の男と職員の男、二人の様子を観察して逃げる隙を窺った。
「えーっと、俺トイレ行きたいんだけど」
唐突に話題を変えた男を職員は不審に思い、逃げるつもりだと判断。職員は男に逃げても状況は良くならない事を伝えた。
「契約者様。今この場から逃げても状況は改善いたしません。より不利になります」
「やだなあ、職員さん。逃げないって」
「それならよろしいのですが、もし逃げた場合、殺される可能性がありますのでお気を付けください」
殺される。その単語に反応した男は職員に理由を尋ねた。
「なんで俺が。……殺されんのさ」
「あなたは物だからです」
「だから分かんねーって。分かるよーに言えよ」
「ですから、あなたは現在、人として扱われません。なので、殺しても殺人罪にはならず、警察も殺した方の捜査は致しません。つまり、人を殺したいと思っている方にとって、あなたは格好の獲物なのです」
「そんなの嘘だろ」
「嘘ではありません。過去に複数の事例があります。死亡予定日当日に逃げ出した方が見つかった時には首だけの状態であったり、上半身と下半身が二つに分かれていたりと殺害方法は様々でしたが。生きている状態で見つかった方はほとんどいませんでした。それでも逃げますか?」
「いや、だから逃げないって」
「それならよろしいのですが」
男は一旦こころを落ち着かせ、職員の言葉の意味を考えた。
「なあ、なんで人権が無いって分かるんだ? なんで殺した奴らは逃げた奴が分かるんだ?」
「死亡予定表に記載されているからです。死亡相談所のホームページからどなたでも閲覧できる死亡予定表に」
「あれに顔までは載ってないはずだ」
「たとえ顔写真がなくとも住所や年齢などから人物を特定するのはそう難しいものではありません。人殺しをしたい方にとってはさして苦労もない作業でしょうね」
男は職員の話を聞き、悩みだした。
死にたくない。だが、契約の破棄には違約金を支払う必要がある。
違約金を払うためには働かなければならない。それも、死亡相談所の提示する環境で。
しかしこのまま逃げることは出来ない。逃げた先で無残に殺されるのはごめんだ。
どうするか。
悩んでいる男へ職員は男へ言った。
「あなたの選択出来る道は三つです。契約に従い、死ぬ。契約を破棄し、生きて違約金を支払う。逃げて逃げて逃げ続ける。出来れば三つ目は選んで欲しくありませんが、どうぞお好きな道をお選び下さい。あなたの人生です。あなたがお決めください。私共は選択には干渉致しません」
じっくり考えた末、男の出した決断は……。
起承転結の結は読んだ方にお任せします。ご自分でご想像ください。
生きて労働するか、死んで移植希望者達に感謝される。
それとも、逃げて逃げて逃げ続ける。誰からとは言わないが、命を狙う者達から。
その他の選択肢もあるとは思うが、私が今思いついたのはこの三つ。
さあ、物語の結末はいかに。
ご自分が相応しいと思う選択をどうぞ。
以上