閑話1 「天才」神山人理
閑話です。
時系列として、つみきちゃんが運営にクレームをつけたすぐ後の話。
「17 神との対話」と「18 ドクターストップ」を合わせて読みなおしておくと理解が深まるかもしれません。
俺は香取。誰もが知ってる大企業「㈱アプリコット」でゲームのプログラミング諸々をやってるしがないサラリーマンだ。
イイトコロに勤めてはいるが、その月給は人に自信をもって言えるほど多くない。同窓会とか恥ずかしくて行けないレベルである。誇張かと思うかもしれないが、どっこいこれが現実だ。
「ついこの間まではそれなりに貰ってたんだけどなぁ」
今度の査定で主任昇格とか言われていた時代が懐かしい。あの頃から時間は流れ、昇格の話も流れ、いつの間にかこんなところに流れ着いてしまった。
そんなことを考えつつ、右手に持ったカップ麺の重さをコンビニ袋越しに感じる。
これは俺の夕飯とプラスα。
チクショー! たまにはもっといいもの食いたいぜ!
叫んだろか? いっそ叫んだろか? と心の中で暴れるフラストレーションを、暮れなずむ街を眺めて落ち着けようとする。しかし全く落ち着かない。
なんだか今なら飛べる気がするぜこれ。と、胸の奥で言葉がダブルミーニングした。
どっちが良いよ俺? 会社バックレる? それともここからフライアウェイ?
そこで冷静になって窓の外の景色を眺めてみる。
「…………高ぇな」
どこまでも続くビル街。そして、眼前にはそのビルたちの屋上が並ぶ。しかも結構下の方に。
さすが天下のアプリコット社。偉さが違えば高さも違うと改めて思う。
前はこの高さを誇らしく感じてたこともあるけれど、今となってはコンビニに行くのにひたすら不便だとしか思わなくなった。朝とかエレベーター混むし。
なんてことを考えながら歩いていたら、我らがオフィスに到着した。結局、自分はどちらでもなく、この日常を選んだらしい。
ちなみに、俺は現在このオフィスで「クローン・モノクローム」、略して「クロモノ」というゲームを作っている。もし完成すれば、アプリコット社が誇る技術の粋を集めた意欲作だとして世で話題になること間違いなしだ。
え? なぜ「間違いなし」だなんて言えるかって?
その答えは、この先にいる。
俺はちょっとだけドキドキする心臓を押さえながら、いつもと同じように目の前の扉を開けた。
瞬間、広いオフィスの奥で人の気配がうごめく。
「くそっ! くそっ! 本当はできるんだぞ! ボクにできないことがあるわけないだろ! ナメやがって!」
そんな罵声が俺を出迎えてくれた。
この人は、俺が恐れ、そして尊敬する上司であり、かつ先ほどの"答え"である神山人理さんだ。
なお、けっこういい大人だがボクっ子である。
そんなことより、もともと殺伐としたオフィスなのだが、彼女の機嫌がすこぶる悪いためいつも以上に殺気が充満している気がする。あふれる威圧感が煙のように俺を襲った。
ある程度覚悟していたが、この人は目を離すとすぐこれだ。
ちょっとちょっと、コンビニ行く前は別に普通だったじゃないですか。
いつもこんな感じだけど、それにしても今日は酷い。どうしたこの人。
「くっそ! あー、イライラする……」
今度は小柄な身体を暴れさせ、髪を振り乱しながら頭を抱えだした。
確証はないが、俺は彼女のこの状態が何を示すかわかる。
それは、「できないことを指摘されて、論理立てた反論もできない状態」だ。
非常に珍しいが、大天才と謳われた人理さんでもできないことはある。そして嫌なことを言われれば気分が悪い、と。
俺がちょっとコンビニに行ってる間に何かあったのかもしれない。誰かと電話でもしたか、ゲームのモニターさんと接触でもしたのかな。もしかすると社長と話したのかもしれないが、そうするとさっきのはゲーム開発のことで暴れてたことになる。
ないとは思うが、そうなら嫌だな。とりあえず聞いておこう。
「えっと、ただいま戻りました。何かありましたか?」
「よう、ボクのカップ麺はちゃんと買えたか? どうせもう伸びちゃってるんだろ。知ってんだよそれくらい」
目が合うなりこの人はそんなことを言ってきた。
さっきまでのことに触れる様子はない。ただ、別に恥ずかしがっているわけでもないだろう。
人理さんにとっては、俺に独り言を聞かれるのなんて「飼っているハムスターに自分の愚痴を聞かれる」のと大差ないんじゃないかな。俺が人理さんにどんな扱いを受けてるかくらいちゃんと理解できている、つもりだ。
