2 「友人」穂高ちこ
ガチのケンカ。
今朝お母さんに言われたこの言葉が頭に焼き付いている。
わたしはきっとそういうの苦手なんだ。何だかんだゲームでは戦えてるけど、わたしも女の子だし、頭使って解決するならそれで良いと思うし、好きじゃない人に殴られても気持ちよくないし。
しかし、きっとガチのケンカとやらをしないといけない時もやってくるんだろう。
ルゥをもとに戻すのが今のわたしの使命だ。そして、敵はクローン・モノクロームというゲームであり、その運営である。穏便にことが進むとは思えない。
なら、腹をくくらないと。
わたしは姉だ。妹を助けるためなら何だってする覚悟である。
「でも、正直やっぱ気が重いなぁ」
最初のボス、エドワード・ゲイシーであの強さだった。ルゥを犠牲にしてようやく勝てたレベルである。わたし一人じゃ無理だったんじゃないだろうか。
そんな敵が、これから何人も出てくるのだろう。
「ゲームバランス考えてよもう……」
「なーに一人でブツブツ言ってるの?」
通学路を一人でコツコツ歩いていると、背中を思い切り叩かれた。
顔は見ていないけど、誰? なんて疑問は浮かばない。こんなことをしてくるのは、わたしが知る限り一人だけだ。
「おっはよーう! 今日もオッパイ大きいね!」
振り返ってみれば、そこにはスラリと高い長身と、ショートカットに爽やかな笑顔を浮かべた少女が私と同じ制服姿で立っていた。
朝からセクハラまがいの挨拶をしてきたコイツは「エーコ」という。誰とでも仲良くなれるタイプで、ちょっと人見知りしやすいわたしとしては助けられている部分が多い。
ちょっと人の心に踏み込み過ぎるところがあるけど、それも含めて良いヤツだ。
ちなみに、みんなからは「ちーちゃん」とか「チッチ」とかいろいろ呼ばれているが、わたしはコイツを「エーコ」と呼んでいる。何だかエロいので、エロい子という意味でエーコだ。本名は関係ない。前は違うニックネームで呼んでいたが、それも最近は呼ばなくなってしまった。それだけコイツがエロいということだ。
「おはよ、エーコ。あと、オッパ……胸のことはほっといて」
「おお、恥ずかしがっちゃってまあ、相変わらずカーウィーねぇ。あ、さてはオッパイのことでお悩みか!?」
「違うよ! というかオッパイオッパイうるさい!」
朝からテンション高すぎでついていけない部分もあるけど、気分が塞ぐより良いか。
「そんな恥ずかしがらなくて良いよ! 私たちの仲じゃない。あ、オッパイが重くてお悩みなら私が支えてしんぜよう」
エーコがわたしの後ろに周り込んでくる。
「うぇえ!?」
わたしの胸が急に下から押し上げられ、思わず変な声が出てしまう。
「バランスがなんとか言ってましたけど、相変わらず良い大きさかつ良い形をしておいでで。羨ましいですねー」
乱暴に見えて、意外と優しいタッチで触ってくる。エーコとは幼稚園からの幼なじみだし、その辺りはやっぱりお互いのことがわかっているからこそだと思う。
「ちょっと……、学校近いしやめて」
「そんなこと言って、あんまり嫌がってなくない?」
「そんなわけ……」
否定しようとして、言いよどむ。
正直、エーコにされるなら嫌じゃない。学校だと控え目ではあるけど、わたしだってそういう方面には興味津々だし、というかドMだし。
その上、ルゥに変な期待をかけて一緒に寝たのに、結局何もされなかった。つまるところ欲求不満なのである。
だから、言い方はアレだが、エーコの存在はとても、なんというか、その、ありがたい。
「そんなわけ……の先はどうしたの? んー? お姉さんに話してごらん?」
後ろからなので顔は見えないけど、おそらくとってもイジワルな顔をしてるのだろう。
「はあ、いや、別に? 何でもないけど」
一息に言って、ちょっと後悔。
「『何でもない』? 『何でもない』って言ったの? なら、触られても良いってことだよねー? うりゃ!」
「ひぅ!」
エーコは胸に当てた手へ力を込める。期待していたところに期待通りの刺激が訪れ、思わず変な声が出てしまう。
「何? 今の声。キャワワー。くすぐったかった? もっとしてやれウリウリ!」
「や、ん、ダメ!」
