3 悪ふざけ
あっという間に放課後を迎えた。
そして今わたしは、VRゲーム「クローン・モノクローム」のタイトル画面にいる。
実は、あの後ちーちゃんに「クローン・モノクロームを一緒にやらない?」と誘われたのだ。
話によると、ネットを通じての協力プレイもできるらしく、私のサポートをしたいとのことだった。
ユーザー名が分かれば通信プレイができるそうで、ちーちゃんには「つみきで登録してる」と教えておいたから、もう間もなく来るはずだ。
ちなみに、ちーちゃんはなんとクローン・モノクロームをクリアしているらしい。
そんな人物がサポートしてくれるなんて、願ったり叶ったりの渡りに舟だ。あの時リッピーの話をして良かったと思う。
「でもなぁ」
やはり、少しだけ違和感があるのだ。
今日、ちーちゃんを見た瞬間、怖いと思った。
何がとは言えない。ただ、怖かった。
それは、あんなに楽しそうなちーちゃんを見たことがなかったからかもしれない。でも、それでこんな感想を抱くものだろうか? そんなことはないはずだ。
いや、でも協力してくれるって言ってる友人のことを怖い怖い思うのも失礼だよなぁ。
「ゲーム始めないの?」
黄緑色のラインを空中に描きつつ、挨拶もなしに気さくな妖精が話しかけてきた。
クローン・モノクロームの案内人ことリッピーだ。
「えい!」
パンっ、と目の前の妖精を蚊でも潰すみたいに叩いてみた。悲鳴も上げないまま、リッピーはただの金の粉となりキラキラと散ってしまう。
狙いがあったわけではない。ただの八つ当たりだ。リッピーのことだし、多分すぐに復活するだろう。
しかし、少しだけ「大丈夫かな?」と不安になること約10秒。足もとに散った金の粉に変化はない。
首を傾げながらさらに約10秒。何度見てもやっぱり金の粉は散ったままだった。
「あれ?」
前に聞いた話では、タイトル画面だとリッピーは無敵だということだった。
なのに、未だに復活しない。嫌な汗が背中を伝う。
どうしよう、不具合かなんかで死んじゃったのかな?
だとしたらヤバイな。ログインし直したら生き返るだろうか。
しばし悩んでいると、耳元がちょっとだけくすぐったくなった。
髪でも耳にかかったかと思い右手で無造作に払うと、突然顔に大量の金の粉が振り掛かる。
「うわぁっ!」
見ると、さっきと同様にリッピーが出したであろう金粉が宙を舞っており、地面には羽根のようなものも落ちている。
な、何これ? わたし何かした?
「二度目はないわー」
一人でオロオロしていると、ガックリと肩を落としつつリッピーがユラユラ飛んできた。
心なしか、彼女を覆う光に元気がない。
「とりあえず、私は虫じゃないのでそんな風に叩かないでくーだーさーいー!」
いー、と歯を見せてくるリッピー。
「ごめん。叩きやすい位置にいたもんだからつい」
「つい、じゃないでしょー! そんな思いつきでポンポン殺されてたんじゃ身が持たないよ!」
「ごめんって。でもここだと無敵なんでしょ?」
「それでもビックリするの! つみきちゃんも急に目の前が真っ暗になったら嫌でしょ?」
ああ、そういう感じなのか。
確かにちょっとビックリするなぁ。
「ごめん」
とりあえず、もう一度素直に謝ってみる。
「それと」
リッピーが指を立てる。
「二度目ね。アレはないよー。ボケ殺しじゃん。文字通りボケ殺しじゃん!」
そう、これがわかんない。
「なんかした? わたし」
「南下も北上もないよ! 私、仕返ししようとしたのに」
「物騒だな。そんなことしようとしてたの?」
「まあ聞いてよ」
リッピーが真面目な顔をしてくる。ホントに怒ってるらしい。