ふと、彼女の様子を見てみる。ソバージュで肩くらいまでの長さの髪、狂気を孕んで見開かれた眼、ニタリと釣り上がった口の中に乱杭歯が牙のように並んでいる。
白磁のような肌は表情筋によって歪められ、綺麗だという印象よりも不気味だという感想を見る者から引き出す。
人形みたいに整った顔立ちが、内面のためにぶっ壊れている光景だ。人形は人形でも、これは○ャッキーの親戚かなんかだと俺は信じてる。
よくわからないけど、毎日白衣みたいな格好してるしホラー感は満載だ。オシャレなのか、今日に限って黒いカチューシャみたいなのを着けてるが焼け石に水のような気がする。
「それはそうと、さっき何かあったんですか?」
カップ麺を気にする彼女の質問を無視し、自分の疑問を優先してみる。俺がコミュ障みたいになってるけど、これは違うんだ。この人は基本的に会話できないから、無理矢理聞いてかないとダメなんだよ。
「あっあー、お前のことはある程度信じてたけど、いよいよ質問にも答えられなくなっちゃったか。もう少し頭使えないの? ボクはこんな無能雇った覚えないぞ」
当然のように突っかかられる。向こうが上司で俺が部下なんだし、お使いから帰ってきたばかりなんだからその結果が気になるのはわかる。俺が全面的に悪いのはわかってるつもりだ。
でも、それでもこの人の質問に付き合ってるとロクなことにならないからなぁ。
だから、常識なんてものはぶん投げてしまおうと思う。
「知らないですよそんなこと! 何があったかくらいすぐ答えられるんじゃないですか!? 買い物はちゃんとできてますよ! 見ればわかりますよね? 何なんですか!!」
力の限り叫んでやった。自分でもよくわかってるが、これは逆ギレだ。上司を怒鳴りつけるなんて、普通の状況ならありえないだろう。だが、まあ見ていてほしい。
「…………い、いきなり怒鳴ることないだろ……。ビックリするだろうが……」
おわかりいただけただろうか。
怒鳴り勝ててしまうのだ。
もちろん、これは俺の気迫が凄いとか、人理さんも結局は女の子で自分との身長差が40センチ以上もある成人男性に大声出されたら怖いとか、そういうのではない。
これには事情があるのだ。
長くなるのでザックリ説明するが、まず人理さんはこの部署の部長として君臨し続け、会社への貢献度も凄まじく高く そのため重宝されまくりだった。
この少女みたいな人がだぞ。すげぇよな。
だが、昔から素行に問題があり、数多の有能な人材を退職へと追いやってきたという経歴もあり、なんやかんやでこの部署は二人になってしまったのだ。
もともと百人近い人員を抱えてた部署が、だぞ。
それが二人、だぞ。
すげぇよな。何がすごいかって、最後まで残った俺が一番すごいと思う。
まあ、そんな冗談は置いといて、いよいよどっかのチームに吸収されてもおかしくない状態になってしまったのだが、会社側も人理さんは惜しい人材。軽く扱ってへそを曲げられたくはない。
何と言っても彼女は、異次元の技術とも言われる「生体コンピューター」の開発に成功した張本人であり、かつゲームハード「ディリアル」の生みの親でもある。
ちなみに、「生体コンピューター」とはDNAによって組み上げられた素材で頭脳の根幹部分を実装している次世代のコンピューターだ。ハードの大きさに似つかわしくないとんでもない量の情報を保持できる。その上、旧来のPCパーツを組み合わせることで、膨大なデータを高速で処理できるという代物だ。
本来すさまじい負荷を誇るVRMMOゲームがサクサクの速度で楽しめるのは、概ね人理さんのお陰である。
ついでに、先ほどの"答え"の理由はこれだ。
元祖にして最高のディリアルゲームクリエイターである人理さんなら、今回のゲームだって完成さえすれば絶対に話題になる。そして、当然のように売れるだろう。
他にもまだまだ彼女のスゴイところはあるが、キリがないのでこの辺にしておくとしよう。
さて、やや話が脱線したので本題に戻す。
会社側も人理さんを腫れ物に触るように扱っていたという話だが、「そんなすげぇ人なら開発だけやらせておけば良いだろ」なんて思うかもしれない。しかし、有能な人間にはそれなりの席を与えるのがこの会社であり、その上人理さんには管理職としての才もあった。
あった、という具合に「過去形」なのだが。
少々強引ではあったものの、スタッフそれぞれの業務をきちんと整理し、無理矢理なところもあるが大きなプロジェクトを幾つも成し遂げてきた。
人理さんは正真正銘の成功者、だったのだ。
