7 妹
最高の時間はそう長くは続かなかった。飽きてきたのだ。
最初のうちは良かった。興奮冷めやらぬうちだったというのもあるし、新鮮な刺激に全身がビクンビクンした。
だが、それも50ループをしたあたりから感覚が鈍ってきたのだ。仕方ない、人間は慣れるものである。死ぬような経験であっても、痛みであっても、何度も感じていたら何でもなくなるのだ。わたしは、そんな当たり前のことにようやく気づいた。
ムービー選択画面で立ちすくむ。あんなに燃えるような経験をしたけど、どうやらそれも終わりみたいだ。寂しくて涙がにじむ。
ああ、あなたに会いたい。またゲイシーに罵られたい。ムービーじゃなくて実際に。
でも、今日はそろそろ寝ないとだ。
頭の中で「時間」と念じると、ムービー画面右上に現在時刻が表示された。夜の9時を回っており、そろそろ良い子は寝る時間だ。あんまり良い子でもないけど、まだ夕御飯を食べてないしそろそろログアウトしよう。
今度は「ログアウト」と念じると、世界が網掛けされたように暗くなる。「本当にログアウトしますか?」と出たので、その下の「はい」のボタンを押した。
これまでの世界が溶けていく。そして、いつものわたしが戻ってくる。
手の感覚が現れ、足が生まれ、その隙間を埋めるように身体が生成されていく。それは、夢から醒める感覚に似ていた。
またこの世界に戻ってきたのか、と思い「はー」と溜息を吐く。微かに胸が上下した。あれ? なんか重い気がする。わたしの胸はそんなに大きかったっけ?
「……おねぇ! ……ねぇ! ……ったら! おねぇ!」
声が聞こえた。聞き慣れた声。子供の時から一緒にいたアイツがいるらしい。
あれ、お腹も重い。おい、ちょっと待て。
「おねぇ? 大丈夫なのおねぇ!?」
「お前はどこに乗って何をしている!?」
ヘッドマウントデバイスを額に押し上げてみると、そこには妹である「ぱずる」がお腹の上に乗って、わたしの胸を鷲掴みにしている姿があった。わたしに負けないくらいキラキラした名前でちょっと可哀想になるが、それがコイツの名前だ。
「だって! だってだよ!? おねぇの部屋入ってみたら、『死ぬぅ、もう無理、やめて』とか言いながら痙攣してるんだよ!? 頭に変な機械着けてるし!」
カッと顔が熱くなるのがわかる。寝言みたいに声が出てたのかな。
「それでなんでわたしの胸を揉む流れになるの!?」
恥ずかしさをごまかすように大声でツッコミを入れる。
「脈測ろうと思ったの! 手首で測れるの知ってたけど、やってみてもよくわかんなかったから、仕方なく胸を……」
「仕方なく胸を揉むってスゴいシチュエーションだな! って、別に揉む必要ないじゃん!?」
「いや、最初は脇に座って触ってたけど、途中から腕が疲れてきちゃったから仕方なく楽な姿勢を探した結果……」
「わたしの緊急事態に楽しようとしないで!」
昔からコイツの言うことはツッコミどころだらけだ。わたしがお風呂に入ってれば何かしら言い訳をしながら乱入してくるし、ベッドで寝てれば次の朝には当然のように一緒に寝てる。おまけに、わたしがトイレに入って鍵をかけ忘れると高確率で扉を開けてくるのだ。
言うなれば姉離れができない可愛い妹なのだけど、この子ももう中学生だしそろそろ心配になってくる。時々、自分の貞操も心配になってくる。
「とにかく、いろいろありがとう。もう大丈夫だから」
「そっかー、良かったー! めっちゃ不安だったんだよ?」
「ごめんごめん」
寝ぼけ眼で笑顔を作ってみせる。コイツは昔からわたしのことになるとこうなのだ。心配性というかなんというか。
「で」
「はい」
わたしは彼女の顔を見つめる。
「いつになったら手を離すの?」
ニッコリとわざとらしく笑ってみせた。
「いや、こうやってると、おねぇのドキドキが変わるのがすぐわかるなって思って」
ニギニギ、と手が動く。
「ええい! 寄るな触るな近寄るなー! もう! 降りて降りて!」
「きゃんっ!」
ウガー! と叫び声を上げる勢いで上半身を起こし、彼女の肩の辺りを押すようにしてどける。たまらず彼女は仰向けで倒れた。
「今度は逆?」
彼女が潤んだ瞳でわたしを見つめてくる。
「やらない。お腹減ったし」
「じゃあご飯を食べたらやるんだね!」
「やんないよ。寝るから」
「寝るなんて……、じゃあおねえ、私先にお風呂に入っとくから……」
含みを感じる言い回しだが、ゲームの影響かまだ頭がぼーっとするしスルーした。
「おねぇ、マザー・テレサも言ってるけど、無視は愛のないことなんだよ?」
「勝手に胸もんでてお腹の上に馬乗りになってるヤツをツッコミだけで許してあげてるお姉ちゃんに、お前は愛がないとか言うの?」
「おねぇのこと大好き! 抱いて!」
そんなことを言いながら、コイツはうつ伏せのまま手を伸ばしてきた。仕方なく、その手を取って彼女の上体を起こし、軽く抱きしめて背中をポンポンと叩いてやる。
それに合わせるように、コイツも私の背中に腕を回してきた。コイツもだいぶ大きくなったな。わたしよりちょっと小さいくらいか。
「おおー、よしよし。お前は良い子だな」
