4 ご褒美イベント
ちーちゃんは可愛い子だ。
いつも澄ました顔をしてて、努力家で、上手にできないところがあって、いつも空回りしている。
たとえば、首にネッカチーフを巻いて学校に来たことがあったんだけど、それを周りに散々いじられて、午後にはもう外してたりとか。
ほかにも、洋書を学校に持ってきて休み時間に読んでて、それがめちゃくちゃ英語ができる子に見つかり内容のこと深く突っ込まれたんだけどあんまり答えられず、次の日から持ってこなくなったりとか。
あと、体育祭に向けて自主練をやりすぎ、当日体調を崩して休んでしまったりとか。
そんなちーちゃんが可愛くて可愛くて、わたしは彼女の友だちになった。最初はバカにしていると思われたらしく全然心を開いてもらえなかったけど、話していくうちにだんだん打ち解け、放課後一緒に遊ぶくらいにまでなった。
付き合いとしては、高校に入ってからだからそんなに長くはないけど、それでもわたしは彼女のことを親友だと思っている。
だから今、こうして二人でゲームをしていることに、一種の感動を覚えていた。
噛み付いてばかりだった野良猫が膝の上で寝てくれるようになった感じ、と言えばわかりやすいだろうか。
「野良猫」なんてたとえを使ったが、これは彼女がわたしにとって癒やしの存在であるという意味でもある。撫で回したら、良い感じの鳴き声あげてくれたりしないだろうか。
「ちょっとちーちゃん、わたしの膝の上で寝てみない?」
「何よ急に。こんな場所じゃイヤよ」
言われて、辺りを見渡す。
場所は教会。
ステンドグラスは銃弾によってところどころ砕け散り、床はガラスの破片にまみれている。
BGMは、カラスの鳴き声。化物が唸るような風の音。そして、その風で揺れる木々のざわめき。未だにゲイシー戦の爪痕が残る、歪な聖域がそこに広がっていた。
「じゃあ、落ち着けそうな場所見つけたらしよう」
「もう、このゲームはそういうことするためのものじゃないと思うんだけど」
すげなく対応され、わたしは少しだけしゅんとなってしまう。正論なんだけど、もうちょっと遊んでくれても良いのに。
いや、いけないいけない。ルゥは今もきっと苦しんでる。気持ちを切り替えないと。
「そうだね。まずは情報共有からかな。何から教えようか?」
わたしが質問すると、ちーちゃんは「そうねぇ」と呟き、考え事をするように顎へ手をやる。
しばらくして、その小さな口をそっと開いた。
「進捗具合が知りたいわ。どこまで進んだのかしら?」
そういえば、まだちーちゃんに何も説明してなかった。クローン・モノクロームを始めたということしか教えてないので、当然の疑問だと言える。
「えっと、ゲイシー生け捕りにしたところまで」
「あら、結構進んでるのね。もう終盤間近じゃない」
「え?」
終盤? 何を言ってるんだちーちゃんは。このゲームってストーリー短いの? そんなことないでしょ。
「あれ、ごめん。なんか勘違いさせちゃったかも。まだ始めたばっかで、ゲイシー捕まえるところしかやってないというか、プレイして数時間しか経ってないです」
急いで追加の説明を加えた。変にベテランだと思われても困ってしまう。
しばしの沈黙。
ちーちゃんは目を丸くして固まったまま動かない。何かわたしはマズイことを言っただろうか。事実を言っただけなんだけど。
「ああ、わかったわ。マリー・ブレアと勘違いしてるんでしょ? 名前が出るタイミング近いものね。間違えてもしょうがないわ」
長い沈黙のあと告げられた名前は、知らないキャラのものだった。
頬の辺りを指で掻く。
「誰それ、わたしたちが捕まえたのはゲイシーだよ、殺人鬼の」
ちーちゃんは眉間にシワを寄せた。困惑しているようだ。わたしはそんなに変なことを言ってるだろうか。
「……キーちゃん。ゲイシーは終盤じゃないと倒せないから、多分間違ってると思うのよね」
諭すようにちーちゃんが語りかけてくる。
「いやいや、ゲイシーそこにいるからね? 間違ってなんかないよ」
そう、この教会にはゲイシーがいるのだ。わたしとルゥが頑張って倒したあのゲイシーがいるのである。百聞は一見にしかず。見てもらった方が早いか。
「ゲイシーさん! すいません、ちょっと話し込んじゃってまして、これから挨拶に行くんで待っててください!」
出入り口の近くに放置してしまっていたゲイシーへと声をかける。
返事は、ない。逃げられた? まさか。だって腕と足破壊して手錠かけてあるし。多分、機嫌が悪いだけだろう。
「ほら」とちーちゃんに声をかけ、扉へ歩を進める。ちーちゃんは怪訝そうな顔で見てくるが、きっとゲイシーの存在に気づけばわかってくれるだろう。
近づくと、その山のように大きな背中が目に映る。ゲイシーはこちらに背を向けた状態で確かにそこにいた。
「えっと、ゲイシーさん、こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか?」
すると、如何にも腹を立てているといった調子で低い声が返ってきた。
「馬鹿にしているのかね君は。ついさっきも話しただろう? 何がこんにちはだ。調子に乗るのも大概にして欲しいね」
あ、そうか。ゲームをしていないときは時間が止まってるのか。リアルタイムで進んでいくわけじゃないのね。
「ごめんなさい、勘違いしてました。馬鹿にしているわけではないんです。すいません」
平身低頭、深々と頭をさげた。殺人鬼に頭を下げる警官というなかなかシュールな絵ができる。