これ、あれした方が良いかなぁ。
「とりあえず、わたし正座しますね」
「よろしい」
納得したようで、リッピーは続きを話し出す。
「つみきちゃんさっき、めっちゃ心配してたでしょ? その時ね、耳元で『わー!』って大声だして驚かそうと思ったの」
「ああ、なるほどね」
それで耳元にいたと。
「ただ、しようとしたらなんか笑いそうになっちゃってさ」
「なにやってるの!?」
いや、わかるけどさ。これしたらめっちゃ驚くだろーってヤツやろうとすると笑っちゃってできないっていうね。
「それで、落ち着くまで待とうと思って、耳元の辺り飛んでたらちょっと当たっちゃって」
「ひょっとして、それで20秒くらい耳元いたの?」
「そうそう」
「めっちゃ笑いそうになってるじゃん!」
「それで、『あ、当たっちゃったー』って思ってたらパーンですよ。鬼かと。慈悲はないのかと」
「それわたしが悪いの?」
思わず首を傾げてしまう。
いや、元を辿ればわたしが悪いんだけど。
でもなぁ、うーん。
「まあ、なんかごめん」
とりあえず謝ってみた。
「いいよ、私もなんだかんだで楽しかったし」
許してくれたようで、わたしは立ち上がりつつホッと胸を撫で下ろす。
相変わらずリッピーは楽しい子だ。人工知能とは思えないほどに人間らしくて、これまで何度も驚かされている。
そういう意味では、耳元で大声なんて出さなくてもリッピーの狙いは成功してると言えそうだ。
話は少しそれたけど、さっきのやり取りなんて特に人間らしいものの一つだろう。
機械なら、自分が攻撃されることに問題があるのであれば、おそらくもっと事務的に伝えてくるはず。
なのに、リッピーは仕返しをしようとした上に、笑っちゃってできなかったときた。
何なんだこの可愛い生物は。
いや、人工知能だから生きてはいないんだけど。
「いつまで遊んでるの?」
突然、ちーちゃんの声が聞こえた。いつの間にか着いていたらしい。
しかし、ちーちゃん待ちではあったものの、まだ得体の知れない不安があるため彼女の到着を素直に喜べない。
「どうしたのよ? 黙ってないで返事くらいしたら?」
「ちょ!? そこ弱い! 無理! やめて! というか急に何!?」
「え? 私無視して何してるの?」
背中にちーちゃんの鋭い視線を感じる。
リッピーをつつき回して誤魔化そうとしたが、そうもいかないらしい。
仕方なく、わたしは彼女の方へと顔を向けた。
瞬間、私の中を衝撃が駆け抜ける。
そこには、全身を警察官風の黒レザーに身を包んだ謎の女がいた。
アイシャドウ強めのメイクで顔はビジュアル系バンドみたいになっており、ジャラジャラと鎖のようなものを腰から下げ、手にはなんとナタを持っている。
女版ゲイシーのようなそいつは、どう見ても敵だった。
プログラムの暴走? あるいは、リッピーの仕返しでいつの間にかゲームが始まっていたのか?
真相はわからない。しかし、何もしなければわたしはあっけなく殺されてしまうだろう。
咄嗟に腰のハンドガンを手に取り、躊躇なく撃つ。
しかし、弾丸が謎の女を捉える前に、彼女は黒い煙とともに空間へ溶けた。
「なんのつもりかしら」
氷のように冷たい声が耳元で囁かれる。
その声はちーちゃんだった。
「ちーちゃん逃げて、変な女がいるの! まともにやり合ったらきっと殺されちゃう!」
わたしの叫びを押さえつけるように、冷たい感触が喉元を犯した。
「……はぁ、呆れた。本当に一度殺しちゃえば頭が冷えるかしら?」
おそらくわたしの喉元に刃物を当てているのはさっきの女だ。
その女とほとんど同じ位置からちーちゃんの声が聞こえる。
つまり、これは……?
