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16 トラスト

 あれから、わたしはルゥとのことを全て親たちに話した。ディリアルのこと、クローンモノ・クロームのこと、そしてそこであったこと。


 半べそになりながら、恥ずかしいところは隠しつつそれ以外全部説明した。


 お母さんは、それこそわたしが灰になるんじゃないかってくらい怒った。烈火の如くだ。


 でも、お父さんは怒らなかった。「これまでのことはわかった。だから、これからのことを考えよう」と言い、日曜日ではあるが病院を手配してくれた。お父さんは顔が利くのだ。


 また、ルゥの容態については、診察の際に同席させてもらったが、「ショックによる一時的な記憶の混乱」というものだった。


 おそらく、記憶障害と幼児退行を併発してる状態だろう。わたしがいる前ではそのような言葉を使っていなかったが、診察が終わったあと、お父さんと医者が二人で話しているのを影で聞いていたところ、だいたいそんな感じだった。


 なお、医者が言うには「この症状には厳密になにか有効な治療法が確立されているわけではない。できるだけ今まで通りに生活させてあげ、その中でだんだんと記憶が戻るのを待つしかない」そうだ。


 手術をしたり投薬をしたりする必要はないそうだが、逆にいえば「わたしたちにできることはほとんどない」ということでもあり、なんとももどかしい。


 もう病院にいる必要はないのだが、ルゥが遊んでいきたいというので、わたしたちは病院の中庭のベンチに腰掛けお母さんと一緒に遊ぶルゥを眺めつつオセロをしていた。ホログラムを映し出すタブレットを挟んで、静かにお父さんと対峙している。


 ちなみに、盤面的にはわたしがやや押されている状況だ。もっとも、「この年で父と娘が向き合って話すのはなんだか恥ずかしい」という状況を誤魔化すためになんとなく始めただけなので、勝ち負けはそこまで気にしていない。


 ちなみに、お父さんは将棋九段のプロ棋士だ。新聞に棋譜とか載っちゃうタイプの人である。そのせいか、他のボードゲーム全般にもめっぽう強いので、わたしに勝ち目はほぼないだろう。


「まだ、話していないことがあるな?」


 不意に、お父さんが口を開いた。思い当たるところが多すぎて正直困る。正しい答え方がわからなかったので、小さく「うん」とだけ頷いた。お父さんが「そうか」と返す。


 最近はそれほどたくさん話す関係でもなくなってしまったこともあってか、会話は弾まない。ルゥがあんなになってしまった現状を前にして、楽しい会話ができてしまっても困るが。


「それを無理に聞き出そうとは思わない。つみきを責めるつもりもない」


 お父さんが、静かに続ける。


 怒っている感じはしないが、ものすごい重圧が襲いかかってくる。当然だが、わたしがまだ許されていないことがよくわかった。


「俺は昔から、教育方針として『放任主義』を掲げてきた。それは、つみきたちに『自分で考える人間』になって欲しかったからだ。自分で考えられるようにするための最低限の教育はしたつもりだし、こんなことがあった今でも、その教育方針が間違っていたとは思わない」


 言いながら、お父さんが盤面に触れ黒の石を置く。少しだけ、わたしの白が侵食された。


「だが、もしこれでつみきが、ぱずるのために何もしなければ、俺は今までやってきたことを改めないといけないだろう」


 そこでお父さんはボードから顔を上げ、ふー、と大きく息をついた。


 骨ばった顔に浮かぶ鋭い目がわたしを射抜く。心の奥底まで覗き見るようなその目は酷く冷たい。父の顔から視線を外したかったが、それは怖くてできなかった。


「意味はわかるな?」


 返答を待つように、お父さんが黙る。


 それに対して、わたしはおずおずと口を開いた。


「……ちゃんと、ルゥのために何ができるかは、考えてる」


 怖いけど、ちゃんと目を見て最後まで言い切ることができた。


 お父さんの表情が少しだけ柔らかくなった気がする。


「俺が今回の件に関してつみきたちにできることは、見守ってやることしかないと思っている。つみきが全部話してくれない以上、想像では埋めきれないところがあるからだ。俺がもし、裁判を起こしてそのゲームの制作会社を訴えて勝っても、ぱずるは元に戻らない。だから、俺は意義あることをしたいと考えてる。だからこそ、俺はつみきのすることを見守っていたいんだ」