その彼女が大量に辞職者を出したというのだから、その対応に会社側も困った訳である。
その末に「最後の部下である俺を辞めさせたら部長の肩書剥奪」ということになった。
更に、「期間内にクロモノの開発が終わらない場合も同じ」らしく、今の人理さんは二つの制約の間で板挟みになってしまっているのだ。
おまけに、人員補給のための稟議は根こそぎ通らないときている。理由は推して知るべしといったところか。
とにかく、そんな状況のため人理さんは俺にあまり強く言えない。だから、さっきみたいな部下の反乱も咎められないのだ。
これが、俺の常識外の行動を容認させてしまっている主な原因である。
もちろん、あんなことをしておいてなんだが、別に人理さんが嫌いだなんてワケじゃないんだけどね。
人理さんのことは尊敬しているので辞めるつもりなんてないのだが、ただ日頃の鬱憤を晴らしたい気持ちくらいはある。
だから、本当に出来心で常識を全力フルスイングしてみた次第だ。
「二人しかいない部署だからこそ情報の共有が大切なんですよ! お使いのことなんてあとで良いんです! とにかくさっき騒いでた件について教えて下さい! 仕事に抜けが生まれたらどうするんですか!!」
もう一発怒鳴ってやった。辞めていったみんな見てるか? 俺はあの傍若無人で悪逆非道な人理さんに言いたい放題言ってるぞ。いや、それなりに抑えてはいるけどね。
「だ……だから怒鳴るなって……」
居心地悪そうに彼女はうつむく。ちょっと涙目にも見えた。プライドの高い人理さんのことだから、俺に言い返せないのが悔しいのだろう。こうして良いようにされてしまっている状況は、本来の彼女ならありえないことだからな。
なんとも清々しい。最高の気持ちだ!
と心の中で叫ぼうとしたが、何故だか抵抗があった。
少しは気が晴れると思ったんだけどなぁ。
「ボ……ボクに非があるのはわかったけど……グスッ……ど、怒鳴ること……エグッ……ないじゃないか……」
尊敬する人を泣かせて楽しいわけないか。
昔は、誰に何を言われても動じない、それこそ血も涙もないような人だったのに、その人が涙を流しているのだ。
彼女のその様子を見て、「なんて弱くなってしまったんだ」という失望がないわけじゃない。
だが、それ以上に俺の心には「支えてあげたい」という想いが湧き上がってきた。
人理さんは、その頭脳と手腕はもちろんだが、多くの人の助けとともにここまで登り詰めたのだ。しかし、その助けがいつの間にか当たり前になり、彼女は増長し、人を蔑み、微妙なバランスで成り立っていた彼女の強さが崩れた。
今はもう面影すらないかもしれないが、以前の人理さんはもっともっと魅力的な人だったんだ。たくさんの人の後押しを受け輝く彼女はとても素敵で、それこそ誰にでも「この人についていきたい」と思わせる何かを持っていた。
その彼女を、俺は未だに追い続けている。
一人でも支え続ければ、またあの頃の人理さんが帰ってきてくれると信じて。
何度も絶望し、逃げ出したい気持ちにもなったが、それでも俺がここに居続ける理由はこれだった。そんなことも忘れて日頃の鬱憤を晴らそうとするなんて、人理さんの言う通り俺は無能なのかもしれない。
「す、すいません、締め切りが近いのもあってちょっと熱くなってしまいました……」
冷静になった俺は、反省しつつ急いで彼女へと頭を下げた。そして、顔を俯けたままチラリと人理さんの顔を伺う。
眉をハの字にして、ぐしぐしと乱暴に涙を拭う彼女は、ただの少女に見えた。
どうしよう、普通に可愛い。
その白衣のような服も相まって、雰囲気的にどこかの国のお人形さんみたいだ。
喋らなければ美人、とは使い古された表現だが「笑わなければ美少女」というのは珍しい。
その弱々しい様子。抱きしめたら折れてしまいそうな身体。儚げな泣き顔。どこをとっても可愛らしさばかりが感じられた。
不意に、ドクンと大きく心臓が脈を打つ。
改めてだが、今の人理さんは俺を咎められない。
それに加えて、二人きりのこの状況。無抵抗そうな彼女。
……抱きしめるくらい、許されるのでは?
さっき彼女が一人で怒ってた理由は気になって仕方ないが、今俺は重要な運命の分岐点に立っている、と思う。それどころではない。
それに、俺はこの閑散とした部署で一生懸命頑張ってるし、仕事の話はいったん置いといてちょっとくらい欲望におぼれてもバチは当たらないはずだ。
なお、この考えが甘かったとわかるのは、もう数秒後のことである。