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閑話2 触らぬ神に触れたなら

 いつも一緒に仕事をしている女上司を、ふと女性として意識してしまう瞬間というものは、俺はあると思う。


 普段はツンケンしているあの人が、唐突にしおらしい姿を見せた時。

 ガミガミうるさいあの人が、珍しくおとなしい時。

 男まさりなあの人が、これまで見たこともないような女性らしい一面を魅せつけてきた時。


 きっとあると思う。

 そして、俺にとってそれは今だ。


 天才とうたわれた、暴君と恐れられたあの人理さんが、こんなにも弱々しく泣いているのである。


 ちょっとくらい、ちょっとくらいなら、抱きしめても良いのでは……?


 いや、ダメだダメだダメだ!


 そんな風に今まで見てきたワケでもないじゃん自分! 崇拝はしててもラブではないハズじゃん俺!


 あまりの葛藤に、思わず頭を抱えて悶えそうになる。ヘドバンするように頭をPCの角へぶつけたくなってしまう。


 しかし、そんなことを考えている間にも、人理さんは弱りきった子犬のように泣き続けている。


 支えてあげたいんだろ? ヨコシマな想いに惑わされてやった自分の行動を反省したんだろ俺!


 なら、こんなところでまた感情に任せて人理さんに近づいてはいけない。


 そうだ、冷静になろう。そして、落ち着いて考えれば必ず良い考えが浮かぶはずだ。


 目をつむって、息を大きく吸い、そしてゆっくりと吐く。


 ふぅ、もう大丈夫だろう。


 そう思って、静かに目を開け、尊敬すべき上司を見た。瞬間、俺の頭の中を電流のようにある考えが駆け抜ける。


 ――こんな時だからこそ人の温もりを伝えるべきでは?


 思うが早いか、俺の右手は勝手に動き出した。ほぼ条件反射だ。


 もうね、言い訳したってダメなんだよ。可愛いもんは可愛い。好きなもんは好き。


 自分に嘘つくの良くない。我慢は体に毒。


 溜め込んだもんはしっかり吐き出し、頭の中をスッキリさせて開発に臨むべきだ。気持ちよく頭を切り替え、心機一転頑張ったほうが良い。それが人理さんのためにもなる。


 今の俺は実質、人理さんより立場が上だ。心配することはなにもない。


 大丈夫、怖くない怖くない、と心の中でつぶやきながら伸ばされた手は、徐々にだが確実にそのウェーブがかった黒髪へと近づく。


 残り10センチ。5センチ。3センチ。1センチ。


 ジリジリと近づき、それに触れようとする。


 安心しろ、きっと上手くいく。そう自分に言い聞かせながら手を押し出すが、勢いで行動してるクセに心臓バクバクだ。


 アゴが外れたライオンの口に手を伸ばす感覚。


 俺の脳は、今の状況をそう判断しているみたいだ。


 安全なはずなのに、嫌な汗が止まらない。


 後悔する、のか?


 そんな疑問が浮かんだ瞬間、俺の右手の中指は、僅かにだが確実に、人理さんのその黒髪をかすめるようにして弾いた。


「あ」


 思わず声が漏れる。


 世界が止まったように見えた。内臓が静かにのたうちキリキリとした痛みを発する。


 やってしまった、と思った。


 さっきまでの自信が霧散する。


 指先から鳥肌が全身へと伝播していく。


 目の前の子犬みたいだった存在が、先ほどはライオンの様に感じられ、今は荒ぶる神か何かに思える。


 見た目は何も変わってないのに、その小さな体に詰まった威圧感は飽和するかのように満ち満ちていた。


 そして、目の前の存在は、顔を覆うようにしていた手を静かに、のんびりとした動作で降ろしていく。


 笑顔だ。いや、笑顔と言って良いのだろうか。


 真っ赤に充血した目を大きく見開き、裂けてしまわんばかりに口を広げている。見ていると、「笑う」という行為がゲシュタルト崩壊してしまいそうだ。


 狂気。


 そんな言葉が脳みそにジワリとしみた。


「お前、ボクに今、なんかしようと、したか? したろ? わかるんだぞ、それくらい」


 人理さんは、震える声で短い言葉を繋いでいく。


「あ、いや、あの、えっとですね。これは、そ、そう! 良かれと思って」


 と、全力で言い訳するため姿勢を下げると、黒い塊がすごい速度で俺の腹のあたりに突っ込んできた。


「かはっ……」


 一瞬遅れて、人理さんが頭突きをしてきたのだと悟った。彼女は腕力がなければ体重もないが、それに速度が加われば成人男性を怯ませるくらいの威力になる。さすが人理さん、頭を使ったな。二つの意味で。


「さみぃんだよな、セクハラとかさ。お前自分が何したかわかってんのか? ボクがその気になれば前科一犯だぞおい。まあ、いいや。そんな頭の悪いお前に、ボクが雷を落としてやろう。刺激で脳みそが活性化するかもしれないぞ? ありがたいだろ?」


 自分のギャグを指摘されたかと思って一瞬焦ったが、その次の言葉でやはり焦る。セクハラなんて風に言葉にされると、髪に触れただけだというのになんだか罪悪感が湧いてくる。