 お父さんは淡々と続ける。一言一言に重みがあり、それらがわたしの肩に少しだけ積み重なった。


「それに、つみきは俺の自慢の娘だ。俺が想像する以上のことをこれまでいくつもやってきた。だから、心配しなくたって、すごいことを成し遂げられると信じている。ルゥのことだって、なんとかできると信じている」


 信頼。


 お父さんの話を聞いて、そんな言葉が頭に浮かんだ。堅苦しく感じるけど、それが心地よい。まるで、紐のようにわたしを縛るのに、だからこそ前に進めるような、そんな気持ちになる。


「頼んだぞ」


 そう言って、お父さんは身を乗り出し、わたしの頭を撫でてくれた。さっきまでの様子からは考えられないくらい優しく。


 それで、わたしの中の何が決壊した。


 頭の中を今日の出来事が駆け巡る。モノクロームシティであった出来事の数々が、まるで針のむしろのように心を突き刺す。


「ご……ごめんだざい……ぐずっ……。わだじが、ぢゃんとできなかったから……えぐっ……」


 その手の温もりが心地よくて、泣くつもりなんてなかったのに、自然と涙があふれてくる。


 これじゃ、せっかくお父さんが頼ってくれてるのに、台無しじゃないか。


 ちゃんと返事をしたいのに、上手く言葉にならない。


「おどうざん……、ご……ごべんね、ずぐなぎやむがら……ぐずっ……」


 涙越しに見たお父さんは、なんだか困った顔をしていた。あのわたしがオセロで負けた日と、同じ顔をしている気がした。


 わたしが悪いのに、なんでお父さんは最後まで厳しくできないんだろう。それが寂しくもあり、ちょっとだけ嬉しくもあった。


「つみき、そ……その、なんだ。一人じゃ背負いきれないこともあるだろうし、辛い時は、いつでも頼ってくれていいんだぞ」


 わたしの頭を撫でながら、気まずそうに視線を逸らせる。なんだかわたしが泣いている理由を勘違いしているみたいだが、それでもお父さんの言葉は嬉しかった。


「あ……ありがど……、わだじ……えぐっ……がんばるから……」


 鼻をすすりながら、なんとかそう答える。すると、お父さんは薄く微笑んでくれた。


「ああ、頑張れよ」


 その言葉が、心の奥に響いてくる。だから、なんだかもっと強くなれる気がした。


 でも、あとちょっとだけこうしていたい。もう少しだけ、甘えていたかった。


「あの……お父さん?」


 なんとか声を落ち着け、つぶやくように問いかける。


「そっち行ってもいい?」


 すると、お父さんの顔が火でも着けたように赤くなる。


「き、来てどうするって言うんだ!」


 そっぽを向かれてしまった。


「ダメ?」


 それに対して、わたしは小首をかしげて聞き直してみる。さっきまで泣いてたし、多分威力は絶大だと思う。


 お父さんはそっぽを向いた姿勢のまま、目だけを動かしてこちらを盗み見た。


「……今回だけだぞ」


 どうやら、お父さんは受け入れてくれたようだった。わたしはフラフラと立ち上がり、席を移動する。お父さんと拳一つ分程度間をあけたところに腰を降ろしたが、そこからちょっとずつ近づき、倒れるように身体をくっつける。


「お、おい……」


 お父さんは腕を持ち上げ、逃げるように反応する。身体に変な力が入っているのがわかって、それがなんだか面白かった。思わず、クスクスと笑ってしまう。


「……ふざけてるならもう離れるぞ」

「ごめんごめん、そういうつもりじゃないから」


 謝りつつ、抱きつくように腕を回す。胸とか当たってるけど気にしない。お父さんの身体にいっそう力が入るのがわかった。


「ねぇ、撫でて……」


 下から上目遣いでお父さんの顔を見る。甘えるなんて久しぶりで、ついでに外ということもありちょっと恥ずかしい。


 何やってるんだろうと自分でも思うが、お父さんとこんなことができるのはこれで人生最後になるかもしれないし、思いつくことはしておきたい。


 わたしも、もう高校生なのだ。子供じゃない。


 親子仲は良い方なのだが、やっぱりこの年になると、照れ臭さとかで距離ができてしまう。「放任主義を掲げてきた」とか言っちゃうし、お父さんもあんまりベタベタする方じゃない。でも、わたしはお父さんが好きだし、たまにはこういうことをしたい気持ちになるのだ。


