3 「殺人鬼」エドワード・ゲイシー
わたしは郊外の田舎道をバイクで飛ばしていた。メーターは法定速度を振り切っており、わたしが警察官でなければとうに捕まっていることだろう。
本当は車を出したいところだったが、今回は私の独断で行動しているためそれはできない。バイクの音はけっして静かだとは言えないが、現在隠密行動中なのである。
そんな馬鹿なことをしてどうしたのかって? もちろん、これだけの無茶をするのにはちゃんと理由がある。
エドワード・ゲイシー。最近私の街を騒がしていたシリアルキラーだ。平和ボケしていた人々の意識を切り裂いて、その隙間に絶望という名のプレゼントをねじ込んでくれた張本人である。
わたしは、そいつを追っていた。一部では「悪魔憑き」だともささやかれるほどに危ないやつだ。このまま野放しにはしておけない。
なのに、他の仲間は、国境辺りでヤツの目撃情報があったのを聞いて、捜査を打ち切ってしまった。ヤツが国外に逃亡すると思ったのだろう。みんなわかってない。ヤツの狙いはそんなところにはないのだ。
国境よりやや奥まった土地にある「クリスタルシティ」は彼の故郷だ。ヤツは見せびらかすかのように自分の個人情報をばら撒いていたからそれくらい調べはついている。もっとも、そこまでわかっていてヤツを追い詰められなかったのは、我々の恥ずべきところかも知れないのだが……。
しかし、ヤツの逃亡劇は異常としか言えないものだった。初めての殺害のあと、手始めにと言わんばかりに自分の名前で手紙を警察に送りつけ、こちらの神経を逆なでしてみせたのだ。
「まぬけな警察の諸君、私はただのんびりと家で遅めのランチを楽しんでいるから、良かったらみんなで遊びに来るといい。もっとも、場所がわかればの話だが」
そう末尾を締めくくっており、その手紙には指紋がベッタリとついていた。切手の消印から大まかなヤツの活動範囲を割り出せたこともあり、草の根を分けるようにして探した。
目撃情報も腐るほど上がってきたが、それなのにヤツに手錠をかけるには至らなかった。それこそ、煙のように消えるのだ。
一度だけ、若い捜査官見習いが独断でヤツを追い詰めたことがあったが、そいつはその時手ぶらで帰ってきた。
ヤツを間近で見たはずだし、どっちに逃げたかくらい教えてくれても良いのに「あいつにはもう関わらない方が良い。いや、関わっちゃダメだ……」と震えるばかりだった。
そいつの勇気は認めるが、本当に馬鹿なことをしたと思う。若さゆえの過ちか。だが、わたしは勤続年数もそこそこ長いのに、無謀にもその捜査官見習いと同じことをしていた。危険なのはわかっている。でも、これでヤツに近づけるなら、と考えると自分を止めることはできなかった。
気づけば、お目当ての地「クリスタルシティ」への看板が見えてきた。鮮やかだった街並みは、経年劣化ですっかり色あせてしまっている。この地が今「モノクロームシティ」と呼ばれている意味がよくわかった。
「色のない街、か」
ヘルメットの内側に吐き出すようにしてつぶやく。瞬間、バイクのライトが照らす先に人影が見えた。
それは、少女だった。
白い背景に、シルエットのようにして映し出されるその姿は、こんな郊外の田舎道には似合わないものだ。
不審に思い、彼女を避けるようにして緩やかにハンドルを切りつつバイクのブレーキを握る。しかし、手応えはなかった。
中の仕組みがすっかりなくなってしまったかのように、ブレーキがカチャカチャと鳴る。全身に鳥肌が立った。今は相当な速度を出している。このまま燃料が尽きるまで走るのか? ブレーキなしで?
どうする、と考える間もなく、気づけば影の少女が目の前に迫ってきていた。何故だ、ハンドルを切ったはずなのに。まさか自分で飛び出してきたのか?