「ふん、なら良いんだがね。ただ、今の私を見てご機嫌に見えるのならば、君は私なんかよりもよっぽど精神病院に行くべきだよ。君につけられた傷が疼いて仕方ないんだ。放っておいてくれたまえ」
うーん、また怒らせてしまった。恋って難しい。わたしゲイシーのこと大好きなんだけど、なかなかわかってもらえない。
じゃなくて、今わかってもらうべき人はちーちゃんだった。
「ね? ゲイシー……さんでしょ?」
一瞬呼び捨てしそうになったが、ゲイシーがほのかに殺気立った気がしたので慌てて「さん」をつける。
ゲイシーが落ち着いたのを確認してから、隣で会話を聞いていたちーちゃんの方へと顔を向けた。
すると、青ざめた顔をしていた。
「あれ? ちーちゃん?」
無反応だったので、彼女の顔の前でバイバイするように手を振る。
殺気立ったゲイシーを見て肝が冷えたのだろうか。わかるよ、怖いよねゲイシー。お腹キュンキュンしちゃう。
「えっと、ごめんなさいね、疑って。そうね、たしかにそうよ。ゲイシーは序盤に捕まえられなくもないものね。頑張ったんじゃないかしら」
青ざめた顔のまま、ちーちゃんは引き攣った笑顔を浮かべた。
なんだろう、このぎこちない感じ。怖かっただけには思えない。ゲイシーは最初のうちに無理して逮捕しないほうが良かったのかな。
「ごめん、わたしマズいことした?」
「いえ、そんなことないのよ。私ほどじゃないけど、このゲームの才能があるみたいだからビックリしただけ。喜んでいいわ」
なんだ、驚いてただけか。でも、ルゥを犠牲にしてしまってるし、才能があるとか言われてもピンとこない。多分お世辞だろう。いや、ルゥのことを話してないから勘違いしているだけか。
「褒めてくれてありがとう。でも、二人プレイで倒したから、わたしがそんなに上手いってことじゃないと思うんだよね」
「……そう」
そこでちーちゃんは言葉を切る。心を落ち着かせようとしてるのか深呼吸し、左手で頭を少し掻いてからこちらへと向き直った。
「なら別にそれほどでもないかしら。……そうね。うん、そうよ。まあ、初心者相応ってところかしら。大したことないわ。普通よ普通」
自分で訂正を促しておいてアレだけど、わたしの評価揺れ動きすぎじゃない? このゲームは二人プレイならそんなに難易度が高くないってことなのかな。褒められたり普通って言われたり、どう受け止めたら良いかわからなくなってくる。
いや、ゲイシーの言う通り「調子に乗るな」ってことなんだろう。わたしはまだ初心者なんだし、気を引き締めないと。
「そうだよね、普通だよね。装備も大したことないし」
「そうそう、装備の確認もしたいわね。何か良いの持ってないの?」
ちーちゃんが評価するように全身を眺めてくる。なんだかくすぐったい。
「いや、全部初期装備だよ」
わたしは極めてあっけらかんと答えた。
対するちーちゃんは何故か満足げだ。
「まあそうよね、始めたばっかりだって言うし。別に恥ずかしいことじゃないわ」
ふっ、と鼻で笑われた。
遠回しに「恥ずかしいことだ」と言われてる気がする。なんだかちょっとムッとしてしまう。
「あ、忘れてたけどゲイシーのナタが――」
言いかけて、やめる。
自分の所持品を勝手に持っていく女を好きになる男がいるか? 冷静になるんだわたし。
馬鹿にされたからなんだ。それでプライドまで売るほどわたしは落ちぶれていない。
「――何でもない。わたし、しばらくデフォルト装備で頑張るよ」
「あらそう? ナタ、せっかくあるんだから使えば良いのに」
何を言われても構うもんか。
勝ち負けは大事だ。最善を尽くすのは確かに大切だよ。でも、それで愛まで忘れたらダメだ。
わたしが愛を忘れたせいで、ルゥは今を忘れた。
その事実を、私はもっと心に刻まなければならない。
ルゥを犠牲にした時のわたしのままじゃ、今の先にある未来なんて見えてこない。
そう、ゲイシーと結ばれる未来なんてなくなってしまう。
同じ過ちは、もう犯さないんだ。
「わたしはそれでも、愛を選ぶよ」
「愛……?」
首を傾げるちーちゃん。
きっと意味は伝わっていないだろう。
でも、良い。
わたしだけが、今の言葉を忘れなければ。
――あなたの気持ちは受け取りました。
突如、頭の中に声が流れ込んでくる。
背後から、眩い光が照らした。
――あなたは、その男に愛を捧げました。
涙が出てしまいそうなほどに綺麗な声が、話を続ける。
わたしは声の主を探すようにして、背中越しに光を睨む。おそらく敵、ではない。
――神とは愛。愛とは許し。そして、許しとは強さです。
ドクンと一つ、光が脈打った。
視界がホワイトアウトし、何も見えなくなる。
死んだかも。
少し思うが、間もなく違うことがわかる。
教会の前の方、祭壇のところ。そこには石で造られた、等身大の精巧な女神像が安置されている。
その少し手前に、白いベールを身にまとった女性が立っていた。
きらびやかな銀とガラスの装飾が乱反射し、教会の中を鮮やかに映し出している。さっきまでの殺伐とした雰囲気が、瞬く間に塗り替えられていくようだった。
いや、事実として、荒れ放題だった教会内が、まるで逆再生のようにもとへと戻っていく。
「女神……?」
そんな感想が思わず溢れる。
だってその女性は、祭壇の女神像と全く同じ顔をしていたからだ。
――さあ、受け取りなさい。あなたの愛に相応しい「力」を授けましょう。
女神は、そっと手を差し出し、静かに目を閉じた。