「やめてちーちゃん、その女に立ち向かわないで! 私のことはいいから、早く! 早く逃げて!」
「頭痛いわ……。リッピー、ちょっと説明してあげてちょうだい」
私の前でビックリしたような顔をしていたリッピーが、急に自分の名前を呼ばれてビクンと反応する。「え、私?」と言いたそうな顔をしていた。
状況が全く飲み込めない。ちーちゃんはどうしてそんなに冷静でいられるのだろうか。それに、リッピーも。
「んーっと、つみきちゃん。その変な女って、ちーちゃんだよ」
え?
「私のこと、変な女っていうのやめてもらえないかしら」
喉元に当てられていた冷たい感触が、薄皮一枚の厚さだけ皮膚へと食い込んだ。
「ちー……ちゃん……?」
恐る恐る振り返ると、そこにはやはり謎の女性の顔が見える。
しかし、ヴィジュアル系メイクの下を想像するように視線で追っていくと、たしかにちーちゃんの面影を感じた。
ちーちゃんが、闇堕ちしている。
「どうして? 何がちーちゃんをそんなに……」
一筋の涙が頬を伝うのがわかった。
「いや、ゲームだからよ。そろそろ落ち着きなさい」
「痛っ」
その言葉と共に喉元の感触は消え、頭に衝撃が走る。どうやらチョップをされたらしい。
状況を飲み込みきれないわたしの前に、謎の女改めちーちゃんが黒い煙を漂わせつつ空間を切り裂いて現れる。
「混乱しているみたいだから、改めて自己紹介してあげるわ。私は穂高ちこ。そして、この装備は悪魔コーデよ」
白っぽく脱色された髪を掻き上げ、僅かに得意げな顔でこちらを見下すように視線を向けてくる。
よく見ると、その目は白目の部分が黒く、黒目の部分が赤かった。
何もないところをナタで切り裂き、ようようとちーちゃんは衣装の説明をしだす。
「デフォルト装備のキーちゃんにはわからないことも多いと思うけど、ゲームを進めていくと外見とかも変えられるようになるのよ。と言っても、目は特殊な力じゃないと変えられないし、他はメイクと服装くらいだけどね」
このゲームってコーデとかできたのか。武器はわかるけど、服まで変えられるのは知らなかった。
「ゲイシーのナタと悪魔の力はわかるでしょ? それに合いそうなものをいろいろ揃えたのよ」
説明するちーちゃんは、少し興奮しているように見える。
そうか、そういう事情だったのか。なるほどなるほど。
この時、冷静になっていく頭でこう思った。
中二病の塊みたいなその格好はどうにかならないんだろうか、と。
「恥ずかしくないの?」と言ってしまえたら楽なんだけど、さすがにそれは可哀相だ。ここは褒めておこうか。
「すっごい強そうだねそれ」
おそらくやや棒読み気味で発せられた言葉は、棒だけに真っ直ぐ届いたようだった。ちーちゃんはさらに得意げな顔になる。
「強そうなんじゃなくて、実際に強いのよ。あのゲイシーの力が使えるのよ? 多分中盤くらいまでなら敵無しだわ」
へぇ、それなら終盤はキツいのかな。
わたしがそんな装備持ってたら、ゲイシーへの愛ゆえに頑張って最後まで使いそうだけど。
ただ、メイクとかは普通だと思うけどね。
「よっ、ちーちゃん。今日も相変わらずキマってるね! 彼氏でもできたのかな?」
あれこれ考えているとリッピーがちーちゃんの外見に茶々を入れた。
「できてないわよ! ……というか、余計なお世話……」
言ってる途中でわたしのことが気になりだしたらしい。
声に元気がなくなっていく。
「わたしも彼氏とかいないし気にしなくて良いよ」
それより気にするべきところがあるよ、外見とか。とは言わない。
「情けをかけないでちょうだい!」
「ひぃ!」
気を使ったのに怒られてしまった。
というか、いちいちナタを振らないで欲しい。さっきから、わたしが何か言うたびに近くの空間を切ってくる。
最初に撃ったことを根に持っているのだろうか。
関係ないけど、おそらくリッピーはさっき、今のわたしみたいな気持ちだったのだろう。死ななくても、たしかに怖い。