 特に今は、心がボロボロだから慰めて欲しい。自分が悪いのはわかってるんだけどね。


 だから、今日だけ。


「ねぇ、ダメ?」


 固まったまま動かないお父さんに問いかける。


「……撫でるだけだからな」


 そう言って、そっぽを向いた状態で手をわたしの頭へと乗せる。温かい。心の中の傷が少しだけ癒された気がした。


 耳をお父さんの胸板に押し付けてみる。ゴツゴツしていて、暖かい。鍛えているわけじゃないからアバラの感じがちょっとわかる。でも、世界で一番頼りになる胸板だ。


 心臓がものすごい勢いでドキドキしているのがわかる。お父さんも、わたしも。


「……えへへ」


 自分でもなんでかわからないが、笑ってしまった。口元がニヤける。多分、お父さんも一緒なんだと思えて、嬉しかったんだと思う。


 お父さんは冷静ぶってるけど、わたしみたいに泣き出したいくらい不安で、わたしのことを思いっきり叱りつけたいのに、我慢してる。お父さんの娘だし、この距離だからかよくわかった。


 ホントは自分で全部解決して、わたしのこともルゥのことも真綿に包んでしまっておいちゃいたいのに、そうしない。


 心からわたしのことを信じてくれてるから。大切に思ってくれてるから。


 だから、頑張れって言ってくれたんだって、そう感じる。


 頭の上にあるずっと固まったままだった手が、ちょっとだけ動いた。ぎこちなく、でもやっぱり優しくわたしを撫でてくれる。


 うん、よし。


「ごめんね、ありがと」


 わたしはそう言って、一瞬だけぎゅっとして、お父さんから離れた。


 立ち上がって、舞うようにくるっと回ってもう一度向き直る。


 すると、お父さんが驚いたような顔をしていた。目を丸くして石像のように動かない。


 少し考え、自分の太もも辺りを見て思い至る。スカートが短い。ついでにスパッツとかも履いてない。


「えっと、サービスってことで」


 にひひ、とわたしは少し笑った。自分で何を言ってるのかよくわからない。


「……つみきのなんて見てもなんとも思わんよ」


 対するお父さんは正直だけど嘘つきだった。顔が真っ赤である。何かしら思うところがあるんだろう。


 それを見て、なんだか急に恥ずかしくなる。「お父さんのエッチ!」とか「変態! 変態! 変態!」とか叫びたくなるけど、サービスとか言っちゃった以上もう何も言えない。


 カーッと熱くなる顔を押さえるようにしてうつむく。というか何ださっきのは。ここ病院だぞ。どうしてわたしはあんなことしたし。あー、もう。上手くいかないなぁ。


 はーっと息を吐く。ついでにパンパンと自分の顔を叩いた。


 まあ、気にしても仕方ないかと開き直る。


「とにかく、お父さんありがと。わたし、がんばるから」

「お、おう」


 なんだかまだ驚いた顔をしている。ひょっとすると、わたしの行動を見て驚き直したのかもしれない。


「その、なんだ」


 お父さんがなにか言いたそうに口ごもる。


「たまには甘えても良いんだぞ」


 何をかしこまって言うのかと思えば、そんなことだった。やっぱり、お父さんも同じ気持ちだったんだなと思う。


「うん、また今度甘えるね」


 多分、今日最高の笑顔でそう答えた。


 きっともう、わたしたちが今日みたいにベタベタすることは一生ないんだと思う。やっぱり、わたしはもう子供じゃないんだから。


 それでも、お父さんにそう言ってもらえて良かった。


 さて、そろそろ行こう。家に帰ってリッピーに言わなきゃいけないことがある。


 ついでにもう一人、話をしなければいけない人物がいるし。


 そんなことを考えながらわたしは、まだ遊んでいたルゥとお母さんに声をかけるため、中庭の中央に向けて歩きだした。


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