承
あるビルの一室。机に置かれた契約書を挟んで対面に座る二人の男。一人はこの契約書の契約者。そしてもう一人は死亡相談所の職員であり、この契約の担当者。二人は契約を完了させようとしていた。
「これまでの事で質問がなければこれで手続きは完了となります。何かご不明な点はございますか?」
「いいえ。ありません」
「では、死亡予定届けを提出させていただきます。死亡の正確な日時は後日改めて連絡致します」
一呼吸おいて担当者は言った。
「長時間、お疲れ様でした」
男は立ち上がり、出口へと向かった。その背中へ向けて担当者は改めて注意事項を告げた。
「過度な飲酒、喫煙は家族への礼金の金額に影響します。なるべく控えるようにお願いします」
男は振り返る事無く「分かってますよ」と返し、部屋から退出した。
退出した男はエレベーターに乗り、一階のボタンを押した。一階へ到達するまでの間、男はビルを出た後の事を考えた。あれもやりたい、これもやりたい。死ぬと決めた男に恐い物は無く、何でも出来る気分になっていた。
でも、それでもやってはいけない事はある。
人殺しや窃盗等の犯罪。やった場合は違約金が発生して家族への保障は一切されず、契約した意味が無くなってしまう。そのため、男はそれだけは気を付けようと心に刻んだ。
チンッ エレベーターが一階に着き、扉が開いた。男は降りて駐車場へと向かった。
「さあて、残り少ない俺の人生だ。最期は楽しませてもらうか」
男は車に乗り、ある場所へと向かった。
そして、三十分程して着いたのは銀行だった。
お金を預けに来た訳では無い。そして、引きだそうとしに来た訳でも無い。口座の残高はほぼ無い。男は機械で銀行のカードを使い、お金を借りに来たのである。
機械へカードを入れ、限度額いっぱいの金額を入力して決定ボタンを押した。
お金は、出てこなかった。
画面には『限度額いっぱいのため、借りられません』と表示されていた。
しかし、これはありえない事であった。
現在、男に借金は無い。契約に際しての条件が記載された項目の内の一つが理由である。
『借金がある方は死亡届けを提出することが出来無い』
これは、借金返済を出来ない人が相談所へ来る事に備えての条件。
死亡相談所での死者の扱われ方に特徴があるからである。
死亡相談所ではどんな場合であっても、死んだ方の遺産を遺族は相続出来ない。
臓器提供による礼金の受け渡しが行われた直後から遺族と死者との関係は初めから無かったものとして扱われる。
これは言い換えると、死者と遺族は他人になる、と言うこと。
墓に入れる事は出来ず、戸籍からも抹消される。
だが、遺族の手元には礼金が残る。
それを逆手に取り、死んで負の遺産を清算しようとする人が過去に多数存在した。
だが、それは契約前までの話。
死亡契約を結んだ今となっては、その条件は意味が無い。
男はそこに目を付け、契約後に借金をし、遊んで過ごして死のうと計画していた。
それなのに借りられない。
何度か試した。しかしいずれも結果は同じ。
機械の故障か銀行側の不手際か。どちらにしても借りられないのは困る。
男は機械で借りるのを諦めて窓口で借りる事にした。
男は整理券を取り、自分の番号が呼ばれるのを待った。
「百五番をお持ちの方。二番の受付までどうぞ」
男は受付へ移動し、椅子へ座った。受付の人が用件を尋ねた。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「お金を貸して欲しくて来たんですけれど」
男はカードと通帳を出して話を続けた。
「機械でカードを使ったら借りられなくて」
「失礼ですが、限度額を超えた借り入れを行われたのでは?」
「それはありません。借金は無いです」
「お預かりして、お調べしてもよろしいでしょうか?」
「お願いします」
受付はカードと通帳を受け取りパソコンで調べ始めた。
原因はすぐに判明した。
「お客様。死亡相談所へ行かれた事はございませんか?」
「はっ?!」
死亡相談所。その言葉を聞いた瞬間、男は驚き、高い声で反応した。
しかしすぐさま元の声に戻り、「知らない」と告げた。
受付の人はパソコンの画面を見直して確認し、男へ言った。
「お客様。お客様の名前が死亡予定表に記載されており、当方と致しましては貸し付けが出来ない状況となっております。もし死亡予定表の記載が間違えているのであれば、死亡相談所へ一度ご相談下さい。この問題は当方では対応出来かねます。まことに申し訳ごさいません」
受付の人は軽く頭を下げ、これ以上の対応は出来ないと男へと伝えた。
「そうですか」
男は銀行でお金を借りるのを諦めた。
しかし諦めたのは銀行で借りる事。銀行で借りられないのなら他の所で借りれば良い。男は次の目的地へ向けて車を走らせた。
着いたのは怪しいビルの前。
男は何をしにここに来たのか。もちろん、金を借りる為である。
銀行ではない、ローン会社でもない。ここは、世間では闇金と呼ばれる所である。
男はビルの中へと緊張した面持ちで入り、階段をのぼって二階にある会社名の書かれた部屋のドアを開けた。
「すみません、お金を借りたいんですが」
中からは男へと複数の鋭い視線が向けられていた。その内の一人が男へ話しかけた。
「借りに来るのは初めてですかい? すみませんね、うちは目つきの悪いのが多くて」
「ああ、いえ」
「ささっ、座ってください」
男は促されるままに椅子へと腰かけた。
「それで、今日はどのようなご用件で」
「お金を貸して下さい」
業者は笑顔で契約書を差し出した。
借りに来た男が建物から完全に出たのを確認し、業者はある場所へと電話をかけた。
「佐藤さん? あんたんとこの商品、うちの会社で金借りってったんだけど、何時支払い?」
「――!」
「はいはい、契約者様でしたね。すいませんでしたっ」
「――」
「三月十日登録の工藤って奴」
「――?」
「もちろん証拠はあるぜ。あんたにきつく言われたからな」
「――」
「オーケー。ならその日の夕方だ。遅れるなよ」
業者の男は電話を切った。
「兄貴、今の電話は」
「さっきの客の保証人。今回は楽な仕事だったな」
男はタバコに火を付けて吸い出した。