 ああ、やっぱりあんなことしようなんて思うんじゃなかった。


「えっと……すいませんで……ってぇ!?」


 謝ろうと思って、頭突きを頂いたお腹を押さえつつ顔を上げると、そこには信じられない情景があった。 


 光球。


 正体不明の光が、人理さんの右手のひらの上に浮かんでいた。


 それはバチバチと音を立て、周囲に木の枝を広げるようにしつつ白いラインを無数に放っていた。目の奥を突き刺すような眩しさだ。


「ぷ……プラズマ……?」


 それは、どう見ても電気の玉だった。


「あー? 雷だって言ってんだろ。ボクの言ってることわかるかな?」


 わからない。わかるわけがない。


 そう否定しようとした時、脳裏にある言葉が浮かんだ。


 球電現象。


 雷が落ちたあと、光の玉が発生することがある。その光の玉は、ものにぶつかると爆発し多大なる被害を与えるという。


 その威力たるやダイナマイトにも匹敵するほど。


 目の前のそれは、例の現象に酷似していた。


 だが、わからない。


 ありえないのだ、こんなことは。いくら人理さんが天才だからってできない、はずだ。


 しかし、俺の目はその思考に対してノーだと言っている。この空想まがいの景色を信じろと、そう叫んでいた。


「どうかなー、もっと欲しいか? でっかい方が良いか? そうかそうか」


 人理さんは一人で話して勝手に納得し、光の玉へ添えるようにした右手に力を込める。すると、周りのものを吸い込むようにして光が渦巻き、その大きさを増していく。


 電気の弾ける音も更に大きくなり、まさしく雷音のように鼓膜を揺らす。


 野球ボールほどだったそれはバレーボールくらいになり、やがてバスケットボールくらいになった。


 顔が引きつっていくのがわかる。


 こんなの、普通ならトリックだと思うだろう。人間が電気を操り、魔法か何かのように扱うなんて。


 ただ、こと人理さんにおいては例外なのだ。


 このお方なら出来てしまうのではないか。


 理屈なんてなくても見る者にそう思わせる何かが彼女にはある。


「あ……あ……」


 何かを言おうとしてみたが、声が出てこない。


 この異常な状況に対して、どう尋ねたら良いかわからないのだ。


 その昔、「神」という言葉を作った人たちは、きっとこんな気持ちだったのだろう。


 超越的な存在。


 既成の概念が当てはまらない何か。


 今までの言葉では言い表せないもの。


 ゆえに、神。


 目の前におわす人理さんはそんな存在なのだと、ようやく本当の意味で理解できた気がした。


 恐怖と崇拝が入り混じり、思考を根こそぎにしていく。唖然とするばかりで何も考えられない。


「どーすんの? どーすんの? 一体全体どーすんの?」


 独特のリズムに乗せ、左手で太ももの辺りを叩きつつ、人理さんは歌うようにそう問いかけてきた。


「ど、どう、とは……?」


 やっとの想いでそれだけ聞き返す。呼吸が荒くなり、心臓が急に暴れだすのを感じた。


「だからさー、わかんないかな? ボクを怒らせたんだからさ、やることあるでしょ? 誠意を見せようよこういう時は。ほらほらほらほら」


 球電を持っていない方の手がチョイチョイという風に動き、俺ヘ行動を促す。


 まさかこの場で始末書を書けということではないだろう。


 なら、あれしかない。


 俺は静かに床へ正座をし、手を体の少し前の床へとつける。手のひらの汗がホコリを吸い付けチクチクと痛んだ。


 その姿勢のまま、ちらりと彼女をうかがい見たが、やはり笑顔だった。むしろ、さっきまでよりも楽しそうだ。


 見る者の心を萎縮させ、ねじ伏せる魔性の笑顔。その威圧感に押し潰されるようにして、俺は静かに頭を下げた。額にホコリが付着し、これまたチクリと痛む。


「申し訳ございませんでした」


 説明不要。日本の最上位謝罪ポーズ「土下座」である。なお、こんなことするのは人生で初だ。


 これで許してもらえるかわからないが、人理さんが放つ気配が少しだけ和らいだ気がした。


「うん、なかなかの眺めだな」


 機嫌が良さそうに彼女はそうつぶやく。


 そして、次の言葉を紡いだ。


「もういい、顔を上げろ」


 極めて明るい調子の言葉が上から降ってきた。俺の心も少しばかり明るくなる。


「えっと、じゃあもう許して頂け――」


 人理さんの心中を確かめようと顔を上げる。すると、人理さんは遮るようにしてこう告げた。


「――お前つまんね」


 安心しかけた俺の心は瞬時に縮み上がる。頭の中で空襲警報のようなサイレンが鳴り響いているが、何をしたらいいかもうわからなかった。


 そして、そんな俺へとどめを刺すかのように、人理さんは次の言葉は放つ。


「消し飛べ、雷降(ライトニング・ダウン)


 中二な技名とともに、彼女はその右手をこちらへと振り下ろした。


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