身長とか関係なしにあやしてやると、妹は不満げな顔をしてみせた。
「うー……、なんだかバカにされてる気がする」
「気がするじゃなくて、お前はバカなの」
「ただの暴言だよそれ!?」
いつの間にか、ツッコミとボケが逆転してる気がするが、まあ良い。いよいよ本当にお腹減ってきたし、コイツには離れてもらおうか。背中に回していた手を離して彼女の肩を押すようにする。だが、コイツは腕の力を一層強めた。
「ちょっと、もう離れて……」
と言おうとして、様子がおかしいことに気づいた。鼻をすする音が耳元で聞こえる。
「……私、怖かったんだよ? おねぇが死んじゃうかと思って……本当に……本当に、心配したんだよ……?」
彼女が涙声でそう言い、わたしを抱きしめる腕へ更に力を込めた。
「ごめんね、ルゥ……」
この「ルゥ」というのは、ぱずるの呼び名だ。気分によっていろんな呼び方をするが、今はこれがふさわしいと思った。
「どれくらい心配しててくれたの?」
「……えっと、一時間くらい?」
マジか、結構長い間不安にさせちゃったな。ひょっとすると、わたしの胸を触ってたのも安心を求めてのことかもしれない。
「というか、泣き出すタイミング、急じゃない?」
「……抱きしめてもらったら、なんか安心しちゃって」
「そっか、ルゥは良い子だね」
そう言って、今度は頭を撫でてやった。腕の中で彼女が「えへへ」と小さく笑う。なんか、こういう時のリアクションは姉妹共通なんだなと思った。
「さ、もう大丈夫でしょ? そろそろ熱いし離れて」
照れ隠しのように、わたしはちょっとだけぶっきらぼうに言う。
「えー。……やー」
幼児退行してる……。まあ、それだけ怖かったんだろう。たまにこんな風にベッタリになるが、その度に姉として信頼されてるなと実感する。
「やー、じゃない。このままだとお姉ちゃん、ご飯食べられないでしょ? あとで一緒に寝てあげるから一旦離れなさい」
「ホントに? 一緒に寝てくれるの?」
すると、腕を離してキラキラした目で私を見てくる。わかりやすいヤツめ。
「いいよー。ただ、変なことしないでね?」
「……どこからどこまでが変なことかわかりかねます」
視線を逸らしながら、妙に畏まった声でコイツはそんなことを言う。
「あんまそうやって屁理屈こねてると、一緒に寝てあげないよ?」
「あー、ごめんなさいごめんなさい!」
どうやら交渉成立のようだ。「ちょいちょい」手のひらで押すように合図すると、今度は素直に退いてくれた。
「さて、ご飯ご飯。その感じだとルゥもまだ食べてないでしょ? 一緒に食べよう」
「やったー!」
可愛い妹の声を背中に受けつつ、わたしは部屋の扉のノブに触れる。そして、そこで重要なことを思い出した。
わたしは、ディリアルでゲームを始める前に、確か部屋の鍵をかけたはずなのだ。「利用時に寝言のような声が出る場合がある」とは、以前から聞いていたので、キチンと対策したはずなのである。
ついでに、コイツがあまりにも勝手にわたしの部屋へと入り込むので、その対策として先日鍵をつけたのだ。
じゃあコイツはいったい、どうやって入ってきたの?
……まあ良いか。姉妹だし。何かあったら「キライになるよ」とか言えば二度としなくなるだろう。もっとも、わたしだってそんなことは言いたくないので、今度似たようなことがあったらそれとなく注意することにしよう。
「あれ? おねぇ、そのおでこのヤツ、着けっぱなしで良いの?」
「ああ、ありがと。完全に忘れてた」
ディリアルのヘッドマウントデバイスを外し、いったん引き返して枕元に置く。すると、ルゥがそれを手に取った。
「おねぇの様子見てる間ずっと気になってたけど、これなんなの? あれ、なんか書いてある。ディーアイアール……? 英語読めない……」
「ディリアルね」
「え? おねぇ、ディリアル持ってたの!?」
わたしの言葉を聞いて、何かとんでもないことを耳にしたかのようにルゥがこちらを見てきた。
「うん、今日買ってきた」
事も無げに答える。意識はしてないが、多分ドヤ顔になっていることだろう。
ルゥは「なるほど」という感じで頷いている。多分、わたしの様子が変だったことに納得がいったのだろう。
「へぇー、これがそうかー! 本物初めて見た! 良いな良いなー。私何やろっかなー」
その言葉を聞いて、ディリアル内に格納されているムービーデータを思い出す。
「こら、貸すとは言ってないでしょ!」
「えー、ケチー。そんな怒んなくたって良いじゃん!」
すごく不満そうな顔で彼女がこちらを見てくる。ほっぺたを「プクー」っと膨らませており、思わず「お前はアニメか」とツッコミを入れたくなるが更に機嫌を損ねそうなのでやめておいた。
ただ、このまま貸してあげないのも可哀想だと思い、そこで一つだけ妥協案を提示する。
「お姉ちゃんと一緒にやるなら使わせてあげるけど」
その言葉を聞いた妹のほっぺたはすぐ元に戻った。
「ディリアルできるならそれで良いよ!」
わたしはなんだかんだ言って妹に甘い。この甘さが取り返しのつかない事態を引き起こすなんて、今のわたしは知る由もなかった。