ダメだダメだ。これ以上しちゃダメだ。
だって、これ以上したら。
多分、歯止めが利かなくなる。
咄嗟にエーコの腕から抜け出し向き直る。
「ごめん、ホント、もう、やめよ……?」
さっきまでの感覚が胸に残っていて、自然とそこに手がいってしまう。真っ直ぐ立てず、少し前屈みでエーコのことを見上げながら、どうにか否定の言葉を告げる。気づけば、はあはあと息が切れていた。
「えっと……」
わたしの言葉を受け、彼女がたじろぐ。
ワナワナと手を動かし、顔を真っ赤に染め、眉を歪ませて困ったような表情をしていた。なんだろう、怒ったのかな。
「ごめんね、でも、わたし――」
「だー! ごめんごめん! 謝るのは私だよ! やり過ぎたね、もうしないから!」
もうしない。
もうしない、のか。
「え、なんで残念そうなの?」
エーコが戸惑いの表情で見てくる。
「いや、たまにはしても良いよって……ううん、なんでもない!」
わたし、ダメだなぁ。我慢できなくなっちゃうんだよな。
こんなんだから、きっとルゥを犠牲にしちゃったんだと思う。
一人で落ち込もうとした時、突然温もりに包まれた。
「よっしゃ! これからもドンドンつみきのこと可愛がっちゃいますよー!」
抱きしめながら、エーコが大声で宣言する。
全くもう、と少し呆れる。でも、やっぱり彼女に救われている部分は大きい。エーコがいなかったら、学校で少し泣いていたかもしれない。
天真爛漫な彼女の存在に、その腕の中でひっそりと感謝した。
あ、そうだ。
「今度、一緒にカラオケ行こうね」
「え!? 良いけど……。急になんで?」
いや、理由なんて一個しかないんだけどさ。
だから、エーコの質問には答えない。
「その時は二人きりで、ね?」
「あー、うん。別にいいけど。でも、普通に歌うだけだよね?」
「え?」
歌う? 何かの隠語かな? と一瞬思ったけど、カラオケボックスって本来そういうところか。
「そうだね、歌も歌おう」
「"も"って何よ"も"って。他に何するつもりだよコイツー!」
どうもわたしの言葉をボケとして受け取ったらしい。そうだよね。わたしとエーコはそういう関係じゃないし。でも、ちょっとだけならしたいと思ってしまうのはわたしだけなんだろうか。
それがちょっと悔しくて、さっきからわたしの脇腹を執拗にくすぐろうとしてくるエーコの手から逃げ出し、後ろに周り込んで彼女のお腹に手を回す。
「さっきのお返し」
「のぉおおっ! ちょっとお腹を揉むのは反則! 昨日食べたホットケーキとシュークリームの形が浮かび上がるぅう!」
「何それ」
クスクスと笑いがこみ上げてくる。コイツと親友で良かった。
ふと、例の妖精を思い出す。このハイテンション、ちょっとだけリッピーに似てる。
「ねぇ、エーコってリッピー知ってる?」
「え、リッピー? 何それ、プッシーなら知ってるよ?」
「じゃあいいや」
何だよ、とエーコが不満げな顔をする。そりゃそうか、あんなゲーム、そんな何人もやってるわけないよね。
そうだ、ディリアル買ったこと自慢しちゃおうかな。ルゥのことはあったけど、普通に話したら多分大いに羨ましがられるだろうし。でも、どうしようかな。暗い話になっちゃわないかな。
「キーちゃん、妖精のリッピーのこと、本当に知ってるの……?」
わたしの「つみき」という名前にちなみ、クラスメイトたちの多くは私を「キーちゃん」と呼ぶ。
だから、クラスメイトの誰かが私たちのやり取りを聞いていたのだろうと思った。
誰だろう、と声のした方を伺い見て、息を呑む。
ざわりと、風が吹いた。
「クローン・モノクローム、やってるのね」
静かにその声は続ける。
「お、おはよー! 今日も元気ないねぇ! どしたのどしたのー? 元気だしてこうよー!」
何も言わないわたしの代わりに、エーコが挨拶してくれた。
もちろん、その子はわたしにとっても友だちだ。でも、少し様子が変な気がし、妙に緊張して声が出ない。
「ううん、別に。私はいつも通りよ。何もないわ。そう、何もね」
初夏を匂わす空気に、つららのような何かが混ざった。
何もないなら、どうしてそんなに笑ってるの?
「ちーちゃん」こと、穂高ちこに違和感を覚えたのは、この時が最初だった。