わたしは、自分の危険を考えずもう一度ハンドルを切って彼女を避けた。世界がひっくり返って、金属音が耳を貫く。強い衝撃とともにわたしは投げ出され、近くの茂みへと突っ込んだ。
全身を細かい木の枝が引っかき、鋭い痛みが走る。次いで、何かが激突する音が響く。少し感覚をおいて、ガソリン臭さと焦げ臭さが鼻をついた。見ると、さっきまで乗っていたバイクが燃えている。
さあ、後戻りはできない。わたしは腰のホルスターに止めた銃の存在を手で触れて確認し、街に向き直る。ヤツのいる場所「モノクロームシティ」へと。
そこまで思うと、目の前で矢印を輪っかにしたようなものが回り出す。どうやら読込中のようだ。歩こうとしても、見えない何かに阻まれてその場足踏みになる。仕方なくしばらく何もせずに待っていると例の矢印が消え、自由に移動できるようになった。
「これだけちゃんと出来てるのに、こうやって現実に引き戻されるのはなんだかなぁ」
多分、洗脳されたようにずっとあの調子だと危ないからなんだろうけど、ちょっと拍子抜けしてしまう。怖い雰囲気がビリビリ伝わってきてたまらないし、一度「捜査官つみき」を貫き通してみたくなる。設定とかで変えられないかな。
「あ、そういえば」
あの妖精はどこだろう? ムービーが終わったらゲイシーがどこに行ったか教えてくれると言っていたが、どう探したものか。
あと、さっきムービーで見た影の少女はどこに行ったのだろうか。ライトを浴びても全身真っ黒だったし、多分モンスターか何かだと思う。ちょっと警戒しといた方がいいかな。
そう思い、わたしは腰のホルスターにあるハンドガンを抜いた。初めて握るはずなのに使い方がわかる。不思議な感覚だ。
あ、そういえば、さっきの事故で動作不良とか起こしてないのかな。よし、試し撃ちしてみよう。わたしは周囲を見渡して適当なものを探す。
すると、街へと続く大きな門の脇に黄緑色の光が見えた。恐る恐るそれに近づき、銃口を向けてみる。
わたしは結構、こういうゲームシステムに逆らうようなことするの好きなんだよね。どうなるのかな、と思いつつ引き金を引いた。瞬間、わたしの腕に反動がかかり、耳をつんざくような銃声が辺りに響き渡り、遠くの方でギャーギャーとカラスが鳴く。思わずびっくりして目を瞑ってしまった。
恐る恐るまぶたを開けてみると、さっきまでの光が消えている。
「あ、あれ」
やばい、ヤっちゃったか? 自分は生き物みたいに言ってたし、ひょっとすると本当に……。
いや、そんなはずはない。だってこれ、ゲームだし。そう思ってあたりを見渡してみると、足元の方から光の螺旋が駆け上がってきた。
「こらー!」
うわ、やっぱり怒られた。いや、あんな光ってて、銃持ってるなら普通撃つでしょ。わたしは悪くない。
「ここになんの用? 危ないんだよ!?」
と思ったが、妖精はなんだか別のことで怒っているようだった。あれ? ひょっとするとこれムービー入ったかな? なら、流れに身を任せとこう。
「うわ!? なんだお前? 虫か?」
わたしは驚いて思ったままのことを口にした。ハンドガンの先でシッシッと追い払うようにする。
「ひっどー! こんなかわいい娘になんてこと言うの!? わたしは妖精! 妖精の『リッピー』ちゃんです!」
そう言って、リッピーは空中で腰に手を当てて胸を張った。
「な、妖精だと!? そんなの信じられるか。わたしはコナン・ドイルじゃないんだぞ!」
「そんなに疑うなら、他に何だって言うのよ! こんなにヒラヒラしてるんだよ?」
そういって彼女は背をこちらにむけて羽ばたいて見せた。きらめく粉があたりに散る。
「……やっぱ虫みたいだなぁ」
わたしがそう言うと、リッピーは「ガーン」という擬音が出てそうな顔でこっちを見てきた。仕方ないだろ、蝶みたいに見えたんだから。
「と、とにかく! ここから先に行っちゃダメ! この間、危ない人も入ってったし!」
危ない人、という単語に、思わずぴくりと反応する。
「そいつは、フードをかぶっていなかった? あと、身長はこれくらいだったろ?」
そう言って、わたしは頭の上で手をくの字にし、思い切り腕を伸ばして「このくらい」とジェスチャーする。
「えー、あー、確かそんな感じだったかなぁ。黒フードでめっちゃ大きい人だったよ」
私の中に確信めいたものが芽生える。
「ちなみに、『危ない人』だって思った理由は?」
「ああ、それはね」
思い出すようにして、リッピーが目を閉じてあごを指で触る。
「こーんなに長いナタを右手に持ってたからだよ!」
彼女は目を見開いて、口もいっぱいに開いて大げさに腕を広げた。やっぱりそうか。
「そうか、ありがとう」
そう言って、わたしが街に向かって歩き出すと「ちょっと待った!」とリッピーが回り込んできた。
「なんで? 私の話聞いてなかったの?」
まゆをハの字にしてリッピーがすがってくる。
「だから行くのさ。野放しにはしておけない」
そう言うと、わたしは彼女を軽く手でのけ、再び歩きだした。
「じゃあ、私もついてく! あなた一人じゃ絶対危ないもん!」
そう言って、妖精は私を追って緑色のラインを宙に描いた。