「……おほん。じゃあ、茶番はこんなところでいいかしら?」
ナタを振り下ろしてから肩に乗せるようにし、ちーちゃんは問いかけてきた。
「いや、おほんって……。それに茶番って……」
思わず肩が震えてしまう。限界だった。
小声で言ったつもりだったが、耳ざとく聞いていたようでギロリとちーちゃんの目が動く。
お、また来るか? と思い、手で体を守るように構える。
しかし、ちーちゃんは来なかった。うつむいて、押し黙るばかりだ。
試しに顔を覗き込んでみると、その白い顔を真っ赤にして、涙を目にためていた。そして、小さく口を開く。
「べ、別にいいじゃない。というか、普通にカッコよくない? 茶番、とかの言い回し……」
その言葉で、わたしの中のリミッターが静かに外れた。
「うっはー! ちーちゃん超可愛いいぃいいぃいっ! そうだよね、うん。超カッコイイから安心して! そして超可愛い!」
思わず彼女を抱きしめる。こっちまで涙が出そうになってしまう。
なんだろうね、きっと普段とは違う自分を演出したかったんだろうな。
でも、ちょっと上手くいかなくて悔しかったんだよね。
いや、笑っちゃったわたしが言えることじゃないのかもしれないけど。
でも、それにしても、本当に可愛い。
「ちょっと、私怒ってるのよ? やめてよ……」
そういうちーちゃんは、少し嬉しそうだった。よしよし、大丈夫大丈夫。
ナタに触れないように気をつけつつ、彼女を抱きしめる腕に力を込めて、蛇のようにまとわりつきながら頬ずりする。
「えっと、仲直りできたのかな?」
おずおずとリッピーが話しかけてくる。そういえばそんな妖精もいたなぁ。
「なんの用?」
「つみきちゃん私の扱い雑じゃない!?」
言われてみれば今日はずっと雑だな。開始早々2キルかましての今だし。
「ごめんごめん」
適当に謝りつつ、控えめに抵抗していたちーちゃんを開放する。すると彼女は恥ずかしそうに服の乱れを整えた。
「そうね、そろそろゲームを始めようかしら」
「そうね、いいんじゃないかしら痛い!」
ちーちゃんの口調を真似して相槌をうつと、ナタで頭を思いっきり峰打ちされた。
頭が割れそうに痛い。ひょっとすると骨が折れてるかもしれない。
わたしじゃなきゃ怒ってるレベルだ。とはいえ、これも照れ隠しだと思えば可愛いものである。
「もう、この私が助けてあげるって言ってるんだから、もっと敬意を払って欲しいものだわ」
「そうでしたね。本当にありがとうございます。助かります」
うずくまりながら、なんとなく敬語でお礼の言葉を告げる。
散々茶化しちゃったけど、これは本音。
早くルゥを助けなきゃいけないこの状況では、ちーちゃんは最上級の助っ人なのだから。
「じゃあ、そろそろ」
リッピーに目配せすると、待ってましたと言わんばかりに頷いた。
「さて、今日もお待ちかねのクローン・モノクロームの時間だ。覚悟は良いかいお嬢ちゃんたち」
何かの真似なのか、少し低めの声でリッピーが問いかけてくる。
オーバーな身振り手振りで、青いランプの魔神を少しだけ思い出させてくれる。
「いいよ」
「ええ、構わないわ」
二人で答えると、リッピーは満足げな顔をする。
「それじゃあ、夢の世界へご案内。でも良い夢とは、限らないけどね!」
パチン、と指がなる。
その音が呼び起こしたのか、黒い渦が目の前に現れ、瞬く間にわたしたち二人を飲み込んだ。
この時、わたしは完全にちーちゃんへ心を許していた。
頭が割れんばかりの峰打ちを食らったのに、それでも許してしまっていたのだ。
怖いと感じたのは、やはり勘違いか何かだったのだと。あの時ちーちゃんが笑ったのは、この悪魔コーデを自慢できる相手が見つかって喜んでいたのだと、そう思っていた。
ここで、あの得体の知れない怖さの正体に気づけていたら、未来は少し違ったのかもしれない。