「ふん、好きにするといい」
気にせず歩き続けるわたしと、一人の妖精が道を行く。こうして、私たち二人での地獄のモノクロームシティ観光が始まった。
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「あ、ムービー終わったよ」
わたしが歩きだしてしばらくすると、妖精ことリッピーが声をかけてきた。
「モニターだから言うけど、あなたがそういうメタなことあんまり言わないほうが良いと思うよ」
わたしは彼女にもう一度銃口を向けた。
「わー! ごめんなさいごめんなさい! それ撃たれてもノーダメージだけど、音が怖いんだよー」
リッピーが空中でワタワタと慌ててみせた。ふーん、やっぱりノーダメなのか。リッピーはこのゲームだと無敵なのかな? 試しに、もう一つの武器も使ってみよう。
知らないはずなのに、それがあることをわたしは知っていた。左の腰の辺りに吊っているサバイバルナイフを左手で抜き、素早く彼女へと斬りかかる。しかし彼女は、ヒラリと回りながら優雅に避けてみせた。
「あっぶなー! なんなのさっきから!? あなたは頭のヤバい人なの? この間の危ない人の生き別れた兄妹かなんかなの!?」
優雅かと思ったが、この様子だとめちゃめちゃ必死だったらしい。ダメージはなくても、当たり判定はあるのかもしれない。
「いやぁ、こういうゲームだと、とりあえず味方を攻撃するクセがあるんだよねー」
彼女が怒る姿が面白くてついつい調子に乗ってしまう。
「死んだらどうするの!?」
「死なないでしょあなた!」
「まあね」
なんかドヤ顔をされてしまった。わたしはその顔に軽くムカついたが、なんだか面白くてけらけら笑った。
「あ、そういえば! また会えたねー」
リッピーが思い出したかのように言う。にへらと気の抜けた笑顔をこちらに向けてきた。その様子に、私はなんだか気が抜けてしまう。
「そりゃ会うでしょ。専用ムービーあったし」
わたしは呆れつつリッピーの方へと目を向けた。
「いや、ひょっとすると途中でやめちゃうかな? とか思ったし。ほら、このゲームまだモニター募集してすぐでしょ? 私まだ慣れてないから変なこと言ってないかめっちゃ不安だったよー」
ああ「ブロック君」とか。まあ、わたしは気にしないけど、気になる人もいるかもしれない。
「そういうこと言うなら、少しは敬語使ったほうが良いかもね」
わたしは周囲を警戒しながら話し続ける。話の流れ的にどこからゲイシーが現れてもおかしくない。一歩進むたびに顔を出す新たな景色に目を光らせながら、わたしは足を動かし続けた。
「ああ、やっぱりそうですかね? これから敬語使ったほうが良いですか?」
リッピーがにへらとした笑顔のまま、まゆだけ少しハの字にしつつ言う。何故か軽くムカついた。言い方の問題かな。この子はあんまり敬語使わない方が良いのかもしれない。
「いや、別に良いよ。わたしもタメ口で慣れちゃったし」
その方が、わたしも気楽だしね。
「それに、こんな面白いゲームやめるわけないじゃん」
わたしは、先ほどのムービーであった自分の心の変化を思い出していた。話が進むごとに自分の中に新たな思い出が生まれていったのだ。
捜査打ち切りのところでは、これまで追い求めたものごとが遠くに行ってしまうことへの焦りが胸の中でうずいた。その上、これまでに経験した事件の数々を思い出すこともできたのだ。
知らないはずのできごとが、知らぬ間に自分の中にあるという違和感は、それだけでなにか薄ら寒いものがあった。
しかし、だからこそヤツがいるはずの「モノクロームシティ」へと近づいてきた時には、現実世界では感じられなかったような興奮があった。
自分の心が強制的に「ゲイシー逮捕」へ向けて高められていく感覚。
目標達成のために努力してきた物事が、実を結ぼうとする時の熱い感情。
わたしを燃え上がらせるには、十分過ぎるものばかりだった。
早く、ゲイシーを見つけたい。
そんな気持ちが、先ほどから胸の奥で暴れて仕方なかった。そういえば、リッピーはゲイシーの居場所を知っているみたいだった。始まって早々だが教えてもらおうかな。
「ねぇ、ゲーム始める前に言ってたけどさ、ゲイシーがどっちに行ったか知ってるんでしょ? 教えてよ」
「ああ、えっとね」
その言葉のあと、何かが空を裂いたような気がした。ついで、紙か何かが地面へと落ちた音がする。
ゾクリ、と背筋に冷たいものが走った。わたしは前を見ながら歩いていたため、リッピーの方を向いていない。だから、ゆっくりと、彼女がいるはずのところへ向き直る。
そこには、黄緑色の光の残滓があった。地面に落ちた彼女の羽から、鱗粉のような粒子が天へと昇っている。
その光の後ろに、リッピーを切り裂いた張本人が立っていた。
「おやおや、誰かと思えば私を追っていた保安官じゃないか。どうした? 虫さんと話す趣味でもできたのかい?」
人を舐めたような口振り。
見上げるような長身。
そして彼のトレードマークとも言えるフード付きのコートとナタ。
「殺人鬼」エドワード・ゲイシーがそこにいた。